「a song for you」の可能性を求めて

大切な誰かのために、自分の思いを音楽にしてプレゼント

THE BEATLES

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「The U.S. vs. John Lennon」。現在、アメリカで上映中のドキュメンタリー映画だそうだ。「ジョン・シェインフェルドとデヴィッド・リーフの2人によって制作されたこのドキュメンタリーは、平和活動のアイコンとして扱われるようになったジョン・レノンとアメリカ政府との間で繰り広げられた真実をテーマにした作品だ。彼ら2人が本作の制作を決意したのは、2001年アメリカ同時多発テロ後アメリカによるイラク侵攻がきっかけだったという」。

「本作に全面協力し、プライベート・フィルムのなかから貴重な映像を提供したオノ・ヨーコは『もし、あなたがジョンについて知りたいと思ったら、この映画を見てもらえればわかります。ジョンを題材にしたドキュメンタリーのなかでもこれこそ彼が気に入る作品だと思うわ』と語っている」。(関連サイト)日本公開は未定。

奇しくも今日は、ジョン・レノン(本名:John Winston Ono Lennon1940年生れ)とオノ・ヨーコの間に生まれたショーン・レノン (Sean Taro Ono Lennon1975年生れ)の誕生日だ。「ファーストネームの名付け親は、ショーンの生誕当時ジョンと親交が深かったエルトン・ジョンだといわれている」。

2006年9月26日にアメリカで2作目のソロ・アルバム「フレンドリー・ファイア」が8年ぶりにリリースされたばかりのショーン。「一時期本田ゆかと交際していたが破局し、その後はビジュー・フィリップス (ジョン・フィリップスの娘) やエリザベス・ジャガー (ミック・ジャガーの娘) などとの恋愛が報じられ、その都度話題を呼んでいる」。

「なぜか篠原ともえと大変仲が良かった時期があり、その影響からかショーン自身『シノラー』化してしまい(ウサギ耳にアニメのTシャツ、アクセサリー)一部のファンからは『熱愛状態』を噂されたこともある。(ショーンは篠原のことを「僕の大切な友達」と話していたものの、恋愛関係にはなかったと思われる。)」(フリー百科事典)

村上龍の同名小説が原作の映画『コインロッカー・ベイビーズ』に、浅野忠信らとともに出演予定らしい。ジョン・レノンの魂は息子ショーンを通じて映画という形でアメリカと日本を彷徨っているのかもしれない。

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キャンドルスティック・パーク(Candlestick Park)。アメリカ合衆国・カリフォルニア州・サンフランシスコにある球技場。元々はメジャーリーグ・サンフランシスコ・ジャイアンツのメイン球場として使用され、1964年には村上雅則が日本人初の大リーガーとしてこの球場で好投を繰り広げたことで知られたtという話だ。

その球場で1966年8月29日にビートルズが最後の公式なコンサートを行った。「1966年8月、シカゴのインターナショナル・アンフィシアターでのコンサートから始まった通算4度目のアメリカ公演。ビートルズはその公演旅行の最後を飾るサンフランシスコでのラスト・コンサートを最後に4 人そろってステージに立つことは 2度となかった」。

「押し寄せるファンを阻止するための バリケードで囲まれたステージで熱狂と悲鳴にも似た歓声の中『ロックン・ロール・ミュージック』から『アイム・ダウン』まで日本公演と全く同じ曲順の演奏をしたのが最後のコンサートになりました」。(b-dream「ビートルスこぼれ話」)

その日、ジョージは「もうコンサートはやらない !?じゃあこれで終わりなんだ。ぼくは今夜限りでビートルズの一員じゃなくなるんだね。これが最後だね。」と語ったという。もちろん、開放感からのひと言だろう。

このキャンドルスティック・パークという名称は今はない。1995〜2002年にはアメリカの通信機器メーカー、スリーコムが命名権による球場スポンサーとなり、「スリー・コム・パーク」に。そして2004年、アメリカのオーディオケーブルメーカー「モンスター・ケーブル・プロダクツ」がスポンサーとなって「モンスター・パーク」となった。「SBCパーク」という情報もある。今年から更に「AT&Tパーク」と変更されているようだ。

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ブライアン・エプスタインは1967年8月27日に睡眠薬の過剰摂取で死去した。33年という短い生涯だ。これまでエプスタインがどんな人物だったのか全く関心がなかった。但し、彼が死んだ後、メンバーの対立が表面化しビートルズは解散に向かうこととなったことだけは知っていた。彼の生涯を「フリー百貨事典」で辿っておく。

ブライアン・サミュエル・エプスタイン(Brian Samuel Epstein, 1934年9月19日 - 1967年8月27日)は、「祖父の代にポーランドからイギリスに移住したユダヤ人の家庭の生まれ。エプスタインの父親ハリーは家具店を経営しており、ポール・マッカートニーの一家はそこでピアノを購入したというエピソードが伝わっている」。

「1952年12月、徴兵されて陸軍に入隊。隊規違反を起こし、精神鑑定によって同性愛者であるという結果が出たため除隊になり、家具店の1フロアに作られたレコード売り場を担当する。1956年、俳優を志してロンドンの王立演劇学院に入学。一年で挫折してリバプールに戻り、新たなレコード店を開店。1961年8月3日発行の『マージー・ビート』誌3号から音楽コラムの連載を始めた」。

