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NHK・BSで「世紀を刻んだ歌 輝く星座 戦火の街に輝いた希望の光」(〜戦場の街サラエボに輝いた水瓶座〜)の再放送を観ました。これは2003年に製作されたもののようです。内容については、「リサのページ」(http://www5f.biglobe.ne.jp/~spbreeze/sub5.htm#Aquarius)から引用させてもらいます。
〜「Aquarius/Let The Sunshine In(The Flesh Failures)の日本題名は、「輝く星座」...なんだか日本の昔の歌謡曲みたいですね。又は、「光がほしい」...このほうがいいです。 1968年4月に上演された、前述の「ヘアー」では、ベトナム戦争当時の戦争へのプロテストソング、すなわち人類愛と平和を求める意味の歌「光がほしい」としてフィナーレで歌われ、1969年のグラミー賞を獲得しました。
1992年3月、サラエボでの独立戦争の最中、サラエボ市を囲む丘の上の狙撃兵(スナイパーズ)に、昼夜、命を脅かされながら、必死で毎日を生き抜くサラエボの市民の中のミュージシャンたちが集まり、リハーサルを重ね10月11日に初めて「ヘアー」が上演されました。 戦火の街に輝いた希望の光、「ヘアー」のフイナーレで、歌われる、♪Let the sunshine in♪は人びとの心を打たずにはおれません。〜
更にこのドキュメントのもとになった「ヘアー」について、「達也君のぺえぢ」(http://www004.upp.so-net.ne.jp/nabe_k/index.html)から引用させてもらいます。
〜実はこのミュージカル、数少ない「アメリカ史を語る上で欠かすことの出来ないミュージカル」の一つでもあるのです。これは冗談でもオオゲサでもなく、10年位前にアメリカの"TIME"誌が「1968年」という特集を組んだ時、その年表の中にもしっかり「"HAIR"開幕」と書かれていました。
HAIRは、Gerome Ragni(1942年 9月11日ピッツバーグ生まれ)とJames Rado(1939年 1月23日LA生まれ)の2人の若い(当時は…笑)役者2人が出会って意気投合したところから始まりました。この2人が語り合っているうち、いつしか今までに無い全く新しいミュージカルを作ろうということになり、台本を書き始めました。この時、色々なアイディアを紙片に書き散らし、それらを無作為につなぎ合わせて作り上げたそうです。
さて、アイディアがまとまり、今度は誰に作曲を頼もうかということになったのですが、ある作曲家に2曲ばかり作曲してもらったものの結局気に入らず、最終的に、どちらかというとクラシック畑の作曲家であるGalt MacDermot(生年月日不詳…一説には1928年12月18日、モントリオール生まれ)の所に持って行くことになったのでした。そして、それが結果的にはこれ以上はないという位の大成功をもたらすことになったのです。
さて、このミュージカルで中心になるのはヒッピー達です。最近の若い人たちは「ヒッピー」なんて言ってもわからないでしょうが(私もリアルタイムで知っているわけではないですが…生まれた頃の話ですので)、要するに物質文明に嫌気を覚え、精神世界や東洋哲学に興味を持ち、今までの古い価値観からの精神の開放を求め、自由であることを渇望し、ドラッグ(特にマリファナとLSD)によってトリップし、「愛と平和」("Love and Peace")を訴える(そしてベトナム戦争のような侵略戦争に反対する)、半分世捨て人のような若者たちのことです。
そして、彼らは男でも長髪にしていました。なぜかというと、当時アメリカにおいてはベトナム戦争遂行のために徴兵制が行われていたのですが、徴兵に取られて軍隊に入ると髪を短く切ることになります。そこで、男でも髪を伸ばすことによって、戦争に反対し、愛と平和を求めるという意思表示をしていたわけです。もちろん、半分世捨て人のようになったのも徴兵を拒否するためです。そして、この意思表示こそが、このミュージカルのタイトルを"HAIR"にしたわけです。男の長髪にはもともとこのような深い意思表示があるので、流行や気分でロン毛にするのは彼らに対して失礼なのですよ、皆さん。
