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その人の仕事を知らずして物を書くということは意味がありません。しかし、その生涯を垣間見るとき、その仕事に興味を持つことは私にとっては関心事です。そんな作曲家山田泉さんは、私とほぼ同じ歳で亡くなっています。人はあらかじめ天命を無意識の中で感じ取りつつ、生きているのではないかと思わせる人です。
山田泉(1952年 - 1999年4月10日)は、「戦後世代を代表する日本の重要な作曲家。桐朋学園大学短期大学部助教授、東京藝術大学作曲科非常勤講師として、多くの作曲家を世に輩出した。1975年 東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。1978年 カーネギー・ホールで作品が演奏される。1979年同大学院作曲科博士課程修了。1988年 韓国最大の現代音楽祭パン・ムジーク・フェスティバルに招待され作品が演奏される。1989年『同時代の音楽の夕』を企画・主催(1991年,1995年)」
「強靭な精神力を持った彼は、作曲に対して、常に全身全霊で臨んだ。芸術にたいへん厳しく、妥協を微塵も許さなかった彼の音楽のどの瞬間を掬い取っても、何ひとつとして無駄なもののない徹底された完成度が、どの作品の中にも特筆して見出される強い特徴と言えよう。その精度故か、作品数はごく抑えられているものの、どれも質が極めて高く、いかに身を削って作曲に魂を注ぎ込んだかが、ひしと伝わってくる」。
「雰囲気で流れる時間は与えられておらず、その瞬間の形そのものに強い意味が委ねられており、聴き手には気の緩む暇がない。濃密な時間が次々と折り畳まれており、聴き終わった後に現実に戻った者は、あまりにも完成された時間芸術とは対照的に、混沌たるこの世に嫌悪を感じてしまうほどである」。
「特徴としての、緊迫した空気と激高型の感情は、彼の人柄そのものから滲み出たものかどうかは判りかねるが、概して強いエネルギーを隠し持っている。じっくりと深く歌い上げられる旋律は、脳裏に一度焼きつくと離れない喚起力を持ち、聴く者はなぜか自らの半生について惜春の念を抱いてしまう渋い和声は彼の強い武器でもある。その強い個性は、日本が世界に広く自慢できる逸材であり、少作家ながら、戦後の日本を代表する大作曲家として揺るぎない存在感を現在でも強く示している」。(ウィキペディア)
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