|
ブライアン・エプスタインは1967年8月27日に睡眠薬の過剰摂取で死去した。33年という短い生涯だ。これまでエプスタインがどんな人物だったのか全く関心がなかった。但し、彼が死んだ後、メンバーの対立が表面化しビートルズは解散に向かうこととなったことだけは知っていた。彼の生涯を「フリー百貨事典」で辿っておく。
ブライアン・サミュエル・エプスタイン(Brian Samuel Epstein, 1934年9月19日 - 1967年8月27日)は、「祖父の代にポーランドからイギリスに移住したユダヤ人の家庭の生まれ。エプスタインの父親ハリーは家具店を経営しており、ポール・マッカートニーの一家はそこでピアノを購入したというエピソードが伝わっている」。
「1952年12月、徴兵されて陸軍に入隊。隊規違反を起こし、精神鑑定によって同性愛者であるという結果が出たため除隊になり、家具店の1フロアに作られたレコード売り場を担当する。1956年、俳優を志してロンドンの王立演劇学院に入学。一年で挫折してリバプールに戻り、新たなレコード店を開店。1961年8月3日発行の『マージー・ビート』誌3号から音楽コラムの連載を始めた」。
「エプスタインがビートルズと出会った当時、彼らはジーンズと革ジャケットを着用し、騒がしい演奏を行っていた。不良のイメージを払拭させるべく、エプスタインは彼らにスーツとネクタイを着用させ、ステージ上で小綺麗にするようにさせた。また、ステージ上での喫煙をやめさせ、演奏の終わりには一礼を行うようにさせた」。
「その外観は(モップ・ヘアを除いて)バンドが一般に受け入れられるのに役立った。これらのスタイルは長くは続かなかったが、ビートルズのイメージとして、現代に至るまで永く印象付けられる事になった」。
「生前公表されることはなかったが、エプスタインは同性愛者であった。ジョン・レノンに惹かれていたものの、個人的な感情に基づいて行動した形跡はほとんどない。1963年4月、二人は四日間のスペイン旅行を共にする。この際二人が性的な接触をもったという噂が流れた。レノン(率直な発言で知られる)は常にこの噂を否定していた」。
「1980年には、プレイボーイ誌のインタビューにこう答えている。『決して頂点に達することはなかったけど、かなり強烈な関係だった』。ポール・マッカートニーも、レノンとエプスタインの関係はプラトニックだったと述べている。映画『僕たちの時間』The Hours and Times (1991) は、このスペイン旅行の事実に基づいたフィクションである」。
|