「a song for you」の可能性を求めて

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先程までFMでドゥービー・ブラザーズの特集をやっていたので、今日はそれに乗っかります。

「ドゥービーと言えば、トム・ジョンストン(G&Vo)が在籍している時の“豪快なアメリカン・ロック”と、'70年代後半のマイケル・マクドナルド(Key&Vo)が加入してからの“緻密な大人のポップ・サウンドの二つの顔があると言えるのぉ。どちらも味わい深く高い評価を受けているので、自分はどちらが好きか?あるいは、どちらも好き派か?いろいろアルバムを聴き比べてみることをオススメしますぞ。ちなみに王様は“トム・ジョンストン派”じゃ〜!」

「それでは最後に、王様流ドゥービー曲名直訳で締めくくりますぞ。『長い電車、走る(LONG TRAIN RUNNIN')』、『中華街(CHINA GROVE)』、『神様は御機嫌(JESUS IS JUST ALRIGHT)』、『黒水=ミシシッピ川(BLACK WATER)』、『隊長と私(CAPTAIN&ME)』。以上!」

・・・と語る「王様」。彼については別途取り上げてみたいと思いますが、私も王様と同感です。「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」の軽快で華やかなアレンジワークにしびれたものです。とは言え、今日まで私はメンバーが誰なのか全く興味がありませんでした。調べると、オリジナルメンバーで最後までいたのがパトリック・シモンズ(Guitar, Vocals)だけなんですね。

ドゥービー・ブラザーズ (The Doobie Brothers)は「アメリカのバンド。1970年代に人気を博したウエストコースト・ロックを代表するバンドのひとつ。1970年にトム・ジョンストン(Guitar, Vocals)を中心に結成、翌1971年にデビュー。1972年に『リッスン・トゥ・ザ・ミュージック』のヒットを放つ。この後のメンバーチェンジでリズムセクションはファンキーさを増し、サザン・ロック色の濃い音楽性を確立する」。

「1973年のアルバム『キャプテン・アンド・ミー』からは『ロング・トレイン・ランニング』、『チャイナ・グローブ』、1974年のアルバム『ドゥービー天国』からは『ブラック・ウォーター』といったヒット曲が生まれ、一躍アメリカン・ロックを代表する人気バンドの一つとなった」。

「1974年、スティーリー・ダンを脱退したジェフ・バクスター(Guitar)が加入する。ところが、その頃からバンドの顔であるジョンストンの健康状態が悪化し、バンドを一時脱退してしまう。間近に控えたツアーのため、ジョンストンの代役としてバクスターの紹介で加入したのが、スティーリー・ダンのツアーメンバーだったマイケル・マクドナルド(Keyboards, Vocals)だった」。

「マクドナルドはその個性的な歌声とともに、バンドに洗練されたAORの強い影響をもたらす。それまで野性味あふれる快活なギターロックを奏でていたドゥービーの音楽性は一変した。AOR路線への転向はファンの間で大きく賛否が分かれたが、商業的には大成功を収める」。

「1978年のアルバム『ミニット・バイ・ミニット』とシングルカットされた『ホワット・ア・フール・ビリーブス』はともに全米1位を獲得、その年のグラミー賞でアルバムタイトル曲は最優秀ポップ・ボーカル(デュオ、グループまたはコーラス部門)賞、『ホワット〜』は最優秀楽曲に輝いた」。

「もはやマクドナルドのワンマンバンドとなったドゥービーにかつてのロックバンドの面影はなく、メンバーは次々と脱退。キース・ヌードセン(Drums)、ジョン・マクフィー(Guitar, Vocals)ら一部のメンバーはアメリカに活動の場を移した矢沢永吉のバックミュージシャンを務めるなどしていた。マクドナルドにとってもドゥービーの看板は不要となり、1983年に初期のメンバーが集まって『フェアウェル・ツアー』と銘打ったライブを行なった後、解散した」。

「1987年にチャリティーコンサートのために一時再結成したドゥービーは、1989年に復活作となる『サイクルズ』を発表。初期のロックサウンドを蘇らせた。その後もマクドナルドが参加したライブアルバムを発表するなど、近年はメジャーレーベルからのリリースはないものの地道に活動を続けている。なお2005年2月10日に死去した主要メンバーのキース・ヌードセンら、かつてバンドに在籍したメンバーのうち四人がすでに死去している」。(ウィキペディア)

ドゥービー・ブラザーズを語る上で忘れてはならないのがテッド・テンプルマンというプロデューサーです。彼については、「M_FACTORY」さんによる非公式ファンサイトから引用します。

「1964〜65年にThe Tikisとして活動し66年にレニー・ワロンカーに見い出されるが、レニーのプロデュースによりかつてのビート・サウンドはヴォーカル・グループのように変化した。このサウンドの変化のためバンド名をHarpers Bizarreと変えデビューし、1969年までに59th Street Bridge Song(Feelin' Groovy)等のヒットを放った」。

「Harpers Bizarre解散後、ワーナーのスタッフとして迎えられた彼はレニーと共にドウービー・ブラザーズを見い出し共同でファーストアルバムをプロデュースした。以降Farewell Tourまでのアルバムをフル・プロデュース、Cyclesの数曲も担当した。プロデュースに加え曲によってはバック・ヴォーカルおよびパーカッションでもレコーディングに参加している。またメンバーのソロ、他のアーティストでは、Little Feet、Nicolette Larson、Van Halen等の数多くのアーティストをプロデュースしてきている」。

「ドウービーズ・デビューからの一連のヒット・アルバムを担当してきた名プロデューサー。彼は決してオーバー・プロデュースはせず、第一にメンバーの意見を尊重しバンドのカラーを崩さずまとめ上げていった。彼とそして名エンジニアのドン・ランディー、後期のエンジニアであるジム・イサクソン、そしてメンバーが一体となり素晴らしい作品を生み出してきた。ドウービーズのメンバーにとってはもう1人のドウービー、まさに信頼のおけるプロデューサーと言える。いつかまた彼のフル・プロデュースでのドウービーズの新作を期待したいと願う」。(http://www1.nisiq.net/~doobies/)

*参考:日本の「ABロックス」というバンドによる「CHINA GROVE」(http://youtube.com/watch?v=HHcSvT3vc_k)

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