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「廃校を青少年の育成の場に」
阿蘇高原温泉ふぐプロジェクト

書庫若者へのラブレター

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若い頃、どうしようもなく私から怒られていた一人の若者

学校はサボる、挙句に途中退学

社会人に成っても、弁当持って出るけど出社はしない

そんな彼が一念発起

ベンツ専門の自動車会社を経営するように成った

最近私の元に株式会社設立案内状が届いた

頑張れ❗️❗️

ここにエールを送ります。

人生の門出に祝福

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「今まで心配ばかりかけてきたけど、何時も見守っていてくれて
 本当にありがとう。
 これからは二人で、自分の家庭を大事にして、幸せになります
 これからも末永く、見守っていてください」

          手のかかる息子より
 
8月8日、無事、息子の結婚式を終えました。
人生の中でも、美味いお酒が飲めた一日でした。
 
 

ちょっとした出来事

昨日、実家へ帰る時の事。
珍しく私の車をあおる車あり。追い越し禁止区間で私を抜き去った。
当然私の性格、追いかけて再び抜き去り、強制停止をさせた。
ドアを開け、「出て来いと」叫ぶと、相手は10メートルバック
私が近づいた隙に急発進。横をすり抜け、逃げ出した。
苦笑いではあったが、後をつけ、お灸をすえてやらねば。
必死で逃げる相手を追う。
相手は族車使用の軽。こちらは大型。ちょっと山道ではきつい所があった。
逃げ込んだ先で、ドアをたたき再び「出て来い」と恫喝・
ドアを引っ張ると、いきなりロックを掛けた。
その声に驚いて、家族が出てきた。   何と知り合いではないか!!
誤ることしきり。
その母親は、保育園の園長先生。
しかし、長女は不登校。次男は高校にも行かずのフリーター。仕事も
2週間しか続かない。無免許で親が車も与えていたらしい。
と言うか、黙認していたようである。
その親の仕事が保育園の園長とはあきれる。
許してはあげたけど、「いずれ、お子さんはひどい事故か、トラブルに
巻き込まれますよ。ちゃんと法規と安全運転はしつこく言っておいた方が
後で後悔しない為にも」と言って別れた。
それにしても、捲る位の元気があるのに、一言言われれば、逃げたり
ロックをして出てこない。
何とも情けない若者を見たものだ。
刃向ってくるくらいの元気があれば、まだ可愛いのだが・・・・。

<世の若者諸君>
自分のした事に対して、良い事だろうが、悪い事だろうが、最後まで押し切る
覚悟を持てないなら最初からするなと言いたい。

<世の大人の方達>
族などと嫌な眼で見るくらいなら、叱りなさい。

そう言えば数年前、阿蘇に100台くらいの暴走族が終結した事がある。
その時もマイク片手に、延々30分くらい説教をした事があった。
その時も、「総長出て来い」と呼びかけをしたけど出てこなかったな。
後、警察が駆けつけ、「00さん、ここは私達がするのでどうか、引き取ってください」
と頼まれたことを今思い出した。
しかしこいつらは私の言葉頷いていた。元気の良いのは悪い事ではない。
それをひけらかし、観光地に迷惑をかけている事はしてはならないのである。
ここ阿蘇は、みんな自然を楽しみに来ている場所なのだから。

暴力が徹底排除されている今の世の中、苛めは陰湿な方向へ変わっている。
知らない間にネットへの書き込み・無視。これはこれで相当なダメージを
相手に与えるだろう。一種のゲーム感覚のターゲットに誰でもなり得る。
誰かが一人書き込みをすれば、他の者が遊びで参加する。このくらいの感覚
でされるのだから、的になった本人からすれば防ぎようが無いかも知れない
言葉・文字の暴力は、相手を死にまで至らせる。