それまでのミュージカルは、昔のミュージカル映画を見てもおわかりの通り、音楽はジャズ(但しかなり白っぽく洗練されたもの)を基本としていました。しかし、ヒッピーという新しい価値観を持った若者を主人公とするミュージカルを作るのであれば、古い価値観に基づく音楽を使用するのではなく、全く新しい価値観に基づく音楽を使用する必要があるということで、あえて音楽にはロックを使用することとし、楽器はアコースティックなオーケストラではなくエレクトリック楽器を用い、さらにはそれまでのミュージカルとは異なり、出演者はマイクロフォンを堂々と手に持って歌うことになりました。
これらの、それまでのミュージカルの概念を破壊するかのような斬新さから(さらに、ここに挙げた以外にも、後に述べる要素も含むのですが)、"HAIR"は、「ミュージカルの誕生」と言われる1866年の"THE BLACK CROOK"、アメリカ独自のミュージカルを確立した1927年の"SHOW BOAT"と並んで、「ミュージカル史上最大の革命の一つ」と呼ばれるようになったのです。
最初は、オフ・ブロードウェイにある「ニューヨーク・シェークスピア・フェスティバル・パブリック・シアター」という所の柿(こけら)落し公演として1967年10月29日に始まり、65回上演されました。そしてその後、今度は同じくオフ・ブロードウェイにある「チーター」というダンスホールにて45回の公演を行いました。
さて、結局、このミュージカルはブロードウェイにて1,750回のロングランを記録しました。これは、1960年代に始まったミュージカルとしては4番目の記録だそうです。
しかし、このミュージカルの最大のテーマが、「ベトナム反戦」というあまりにも時代性の強いものであったがために(それがこのミュージカルを「アメリカ史を語る上で欠かすことのできない」ものにしたのも事実ですが)、ベトナム戦争が終結に向かうと(もちろん、アメリカの敗戦…1975年にベトナムからのアメリカ軍の撤退によって終結しました)、そして、ヒッピー達の社会が実は理想郷ではなかったことが色々な出来事(例えば「オルタモントの悲劇」等)から判明してくると、このミュージカルも終演を迎えることとなりました。1972年7月1日のことでした。
最後に、このミュージカルは本当に名曲ばかりなのですが、その中でも特にオススメの超名曲を挙げると次の通りです。
AQUARIUS、HAIR、EASY TO BE HARD、FRANK MILLS、WHERE DO I GO?、WALKING IN SPACE、ABIE BABY、WHAT A PIECE OF WORK IS MAN、GOOD MORNING STARSHINE、THE FLESH FAILURES (LET THE SUNSHINE IN)〜
この「ヘアー」が上演された1968年とはどういう年だったのかを個人的な関心度の高いものからピックアップしてみると、次ぎのようになります。
1月5日-アレクサンデル・ドゥプチェクがチェコスロヴァキア共産党第一書記に就任、「プラハの春」始まる。
4月4日-マーティン・ルーサー・キング暗殺。
4月4日-遊園地を軍事関連施設に建て直す事に端を発したコロンビア大学で学園闘争が起こる。この事件をもとにジェームズ・クーネンが小説「いちご白書」を書く。好奇心と下心から学生運動に身を投じたボート部の学生と、活動家の女子大生の恋愛を瑞々しく、力強く描く体験記。「いちご白書」とは体制側の象徴である大学理事が「学生達の要求なんぞ、いちごについての談義みたいでとるに足らぬもの」と宣ったことに起因する。
4月12日-東京都千代田区に霞が関ビル完成。高さ147メートル。
6月5日-ロバート・F・ケネディ暗殺。最大の州であるカリフォルニアでの予備選に勝利した直後の5日、ロサンゼルスのアンバサダーホテルの調理場で銃撃を受け、右脳を損傷、翌6日早朝死亡した。享年42。
8月8日-札幌医科大学で日本初(世界30例目)の心臓移植が和田寿郎氏によって行われた。日本初のレシピエントは移植83日後タンを詰まらせ死亡。
10月17日-川端康成がノーベル文学賞受賞。
11月22日-ビートルズ唯一の2枚組オリジナルアルバム「ザ・ビートルズ(The BEATLES)」、通称「ホワイトアルバム」が、英国で発売される。また、ビートルズ自身が設立したアップルレコードから発売された最初のビートルズのアルバムでもある。
12月10日-東京都府中市で三億円強奪事件発生。
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