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THE BEATLES

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<The Beatles - The End>
http://www.youtube.com/watch?v=gI38vPDCoao&NR=1

今から38年前の今日、1970年4月10日にポール・マッカートニーはビートルズの解散を公式に発表しました。1962年10月5日、「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコードデビュー以来、世界を席巻した奇跡の四人の終焉でした。今日は、このバンドの最後の曲「The End」を取り上げます。

1969年7月23日から始まったレコーディングは、8月5日、7日、8日、15日と重ねられ18日に終わっています。レコーディングとしては他の曲をこれ以降も行っていたという記録もありますが、実質的な最後のアルバムの「アビイ・ロード」の最後の曲でもあり、これをビートルズの最後の曲としてよいと思います。

同アルバムのエンディングで「ハー・マジェスティー」というポールの23秒という短い曲がありますが、これはメドレーのつなぎとしてポールが作ったものを録音していたエンジニアが消し忘れていたものが、メンバーの了解のもとそのまま残った産物だったので、おまけみたいなものです。

さて、この「The End」について、「これがビートルズだ」の著書・中山康樹さんは次のように書いています。

「オープニングに感傷はない。いきなり『オ−イェー、オーライ』ときて『今夜、僕の夢に出てきてくれるかな?』と、ビートルズが消滅するというのに呑気なものだ。だが、やはりこの曲はビートルズの最後の曲だった。つづいて登場するのはリンゴの最初で最後のドラム・ソロだ。なんとタイトで雰囲気のあるソロか。これがビートルズのサウンドを根底から支えていたリンゴ・スターのドラムスだ」。

「次に『ラーヴュー』の連呼が入って、さらに“最後”の演出へと引きつがれる。ギター合戦だ。ポール、ジョージ、ジョンの順で激しいギター・ソロをくりひろげ、この信じがたいシーンは三回にわたって連続で繰り返される」。

「そして突然のごとく切断され、ピアノが“トトトトトト”と鳴ってこれでもかの『ユメイク(You make)』のパートへと突入していく。ここでダメ押しとして登場するのがコーラスだ。これでビートルズは終わった」。


「The End」(Lennon/McCartney)

Oh yeah, all right
Are you going to be in my dreams
Tonight?

[Drum solo]

[Guitar solos]

And in the end
The love you take
Is equal to the love
You make


よし わかったよ
今夜 僕の夢に出てきてくれるかい

君を愛している 愛してる 愛してる

そして結局 君が受け愛は
君がもたらす愛に等しい

(内田久美子訳)

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ビートルズのことをかなり勉強したつもりでいたのですが、今日取り上げるバディ・ホリーについては全く知らずにいました。ビートルズの前身バンド、クオリーメン結成後、アマチュア時代には彼の楽曲を多くレパートリーにしていて、初めてのレコーディング(1957年)で取り上げたのが、「ザットル・ビー・ザ・デイ」だそうです。まずは原曲を聞いてみましょう。

「Buddy Holly - That ll Be the Day」
http://jp.youtube.com/watch?v=pribHw93OPc

バディ・ホリー&ザ・クリケッツの音楽を聴いたプロモーターが黒人と間違えて、当時、黒人エンターティナーの殿堂ともいえるアポロ・シアターへの出演を依頼。ホールに着いた彼らを見て、プロモーターは慌てたが、すでにどうすることも出来ず、仕方が無く、そのままステージに立つ。観客は彼らを見て戸惑ったが、演奏が始まると、彼らを受け入れ、好評の内にステージは終了し、結果として彼らは、アポロ・シアターに出演した最初の白人ミュージシャンとなりました。

以下、ウィキペディアを再編集して引用します。

「BEATLES」は、ジョン・レノンとスチュアート・サトクリフが考えた名前で、造語である。自分達の敬愛するロックンローラー、バディ・ホリーのバンド名『バディ・ホリー&ザ・クリケッツ』のクリケッツ(こおろぎ)にあやかって、同じ昆虫の名前ビートルズ(BEETLES、かぶとむしの複数形)をマーロン・ブランド主演の映画『乱暴者』の中から思いつき、クリケッツ(こおろぎの他にスポーツのクリケットの意味がある)のように2つの意味になるようにと、BEETLESに音楽のBEATを加える意味でスペルを変えてBEATLESとした。

