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クラシックのプロムナード

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<Pablo Casals plays BACH - Suite no 1 for Cello - part 1>
http://jp.youtube.com/watch?v=VhcjeZ3o5us&feature=related

「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」。

敬愛する指揮者フルトヴェングラーが、チェロ奏者としてのカザルスに残した賛辞だそうです。しかし、そんなこと言われても、弦楽器をどうやって鳴らすかくらい知ってるもん、と言いたくなってしまいます。とは言え、フルトヴェングラー先生の言わんとすることは、「弦楽器の○○をどうやって鳴らすか」をということを仰っているに違いはないのですが、この○○に入りそうな言葉がわかりません。勿論、「弦」ではありません。

YOUTUBEに添付した映像は、カザルスが演奏する、有名なバッハの「無伴奏チェロ組曲」第1番ト長調(BWV1007)。今ではスタンダードになったこの曲は、後述にあるように、カザルスが再発見し、普及させたものだと今日知りました。また、フルトヴェングラー先生がこのように仰るカザルスの奏法は次のようなものであったそうです。

「カザルスは、右手を脇から自由にして弓による表現性を広げ、左手も脇から離し、指の間隔を拡張させて同じポジションで半音広く弾くことができるように改良した。このとき、カザルスは、アンリ・ヴュータンやウジェーヌ・イザイなどフランコ・ベルギー派のヴァイオリン奏法を参考にしたともいわれる」。

「これらの奏法の確立には11年から12年を要した。カザルスは、自身では奏法革命とか改革という表現は使っていない。名技性ではなく、あくまで音楽的な完全性をめざすために必要だったと述べている。この奏法の改革がなければ、20世紀のチェロ無伴奏作品のほとんどが作曲されることはなかっただろうと伝えられる」。(ウィキペディア)

このカザルスを後ろから写した一枚。なんで、わざわざ後方からのショットなのか?と、この写真を最初に見て不思議に思いましたが、上記の説明を読んで、ナルホド、と思い至りました。カザルス以前のチェリストの多くがどのような後姿だったのかわかりませんが、おそらく、カザルスよりも脇がもっと締まっていたはずですね。彼の奏法の特長が、この後姿に象徴的に表れているんだと思います。違ったら、スミマセン。

パブロ・カザルス(Pablo Casals, 1876年12月29日 - 1973年10月22日)は、「スペインのカタルーニャ地方に生まれたチェロ演奏家、指揮者、作曲家。カタルーニャ語によるフルネームはパウ・カルロス・サルバドール・カサルス・イ・デフィリョ(Pau Carlos Salvador Casals i Defilló)。チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる」。

「有名な功績として、それまで単なる練習曲と考えられていたヨハン・ゼバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、広く紹介したことがあげられる。早くから世界的名声を築き、ヨーロッパ、南北アメリカ、ロシアなどを演奏旅行して回った。カザルスは平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した」。(同上)

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アメリカの天文学者ヘンリー・ホルトが1992年6月27日にパロマー天文台で発見した小惑星帯に位置する小惑星に、「ショルティ」(6974 Solti)と命名したのは、ハンガリー出身の指揮者、ピアニスト、ゲオルグ・ショルティ(1912-1997)から取ったのだそうですね。残念ながら、どんな小惑星なのかを知る写真は見つかりませんでした。

ショルティについては、昨年<崇高なるラブロマンスにして珠玉のミステリー、映画「不滅の恋 ベートーヴェン」(1994)>(07/8/6付記事)の中で、本作の音楽監督を務めたことで若干触れていますが、改めて彼の足跡を辿ると、30歳を過ぎてからの活躍には目を見張るものがあります。それは、ウィキペディアによれば、次のように始まり、50年間に渡り輝き続けました。

「1942年、ジュネーブ国際コンクールのピアノ部門で優勝し(審査員にはバックハウスやマルタンがいた)、その後ピアニストとしてデビューする。これまで仕事にありつけずにいたショルティだが、この成功によって音楽家としてのし上がっていくことになる」。

