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先日、木村拓哉さん、綾瀬はるかさんが出演したMR.BRAIN」のEPISODE 4再放送を何気なく見ていて、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」という曲を知りました。クラシックファンでなければ、印象に残りにくい曲だろうと思います。
 
Sviatoslav Richter plays Ravel "Pavane"
 
<{亡き王女のためのパヴァーヌ}高画質再編集版>
 
William Orbit - Ravel's pavane pour une infante defunte
 
本編では、綾瀬はるかさん演じる九十九の助手の由里和音が、ラヴェルが晩年自動車事故により記憶障害が進行してしまった際、この曲を聴いて「この曲はとてもすばらしい。誰が書いた曲だろう。」と言ったという逸話を語ります。これは、1927頃から軽度の記憶障害や言語障害に悩まされていたラヴェルが、「1932、パリでタクシーに乗っている時、交通事故に遭い、これを機に症状が徐々に進行していった」といわれる事故です。
 
また、ウィキペディアには次のような説が記されています。
 
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〜諸説あるが、ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時にあった、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲した、とされる。〜
 
このベラスケスの絵については、次のように伝えられています。
 
1666年ハプスブルク家のレオポルト1世と結婚したマルガリータ・マリア・テレサ王女の8歳の姿を描いたもので、マネルノワールなど印象派の画家の技法を思わせる自由闊達に動く筆跡や色彩によって省略される王女の纏う衣服の表現など晩年まで変化していったベラスケスの画風を示している。〜
 
この「マルガリータ王女」は、一度紛失したとされていましたが、1923年に楕円形に切り取られた形で再発見され、1953年の大規模な修復によって元の寸法に戻ったという経緯を辿っています。20年前に描かれた絵が、再発見された9年後にラヴェルが自動車事故にあい、その5年後に亡くなっています。この絵と曲の間に言い知れぬ絆を感じるのは私だけでしょうか。
 
 
 

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「記録は破られるためにある」、そう語ったのは現役時代の巨人軍・王選手だったでしょうか。
現在開催されている第12回世界選手権「世界陸上」で、16日に100mで9秒58、そして20日に200mで19秒19の世界記録を樹立した、今日で23歳になるジャマイカのウサイン・ボルト選手の快挙は驚異的であり、一方で記録の持つ宿命を感じさせるものでしたね。

100mに限れば、1968年にアメリカのジム・ハインズが10秒の壁を初めて破って9秒95を記録して以来、世界のトップアスリートが38年間かかって縮めてきた0.21秒を、ボルト選手は昨年0.05秒縮め、さらにそのわずか1年後に0.11秒も縮めたのでした。

身長196cm、体重86kg。ストライド(歩幅)にして40歩。時速にして37.6km。これで100mを駆け抜けるボルト選手は、自ら壁を破り、そして自ら新たな壁を築く宿命のアスリートの一人になったのでした。

ボルト選手の活躍に沸き立つこの「世界陸上」の開催地はドイツ連邦共和国の首都ベルリン。この地に打ち立てられた「ベルリンの壁」が崩壊したのがちょうど20年前。それからさらに遡ること45年、この地で繰り広げられたエピソードを描くのがトム・クルーズ主演の映画「ワルキューレ」。

原題の「Valkyrie」の語義は 「valr」(戦場で横たわる死体)と 「kjόsa」(選ぶ)を合わせたもので「戦死者を選ぶ者」の意味で、この「ヴァルキューレ」は、北欧神話に登場する複数の半神だともされています。

本作では、シュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)が、ワーグナーの「ワルキューレ」を聴いた事から、世界の独裁者アドルフ・ヒトラーを完全に転覆させる、ある作戦を思い付くことになります。ワーグナーから徹底した影響を受け、ワーグナーの思想からイデオロギーを作り出し、ワーグナーのヴィジョンの成就とその実行を生涯の使命と見なしていた人物、それがヒトラーであるといわれています。

<Wagner - Die Walküre: "The Ride of the Valkyries" (Boulez)>
http://www.youtube.com/watch?v=1aKAH_t0aXA

本作で描かれる1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂時、この「ワルキューレ作戦」は、反乱側が内乱鎮圧計画「ヴァルキューレ」を利用して権力掌握を計ったもので、暗殺計画自体の名称ではないそうですが、ヒトラー暗殺計画はこれまで、単独犯及び組織的なものを含めて少なくとも43回も企てられたこと知りました。

それは、ヒトラーという壁に立ち向かったドイツの良心たちの闘いでもあったわけです。この計画から9ヶ月後にヒトラーの壁は瓦解しますが、それから16年後に「ベルリンの壁」が築かれ、28年間にわたり東西を隔てることになりました。

