「a song for you」の可能性を求めて

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音楽の風物詩

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表現するというアナログの行為が、その対象媒体を通してデジタル化される。これは、文学に限らず、絵画、音楽に至る芸術全般に言えることで、アナログとデジタルの興味深い関係だと思います。昨日は、クラシック音楽史上の源泉まで時代を遡ってルネサンスの作曲家・ビクトリアを取り上げましたが、今日は音楽をデジタル化ロバート・モーグを取り上げます。

ロバート・モーグについては、昨年4/22付けの記事「コンピューター音楽と世界が認めるシンセシスト『冨田勲』」で少しだけ触れています。彼が開発したモーグ・シンセサイザー(MOOG Synthesizer )は、「電気的振動を発生、変調、制御する統合的電圧制御モジュール群で構成され、アナログシンセサイザーの基本構造を初めて完成形として実用化した電子楽器である。1964年、ニューヨークで開催されたAES(Audio Engineering Society Inc.)のコンベンションで初めて公に披露された」そうです。

ロバート・モーグ(Robert Moog, 1934年5月23日 - 2005年8月21日)は、「アメリカ合衆国の電子工学者。モーグ・シンセサイザーの開発者として知られる。ニューヨークで生まれ、ブロンクスの高校を卒業後、ニューヨーク市立大学クイーンズ校で物理学を、コロンビア大学で電気工学を、コーネル大学で機械物理学を学ぶ」。

「モーグの電子楽器開発に対する思考とその独自の世界観を紹介する映画『MOOG〈モーグ〉』(監督:ハンス・フェルスタッド)が2004年に全米公開され、2005年には日本でも渋谷にて単館上映公開された。DVDの全米発売日にあたる2005年5月31日にはニューヨークで「MOOGFEST II」も開催された。しかし、モーグ自身がその会場に姿を現すことは叶わなかった」。

「デイブ・スミス、ロジャー・リン、トム・オーバーハイムらとの対談を終え自宅に戻った4月中旬頃、違和感を覚え、4月下旬及び5月上旬に受けたMRI検査で最悪性の脳腫瘍であるグリオブラストーマ(神経膠芽腫)と診断され、手術での切除は不可能との医師の判断により放射線治療等を試みたが、8月21日午後2時、家族に看取られながら眠るようにノースカロライナ州アッシュビルの自宅のベッドで死去した。71才だった」。

「幾つかのプロダクトは開発途中であり、モーグの机に残されたプロトタイプと回路図の数々がその予期せぬ病魔の来訪を物語っていた。愛車は、初代のトヨタ・スプリンターカリブ(現地名はターセル)で、ボディーカラーは、愛娘の描いたオリジナルデザインであった」。(ウィキペディア)

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Ludacris Ft. Young Jeezy - Grew Up A Screw Up
http://jp.youtube.com/watch?v=ujhBjfflh-A

2000年のシドニー五輪で女子マラソンの高橋尚子さんが、練習中やレース前にテンションを上げる曲としてHITOMIさんの「LOVE 2000」を紹介したことから、この曲が注目を集めたことがありましたが、アスリートたちが試合前に音楽を聞いている光景を見るようになったのもこの頃から目立つようになった気がします。

一方で、最近のオリンピックでは公式ソングなるものも登場するようなりましたが、いつから始まったのかよくわかりませんが、2000年にのシドニーオリンピックで日本代表選手団公式応援ソングとして、19の「水・陸・そら、無限大」が採用されています。更にはNHKのオリンピックテーマ曲としては、1996年のアトランタオリンピックでの大黒摩季さんの「熱くなれ」が採用されています。

公式ソングとは違いますが、応援歌は英語ではCheer Up Songと呼ばれるそうです。奥田民生さんが、星野JAPANの公式応援ソングを手掛けているんですね。アメリカでは、シェリル・クロウやネリー、3ドアーズ・ダウンといったアーティストたちが、アルバム『AT&T Team USA』で北京オリンピックに参戦するアメリカ代表選手たちの応援に一役買ったようです。

