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音楽の風物詩

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蝉と音楽

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今日朝起きると、蝉の鳴き声の激しさにちょっと驚きました。「蝉時雨」というんですね。「時雨」とはちょうどよい時に降る雨。Yahoo辞書には「多くの蝉が一斉に鳴きたてる声を時雨の降る音に見立てた語。《季 夏》」とあります。英語では「a continuous chorus of cicadas」と言うんですね。蝉の絶え間ないコーラス。双方ともそれなりに言いえて妙、という気がします。

ところで蝉のことを歌った曲を探してみると、意外に少ないことがわかりました。日本では古い歌で次の二曲がウィキペディアに取り上げられています。

『蝉の曲』(胡弓楽曲・箏曲);名古屋、京都で活躍した盲人音楽家吉沢検校が天保頃作曲。馬場守信作詞。胡弓の本曲として有名な曲。蝉の声に寄せて、夏の終わりに恋の終わりを予感する心情をうたっている曲。手事(てごと - 楽器だけの長い間奏部)では胡弓が蝉の声を描写する美しい部分がある。吉沢検校は天才音楽家として評判が高く、そのため同僚の音楽家たちに妬まれた。尾張徳川家の雛の節句でのこの曲の演奏のおり、箏の伴奏を同僚たちに頼んだが誰も受けてくれない。仕方なく胡弓を独奏したが、それが大変に素晴らしく、並みいる人々みな感じ入ったという。

『ひぐらし』(尺八、胡弓、箏三重奏曲);大正9年、宮城道雄作曲。秋近い夏の夕暮れ時、ヒグラシの声がひとしきり聴こえるうちに、夕闇が次第に迫ってくる感じを描写した曲。

歌謡曲では1979年5月に五木ひろしさんがリリースした、まさに「蝉時雨」。作詞はかぐや姫『神田川』で知られる喜多条忠さん、作曲はダウンタウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童。さだまさしさんの1974年のアルバム「わすれもの」に収録されている「蝉時雨」、そして1989年のNTV系「奇兵隊」主題歌「冬の蝉」。いずれもどんな曲だったかわかりません。

私はかつて「空蝉」という短編小説を書いたことがあります。原稿が手元になくどんな内容だったかも忘れてしまいましたが、脱げ柄となった男の話だったと思います。改めて「空蝉」を辞書で見ると、「うつしおみ」が「うつそみ」を経て音変化したものとあり、源氏物語の登場人物で衛門督(えもんのかみ)の娘。伊予介(いよのすけ)の後妻のことの他に次の解説があります。

1 この世に現に生きている人。転じて、この世。うつしみ。
2 《「空蝉」「虚蝉」などの字を当てたところから》蝉の抜け殻。また、蝉。

和歌や俳句では夏の季語として、蝉の抜け殻の意から「むなし」「わびし」などにかけて次の句があります。

「空蝉のむなしき恋に身をやかへてむ」〈新古今・恋二〉

「空蝉を妹が手にせり欲しと思ふ」(山口誓子)

蝉というと、10年くらい地中で生息し、成虫となって世の中で一週間という短命で死んでしまうというイメージがあり、それだからこそ蝉時雨にはうるさいけれどどこか悲哀があると私などは思っていましたが、次のような事実がありました。

「日本の場合、成虫が出現するのはおもに夏だが、ハルゼミのように春に出現するもの、チョウセンケナガニイニイのように秋に出現するものもいる。成虫期間は1-2週間ほどと言われていたが、これは成虫の飼育が困難ですぐ死んでしまうことからきた俗説で、野外では1か月ほどとも言われている。さらに、幼虫として地下生活する期間は3-17年(アブラゼミは6年)に達し、短命どころか昆虫類でも上位に入る寿命の長さをもつ」。(ウィキペディア)


蝉と音楽についてツラツラ検索していて、「蝉時雨」というロックバンドがいたことを知りました。こちらのバンドは、残念ながら短命に終わったようです。

<蝉時雨 Live Tour 2007 旅するナミダ工場 ファイナル>
http://jp.youtube.com/watch?v=LJSWdkPQHE8&feature=related

蝉時雨(せみしぐれ)は、「東京都出身のロックバンドである。2001年、法政大学のバンドサークルにて結成。2006年ユニバーサルJよりメジャーデビュー。根岸孝旨プロデュース。 デビューから僅か2年足らずだが、2008年4月26日の渋谷O-Crestでのライブをもって解散した。現在はメンバーそれぞれが活動中」。(同上)

ガイドライン違反のため、Yahoo! JAPANによって記事が削除されました。

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今日も湯川れい子さんの著書「熱狂の仕掛け人」(小学館)から。