「戦後、1946年に、7年ぶりにたった2度ほど『フィデリオ』を指揮した後、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の音楽監督に抜擢される(本人は、これにはトスカニーニとエーリッヒ・クライバーの援助があったと語っている)。1947年にはスイスのテノール歌手リヒテクの推薦でピアニストとして英デッカと契約を結び録音活動もスタートしている。1949年、リヒャルト・シュトラウスと会う機会を得、指導を受けている」。

「1952年にフランクフルト市立歌劇場の音楽監督に就任する( - 1961年)。1953年、サンフランシスコ歌劇場にて「エレクトラ」の指揮でアメリカデビュー。後に音楽監督として緊密な関係を築くシカゴ交響楽団の初指揮は、1954年夏のラヴィニア音楽祭で果たしている。1958年から始まったウィーン・フィルとの『ニーベルングの指輪』全曲スタジオ録音で、指揮者としての評価を国際的に著しく高める。1959年『ばらの騎士』でイギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場に登場、その成功により1961年に音楽監督に就任( - 1971年)。1967年にイギリスBBCの記者ヴァレリー・ピッツと再婚」。

「1969年にシカゴ交響楽団の音楽監督に就任すると、やや停滞が伝えられていたこのオーケストラを数年で立て直し、その活躍はめざましいものとなる。1972年にイギリスの市民権を得、ナイトの称号を授与される。1991年にシカゴ交響楽団の音楽監督を辞すと、桂冠指揮者として死の直前までシカゴ交響楽団を中心に幅広い指揮活動を続けた」。

「1997年9月5日、南フランスのアンティーブで自伝の最終チェックを終えた直後、その生涯を終えている(亡くなったのが、ダイアナ元皇太子妃やマザー・テレサと同時期(マザー・テレサと命日が同一)だったので、指揮者としての名声の割に、マスコミでの逝去の扱いは小さいものとなってしまった)。現在は故郷ブダペストのファルカシュレーティ墓地で、短期間だが直接教えを受けたこともあった、敬愛するバルトークの墓の隣で眠りについている」。

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昨日取り上げたエミール・ギレリスがロシアの三大ピアニストの一人であることを知りました。そして、このブログで、<20世紀最大のピアニスト、「スビャトスラフ・リヒテル」とYAMAHAの技術>(2007/8/1)として取り上げたリヒテルと、もう一人が今日取り上げるニコライ・アルノリドヴィチ・ペトロフだそうです。ギレリスの記事を読んで、彼がウクライナ出身であることを知るわけですが、ウクライナ出身といえばリヒテルもそうですし、先輩格に巨匠ホロヴィッツがいますね。時系列で記すと次のようになります。

ヴラジーミル・サモイロヴィッチ・ホロヴィッツ(1904-1989)
スビャトスラフ・リヒテル(1915-1997)
エミール・ギレリス(1916-1985)

ホロヴィッツについては、このブログで<「指を『不自然に』伸ばして演奏する」ホロヴィッツのピアノ奏法>(2007/11/5)として取り上げ、日本の音楽学校で長年指導されてきたドイツ系に影響される多数派の「指を伸ばして弾く」ピアノ奏法とは大きく異る、彼のこの奏法が、音色に多様な色彩感を必要とされる印象派の有名な作曲家を輩出したフランスでは一般的だということを知りました。

さて、「三大○○」という括りは日本人好みのようですが、他の国ではこのような括りをあまりしないとどこかの記事で呼んだ記憶があります。私は日本人なので、やはりこのような括りには興味があるので、今日もニコライ・ペトロフについて触れておきたいわけです。彼は、まだ65歳で現役。現在、チィコフスキー音楽院の教授を務めているようですが、ホロヴィッツを出し抜いて彼が早々に三大ピアニストの冠を戴いていることに、その実力がうかがえますね。