さて、空前絶後の八冠を達成したマイケル・フェルプス選手ですが、彼が試合前にiPodで聞いていた音楽はどんな曲だったのかとちょっと気になりましたのでチェックしてみました。”Lucky Eight In 2008”によるとヒップホップ系の音楽を沢山詰めており、特にお気に入りだったのは「Young Jeezy(ヤング・ジージー)」だったそうです。

添付したYOUTUBEの曲が彼のI Podに入っていたかはわかりませんが、なんか沸々と力が湧いてきるような気がします。

Young Jeezy(本名Jay Jenkins  1977.10.12-)
ユニバーサルミュージック公式サイト
http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/young_jeezy/uicd6133.html

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<BAND FOR SANKA - Waratte Misete Kure>
http://jp.youtube.com/watch?v=Vk4H3bbCEQ8

北京オリンピック、連日の熱戦に見入っています。昨日の女子柔道63kg級、谷本歩実選手の一本にこだわった金、なでしこジャパンの強豪ノルウェーに対する完勝、水泳女子200メートル個人メドレー準決勝での北川麻美選手の日本記録を更新しつつのスイムオフでの勝利に感動しました。

今日の一曲は、今回の北京オリンピックの応援ソングの中で一番好きな曲です。また、このPVがいいですね。

「BAND FOR “SANKA”」
作詞・作曲;小田和正、トータス松本、佐橋佳幸

歌詞(http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/454829/Y068473

<Vocals>
中孝介、岡平健治、小田和正、佐藤竹善、トータス松本、平原綾香、藤井フミヤ、BONNIE PINK、松たか子、宮沢和史(50 音順)

Guitars;佐橋佳幸
Drums ;河村”カースケ”智康
Bass;亀田誠治
Piano;森俊之
Organ;DR.KYON
Percussion;三沢またろう
Trumpet;西村浩二
Tenor&Baritone Sax;山本拓夫
Trombone;村田陽一
Programming;望月英樹

〜音楽プロデューサー佐橋佳幸が「我が国が誇るスポーツの天才達にエールを送りたい」とのシンプルな想いから、小田和正、トータス松本と一緒に、北京大会のみならず、また4年後さらにその先まで、と歌い続けられるような楽曲を、という気持ちで書き上げたのが、この「笑ってみせてくれ」です。そして、歌や演奏で、この曲にさらなる力を与えて欲しいという呼びかけに集まってくれたミュージシャン達がBAND FOR "SANKA"という応援団になって日本代表選手団にパワーを送ります。〜

〜1人でも多くの選手に表彰台に上って欲しい、そして、頑張った選手全員の、自分を出し切った笑った顔が見たい。そして閉会式の時のように世界中が笑顔で溢れたら・・・そんな想いがこの曲に込められています。〜(ワーナー・ミュージック・ジャパン)

頑張れ、ニッポン!

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赤塚不二夫(本名・藤雄=ふじお)さんが2日午後4時55分、肺炎のため東京都内の病院で逝去されたという訃報が報じられました。72歳だったそうです。赤塚さんは1962年、「週刊少年サンデー」で『おそ松くん』、「りぼん」で『ひみつのアッコちゃん』の連載を開始していますが、少年少女両方同時期に違ったキャラを提供していたことに今更ながら敬服します。折りしも同日、朝日新聞で次の記事が報じられました。

〜人気漫画家赤塚不二夫さん(72)の初トリビュートアルバム「四十一才の春だから」が9月24日に発売されることが1日、分かった。不朽の名作「天才バカボン」のパパの年齢が41歳で、作品が「週刊少年マガジン」に連載されて41周年になるのを記念して制作される。98年に故手塚治虫さんの例はあるが、漫画家のトリビュート盤は極めて異例だ〜。

〜収録はカバー7、オリジナル5、リミックス2、そして当時の音源をそのまま収録した「元祖天才バカボンの春」の15曲。「天才バカボン」「おそ松くん」や「もーれつア太郎」などをモチーフに、電気グルーヴ、筋肉少女帯、矢野顕子らの“赤塚マニア”が参加した。ブックレットには、赤塚さん宅に居候経験のあるタモリのインタビューを収録。CDジャケット表紙には、細野晴臣がコメントを寄せる。〜

