「a song for you」の可能性を求めて

大切な誰かのために、自分の思いを音楽にしてプレゼント

音楽の風物詩

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<東京ボーズコレクション日蓮宗>
http://jp.youtube.com/watch?v=2mTB2EU0w7M&feature=related

<東京ボーズコレクション真言宗>
http://jp.youtube.com/watch?v=i4WKq1t9_So&feature=related

<お寺でお経とのコラボ Passing and Fuurin Music in the temple.>
http://jp.youtube.com/watch?v=52SPCqwmxv0&feature=related

少し古い記事からですが、今日は「東京ボーズコレクション」について取り上げます。

<色とりどりに仏教ショー 宗派超え「東京ボーズコレクション」>
〜仏教の新たな形を模索するイベント「東京ボーズコレクション」が15日、東京都中央区の築地本願寺で開かれた。天台宗、真言宗、浄土宗など8宗派の僧侶有志による企画。お経とラップの共演など数々のプログラムが用意されたが、中でも異彩を放ったのが本堂に特設舞台を設けたファッションショーのような法要だ。〜

〜尼僧を含む36人の僧侶が、赤、緑、黄と色とりどりの衣やけさをまとい、各宗派の声明(しょうみょう)を披露。観客が囲む細長い通路をゆっくりと歩き、最後はパイプオルガンの伴奏で合唱しながら、ハスの花びらをかたどった紙をまく「散華(さんげ)」を行って、世界平和を祈願した。おごそかさに華やかさが加わった雰囲気に、本堂を埋め尽くした観客は大いに沸いた。〜
(産経ニュース/2007.12.15)

東京ボーズコレクションは、築地本願寺(浄土真宗本願寺派本願寺築地別院)に天台宗 / 真言宗 / 浄土宗 / 浄土真宗 / 真宗大谷派 / 曹洞宗 / 臨済宗 / 日蓮宗各派のお坊さんが一堂に集まって虹をかけるイベントでした。私は、このイベントの存在すら知らずにいましたが、時期を同じくして、声明のことを考えていました。

ちょうど、県が主催する「まち育て塾」という地域興しのコーディネーターを育てるセミナーに参加していて、実際のまちを歩き、そこでお宝を発見して、そのお宝をどのようにまちの中で育て、まち興しにつなげていくかという狙いでした。私たちが歩いた一角が、様々な宗派が居並ぶお寺の集結地でした。

私はここで、真言宗中興の祖・興教大師850年忌にあたって1993年3月1日に日本武道館で行なわれたスーパー・サウンド・スペクタクル「千僧音曼荼羅」のことを思い出したのです。真言宗豊山派の僧侶1000人が一堂に会し唱和するあの映像は圧巻でした。DVD化されてもいます。西洋音楽がキリスト教にその淵源を辿るように、日本にはこの声明の調べは発達しませんでしたが、混迷を深めるこれからの時代に、現代の日本の音楽家たちに是非とも取り組んで欲しいと思います。

この声明とジャズやクラシックを組み合わせた試みは全国の至るところで行われていることも知りました。お寺の空間は音楽空間としても絶妙な組み合わせです。きっと日本人のDNAに刻まれたこうした調べは、聴くもものの心を時空を超えた異次元に連れて行ってくれるはずです。また、ここから日本の新たな音楽が生れてくることを固く信じている私です。

「声明」(しょうみょう)とは、「仏教の声楽。節にのせてお経などを唄ういわば男声合唱。声明は、すでに奈良時代に南都(奈良)の諸寺にある程度伝来していた。平安時代になると、天台宗延暦寺の僧円仁(794-864)によって、中国で発達した「うたう念仏」といわれる声明の一種「五会念仏」(ごえねんぶつ)が伝えられ、わが国における声明発展の基礎を築いた」。

「日本における声明を大成したのは、良忍(1072-1132)である。良忍は比叡山の下級僧である堂僧(常行三昧堂などの施設で声明に乗せて念仏を勤行する僧)をつとめ、親鸞の遠い先輩にあたる。のちに下山し、当時『聖』(ひじり)たちの一大拠点であった京都大原に入って来迎院を開創。各地の声明をほとんどすべて吸収しわが国の声明を大成したという。現在も大原は『魚山(ぎょざん)流』声明の本拠地として有名である」。