ポール・マッカートニーは「3コード、バンド、立って楽器を弾くスタイル、ビートルズはバディ・ホリー&ザ・クリケッツの真似から始まった」と語っている。ポール・マッカートニーはバディ・ホリーの版権を所有している。

ジョン・レノンは青年時代、眼鏡をかけることに強い抵抗感を持っていたが、バディ・ホリーが「眼鏡をかけたロックン・ローラー」として堂々と振舞っていたのを見て、人前で眼鏡をかける事を恥と思わなくなったという。

ジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』の中に「バディホリーが死んでロックンロールは終わった」というセリフがある。

ミック・ジャガーは「レコードジャケットの写真を見るまでバディ・ホリーは黒人だと思っていた」「バディほど独創的な人はいない。ロックンロールの真の天才」と語っている。

キース・リチャーズは「バディは何でも自分でやってしまうし、バンドとしても凄かった。そんな事ができたのはバディが最初だよ。本当の天才だ」と語っている。


バディ・ホリー(Buddy Holly, 1936年9月7日–1959年2月3日)は、「アメリカのロック草創期に活躍したミュージシャンである。本名はチャールズ・ハーディン・ホリー (Charles Hardin Holley)、4人兄弟の末っ子で母親がホリーの事をbuddy(坊や)と呼んでいた事から、バディと名乗るようになったと言われている」。

「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ(BUDDY HOLLY & THE CRICKETS)は後のビートルズなどに大きな影響を与えた。ギター2本とベースとドラムスでバンドを編成するスタイルは彼から始まった(当時は、ロックでもいわゆるビッグバンドスタイルが主流だったが、金がない彼らは、巡業では4人のバンドメンバーだけで演奏することが多く、結果的にそのスタイルが定着した。また、巡業では、最悪、バディとドラムのジェリー・アリソンだけで回ったこともある。しゃくりあげるような裏声を用いて独特のアクセントをかもすヒーカップ唱法や、軽快なビートが特徴である」。

「愛用のエレクトリックギターはソリッド構造の真っ赤なフェンダー・ストラトキャスターで、ギブソン社のフルアコースティックギターが全盛だった当時は新鮮であった。60年代にデビューしたロック・アーティストには、彼の影響でストラトを手にしたと語る者も少なくない」。

「活動後期にはヴォーカルのダブル・トラックやストリングスの導入など、レコーディング・テクニックの可能性を追求し始め、存命し続けていればさらなる音楽的成長が期待できたと惜しむ声も多い。1986年にロックの殿堂入りを果たした」。

「ホリーはテキサス州の石油と酪農の街ラボックに生まれた。家族全員が音楽好きという環境の中で自然と音楽に親しみ、高校時代にはバンドを結して、当初は主にカントリー・ミュージックを演奏した」。

「ついにはプレスリーと並ぶほどの人気を博したが、1959年2月3日未明、ツアー公演中の移動のために搭乗したミネソタ州ムーアヘッド行きのチャーター機が、吹雪のために方向を失ってアイオワ州のトウモロコシ畑に墜落し、ホリーは死亡した。同乗していたミュージシャンのリッチー・ヴァレンスとビッグ・ボッパー、そしてパイロットを含めた4人全員が助からなかった。ホリーはこのときわずか22歳であった。このツアーの終了後、ザ・クリケッツと活動を再開する予定となっていたが果たされなかった」。

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今から39年前の今日、ビートルズの最後のライブがロンドンのアップル社の屋上で行われました。私が観たのは映画「レット・イット・ビー」でした。日本公開も1970年とありますが、そうすると私はまだ12歳。そんな筈はない。おそらく中三くらいになっていたはずです。田舎だったから、数年遅れて上映されたのか?記憶が定かではありません。

「The Beatles Rooftop Concert 3/3」
http://www.youtube.com/watch?v=pd8JYA4MvlQ

ビートルズの最後の公式なコンサートとしては、1966年8月29日にアメリカ・カリフォルニア州・サンフランシスコにあるキャンドルスティック・パーク(Candlestick Park)でのものですが、実質的なラストは、これから2年半後に行われたこのゲリラ・ライブでした。

私にとってこの映画の衝撃は今でも印象に残っています。何しろこれまでレコードでしか聴いたことのなかったビートルズが動いているのです。思わず鳥肌が立ち、目には涙。実際にこのライブを見た人も感激したでしょうが、その様子を映像で見る私も感激しました。この映画ではすでに彼らが言い争いをしているシーンもあって、生々しいドキュメントになっていました。