〜「父の信条は、冗談はまじめに、面白いことは真剣に。そんな赤塚スピリットがぎっしり詰まっています」。15作をじっくり聴いた長女赤塚りえ子さん(43)は、「ロックからジャズ、ダンス系まで曲調はいろいろ。好きな解釈で楽しんで聴いて欲しい。父は『おれの作品はすべての世代に伝わる』と話していた。音楽でも通じるはず」と太鼓判を押す〜。

〜 赤塚さんが奔放なのは漫画家としてだけでない。故手塚さんの長女をホテルに誘い、浮気相手の家に妻子に乗り込まれ、ドッグフードを味見し、大量のカエルを玄関先に放逐した。「楽しいこと」のためには、家庭さえも犠牲にした“遊びの天才”だ。その奔放な遺伝子がバカボンのパパに受け継がれ、初トリビュートにも生きている。タイトルは「四十一才の春」だが発売は秋。そんなことは問題でない。これでいいのだ!〜

この記事には赤塚さんの容態のことについて一切触れられていませんが、関係者の方が赤塚さんのために発表されたのでしょう。1900年後半からの赤塚さんの晩年は、アルコール依存症と病との日々だったようですが、この記事にあるように「これでいいのだ!」という人生だったのではないでしょうか?ご冥福を祈ります。

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昨日、「ヒットメーカー・阿久悠物語」を見ました。阿久悠さんの一周忌にあたる日のドラマ。当時の映像などが織り交ぜられ懐かしい思いがしました。「スター誕生!」は、1971年10月3日 - 1983年9月25日の間、日本テレビ製作の視聴者参加の歌合戦形式の正統派オーディション番組。ッ放送回数は619回にも及んだ長寿番組ですね。

森昌子、桜田淳子、山口百恵、藤正樹 、城みちる、伊藤咲子、片平なぎさ、岩崎宏美、新沼謙治、神保美喜、ピンク・レディー、石野真子、小泉今日子、中森明菜らを輩出し、一方この番組で栄冠を獲得できなかったスターたちに柳葉敏郎、本田美奈子、徳永英明、松田聖子、河合奈保子、古手川祐子、大江千里などがいます。

2006年5月に放映された、渡辺プロ創立50周年プロジェクト・ドラマザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜」でも、日本のエンターティメントを作り上げた人々のことが描かれていますが、この1970年代の日本テレビとナベプロの確執があったことはこのドラマでもさらっと描かれていました。

この確執をチェックすると、「スター誕生!」に対抗するため渡辺プロは「1973年より独自にオーディション番組である、『スター・オンステージ あなたならOK』をNETテレビ(現・テレビ朝日)で放映開始する。ところが『あなたならOK』の放映日時となった月曜日の夜8時という時間帯は日本テレビが『紅白歌のベストテン』を放送しており、これに渡辺プロの歌手も出演していたため、テレビの芸能史上に残る日本テレビと渡辺プロの間での戦争が起こったのである」(ウィキペディア)とあります。「スター誕生!」の誕生の経緯については、7/15付けの記事「芸能プロダクションを上場させた元ギタリスト、堀威夫」でも少し触れさせてもらいました。

また、「アイドル」という言葉が、「1970年代から1980年代の日本では、若年層に向けた歌謡曲を歌う清純派歌手(アイドル歌手)のことを『アイドル』と呼ぶことが多かった。現代的なアイドルを生み出す原動力となったのが、1970年代のオーディション番組スター誕生!」(同上)であり、阿久悠さんの発案であったことをこのドラマで描いていました。

1970年3月14日 - 9月13日に開催された大阪万博を皮切りに始まった1970年代。二度にわたる安保闘争を経て左翼による過激な活動は浅間山荘事件(1972年2月19日-28日)をピークに沈静化しますが、革新勢力は力をつけていきました。高度成長と1974年の第一次オイルショック、1978年の第二次オイルショック、時代は実に荒っぽい途上の渦中でした。

そんな時代の「スター誕生!」。素人からアイドルを夢見る少年少女を駆り立て、その裾野を一気に広げました。同時にプロの壁の高さ、厚さを教えた番組でもありました。完全ガラス張りの公開オーディション、誕生したアイドルたちへの新しい歌謡曲の楽曲提供などなど、この番組は日本音楽業界の革命だったと思います。


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