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クラシックのプロムナード

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天平→ジョルジュ・シフラと続けた超絶技巧のピアニストの殿(しんがり)は、過去にも現代にも彼を超える者はいないと言われている19世紀最高の超絶技巧のそのピアニスト、フランツ・リスト。超絶技巧(ヴィルトゥオーソ)とは、演奏の格別な技巧や能力によって完成の域に達した、超一流の演奏家を意味する言葉。

「ピアノの魔術師」とも言われたリストは、ピアノのための12の練習曲である「超絶技巧練習曲(原題:Études d'exécution transcendante(仏))を作曲していますね。ウィキペディアには次のような解説があります。

〜名前の通り、非常に高度な演奏技巧を要するが、決して何から何まで超絶技巧の会得を目的としたわけではない。transcendanteという言葉には宗教的な意味があり、普通「超越」と訳されるが、肉体、精神、魂、これらの全てを超越するというのが最も近い訳である。つまりこの曲集は、肉体、精神、魂を超越した練習曲なのである。超絶技巧という訳も決しておかしな訳ではないが、どうにもリストが定義したこの曲集の意味からは少し遠のいてしまっているようである。〜

「俺に初見で弾けない曲は無い」と豪語するリストに友人フレデリック・ショパンが献呈し、リストが唯一弾けなかったのが、練習曲ハ短調作品10-12(Étude Op.10, No.12)。「革命のエチュード」として知られるピアノ独奏のための作品。1831年頃に書かれた。最初の練習曲集(作品10)の12番目として出版されたそうです。それがコレ→若きブーニンが弾いています。

<Chopin Revolutionary Etude op 10 no 12>
http://jp.youtube.com/watch?v=Mk1JQk90UbY

リストの腕前については、1823年4月13日にウィーンでコンサートを開きそこで、老ベートーヴェンに会い、ベートーヴェンは賞賛したといいます。リストは、1831年にニコロ・パガニーニの演奏を聴いて感銘を受け、自らも超絶技巧を目指したそうですが、演奏技術と初見に関しては、どんな曲でも初見で弾きこなしたと言われ、いまだに彼を超えるピアニストは現れていないと言われているとか。その技巧と音楽性からピアニストとして活躍した時代には、「指が6本あるのではないか」ということがまともに信じられていたといいます。

また、彼は作曲家でもありました。彼の作曲人生は大きくピアニスト時代(1830年〜1850年頃)、ヴァイマル(ドイツ・テューリンゲン州の都市時代)(1850年頃〜1860年頃)、晩年(1860年頃〜没年)と3つに分けられるそうですが、ピアニストとしては当時のアイドル的存在でもあり、女性ファンの失神が続出したとの逸話も残る。また多くの女性と恋愛関係を結んだ。特に、マリー・ダグー伯爵夫人(後にダニエル・ステルンのペンネームで作家としても活動した)と恋に落ち、1835年にスイスへ逃避行の後、約10年間の同棲生活を送る。2人の間には3人の子供が産まれ、その内の1人が、後に指揮者ハンス・フォン・ビューローの、さらにリヒャルト・ワーグナーの妻になるコジマなんですね。

作曲家として、音楽と文学を融合して表現する「標題音楽」に、「交響詩」という新しい分野を確立したリストの作風は、自由快活で、曲に豊かさがあると言われます。彼の作品を全て数えると1400曲を優に超え、また紛失した作品や断片、未完成作品もさらに400曲以上あるといわれており、彼がどれくらいの曲を作ったのかを数えるのは不可能に近いんだそうですね。まさに天平さんが目指すコンポーザーピアニストの象徴といえます。

リストの代表曲として何をあげたらいいのかわかりませんが、とりあえず以下の三曲は欠かせないのではないでしょうか。

<Hungarian Rhapsody [1930] - Franz Liszt>「ハンガリー狂詩曲』
http://jp.youtube.com/watch?v=vFwz8xvV5dA

<Liszt, Piano Concerto No. 1 - Part 1/2 (Martha Argerich, 1999)>ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
http://jp.youtube.com/watch?v=BH-g0xi70is&feature=related

<Yundi li plays Liszt etude "La Campanella">
http://jp.youtube.com/watch?v=lvNJD1vL5qc&feature=related


