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昨日遅ればせながら、レオナルド・ディカプリオ主演、マーティン・スコセッシ監督の「アビエイター」(2004年)を観ました。アメリカの実業家・映画製作者・飛行家、ハワード・ヒューズの生涯。史上初めて製作費が100万ドルを超えた、第一次世界大戦のイギリス陸軍航空隊のパイロット達を描いた作品「地獄の天使/Hell's Angels」(1930年)を撮った男の話です。
この映画タイトル「ヘルズ・エンジェルス(Hells Angels)」から名づけた、アメリカ合衆国のオートバイ・クラブがあります。1948年にカリフォルニア州フォンタナで結成されました。このクラブは1969年にローリングストーズと関わることによって、ロック史上に汚名を残すことになりました。後に「オルタモントの悲劇」と呼ばれます。
同事件の一部は1970年の映画『ギミー・シェルター』に記録されているそうですが、概要は次のようなものです。
「カリフォルニア州オルタモント・スピードウェイで行われたローリング・ストーンズ主催による、ジェファーソン・エアプレインらが出演した(12月6日の)フリー・コンサートで、エンジェルスは群衆整理として500ドル相当のビールを報酬として雇われた。ストーンズが『アンダー・マイ・サム』を演奏しているとき(しばしば『悪魔を哀れむ歌』演奏中の出来事とされるが誤りである。)、エンジェルスのメンバー、アラン・パサーロによって黒人青年のメレディス・ハンターが殺害された。パサーロはその後正当防衛として釈放された」。(ウィキペデキア)
この事件が、残念ながら死者を出したとは言え、なぜロック史上に汚名を残すほどの出来事なのか?それは、同年8月15日〜17日までの3日間に行われた「ウッドストック」との関係性にあります。「ウッドストック」が「愛と平和」をイメージさせるものであったのに対し、1960年代最後の月に起きたこの事件は、ヒッピー文化とロックの理想主義的なものを現実に引き戻し、ロックの幻想に引導を渡すことになったからでした。
「オルタモント悲劇」ついては下記のサイトに詳細が書かれています。
「ロックで社会問題を考える会」(http://www5f.biglobe.ne.jp/~letsrock/index_main.html)
奇しくも今日はミック・ジャガーの64歳の誕生日。私はこれまでどうもローリング・ストーンズとは縁が無く、彼らの曲を誰が書いているのかすら知らない程です。今回記事を書くに当たってそれが「ジャガー・リチャーズ」名義で書かれていることをはじめて知った次第です。
ちなみに同年生れのミュージシャンには、ジャニス・ジョプリン(1/19)、ジョージ・ハリスン(2/25)、バリー・マニロウ(6/17)、ジム・モリソン(12/8)、ジョン・デンバー(12/31)がいます。バリー・マニロー以外は亡くなっているのが残念です。
よく「ビートルズ=優等生、陽、ストーンズ=不良、陰」と対比されますが、この「オルタモントの悲劇」はそういった意味で、ストーンズにとっても象徴的な出来事となりました。ただ、私の先輩にあたる団塊の世代の方々のロック通にはストーンズの方が人気がありました。以前「ストーンズは葉っぱをやって聞かないとその真の良さはわからない」と語る会社の上司がおりました。
ストーンズのデビューにあたっては、ビートルズの助言があったといいます。こんなエピソードがあります。
「すでにデビューしていたビートルズはリッチモンドのクローダディ・クラブでアマチュア時代のストーンズのステージを観ている。休憩時間に会話を交わし意気投合、その日ストーンズがステージを終えるのを待って朝まで音楽話をし、以来友人関係が続くことになる」。
「ビートルズはブライアン・エプスタインの下で宣伝係を担当していたアンドリュー・ルーグ・オールダムに『すごいグループがいるぞ』とストーンズをスカウトするように薦め、オールダムはストーンズのマネージャーになる」。
「ビートルズをオーディションで落とし、その後ビートルズの活躍ぶりを観てあわてて第二のビートルズになるバンドを探していたデッカレコードのディック・ロウに『ローリング・ストーンズをとるべきだ』と推薦したのがジョージ・ハリスンであった。これによりストーンズはデッカからデビューする事となる」。(ウィキペディア)
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