とは言え、彼の演奏を聴いたわけでもなく、その演奏風景をYOUTUBEにも見出せませんでしたので、その実力の片鱗をいつものウィキペディアのコピペでお茶を濁さざるを得ません。悪しからず、デス。


ニコライ・アルノリドヴィチ・ペトロフ(Nikolai Petrov 1943年4月14日-)は、「ロシアのピアニスト。ギレリスやリヒテルと並び20世紀三大ロシアンピアニストの一人と言われる。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール第二位、エリザベート王妃国際コンクール第一位受賞でデビューの後、幅広く国際的に活動を展開した。チャイコフスキー国際コンクールでは手の故障のために本選会を棄権、そのときの第一位が当時16歳のグリゴリー・ソコロフであり、驚異的なレヴェルの維持を誇るソ連の音楽教育のスパルタ方式が世界的に注目されることとなる」。

「得意分野はなんといってもロシア音楽であり、プロコフィエフ・ピアノソナタ全集を含むレパートリーの広さにかなうものは若手でも見当たらない。『鋼鉄のタッチと万華鏡のような音色』に支えられるものの、『テンポの不条理な揺らぎ』が唯一の欠点であり、これはデビュー当初から変わっていない。日本でも評価されるのが早く、桐朋学園などでマスタークラスを開講。『日本人の生徒のだれが弾いても完膚なきまでに問題点を指摘して叩きのめされ、その上自分で正しい弾き方を綿密にコーチ』したことは、今日でもピアノ指導者の間で伝説とされている」。

「マイナーなレパートリーにも積極的に取り組み、当時まだ無名の存在だったニコライ・カプースチンのソナタ第二番を初レコーディングした。当時のソ連でもマイナーなレパートリーに対する視線は厳しく、『なぜそんな無名の存在を拾うのですか』との問いに『今やベートーヴェンやリストのソナタはマクドナルドのハンバーガーのように容易に手に入る代物と化した』と厳しく聴衆の無知を糾弾している。ちなみにモスクワ音楽院のすぐ近くにマクドナルドが営業しており、これはそのことと掛けた彼一流のジョークでもある」。

「リストのパガニーニ練習曲の初版はリストの最難曲といわれているが、これも出版されたばかりの当時の楽譜を直読みして演奏に臨んだCDが、記念碑的な名演となった。現在でもこの演奏水準に勝てるピアニストは、未だ存在しない」。(ウィキペディア)

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<Emil Gilels - Tchaikovsky Piano Concerto 1 - 1st Mvmt. (1/3)>
http://jp.youtube.com/watch?v=3n2DsfQdg9o&feature=related

昨日、異国のアメリカで<ベートーヴェンをぶっ飛ばせ>と歌ったチャック・ベリーを取り上げましたが、今日、彼に先立つ10年前に、異国のウクライナで生まれ、「ミスター・ベートーヴェン」呼ばれたピアニストがいることを知りました。そう言われる所以は後述のウィキペディアにお任せするとして、西洋音楽にとってベートーヴェンはやはり最高峰なんですね。

エミール・ギレリス。「ミスター・ベートーヴェン」、そう言われると、ドイツの画家ジョセフ・カール・シュティーラー(Joseph Karl Stieler 1781-1858)が描いたベートーヴェンの肖像画に似ているような気もします。

さらに、「鋼鉄のピアニズム」という言葉もイカシタネーミングです。この言葉を検索してみると、作曲家で指揮者の大澤寿人(おおざわひさと 1907-1953)さんの1936年の作品、「ピアノ協奏曲第3番変イ長調」(神風)を評論家の片山杜秀さんが、「プロコフィエフ顔負けのせわしい『鋼鉄のピアニズム』がこれでもかとなかなか切れ目なく、展開されてゆく。戦前・戦中期、いや、戦後初期まで含めた日本のピアノ協奏曲の中では恐らく最も演奏の難しい作品だろう」と評しています。実際に聞いていなくてもなんだかわかるような気がする表現ですね。

「オーケストラ・ニッポニカ (Orchestra Nipponica)」
http://www.nipponica.jp/archive/tune_oozawa.htm