昨日取り上げた、永島達司さんの死に際して受勲のために奔走したのがホリプロ創業者・堀威夫さんでした。堀さんの最大の功績は、芸能界の一般企業化を進めた先駆者でもあること。「きっかけは、息子の一貴の小学校受験にて、面接で親の職業について答えた際の面接官の妙な反応だった。この出来事をきっかけに、『芸能界をヤクザな虚業でなく一般企業として社会に認めさせたい。その為には株式を店頭公開して経営の透明度を上げるしかない』という目標の下経営の健全化を進め、1989年に業界初の株式公開を果たし、1997年には東証2部上場、2002年9月には東証1部上場を果たした。更には日本経団連の加入も成し遂げた」ことです。

1958年の第一回「ウエスタン・カーニバル」を陰で仕切り、グループ・サウンズ時代にはマーケット・シェアを5割くらい持っていたといいます。ビートルズが来日した1966年にはザ・スパーダースの米国プロモーションを敢行しています。

今ではホリプロの重鎮になっている和田アキ子さんは、堀さんがアメリカ制覇を目論んでスカウトした歌手だったといいます。「日本人の女は人気があったからねぇ。食べるのは中華料理で、喋るならフランス語、嫁にもらうのは日本の女がいい、とかさ、あったでしょう。そんな時代だったから。それに、なろうことなら空手や柔道ができればアメリカ制覇も夢じゃない、と−。それで出会ったのが和田アキ子だったんですよ。それで彼女をスカウトしたの」

結果的に和田さんは日本で売れてしまったために、アメリカ進出をトライすることなく今に至ると。

私たちの世代であれば日本テレビの「スター誕生」は誰もが知っていますが、この番組が出来た背景もおもしろい。日曜日の朝11時は「死に時間」と言われ、視聴率が1%くらいしか取れない時間枠だったそうです。この番組に大挙して参加したのがホリプロだったといいます。ここでスカウトしたのが、森昌子さん、山口百恵さん、石川さゆりさんらでした。


堀 威夫(ほり たけお、1932年10月15日 - )は「日本の実業家。ホリプロ創業者、取締役ファウンダー。芸能プロモーター。息子は同社代表取締役副会長の堀一貴と現社長の堀義貴。和田アキ子、榊原郁恵、片平なぎさらを育て上げ、ホリプロスカウトキャラバンで多くのスターを輩出した」。

「1981年から繰り返し上演されている『ピーターパン』の上演を発案した。当初は『ピーターパン』のみの製作にとどまっていたが、舞台作品の製作を広く手がけるようになった。2002年(平成14年)会長職を退任し、取締役ファウンダーに就任。2003年(平成15年) 大英帝国勲章(CBE=三等勲章)を授与される」。(ウィキペディア)

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<Yankee Doodle Fife and Drum>
http://jp.youtube.com/watch?v=6HOc9WVZbts&feature=related

最近アトランダムに手に取り読んだ本に、「パラダイス鎖国」(海部美知)、「生命の暗号を聴く」(深川洋一)、「あきんど〜絹屋半兵衛〜」(幸田真音)、「同じ年に生まれて」(小澤征爾、大江健三郎)があります。読書には不思議とシンクロニシティー(synchronicity)があって、これらの本の共通点は、鎖国、黒船でした。更に一昨日、これまで見たことがなかったNHKの大河ドラマ「篤姫」をふと見ると、それはまさにこの共通点を含んだ時代背景だったんですね。

155年前の今日、マシュー・ペリー提督らが「サスケハナ」を旗艦に巡洋艦四隻で浦賀に入港しました。幕府側が指定した久里浜に護衛を引き連れ上陸したのは14日です。そして、翌年、3月3日、ペリーは武蔵国神奈川の横浜村(現神奈川県横浜市)に上陸しましたが同行した兵員はなんと約500名だったんですね。こんな数の米国人が一度に上陸したことに驚きます。

この上陸の前、横浜の応接所で最初の日米の会談が行われた後、日本側がアメリカ側に本膳料理の昼食を出していますが、料理は江戸浮世小路百川が2000両で請負い、300人分の膳を作ったといいます。2000両を現代の価値に計算すると約1億5千万円近く、一人50万円になるそうです。現在行われている洞爺湖サミットばりの歓待です。

そして、ここで全12箇条に及ぶ日米和親条約(神奈川条約)が締結されて日米合意は正式なものとなり、徳川家光以来200年以上続いてきた、いわゆる鎖国が解かれることになります。「幕末」という言葉をよく使いますが、この事件から明治維新までを「幕末」と呼んでいること、また、「黒船」とは、室町時代末期から江戸時代末期にかけて、1804年以来わが国を来訪した欧米諸国の艦船の総称で、その船体が黒色に塗ってあったことに由来することは、恥ずかしながら今日知りました。

この事件以来、外圧によって要求を迫られること、外国人による日本への参入を「黒船」と呼ぶようになり、最近ではタレントや歌手にもこの言葉が使われたりします。この「黒船」という言葉が国内で決して悪い意味で使われないのが、日本人の心根を象徴しているような気がします。