「良忍はまた融通念仏の創始者でもある。多くの念仏聖の集まる大原で、声明のような音楽を採り入れた念仏芸能が成長し、後の踊り念仏のベースになっていったものと考えられる。後の六斎念仏などの念仏芸能の念仏歌詞には、『ゆうづうねんぶつ なむあみだぶつ』といった歌詞が含まれ、また曲調には『ユリ』『ソリ』『アタリ』などという声明由来の節回しが残されているという」。(盆踊り用語辞典)

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先日読んだ「虚業成れり〜『呼び屋』神彰の生涯」(大島幹雄著/岩波書店)という本に関連して、6/3付けの記事「『闘う音楽家』と呼ばれたチェリスト」として、アゼルバイジャン出身のムスティスラフ・ロストロポーヴィチを取り上げました。今日も、この本に登場する話題について触れたいと思います。

神彰(じん・あきら)さんは、居酒屋チェーン「北の家族」の創業者でもあり、作家・有吉佐和子の元夫でもあった人ですが、もともとは興行師、国際芸能プロモーター。戦後国交のなかったソ連の芸術家たちを日本に数多く招聘したことから「赤い呼び屋」と呼ばれた人です。

神さんは34歳のとき、昭和31年(1956)に彷徨える望郷の合唱団、ドン・コサック合唱団日本公演(セルゲー・ジャーロフ氏指揮)の招致に成功し、音楽界の大御所三人、芥川也寸志、黛敏郎、団伊玖磨らによって、「ドン・コサックは故郷を失ってはいるが、決して国籍喪失者の集まりではない。だからこそ彼らの歌は望郷の嘆きがあり、それがみんなを感動させるのだと思う」と語らせています。

当時、日本各地にひろがっていたのが「うたごえ運動」で、おもに歌われていたのがロシア民謡でした。さらにこれが、職場の音楽サークルからひろがっています。この公演では都労連傘下の音楽団体のメンバーが押しかけたといいます。さて、前置きが長くなりましたが、この「うたごえ運動」の仕掛け人が今日注目する、関鑑子という女性でした。

うたごえ運動は、「1960年代に日本でピークを迎えた、合唱を中心とする社会運動である。労働歌・反戦歌および日本やソビエトの民謡をレパートリーとしつつ、大規模な創作活動も行っていた。つまり、社会運動であると同時に音楽運動でもあるという特異な性格を持っていたことになるが、その一方で、日本の工業化・農村離れが進む中、失われつつあった民謡や演舞等を掘り起こし、自分たちのレパートリーの中に組み入れるという、民族主義的側面も持ち合わせていた。職場や学生のサークル、当時流行した歌声喫茶などを拠点に全国的な流行を見た」。

「創作を活動の源泉とするうたごえ運動であるが、福岡県大牟田市出身の作曲家、作詞家、荒木栄(1924-1962)などが活躍した頃から1970年代初頭までの間は、自分たちの以外の音楽ジャンルについて、ジャズやポップスはアメリカ帝国主義の日本への文化侵略、演歌や歌謡曲は単なる大衆迎合などという解釈を与えていた。また、当時流行していた『反戦フォーク』等に対しては、『社会派歌謡曲』『資本に泳がされている』『大衆の不満をそらすためのガス抜き弁』等との解釈を与え、ほぼ敵対に近い状態であった。(現在では、そのような考え方は、運動全体としては克服されている)」

「70年代になって安保闘争など左翼の大衆運動が衰退すると、今度はポップスを研究して新しい傾向の創作を始める。かつて荒木栄の曲は軍歌に影響された部分もあるとの批判があったが、最近のうたごえ創作曲も同じように戦闘的アニメソングやCMソングに少なからず影響されているとの意見がある」。

