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近衛家といえば少なくとも日本の明治期以降、近衛文麿を筆頭に細川護煕元首相まで日本の運営に関わってきた名家ですね。近衛家は五摂家筆頭の家柄で、公爵。皇室内で雅楽を統括する家柄でもあったそうです。摂家とは、藤原氏の嫡流(ちゃくりゅう)で鎌倉時代に成立した公家の最高位の家格。大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白に昇任できる家。近衛家・一条家・九条家・二条家・鷹司家の5家があるそうです。
この近衛家から日本の音楽界を牽引したのが近衛 秀麿(ひでまろ、1898年11月18日 - 1973年6月2日)でした。指揮者で作曲家。元子爵。元貴族院議員。貴族院議長も務めた公爵近衞篤麿の次男として生まれ、異母兄に近衛文麿(政治家・元内閣総理大臣)、実弟に近衛直麿(雅楽研究者)、水谷川忠麿(春日大社宮司)がいるといいます。
「日本のオーケストラにとってパイオニア的存在であり、『おやかた』(由来は、親方or御館様が転じたもの。文麿が『殿様』と言われていたのに対し、秀麿が『御館様』と呼ばれていたのがルーツとも言われている)と呼ばれ親しまれていた。正当な評価がされない時期もあったが、2006年には初めて近衛に関するまとまった本が出版されるなど、再評価の動きも徐々に出てきている」。
「学習院、東大美学(中退)で学んだ後パリ、ベルリンに留学。1924年にはベルリン・フィルを指揮しヨーロッパデビュー。同年9月26日帰国演奏会を開き、マーラー交響曲第一番の第三楽章を演奏。マーラーが日本で鳴り響いた最初となった。1925年4月山田耕筰と共に「日露交歓交響管弦楽演奏会」を企画、開催」。
「山田耕筰と共に指揮する。同年、山田耕筰と共に日本交響楽協会(民間初の本格的オーケストラ)を結成。1926年、山田耕筰と対立し日本交響楽協会が分裂。近衞は新交響楽団(現NHK交響楽団)を設立し指導にあたる。1935年新交響楽団の指揮者を辞し、欧米各地のオーケストラを客演指揮する」。
「1937年、NBC交響楽団の設立と同時に指揮者陣に加わる。その後アメリカ国内の対日感情悪化のためベルリンに活動拠点を移す。1945年、敗戦直前のベルリンから脱出、12月帰国。1946年東宝交響楽団(現:東京交響楽団)の発足と共に上田仁と共に指揮者陣に加わる。1950年近衞管弦楽団(後ABC交響楽団。1961年ヨーロッパ公演旅行の混乱により活動を停止)を設立。1973年東京で死去。戦前、前後を通じ、多数のレコーディングを行った」。(「昔のレコードを聴こう」http://www.sound78rpm.jp/index.html)
一時期飛行機に熱中した時期もあったそうですが、やがて本格的に音楽の道を志すようになり、飛行機断ちの証としてヴァイオリンを正式に勉強することを許されたといいます。1915年からは、牛山充の紹介で、ドイツでの作曲留学から帰国したばかりの山田耕筰に作曲を学ぶようになり、一方で東京音楽学校にあった交響曲を片っ端から写譜するなどオーケストラへの興味を強めていったそうです。
「日本のプロとしての本格的なオーケストラ活動は、山田耕筰と近衞秀麿によってもたらされたと言っても過言ではないだろう。そして世界的な活動という点で言えば、山田耕筰が日本での活動を中心としていたのに対し、欧米に広く活動していた最初の日本人指揮者として、近衞秀麿の功績は特筆すべきものがあるだろう」。(同上)
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