そして、20年後の今、このベルリンの地で闘われるのは凄惨な殺戮戦ではなく、アスリートたちがプライドを賭けて闘う実に清々しいゲーム。参加国は世界212の国と地域、参加人数は約2000人。平和であればこそ、彼が見せてくれるパフォーマンスに興じることができるんですね。

〜「ヴァルキューレ」(ドイツ語:Die Walküre)はリヒャルト・ワーグナーが1856年に作曲し1870年に初演した楽劇。台本も作曲者による。「ワルキューレ』」表記もある。ワーグナーの代表作である舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』四部作の2作目に当たる。〜

ワーグナーのワルキューレは、フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979)のベトナム空爆シーンで使われて衝撃的な効果をあげましたね。

<Great Movie Scenes 16 of 50 - Apocalypse Now>
http://www.youtube.com/watch?v=taaWqHyifzk&feature=related

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昨日の「アンビリバボー」。「神様のくれた歌声」というタイトルで、韓国出身のアジア史上最高のテノールと称されるベー・チェチョルさんを取り上げていましたね。「リリコ・スピン」というその声は、100年に一人の天才と言われています。

<Tenor jaechulbae" NESSUN DORMA ">
http://www.youtube.com/watch?v=iwvGsgG-Q9o&feature=related

<【PR】ベー・チェチョル リサイタル>
http://www.youtube.com/watch?v=qbsn5oIavuo

<【PR】ベー・チェチョル リサイタル 2>
http://www.youtube.com/watch?v=iFw2y4NFMvk

世界のトップに登りつめようとしていた2004年、チェチョルさんがドイツの一流歌劇場と念願のソリストとして契約を交わした矢先、彼を突然襲った甲状腺ガン。テノール歌手として絶望的な状況にあった彼に手を差しのべたのが、2003年に彼を日本に招聘した音楽プロデューサー、輪島東太郎さん。詳しくはコチラで・・・

<神様のくれた歌声>
http://www.fujitv.co.jp/unb/index2.html

ちなみに、ソプラノやテノールにはその声の性格によって呼び名があって、テノールの場合次のよう声種があるそうです。

・テノーレ・レッジェーロ・・・(軽やかな)
・テノーレ・リリコ・レッジェーロ・・・(リリック・テノールの中でも軽めの)
・テノーレ・リリコ(リリック・テノール)・・・(抒情的な)
・テノーレ・リリコ・スピント・・・(リリコよりも更に重い役を歌う)
・テノーレ・ドラマティコ(ドラマティック・テノール)・・・(最も重いテノール)

前回、川村カオリさんの訃報を取り上げました。川村さんはその想いかなわず、がんに命を絶たれてしまいました。ベー・チェチョルさんを襲った甲状腺がんは命を絶つものではありませんでしたが、テナーとしての声を失うという危機に瀕しました。

運命とはときとして過酷なものに思えます。この世に命が生まれて、やがて死んでいくことは宿命ですが、命の長さは何によって決められているのでしょうか。寿命とは何なのでしょうか。とにかく命のありがたさを受け止め、命のある限り生き抜くこと。ベー・チェチョルさんはこの病によって、自分が何のために唄うのかを知ったといいます。
「神様のくれた歌声」で唄い、「神様のくれたチャンス」で唄うテノール歌手、ベー・チェチョル

<@TOWER.JP - テノール・アリア集/ベー・チェチョル>
http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=1003603&GOODS_SORT_CD=102

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昨日の大きな話題は、辻井伸行さんの表題コンクールの優勝でしたね。辻井さんについては昨年4月に、2005年に行われた第15回ショパン国際ピアノコンクールで「批評家賞」を受賞されたことを話題にしました。このコンクルールではセミ・ファイナルまでの進出でしたが、今回はファイナリストになり、ついに栄冠を手にしたんですね。

<アジア初の快挙、辻井伸行が<ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール>優勝>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090608-00000025-bark-musi

三週間続くというこのコンクールのファイナルでは、それぞれの参加者が、50分のソロ・リサイタルおよび二曲のコンチェルト(そのうち一曲は指定されたものから選び、もう一曲は自由に選曲)を演奏しなければならないそうです。辻井さんのリサイタルでは、次の曲が演奏されました。

・ベートーヴェンピアノソナタ第23番(ヘ短調作品57「熱情」ソナタ)
・ショパンBerceuse Op. 57(子守歌 変ニ長調)
・リストのハンガリアン・ラプソディ2番(ハンガリー狂詩曲第2番)

そして、コンチェルトの演奏曲はラフマニノフの協奏曲2番。演奏後はコンクールのオフィシャル・ブログにおいて「このコンクールから出るのは大きな瞬間ばかりだが、これは本当に大きな瞬間だ」と評されたといいます。