関鑑子(せきあきこ、1899年(明治32年)9月8日‐1973年(昭和48年)5月2日)は、「昭和期の声楽家。本名小野鑑子。東京出身。東京音楽学校声楽家卒業。 立花ふさ、ハンカ・ぺツォールドに師事し、ソプラノ歌手になったが、大正末期からプロレタリア芸術運動に参加。1926年(大正15年)、新劇俳優の小野宮吉と結婚。1929年(昭和4年)、プロレタリア音楽家同盟に参画し、初代委員長になる。しかし、この運動は昭和初期に入って弾圧を受け一時消滅」。

「1948年(昭和23年)、中央合唱団を創立。1951年(昭和26年)、音楽センター主宰者になって『うたごえ運動』を展開する。この運動は、コーラスによる平和運動として全国に広がり、1954年(昭和29年)には3万人の大集会に発展した。この運動の余波として、東京の新宿を中心に『うたごえ喫茶』、『うたごえ酒場』が隆盛した。1956年(昭和31年)、国際レーニン平和賞受賞。1973年(昭和48年)5月2日死去。享年73。妹は、ソプラノ歌手で知られる関種子である」。(ウィキペディア)

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今、NHK教育テレビでジャズピアノ講座「国府弘子の今日からあなたもジャズピアニスト」が放映されていますね。私はきちんと見たことはありませんが、昨日たまたまチャンネルサーフィンをしていたら、「御茶ノ水大学教授・土屋賢二氏」のテロップがあって、その方がピアノを弾いているところでした。

土屋さんは40歳を過ぎて初めてピアノに触れ、自分の好きなジャズのフレーズを音符に書き、それを何度も繰り返し練習していってレパートリーを増やしていったっそうです。場末のジャズピアニストには、土屋さんのように中高年からジャズピアノを始めてセミ・プロ級の腕前を持っている方、少なくありませんね。

彼が挑戦するのはあくまでジャズであって、クラシックでないところが重要です。中高年からバイエルなど誰も習おうとは思いません。また、そうしたアプローチは長続きしません。ジャズからは始めるということはコードから入るということですね。C、D、Amとかのコード、和音です。一般的で右手で和音を、左手でベース音を弾きます。いわゆる弾き語りの要領です。

中高年の方だけでなく、自宅にピアノはあるが弾いたことがないという方にはお勧めの練習方法です。ギターを弾ける方なら、コードがわかっていますので、さらに上達は早くなります。「もしもピアノが弾けたなら・・・」と思っていただけの方、チャレンジしてみる価値がある練習方法ですよ。ただし、一日6時間位の練習は覚悟しましょう。


土屋賢二(つちや けんじ、1944年11月26日-)は、「日本の哲学者・作家。現在、お茶の水女子大学文教育学部人文科学科教授。岡山県玉野市出身。学位は文学修士(東京大学)。岡山県立岡山操山高等学校から東京大学文科一類入学。東京大学文学部哲学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。専攻はギリシア哲学、分析哲学。2002年から2年間、お茶の水女子大学文教育学部長を務める」。

「教授職の傍らユーモアエッセイを執筆。一見哲学的な深い洞察をしているように見えながら実は論理的に奇妙な文章になっているという、学術論文をパロディ化したような独特の作風。そこからついたあだ名が『笑う哲学者』」。

「趣味はジャズピアノ。ライブで演奏する曲は『ラカンの鏡』『オッカムの髭』など哲学と関係したタイトルになっている。漫画家の柴門ふみはお茶の水女子大学での教え子。ときおり著書にイラストを描くいしいひさいちは小学校の後輩で、『ののちゃん』の中に「ツチノコ教頭」として土屋を登場させている。数学者の藤原正彦と並ぶお茶大の名物教授であり、『自分の答案に成績をつけろ』などユニークな試験問題を出すことで有名。文芸評論家の福田和也は土屋を『哲学者として格段に優秀』と評した」。(ウィキペディア)

<あの人の、休日 | おとなを、休む日 | YAMAHA>
http://www.holiday.yamaha.co.jp/interview/003/index.html

倖田來未の72日間

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昨日、倖田来未(25)さんが12日、静岡・袋井市のエコパアリーナでコンサートを行い、72日ぶりに仕事復帰を果たしたことが報じられました。今年1月29日に代役パーソナリティとして出演したラジオ番組「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)内での発言から72日。およそ2ヶ月余りの自粛期間でした。

