ルーツの秘密

貴方はご存知ですか?ご自分の本当のルーツ(家系)

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ご挨拶!

大変ご無沙汰していました。本当に久しぶりです。この世を去ってしまったでもなく、病気をしていたわけでもなく、タダタダ、個人的な事情で、忙しくさせていただいておりまして、おまけに使っていたPCがパンクしてしまい、気がついたら、6年もの年月が過ぎていました。皆様には、ご迷惑とご心配をおかけしました。留守の間に、「心温まる」ご来訪をいただきまして、盛りたてていただき「お礼」を申し上げます。今後は、しっかりと管理させていただく所存です。また、よろしくお願いします。

ご無沙汰しています。仕事とプライベートが多忙で、なかなかゆっくりとプログできなくて、気がついたらもう半年経っていました。時の流れって速いですね。人は、こうして年輪を重ねていくんでしょうね。そして、その何代もの積み重ねが、家系となって残っているんでしようし、またこれからも積み上げられていくんでしょう。

徳川家康に召抱えられた稲守将監俊正は、御家人と言う身分で、豊臣秀吉の小田原攻め、慶長の役、賤が岳の戦い、小牧長久手の戦い、関が原の戦い(この時、次男は、筒井定次の家臣として、徳川方に、三男の稲守三左衛門、五男の重正は豊臣方に参戦、俊正と四男の實栄は徳川方に参戦したが、豊臣方敗戦により、三男の三左衛門は九州に落ち延び、五男の重正は、その子正俊とともに、大阪冬の陣、夏の陣に参戦したが敗戦して、今の静岡県駿河国田尻に隠棲して、家紋を九枚笹に変えて稲森姓を称した。)

チョッと説明がくどいのですが、要するに、稲守将監俊正は徳川家の御家人として召抱えられたということです。そして、俊正より三代目の實定は徳川家家臣として大阪冬の陣、夏の陣に参戦した。俊正より四代目の栄實、五代目の定正と代々徳川家に仕え六代目の定富の時に旗本に昇進したようです。

御家人⇒お目見え以下の家臣
旗本 ⇒お目見え以上の家臣
となっていますが、お目見え以上の役職を三代仕えると旗本に昇進できたようです。

ところで、稲守、稲森、稲盛姓は、数は少ないようですが北は北海道、南は九州・沖縄まで、分布しているようです。何か情報をお持ちの方お知らせください。

「血」が騒ぐ?

「私」を自分なりに分析してみると、人の言うことを鵜呑みに出来きず、その人の行動・言動の裏側の意図を読もうとしたり、せっかく貰ったアドバイスに従えなかったりと、一匹狼きどりで、わが道を行くタイプで嫌な奴かもしれません。

以前、有名な占い師さんに大枚を払って何度も占ってもらいましたが、「やってはいけない」と言われた禁を三回も破り、予測された通りの結果で今も引きずっています。

「人に言われた通りに行動して失敗するより、自分で決めたことで失敗するほうが納得できる。」などと強がっている自分かもしれません。「これも先祖の因縁か」と諦めつつ、こんどは失敗しない素直な自分になりたいと思っています。

第三の家紋

イメージ 1

先にご紹介した二つの家紋に加えて、三つ目の家紋は変わり抱き稲オモダカです。これはおそらく名字にちなんだものと思われますが、父の生家の四谷にはお稲荷さんが祭られていたとも聞き及んでいますので、稲荷(飯綱)信仰とかかわりがあるかもしれません。

初代稲守将監信重より三代目の俊正の長男は伊賀の乱で戦死、次男の正定は筒井定次に仕えて幾多の合戦に参戦し関が原の戦いでは、東軍につく。三男稲守三左衛門は豊臣方家臣となり、後に九州に渡った。四男の稲守實栄は父俊正とともに、徳川家の家臣となり、五男の稲守重正は息子正俊とともに豊臣方家臣と
なり、関が原敗戦の後駿河国田尻に落人となって隠棲し、稲森と称した。

 稲守・稲森・稲盛姓は稲守から発祥して、あまたの戦の度に二手に分かれて戦い全国に広がって行ったようです。

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