フランツ・リスト(Franz Liszt 、ハンガリー語ではLiszt Ferenc、1811年10月22日 - 1886年7月31日)は、「ハンガリーに生まれ、ドイツやオーストリアなどヨーロッパ各国で活躍したピアニスト・作曲家。ピアニストとしては演奏活動のみならず、教育活動においてもピアニズムの発展に貢献をした。演奏会形式としての「リサイタル」を初めて行なった人物と言われている。また、作曲家としては新ドイツ楽派の旗手、および交響詩の創始者として知られる。ハンス・フォン・ビューローをはじめとする多くの弟子を育成した」。(ウィキペディア)

関連記事:
<ワーグナーが「ジークフリート牧歌」を捧げた二人>(2008/8/4)
<ヴァイオリンの鬼神と呼ばれた男>(2008/5/27)

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<Gyorgy Cziffra - Liszt "Grand Galop Chromatique">
http://jp.youtube.com/watch?v=tmq5JBpFf9w

<Georges Cziffra Plays Liszt's Polonaise No.2 in E Major>
http://jp.youtube.com/watch?v=No6IY5FqSvY

昨日取り上げた天平さんが大学時代に出会い、強い衝撃を受けたというのがジョルジュ・シフラというピアニストだということでした。「シフラにはクラシックという境界を超える力と技量、情熱が満ち満ちていた。自分の行く道が開けた瞬間だった」といいます。シラフについて全く知らなかったので、今回チェックしてみると、彼の生涯も天平さんの少年時代と重なるような、まさに破天荒な人生であったことがわかりました。

ジョルジュ・シフラ(Georges (György) Cziffra, 1921年11月5日 - 1994年1月17日)は、「ハンガリー出身のピアニスト。超絶技巧で名高い。リストの再来と呼ばれる。ブダペストにてロマの家系に生まれる。5歳のときに、居酒屋やサーカスで民謡を主題とする即興演奏を行なって有名になる。ブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学し、エルネー・ドホナーニらに師事」。

「ソ連軍支配下の祖国から脱出を試みるも失敗、1950年から1953年まで投獄され、懲役刑に服す。併せて収監された同名の息子が、獄中で死にかけるほどの悲惨な体験だった。だが1956年に再審理の末、ウィーン行きを許され、この地が世界的な活動の出発点となった。その後、ロンドンとパリに赴く。演奏の際には、決まって革の腕輪をはめ、囚人時代の屈辱を忘れないようにした」。

「息子ジェルジ・シフラ・ジュニアは指揮者であり、数々の演奏会や録音で父親と共演してきた。しかしながら1981年の悲劇的な自宅火災によって不慮の死を遂げ、有望視された将来を実現することができなかった。この事件が引き金となり、シフラの士気は低迷し、それ以来、オーケストラとの共演による演奏や録音を二度と行おうとはしなかった」。

「評論家からは、この心理的な深刻なショックが演奏の質に影を落としているとも指摘された。1980年代には、そのため録音活動も低調になったが、1990年代を迎える頃から、再起に向かおうと録音などにも取り組んでいた。喫煙者であり酒豪でもあった。そのため肺癌を患い、合併症による心臓発作から72歳でフランスのオワーズ県で没した」。(ウィキペディア)

この記事にシフラが「リストの再来」と呼ばれていたことが記してあります。「リストの再来」という意味は、超絶技巧(ヴィルトゥオーソ)の系譜を引くという意味だと思いますが、同名のキャッチを冠されたピアニストに、ロシアのピアニスト、レオ・シロタ(1885-1965)、ハンガリーのヤーノシュ・ボラージュ(1988年生まれ)がいます。

ヴィルトゥオーソであるであるということは、あらゆるピアノ曲を演奏できるという点において、十分条件ではないにせよ、必要条件であることは否めないと思います。このことについては、<世界で初めて「ピアノのために書かれた作品を全て演奏できる」ピアニスト>というのがトレードマークのドイツのヴァルター・ギーゼキングについて書いた記事で若干触れていますが、このシフラもそうした名ピアニストの一人なんですね。

関連記事:
<日本を愛し、音楽教育に捧げたユダヤ人ピア二スト「レオ・シロタ」>(2007/2/25)

<世界で初めて「ピアノのために書かれた作品を全て演奏できた」ピアニスト、ヴァルター・ギーゼキング>(2008/10/26)

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<中村天平 「幻想曲」>
http://jp.youtube.com/watch?v=9LsqWDDFoas