メディアで見識ある方は、いち早く、収録されたこの発言をそのまま放送してしまったオールナイトニッポンプロデューサー、ディレクターへの責任を問いただしていましたが、プロデューサー自身が謝罪したことで、リスナーへの責任は果しています。私は個人的にこの発言について取り立てて云々することはしませんが、失言への対応はそこらの政治家よりも立派だと思います。

これまで彼女について好意的に取り上げたことがありませんが、全米でデヴューし、ダンスポップセールスチャートで初登場1位を獲得したときに注目したことはありました。以来、アメリカでの活動を引き上げ、日本での人気が盛り上がるにつれ私の興味は薄れていきました。むしろ、12週連続リリースというプロジェクトにはうんざりもしました。

ところで「自粛」は日本の伝統でしょうか?「自分から進んで、行いや態度を慎むこと」。英語で「self-restraint」。「restraint」は、「自制, 慎み, 忍耐(力);(表現上の)節度, 控え目」。言葉があるということは、その行為は存在するということですが、海外のミュージシャンが発言によって活動を自粛するという報道を聞いたことはありません。

彼女の失言でどのくらいの女性がほんとうに傷ついたのでしょうか?よくわかりません。日本もいつの頃からクレーム社会になりました。抗議は正統な行為ですが、教育現場におけるモンスター・ぺアレント、企業へのクレーマーなど自分のストレス発散の域を越え、彼ら自体が社会にストレスをかけているようにも思えます。そういった意味では日本はまだまだ大人の社会が育っていないと言えるのではないでしょうか?倖田來未さんの72日間の自粛で彼らは満足したでしょうか?

「人の噂も75日」といいます。このことわざは、14世紀の前半に書かれた『源平盛衰記』の中に「人の上は百日こそ申すなれ」という記述があり、「75日」として出てくるのが江戸時代、19世紀の1830年に書かれた『人情本・春色辰巳園』の中には「人の噂も七十五日、過ぎたむかしは兎も角も、今じゃあ実の兄弟どうぜん」と言う記述があるそうです。

さらに1886年作の歌舞伎『盲長屋梅加賀鳶』の五幕には「たとへ世間でとやかうとおまえの事を言はうとも、人の噂も七十五日、僅か一月か二月だ」という記述も。「75日」になった一つの説として、野菜などの種をまいて収穫するまで約75日かかると言う事で、ひとつの区切りとして「75日」が使われている記述があります。逆に言えば、人の失言などは謝罪があれば二ヶ月間位で忘れてあげようという伝統なんですね。今日であれから75日になった幸田來未さんの復帰後の活躍に期待します。

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今から30年前の1978年4月4日、キャンディーズは「ファイナルカーニバル」(後楽園球場/55000人)で「普通の女の子に戻りたい」というコメントを残し解散しました。1972年4月、NHK「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして「キャンディーズ」が誕生以来、丸6年間の活動でした。私も中学生時代に熱心なファンの一人でした。

1973年4月7日、TBS「8時だョ!全員集合」のアシスタントとしてレギュラー出演や、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」の出演、私が中学三年生の頃です。バラエティ番組でコントまでこなしたアイドルは彼女たちが初めてではなかったでしょうか?

振り返ると、シングル全18曲のうち、森田広一さんが4曲、穂口雄右さんが8曲、吉田拓郎さんが2曲など。私は、デビューアルバム「あなたに夢中〜内気なキャンディーズ〜」を買っています。特に好きだったのは、ロック調にアレンジされた三枚目のシングル「危い土曜日」でした。キャンディーズのバックバンドになることを夢見て、バンドを始めたのもこの頃です。

キャンディーズ(Candies)は、「1970年代の日本のアイドル歌手グループである。ラン(伊藤蘭、1955年1月13日-)、スー(田中好子、1956年4月8日-)、ミキ(藤村美樹、1956年1月15日 - )の3人組のコーラスグループ。所属事務所は渡辺プロダクション。多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版社員であった松崎澄夫(現・アミューズ副会長)のプロデュースによるものである」。


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