辻井さんの予選ラウンドでの演奏の模様がYoutubeにありましたので、添付しておきます。
曲は、「Chopin Twelve Etudes, Op.10」とありました。ショパンの「練習曲ハ短調作品10-12」(革命のエチュード)のことだと思います。

<Cliburn 2009 Nobuyuki Tsujii>
http://video.aol.com/video-detail/cliburn-2009-nobuyuki-tsujii/194235980


さて、このコンクールについても少し触れておきたいと思います。1958年、後に世界三大コンクールの一つと言われるようになる「チャイコフスキー国際コンクール」の第1回の優勝者、ヴァン・クライバーンを祝して1962年から原則4年ごとにテキサス州フォートワースで開催されているそうです。

冷戦下の1958年に創設されたチャイコフスキー国際コンクールに負けないようにと、アメリカは世界最高額の優勝賞金1万ドルを提供することで国際コンクールを目指して創設したのがヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。

米ソ両国が睨み合う1958年の旧ソ連で創設されたピアノコンクールの第一回目の優勝者が23歳のアメリカ人であったというのも凄いですが、その4年後に27歳になったピアニストの名を冠したコンクールを創設するアメリカの根性も凄いですね。ちなみにこの年の10月に世界を震撼させるキューバ危機が両国の間で起こっています。

<ヴァン・クライバーン - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3

<ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB


<盲目のピアニスト・辻井伸行とショパン国際ピアノコンクール>
http://blogs.yahoo.co.jp/asongotoh/52828751.html

*ファイナリストの写真はBARKSからお借りしました。

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ここ数年、夜明け前からFMを聞きながらブログを書く日々を送っています。私の住む熊本では日曜日の朝、深見東州さんと声優の鈴木弘子さんがMCを務める「さわやかTHIS WAY」という番組が流れています。一般にはあまり知られることのない深見東洲さんについては、あえてここでは触れませんが、オペラを自ら上演するなど多彩な人ではあります。

この番組でモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」に関する話があります。オペラというものにこれまで全く関心がなく、まともに聴いたことも観たこともない私が、この話を聞いて面白いと思ったことがありました。オペラに限らずクラシック音楽の舞台、コンサートは基本的に正装して聴くものだと、テレビでたまに見かけて、そう思っていますが、この「ドン・ジョヴァンニ」について、深見さんとオペラ演出家の大島尚志さんの話が面白かったのです。

<Mozart - Don Giovanni - Overture and start of scene 1>
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=SotSKAYTyDw

「ドン・ジョヴァンニ」はイタリア語名で、スペインの伝説の放蕩者ドン・ファンの物語。従者のレポレッロの記録によると、スペインですでに1003人の女性と関係を持ったとされるという女たらしで名うて貴族。モーツァルトが「フィガロの結婚」に続き、貴族を痛烈に批判するこの物語を、有り難がって正装して聞き入る観客が可笑しい、と。

モーツァルトはこのオペラで、ドン・ジョヴァンにかき回される人が、かき回されることによって人間として脱皮していく物語を描いてみせている、という話です。改めてこのストーリーを見てみると、手当たり次第に女性を歯牙にかけるジョヴァンニに、最後に、人格化した石像がその手を捕まえ、「悔い改めよ、生き方を変えろ」と迫って、地獄の戸が開き、ジョヴァンニを引きずり込むという、納まるところに納まってはいますが、確かにめちゃくちゃな話です。

このオペラを書いた当時のモーツァルトの足跡を辿ると・・・

1784年 - (28歳);第2子カール・トーマス・モーツァルト誕生。フリーメイソンリーに入会(書類上では12月5日)。以後その思想に影響を受けたとみられる。

1786年 - (30歳) 5月1日、オペラ『フィガロの結婚 K.492』をブルク劇場で初演。

1787年 - (31歳) 『フィガロの結婚』がプラハで大ヒットしたため同地訪問。4月、ベートーヴェンがモーツァルトを訪れる?(記録無し)。5月、父・レオポルト死去。10月、新作の作曲依頼を受け、オペラ『ドン・ジョヴァンニ K.527』を作曲、プラハエステート劇場で初演。モーツァルト自らが指揮をとる。

こうした時代背景に生まれたこのオペラ。モーツァルトはこの音楽を通じて、貴族を嗤うばかりではなく、聴衆をも嗤っていたのでしょうか。ミロシュ・フォアマン監督の1984年の映画「アマデウス」をもう一度観たくなりました。

<ドン・ジョヴァンニ - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B

<ドン・ファン- Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3

<「ドンファン」(映画)>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

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