一昨日、移動中の車内で地元のFMで「フレイム」というピアノ曲が流れ、思わず聞き入ってしまいました。しなやかさ、強さ、激しさ、優しさ、そしてメロー。そんな人間の感情が一曲の中に集約されていました。そして、パーソナリティがそのピアニストのことを「天平」と紹介し、そのプロフィールを聞いて驚きました。改めて、チェックしてみると次のような経歴。

まずネットに登場する彼に冠されたキャッチフレーズが、「元ヤンピアニスト」、「ガテン系ピアニスト」、「肉体派ピアニスト」、「元・解体屋、波乱万丈ピアニスト」、「ピアノ界に降り立った鬼神」、「魂の鍵盤」、「破天荒ピアニスト」などと評され、「格闘家になるかピアニストになるか迷った挙句にピアニストとしての道を選んだ、という冗談のような経歴」のピアニストなんですね。しかも彼の演奏する曲は全て自作というコンポーザーピアニストでもあります。

「5歳より音楽教育を受け始めるが、中学から高校までは完全にピアノを離れ、喧嘩とロックに明け暮れる日々を過ごす。高校を半年で中退した後に大阪に移り、解体屋として働きながら暮らしていた。その後暗中模索の時期を経て、改めて自らの体内に宿る音楽への情熱を再確認する。音楽専門学校から大阪芸術大学へと進み本格的にクラッシクやジャズを学ぶ」。

「大学時代偶然手にしたCDで、ハンガリー人ピアニスト故ジョルジュ・シフラ(1921-1994)と運命的な出会いを果たす。シフラの音楽に強い衝撃を受け、自らもジャンル、国境、世代を超えたコンポーザーピアニスト(作曲家兼ピアニスト)になることを決意する。卒業後は『コンポーザーピアニスト中村天平』として本格的に活動を開始」。

「現在は活動名を『天平』に改名。ソフトなバラードから荒々しい楽曲など幅の広さを持ち、従来のピアノ楽曲の枠に収まらない独自の音楽を生み出している。自然や日常の出会いからインスピレーションを受けたソフトなバラードから、鬼神の舞をイメージした激しい楽曲、そして、冒険や宇宙空間などを想像させるような幻想曲まで、その作品は従来のクラシックやジャズといったジャンルの枠にはおさまらない。現在はニューヨークと東京の二大都市を拠点に活動中。また、音楽による教育支援活動の一環として小学校での演奏会といったボランティア活動も行っている」。

彼は自らの創作に関して、次のように語っています。

「想い出が大きいほど思い返した時せつなくなり、ノスタルジーを感じる事によって曲が生まれてくるのだと思います」。

また、コンポーザーピアニストとして彼はこう語ります。

「僕は作曲者が自分の曲を演奏するという事を大切に思っています。作曲者はその曲が生まれた瞬間、成長していく過程を全て知っており、まるで親子の様でその曲の一番の理解者であります。だからこそ、自分の作った曲を演奏するからこそ表現出来るものがあると自分は思いました」。

これまで「元ヤン」、「ガテン系」というキャッチでは「教師」がつき物でした。彼の音楽を知るきっかには絶妙なものではありますが、その音楽を聞くと、そんなキャッチでは言い表すことができないことがわかりますね。便利さを追う現代で薄れゆく人情、荒廃した教育、拝金主義で覆い尽くされるこの時代の中で生まれ、その時代を天衣無縫に振舞う音楽家、それが天平さんの魅力だと思います。

彼のライブ映像はコレ。
●「フレイム」
●「一期一会」
●「鬼神の円舞」

「TEMPEIZM」
「音楽 情報ニュース/ガテン系ピアニスト天平インタビュー!!/HMV」
「TEMPEIZM BLOG」(http://ameblo.jp/tempeizm/

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<SEAMO - Continue PV>
http://jp.youtube.com/watch?v=DIm5lpWaEWc

<Pomp and circumstance>
http://jp.youtube.com/watch?v=rU8fK7PV_c0


ドラマ「夢をかなえるゾウ」の主題歌として起用されているSEAMO(シーモ)の新曲「Continue」が、ベースにしている楽曲「威風堂々」。耳に馴染んでいるこの曲ですが、エドワード・エルガーなるイギリスの作曲家の作品だとは全く知りませんでした。という訳で、今日はこのエドワード・エルガーとこの「威風堂々」についてチェックします。