U2が1987年のアルバム「ヨシュア・トゥリー」のメイキング・ドキュメンタリー映像を1999年に発表したときに、ビートルズのルーフトップ・コンサートを真似てロサンゼルス市街地でゲリラ撮影した「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム」(約束の地)のPV撮影風景が登場していましたね。

ルーフトップ・コンサート (Rooftop Concert、Rooftop Performance)とは、「1969年1月30日にビートルズがイギリス・ロンドンにあるアップル社の屋上で映画撮影のために突如行ったゲリラライブである。事実上ビートルズの最後の歴史的なライブ・パフォーマンスとなる」。

「映画『レット・イット・ビー』のラストを飾るシーンの撮影目的で、自社ビルの屋上にて機材を運び込み、予告無しでオフィス街の中で大音量のライブが敢行された。著名なビートルズの生演奏であったため野次馬も大勢やってきたのが、映画でも確認できる。道路には屋上を見上げる群衆ができ、近隣のビルの屋上には人だかりができ、中には梯子でアップル社の屋上までやってくる人までいた」。

し「ばらくすると警察官がやってくるが、すぐにはやめさせようとせず、見守りつつマネージャーのマル・エヴァンスとやり取りを行っていた。その後、警察官は演奏を制止するため屋上に昇ったため、マネージャーのマルは、アンプの電源を咄嗟に切るが、すぐにジョージ・ハリスンが電源を入れてしまう。この事は『アンソロジー3』Disc2収録の『ゲット・バック』の演奏でも確認でき、一時的にポール・マッカートニーのベースとリンゴ・スターのドラム音のみの時間がある」。

「結局警察官により演奏は中止されてしまうが逮捕などの処置はなかった。しかしメンバーは、『警官に羽交い締めにされて逮捕され、そのシーンを映画のラストに使いたかった…』とドキュメンタリー映像作品『アンソロジー Vol. 8』で語っている」。

「映画では、計7曲の演奏が使われているが、実際には2, 3回同じ曲を繰り返したり、曲の間に短いつなぎの歌を演奏したり、映画ではカットされた曲も演奏するなどしており、さまざまな音源が海賊盤で出回っていた。『アンソロジー』の解説では、全曲を収めたテープが発見された(実際には海賊盤の企業から奪還したもの)、と書かれている。現在判明している曲名は以下のとおり」。

DIALOGUE
ゲット・バック(リハーサル)
ゲット・バック(2回目)
DIALOGUE
アイ・ウォント・ユー
ドント・レット・ミー・ダウン
アイヴ・ガッタ・フィーリング-ウー!マイ・ソウル
ワン・アフター・909‐ダニー・ボーイ
ディグ・ア・ポニー(1回目)
ディグ・ア・ポニー(2回目)
GOD SAVE THE QUEEN(テープ交換の間のつなぎとして演奏)
アイヴ・ガッタ・フィーリング(2回目)
A pretty girl is like a melody
(アーヴィング・バーリンのミュージカル『馬鹿なジグフェルド』のナンバー)
ゲット・バック
ドント・レット・ミー・ダウン(2回目)
ゲット・バック(3回目)
(以上、ウィキペディア)

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どんな世界にも「生みの親」と「育ての親」というメンターがいます。そして、ビジネスの世界では一般的には「育ての親」にスポットライトが当てられます。ロック史上最大のエポックであったビートルズの誕生とその活躍において、そのプロデューサーとしてほぼ全楽曲に関わったのがジョージ・マーティンですが、彼がいなかったらこのバンドがどうなっていたかは言わずもがな、ですね。

「ビートルズ」という彼らのソングライティング能力を、その録音テクニック、アレンジ・センスを駆使し多彩な楽曲に仕立てた功績は、ロック史の新たな緞帳を引いたこのジョージ・マーティンにおいてしかありません。

もともとロイ・オービソン調のバラードだった「プリーズ・プリーズ・ミー」のテンポを速めるよう進言したのも、キーもテンポも異なる2つの曲を「つなげてくれ」というジョン・レノンの無理難題に応えて「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」という稀代の名曲を仕立て上げたのも彼だったといいます。