さて、添付したYOUTUBEはチャイコフキーのあまりにも有名なピアノ協奏曲第1番変ロ短調です。私が好きな曲のひとつでもあり、以前このブログでもスビャトスラフ・リヒテル(1915-1997)が演奏するこの曲を取り上げました。改めてチェックしてみると、ロシア三大ピアニストとして「リヒテル、ギレリス、そしてペトロフ」という記事をコピペで記していました。さらに良く見ると、リヒテルとギレリスはウクライナ生まれの一つ違いなんですね。彼らにどういう交流があったのか知りたいところです。


エミール・ギレリス(Emil Grigoryevich Gilels -1916年10月19日-1985年10月14日)は、「旧ソビエト連邦・ロシアのピアニスト。20世紀を代表する世界的奏者のひとり」。

「ギレリスは、鋼鉄のピアニズムと通称される完璧なテクニックに加えて甘さを控えた格調高い演奏設計で非常に評価が高い。バロック時代のスカルラッティやバッハ、ロマン派のシューマンやブラームス、さらにはドビュッシーやバルトーク、プロコフィエフといった20世紀音楽に至るまで幅広いレパートリーを持っていた。プロコフィエフからはピアノソナタ第8番を献呈され、1944年12月29日にはこの作品を初演してもいる。とりわけベートーヴェンの解釈と演奏においては、骨太で男性的な演奏で『ミスター・ベートーヴェン』と呼ばれるほどであった」。

「晩年には骨太な表現が鳴りを潜め、力を抑えた枯淡の境地と言える表現に変わっていった。ドイツ・グラモフォンレーベルにベートーヴェンのピアノソナタの録音が進行中だった。その死によって、全集は完成されずに終わったが、ギレリスの晩年の境地を示す録音である。また、ベートーヴェンのピアノ協奏曲についてはクルト・マズアおよびジョージ・セルの指揮で全集が発売されており、特にセルの全集はオーケストラの好伴奏もあって素晴らしい出来であり、録音の悪さを除けば同曲の代表盤と言って差し支えない」。(ウィキペディア)

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<Glenn Gould plays Bach>
http://jp.youtube.com/watch?v=qB76jxBq_gQ

グレン・グールドをご存知の方には、こんなタイトルでは彼の音楽家としての才能を到底言い表せないことはわかっています。名前だけは聞いたことがあるものの、彼についてその足跡を初めて知った私ですので、このタイトルは聞き流していただければと願います。

ウィキペディアではグレン・グールドについて、バッハの「ゴルトベルク変奏曲の衝撃」、「演奏会への不信」、「コンサート・ドロップアウト」、「斬新なピアニズム」、「電子メディアの情熱」などの項を取り上げ解説していますので、彼の足跡と言ってもこのようなブログで簡単には書ききれるものではありません。

私にとってのとりあえずの関心は、彼が私と同じ50歳という年齢で逝ってしまったこと、また彼の「アーティスト」という存在へのある意味での偏向的規定、そして彼が夏目漱石を読んでいたことです。ウィキペディアでは次のように解説しています。

〜グールドは、「音楽におけるある種のルネッサンス的人間」と称し、エッセイスト、ドキュメンタリー製作者など、多彩な文化人として振舞った。グールドは、アーティストという存在について、岩山に群がり常に頂上を目指そうとする猿のようで、視野が狭く客観的尺度で物を見ることができないと指摘、アーティストとしての価値は対象としている世界から隔絶していることだと主張し、外交官、放送関係の人間、自由な思想のジャーナリストといった俯瞰的なものの見方が出来る人々に関心を抱いた。〜

〜また夏目漱石の「草枕」を非常に愛読しており、彼自身が朗読した英訳本のラジオ番組の録音が残っている。この「草枕」の主題の東洋的な芸術への姿勢はまさにグールドの後年の生活態度と重なるものがある。〜

グールド事始の私としては、この辺の切り口から探って行きたいと思うところです。


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