〜『威風堂々』(Pomp and Circumstance )作品39は、イギリスの作曲家エドワード・エルガーが作曲した管弦楽のための行進曲集。エルガーが完成したのは5曲であるが、21世紀初頭に未完の第6番が補筆完成されて新たに加えられた。

エルガーが生前に作曲、出版した5曲のうち、第1番から第4番は1901年から1907年にかけて作曲され、第5番は晩年の1930年に作曲された。遺稿から見つかった第6番は未完成であり、アンソニー・ペイン(Anthony Payne)によって補筆・完成されたもので知られている。

原題“Pomp and Circumstance ”は、シェイクスピアの戯曲『オセロ』第3幕第3場の台詞から取られている。pomp とは「壮麗、華麗」、circumstance とは「儀式張った、物々しい」といった意味合いであり、『威風堂々』という題名は名訳ではあるものの相当意訳されている。

日本では単に『威風堂々』と言った場合、第1番あるいはその中間部の旋律を指すことが多い。しかしこのタイトルは行進曲集全体に与えられた題名であって、この旋律自体に付けられたものではない。したがって第1番の中間部をして『威風堂々』と呼ぶことは誤用に近いものがある。イギリスではこの旋律はもっぱら『希望と栄光の国』("Land of Hope and Glory")と呼ばれている。『希望と栄光の国』は英国第2の国歌と称されるほど愛されている曲である。〜


〜サー・エドワード・ウィリアム・エルガー(Sir Edward William Elgar、1857年6月2日 - 1934年2月23日)はイギリスの作曲家・指揮者。もとは音楽教師でありヴァイオリニストでもあった。エルガーはウスター近郊のブロードヒースで生まれた。父親は楽器商を営むとともに、聖ジョージ・カトリック教会のオルガニストも務めていた。経済的な問題から専門的な音楽教育を受けることができず、独学によって作曲法を修得した。ヴァイオリン教師として収入を得るかたわら、たびたびロンドンへ出かけてはさまざまな音楽を聴き、特にシューマン、ワーグナーに強い影響を受けたといわれる。

1889年にピアノの教え子だったキャロライン・アリス・ロバーツと結婚。婚約に際しアリスのために作曲した「愛の挨拶」はのちに広く知られるようになる。その頃は作曲家としては地元の合唱音楽祭のために作品を委嘱される程度だったが、夫人の多大な協力もあり徐々に作曲家として認められるようになる。
<Edward Elgar Salut d'amour 1997>
http://jp.youtube.com/watch?v=N32FUoQQtcw&feature=related

エルガーの作曲家としての確たる地位をもたらせた作品は1899年の「独創主題による変奏曲」(「エニグマ(謎)」変奏曲)だった。ハンス・リヒターの指揮による初演の成功で英国中にその名を知らしめ、さらに翌1900年のオラトリオ「ゲロンティアスの夢」はドイツ初演で大成功を遂げ、作曲家リヒャルト・シュトラウスから賞賛されるなど、エルガーの名声はヨーロッパ中に広まった。
<Elgar - Nimrod (from "Enigma Variations")>
http://jp.youtube.com/watch?v=sUgoBb8m1eE

行進曲「威風堂々」第1番(1901年)のトリオ(中間部)の旋律は英国王エドワード7世に気に入られ、国王のために書かれた「戴冠式頌歌」(1902年)では歌詞をつけて用いられている。この旋律は今日「希望と栄光の国」として愛唱され、英国の第2の国歌と称されている。以降、オラトリオ「使徒たち」(1903年)、オラトリオ「神の国」(1906年)、交響曲第1番(1908年)、ヴァイオリン協奏曲(1910年)、交響曲第2番(1911年)、交響的習作「フォルスタッフ」(1913年)、チェロ協奏曲(1919年)といった傑作を次々と作曲し、名実共に英国楽壇の重鎮となる。

1920年、夫人アリスの死去とともに創作意欲を落とすが1923年以降は徐々に作曲活動を再開。劇音楽「アーサー王」(1923年)、劇音楽「伊達男ブランメル」(散逸、メヌエットのみ知られる。1928年)、ブラス・バンドのための「セヴァーン川組曲」(1930年)、組曲「子ども部屋」(1931年)といった作品を手がける。最晩年には交響曲第3番、歌劇「スペインの貴婦人」、ピアノ協奏曲といった大作に次々と着手するが、いずれも未完成のまま1934年2月23日、癌のため死去した。最後の完成作品は愛犬をモチーフにした管弦楽小品「ミーナ(Mina)」(1933年)だった。