他にも「イエスタデイ」「エリナ・リグビー」でのストリングス導入や、プレイヤーとしてもメンバーも弾けない高度なテクニックを要するパートを弾きこなしたりと、ビートル・サウンドに対する貢献度は際立っています。また、テープを切り刻んでの編集、テープの逆回転などスタジオ機材の限界を超えたアイデアを絞り出し、レコーディング・テクノロジーを飛躍的に向上させたのもこのジョージ・マーティンでした。

今日で82歳の誕生日を迎える彼に敬意を表し、その生涯を辿っておきます。

サー・ジョージ・ヘンリー・マーティン CBE(Sir George Henry Martin CBE, 1926年1月3日 - )は、「英国の世界で最も有名な音楽プロデューサーの一人。ビートルズのほとんどの作品のプロデューサーを務めたことから"5人目のビートルズ"ともいわれる。音楽界への貢献から、1996年にナイトの称号を与えられている」。

「ロンドン生まれ。ギルドホール音楽院でクラシックの基礎を学んだ後、1950年にEMIへ入社。1955年に傘下レーベルの一つであったパーロフォンのマネージャーとなり、コメディ俳優のピーター・セラーズらの作品などコメディ色の強いレコードの制作を多く手がけ実績を積んだ。この頃の逸話として、『戦場にかける橋」のパロディ作品を作った際、収録曲の『クワイ河のマーチ』を、会社上層部からのクレームを受け、既に録音し終えていた曲中の『クワイ(Kwai)」というフレーズから『K』の部分だけ削除して『ワイ河のマーチ」に作り直したというエピソードがある」。

「マーティンとビートルズとの出会いであるが、ビートルズは1962年にデッカのオーディションに不合格となったものの、その後にマネージャーのブライアン・エプスタインがジョージ・マーティンへの売り込みに成功、マーティンはビートルズのメンバーと直接面会していないにもかかわらず、ビートルズにレコーディングを要請した」。

「同年6月6日、ビートルズをEMIスタジオに呼び、多くの曲を演奏させてビートルズの演奏技術を確かめた後、その場でデビュー曲のレコーディングを行った。彼のビートルズに対する第一印象は『彼らはだいぶひどかった(They were pretty awful)』というものであったが、彼はビートルズと契約した。それは長きにわたる関係の始まりであった」。

「ちなみに、そのとき緊張していた彼らにマーティンは『何か気に入らないことがあるか?」と尋ねたが、ジョージ・ハリスンの回答は『あなたのネクタイが気に入らないね!』であった。また、マーティンは、最初のレコーディング時のドラマー、ピート・ベストの演奏が気に入らず、ライブはともかく、少なくともレコーディングには使えないことを指摘した。マーティンのこの指摘が直接的な引き金となってピート・ベストは解雇、あらたにリンゴを加入させるというメンバー再編となった』。

「マーティンの音楽的専門知識は、ビートルズの天賦の才能と達成しようと考えていたサウンドとのギャップを満たすことを助けた。ビートルズの楽曲におけるクラシック的アプローチやオーケストレーション、複雑なサウンド・エフェクトの多くは、マーティンとの共同作業によるものであった。代表的な例として『ペニー・レイン』におけるピッコロ・トランペットのソロがある」。

「『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』ではテンポもキーも違った二つの曲を一つの曲にするという離れ業を行うなど(注意して聞くと開始から1分ちょうどを境にテンポが違っているのが分かる)、マーティンはメンバーからの困難なリクエストに応え、その音楽的な成功に大きく貢献した。自身は『アレンジの際、ポールは音楽的に解り易く説明してくれたので、あとはそれに基づいて譜面を書けばよかったけど、ジョンは抽象的な表現だけで説明してくるので苦労した』と振り返っている」。

「1965年にEMIより独立。その後もジェフ・ベック、アメリカ、チープ・トリック、ポール・マッカートニーなどのプロデュースを手がける。1997年、ダイアナ妃を追悼したエルトン・ジョンの『キャンドル・イン・ザ・ウィンド97」が、マーティンにとってはイギリスにおける30曲目のチャート1位作品となった』。

「1998年、ビートルズのトリビュート盤『イン・マイ・ライフ』を息子のジャイルスと共にプロデュースし、自分の名義で発表。ジェフ・ベック、セリーヌ・ディオン、ヴァネッサ・メイ、BONNIE PINK、フィル・コリンズ等の豪華メンバーが参加した」。(ウィキペディア)


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