「後輩はいたわり、先輩は敬う、ごく当たり前のことを」

私の学校は男子校、当時6の科があり、入学と同時に先輩が教室に乗り込み
先輩・後輩のしきたりを叩き込む。
まずクラスの中で、出身学校同士の争い・違う科との争いに発展してゆく。
3か月くらいでクラスがまとまり、別の科との関係も半年もすれば落ち着く
その間、ほとんど毎日どこかで喧嘩があっていた。[とんでもない学校でした・苦笑い」
2年になると私はそれまでの慣例をやめさせ、後輩に対しての暴力による
締め付けを一切禁止した。
(上下関係がはっきりしていたから、少し陰湿な先輩が立場の弱い後輩を
 的にいじめを繰り返していた=前回の先輩の自殺はこれに当たる)
1年生のトラブルは、1年生で解決させる。2・3年は出て行かない。
他のクラスから誰かがやられたら(真面目な弱い子でも)クラス全体で動く
体質が出来上がり、苛められる子はいなくなった。一つ間を置くことで
後輩も先輩を敬うというごく当たり前の状況が出来上がる。
こうして取り仕切る物を世間では不良と呼ぶ。
周りから見れば、後輩がきちっと挨拶をするから、あの人は悪なんだと
勝手なラベルを大人の目線で張り付ける。

不良(わる)の美学

初めに
いつの時代にも、苛めはある。当然私たちの時代にもあった。不良と呼ばれる
子たちも沢山いた。恐らくいじめの根絶は難しいだろう。前に書いたように
世の中は7;3の法則
「正義を7とした場合、3の割合で悪があるとする。その3の悪を切っても残
 りの7の正義の中からまた3の割合で悪が出てくる」
すべての人類は平和を願っているにも拘らず、戦争は一向に無くならない。
大国間の戦争が終結して平和が訪れたかと言うと、今度は民族間の紛争が起こる
旧社会主義のソビエト連邦の崩壊により、諸国は平和を望んで一致団結・自国の
繁栄を謳歌すれば良いのだが、巨大な力の抑圧から放たれた国民は民族紛争へと
走った。例として挙げるには多少の違和感は覚えるが、あえて書かせていただく
ならば、日本の任侠を暴対法で取り締まった挙句、外国人の犯罪が増えてしまった。
イラクにしても、巨大な悪を取り除いても、宗教間の醜い争いが起きている。
平和主義者の唱える、戦争反対の同じ言葉の繰り返し(誰でも戦争は反対である)
戦争も現実にある。いじめも現実に根絶は難しい。いつの時代も子供心は純粋ゆえ
に残酷な一面も持っている現実。これらを踏まえて「いじめをなくそう」の
繰り返しでなく、実際起きているいじめをどうするかをしばし考えて見たい。


第1回
私が世間から俗にいう不良と呼ばれるようになった訳

私の時代にも苛めはあった、中学生の時、一人の先輩(高校生)が自殺をした。
亡くなって解ったのであるが、顔・手足など見えるところを除いて体は傷だらけ、
ついに耐え切れず、誰に相談することなく、農薬を飲んで死んでしまった。
(当時、田舎にはどの家庭にも農家なので農薬は置いてあった)
その高校には、近隣7校くらいの中学校から入って来る。その出身中学校同士の
争い、地元自体田舎なのに、その中でも田舎の中学校出身が馬鹿にされるという
構図(井の中の蛙状態)。この事件以来、私の心の中で何かが変わった。
「力は必要」と言う考えは、ここから始まる。そんな不良に対抗し、二度とこん
な事は起こさせない為にはどうすればいいか?  
 私自身が強くなってみんなを守ればいい。
それまでの私はと言えば、好きな女の子と会うと顔が真っ赤になる純情そのもの
の中学生。交換日記をする極めておとなしい部類に入る方だった。もちろん、酒
タバコ等は一切やった事がない。生徒会の役員にも推薦されるくらいの極めて
まじめな部類のごく平凡な生徒であった。
そんな中学生活を送っていた私がこの事件以来、一変することになる。

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