1914年(旧吹込み)以来エルガーはレコーディング活動にも積極的であり、新しく開発されたマイクロフォンによる電気吹込みによって自身の作品の主だったものを録音しており、演奏家としての活動も注目される。なお1シーズンのみであるが1911年にロンドン交響楽団の首席指揮者に就いている。エルガーは1904年(47歳)のときにナイトに叙され、また1931年(74歳)准男爵にも叙されている。また1924年(67歳)には「国王の音楽師範」の称号も得ていた。〜(以上、ウィキペディア)


ちなみに今日は、1604年にウィリアム・シェイクスピアの『オセロ』が、ロンドンのホワイトホール宮殿にて初演された日だそうです。『オセロ』(Othello)は、ヴェニスの貴族であるムーア人オセロが、旗手イアーゴーの奸計にかかり、妻デズデモーナの貞操を疑い殺し、のち真実を知ったオセロは自殺する、という1602年作のシェイクスピアの四大悲劇の一つ。副題は「ヴェニスのムーア人」(The Moor of Venice)。

さらに、ゲームの「オセロ」の名称の由来は、このシェイクスピアの戯曲「オセロ」で、ストーリーが黒人の将軍「オセロ」(=黒石)と白人の妻「デスデモーナ」(=白石)の関係がめまぐるしく変わる展開であることから取ったということです。

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<Gieseking plays Debussy Ballade>
http://jp.youtube.com/watch?v=VGb1qMaM_xs&feature=related

NHK教育の「スーパーピアノレッスン」で、ポルトガル出身の世界的な女性ピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュさんのレッスン風景をたまに見ることがあります。昨日も、中学生くらいの男の子が見事に演奏する映像に感心していると、マリア先生が「もっと歌って」、「左手がぶらさがっているようよ」、「呼吸をして」などなど、一般人にはちょっとわかりづらい表現で注意しますが、彼はちゃんと受け止めているようです。

さて、今日取り上げるのは、世界で初めて「ピアノのために書かれた作品を全て演奏できる」ピアニストというのがトレードマークというドイツのヴァルター・ギーゼキング。私はお初にお目にかかります。ウィキペディアには、彼を評するコメントに次のようなものが記されています。

「本能的で直感的なピアニスト」、「譜面を検討し、その演奏をイメージしてから、曲を完璧に弾きこなすのが常」、「作曲者の存命中にラフマニノフの協奏曲の録音にいどんだ、最初のピアニスト」、「ドビュッシーやラヴェル演奏の完成者」

私などには、プロのピアニストというと、「ピアノのために書かれた作品を全て演奏できる」ことは、プロとしての大前提ではないかと思えたのですが、前述の、マリア先生の指導の仕方などを知ると、単に「作品を全て演奏できる」ことと、「曲の分析力が明晰で、ニュアンスに富んだ繊細な音色と、多彩な表情の変化に満ちている」演奏をすることとの間におおいなる隔たりがあるんだなと、推測することはできるようになりました。ギーゼキングは世界で初めてその頂上のレベルに達したピアニストということなのですね。


ヴァルター・ギーゼキング(Walter Gieseking, 1895年11月5日 - 1956年10月26日)は、「ドイツのピアニスト、アマチュアの蝶類研究者。ギーゼキングは1895年11月フランスのリヨンに生まれた。初等教育は『面倒くさい、私はもう読み書きが出来るのだから学校には行かない』と言って受けず、幼少時は家で百科事典と楽譜を読み漁る毎日だった。蝶の趣味はこの頃に覚える。両親が心配してハノーファーの音楽学校を紹介し入学。そこで師のライマーを紹介され、ドビュッシーなどの現代音楽すら新刊を持ち込んでレッスンする姿勢に彼は大きな感銘を受けた」。

「デビュー後は一日にリサイタルとレッスンが昼と夜に行われるほどの多忙な生活であり、ヨーロッパ中を忙しく往復した。第二次世界大戦中はドイツにとどまったため、ナチス協力者との嫌疑をまぬかれることができなかった。このため、連合国側によって疑いが晴らされるまで、多くの演奏会がキャンセルされた」。

「1956年、ロンドンでEMIベートーヴェン全集のレコーディング中に倒れ、緊急で手術がなされたものの容態は芳しくなく客死。自伝「かくて我はピアニストとなれリSo wurde ich Pianist 」は、1963年に出版されている」。(ウィキペディア)


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