「エプスタインがビートルズと出会った当時、彼らはジーンズと革ジャケットを着用し、騒がしい演奏を行っていた。不良のイメージを払拭させるべく、エプスタインは彼らにスーツとネクタイを着用させ、ステージ上で小綺麗にするようにさせた。また、ステージ上での喫煙をやめさせ、演奏の終わりには一礼を行うようにさせた」。

「その外観は(モップ・ヘアを除いて)バンドが一般に受け入れられるのに役立った。これらのスタイルは長くは続かなかったが、ビートルズのイメージとして、現代に至るまで永く印象付けられる事になった」。

「生前公表されることはなかったが、エプスタインは同性愛者であった。ジョン・レノンに惹かれていたものの、個人的な感情に基づいて行動した形跡はほとんどない。1963年4月、二人は四日間のスペイン旅行を共にする。この際二人が性的な接触をもったという噂が流れた。レノン(率直な発言で知られる)は常にこの噂を否定していた」。

「1980年には、プレイボーイ誌のインタビューにこう答えている。『決して頂点に達することはなかったけど、かなり強烈な関係だった』。ポール・マッカートニーも、レノンとエプスタインの関係はプラトニックだったと述べている。映画『僕たちの時間』The Hours and Times (1991) は、このスペイン旅行の事実に基づいたフィクションである」。

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「イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学」を読んだ。「英雄」というと何か政治的な響きがああって二人にはそぐわないと思うが、「ヒーロー」といえば二人にはぴったりはまる。32歳のイチローと56歳の永ちゃんの対談は、その年齢差を全く感じさせない。それは二人が頂点を極め、はたまたその世界で現役であることが共感を作っているのだと思う。

「成りあがり」でその半生を綴った永ちゃんの「リッチになる」というメッセージは周知だが、その永ちゃんはデビュー後最初のインタビューで「矢沢君、なんで歌手になろうと思ったんですか」と聞かれ、「お金儲かるからと聞いたから」と即座に応えたという。

矢沢「そのころ、僕は考えていたんです。ビートルズが好きだ、ジョン・レノンみたいになりたい。だけど、一発当てたジョン・レノンとかビートルズは、俺たちになにを教えてくれたんだろう?って」

イチロー「何だと思われたんですか」

矢沢「こんな俺たちだって一攫千金を狙えるかもしれないってことを、ビートルズが教えてくれたんですよ。だから僕、ビートルズの本を読んで一番感じたところって、どうやって契約を交わしたのかとか、そこからマネージャーのブライアン・エプスタインとどういう取り分を決めてとか。そのほかにもどうのこうのっていうのを知ったときに、「すげえな」って。もう、そこでギラッギラッ輝いている自分がいたのね」。

イチローが「実は五十歳まで現役でプレイする、しかもバリバリでプレイするというのが、いまの夢なんですね。これは、目標ではなくて大きな夢なんです」という。そのことばに永ちゃんが反応する。彼の三十歳の頃、「『俺、五十歳まで歌うぞ』って、いつも周囲に言っていたんですよ」。

矢沢「五十歳まで歌いますと言い続けて、その五十歳を過ぎました。いま、僕、歌やめないです。なんでやめないかと言ったら、僕、わかるんです。ミック・ジャガーとかローリング・ストーンズは、もういま、金のためになんか歌ってませんよ。彼らは、そんなこと、とっくにクリアしてますよ。だけどなぜ、やめないのか?彼らはもう、やめられないんです。なぜならば、そこには絶対やめられない、音楽とずーっと遊んでいたいっていう、自分がいるからなんです」。

音楽が好き、野球が好きということが今の二人を動機付けている。あたりまえだと言えばそうだ。しかし凡人にはなかなか極められないことでもある。お金や名誉だけではここまで続けられない。その永ちゃんは次のように語る。

「四十五歳ぐらいになったらね、ふと思った。『そうか、俺はヤザワなんだ』『そうか、俺は俺を応援してくれるファンの、みんなのヤザワなんだ』『だから、みんなのヤザワをちゃんと見てくれ』って。『今度は一皮むけた矢沢永吉をやろう』、そう思うんですよ。いま、そういう思いがあります。『みんなの矢沢永吉』なんだって」。

この永ちゃんの境地に、残念ながらビートルズは達することがなかった。

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「元ビートルズのポール・マッカートニーさんが、初めてギターの演奏を学んだアコースティックギターが28日、ロンドンでオークションに掛けられ、米国人男性が33万ポンド(約7000万円)で競り落とした」とAP通信が報じた。

「ギターには『これは私が初めて持ったギターだ。これで初めてコードも学んだ』とのマッカートニーさんの手紙も添えられているという。 AP通信によると、マッカートニーさんは、ビートルズを結成することになる故ジョン・レノンさんと英リバプールで出会った1957年、このギターを使っていた。マッカートニーさんが、レノンさんにギターのコードを教えたという」。

「オークションは、ビートルズが数々のヒット曲を録音したロンドンの『アビイロード・スタジオ』で行われた。ギターを競り落とした米フロリダ州の男性ファンは『これはロックの歴史で非常に重要なギターだ。これがなければビートルズも存在しなかったかもしれない』とコメントした」。(共同)

ポールがジョンにギターを教えたことは始めて知った。それにしても、ポールはなぜこのギターを売ったのだろう。今更お金など必要ないだろうから、何らかのチャリティなのか。別にギターを売らずとも、ポールにはチャリティできる財力はある。果たしてこの7,000万円はどう使われるのだろう。

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