「生命の暗号を聴く」(深川洋一)によれば、ペリーらが上陸した際に米海軍音楽隊も日本の地を踏んでいますが、このとき演奏したのが、「Yankee Doodle」という曲でした。この曲は独立戦争当時のアメリカ軍兵士の軍歌で、「Doodle」は「いたずら書き、ばかにする」の意。このメロディは「アルプス一万尺、子槍の上でアルペン踊りをさあ踊りましょう」で親しまれる「アルプス1万尺」です。

日本語の訳詞は誰が書いたのか判明していないようですが、少なくとも原曲は戦争で戦勝した軍が相手国を揶揄する内容であったようです。この曲を聴かされた当時の日本人に対し、米軍兵士は含み笑いをしていたといいます。しかしながら、日本人として初めて黒船に乗船した浦賀奉行所与力・中島三郎助らは、船の構造、機器類について高レベルな詳細な質問をして、米国側を驚かせています。

開催中の洞爺湖サミット、その焦点は、世界経済の諸問題、環境・気候変動、アフリカ・開発、大量破壊兵器不拡散などの政治問題、バイオ燃料に絡む食糧問題ですが、日本はこの黒船事件以来の呪縛のもとで、再び米国との協調に終始する気配です。個人的には、拉致問題解決に関して、明確なG8諸国の協力を引き出してくれればそれでいいと思っています。


<Yankee Doodle>
Yankee Doodle went to town
A-riding on a pony
Stuck a feather in his hat
And called it macaroni.

Yankee Doodle, keep it up
Yankee Doodle dandy
Mind the music and the step
And with the girls be handy.

Father and I went down to camp
Along with Captain Gooding
And there we saw the men and boys
As thick as hasty pudding.

Yankee Doodle, keep it up
Yankee Doodle dandy
Mind the music and the step
And with the girls be handy

There was Captain Washington
Upon a slapping stallion
A-giving orders to his men
I guess there was a million.

Yankee Doodle, keep it up
Yankee Doodle dandy
Mind the music and the step
And with the girls be handy.

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昨日、NHKの新BSディベート「アフリカの声にどうこたえる」で出演していたBONOの最後のコメントだけを聞きました。シンプルですが、印象に残る言葉です。

「今日の議論は有意義だったが、今この瞬間にアフリカでは3000人の子供たちが病に犯され亡くなっていることを忘れてはいけない」

ボノは「1985年、エチオピア飢餓救援コンサートライブエイドに参加した後、同国の孤児院で6週間、夫婦でボランティアをした。このとき、自分の知名度と影響力をアフリカの貧困撲滅のために使おうと決意した。米英独仏のトップに会い、協力を呼びかけた。・・・2000年代にはかねてより関心のあったアフリカの発展途上国支援プロジェクトに積極的に取り組み、ミュージシャンと慈善活動家を兼ねる多忙な生活を続けている」。

ところで、ボノがかけている独特のデザインのサングラスが以前から気になっていました。彼のことを取り上げるにあたって調べてみて、あぁ、そういうことだったのかと思った次第です。それは、U2のボノが中心となり設立した、エイズ拡大防止のためのグローバル基金のニューモデル・ブランド、 REDによるものでした。

商品名;「エンポリオ アルマーニ U2 Bono RED 6LB 2S」

〜ジョルジオ アルマーニのカジュアルラインとして誕生したエンポリオ アルマーニ。イタリア語で「市場」という意味を持つ。ジョルジオ アルマーニのテイスト、エスプリを完璧に引継ぎながら、エレガンスからカジュアルまで様々な表情を持ちながらも遊び心に富んだ陽気な「アルマーニ」スタイルを提案。〜


ボノ(Bono, 1960年5月10日生まれ)は、「アイルランドダブリン出身のロックバンド、U2のリードボーカルであり、バンドのフロントマンとして知られる。本名はポール・デビッド・ヒューソン KBE(Paul David Hewson KBE)。国際的な慈善活動家としても知られている」。

「U2のリリック(歌詞)のほとんどはボノによって書かれたものであり、政治や宗教などの社会的なテーマが書かれることが多い。特に初期の活動で宗教的なことについての歌詞を書くことが多く、ボノの歌詞はU2を宗教的なイメージ付けをするものとなった。バンドが成熟するにつれて、彼やU2のメンバーの個人的な体験について歌われることが多くなった」。

「ボノとは地元の親友がつけたニックネームであり、補聴器店の店名「ボナ・ヴォックス」(Bona Vox:ラテン語で「いい声」の意)が由来で、『やかましいほど声が大きい』ことを喩えたものである。アイルランドのチェス全国大会で準優勝の経験がある」。(ウィキペディア)


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