「a song for you」の可能性を求めて

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クラシックのプロムナード

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<Anna Netrebko as Manon "Adieu notre petite table">
http://jp.youtube.com/watch?v=KmORAWiXeZ0&feature=related
<Netrebko "Adieu, notre petite table" Manon>
http://jp.youtube.com/watch?v=LL4edw5h4HM

ここ二日ソプラノ歌手を取り上げてきましたので、今日もソプラノ歌手を話題にしたいと思います。YOUTUBEで歌っているのは先日NHK・BSでも放映されたアンナ・ネトレプコ。フランスの作曲家、ジュール・マスネ(1842-1912)の1884年のオペラ「マノン」の「Adieu notre petite table」というアリアです。英語で<Goodbye, our little table>、日本語で「さようなら、私たちの小さなテーブルよ」。

「マノン」については、ジャコモ・プッチーニの1893年の「マノン・レスコー」(Manon Lescaut)の方が有名だと思いますが、こちらの方がおよそ10年先んじて書かれた作品です。原作は双方ともアベ・プレヴォー「ある貴族の回想録」(全7巻)のうちに含まれる「マノン・レスコー」。このアリアの舞台は1771年のフランス。「さようなら、私たちの小さなテーブルよ」は次のようなストーリーの中で歌われます。

<第二幕>
〜パリ、ヴィヴィアンヌ通りのデ・グリューとマノンの家。貧しくとも愛情に満ちた生活を送る、デ・グリューとマノン。しかし、二人の下に、マノンを我が物にしようとする、ブレティニーと彼に買収されたマノンの兄、レスコーが現れる。デ・グリューはマノンとの結婚は自分の父親も認めてると証拠の手紙を示そうとするが、その間にマノンはブレティニーの「貧しい生活とおさらばして、贅沢な暮らしをしよう」と誘惑される。マノンは誘惑に屈し、デ・グリューとの別れを決意。彼が手紙を探して不在の間のことである。彼女はアリア「さよなら、この小さなテーブルよ」を歌う。デ・グリューが帰宅すると、マノンが泣いている。彼は、自分たちの結婚を父親が反対していると思ったから彼女が泣いていると思い、アリア「夢の歌」を歌い、彼女を慰める。そこへ二人の家に父親の配下が現れ、デ・グリューを馬車でつれさらってしまう。〜

さて、アンナ・ネトレプコについてはよく知りませんが、3年前に日本で初めてのリサイタルが行われています。ウィキペディア英語版によれば、Netrebko became engaged to Uruguayan baritone Erwin Schrott in late 2007. In February 2008, Netrebko announced that she and Schrott were expecting their first child later that autumnとありますから、今年の秋には母になられる予定です。彼女については次の記事を引用させていただきます。

「アンナの出世作は05年、オーストリア・ザルツブルク・フェスティバルで、テナールのローランド・ヴィラゾンと一緒に出演したオペラ『ラ・トラビアータ』。現代的な衣装を着て縦横無尽に駆けめぐり、スリップだけ着てヴィラゾンとキスをしながらオペラ・アリアを消化した彼女のすぐれた演技力に、人々は目を釘付けにされた」。

「レコード店に行けば、彼女はCDよりDVDでもっと多く会える。最近、ヴィラゾンと一緒に出演したドニゼッティのオペラ『愛の妙薬』、プラシド・ドミンゴとヴィラゾンと一緒に出演した『ヴァルトビューネ・コンサート』の実況DVDが相次いで発売した」。

「特に、昨年7月7日、ドイツW杯決勝前夜に開かれたヴァルトビューネ・コンサートは、1990年のローマW杯以後続いた『スリー・テノール』の人気が、実力と外貌、演技力を備えた『ヴィラゾン―ネトレプコ・カップル』に完全に移ったことを知らせてくれた。特に、同DVDには、ネトレプコが2万人の観客が集まった屋外劇場でアンコール曲をマイクなしで歌い、観客から感嘆と起立拍手を受ける場面も出る」。

「ロシア・サンクト・ペテスブルク音楽院で勉強したネトレプコは、キーロフ・オーケストラの名指揮者ワレリー・ゲルギエフが掘り出したスターだった。1994年、マリーンスキー劇場で『フィガロの結婚』のスザンナ役でデビューした彼女は02年から、ニューヨーク・メトロポリタン劇場、ザルツブルク・フェスティバル、ミュンヘン・オペラ劇場などで幾多の公演に出演してきた」。

「アンナは、現代オペラの多くの部分を変化させた。彼女の登場以後、幾多の女性歌手がダイエットを始め、男性歌手は筋肉質の体つきに変わった。オペラ評論家の朴チョンホさんは、『2006年、モーツァルト誕生第250周年記念ザルツブルク・フェスティバル公演実況を盛り込んだ22編のDVDでは、ただの一人も太った歌手を発見できない』と言った」。

「ネトレプコは、『オペラ界のシャラポワ』と呼ばれる。テニス競技を一度も見たことのない人がシャラポワの筋肉美あふれる体つきと大声を聞くためにテレビの前に座るように、オペラを一回も見たことのない人がネトレプコが出演したDVDを見た後にオペラ劇場を訪れる現象が起きているのだ。ドイツ・ルフトハンザは05年から機内で映画だけでなくオペラもサービスし始めた」。(東亜日報)

Anna Yur'yevna Netrebko (born 18 September 1971 in Krasnodar, Russia) is a Russian operatic soprano who currently resides in Austria.

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昨日取り上げた雨谷(あまがい)麻世さんには「クラシカルクロスオーバー・ソプラノ」という肩書きがありました。このソプラノ、日本人が好きな「三大」になぞらえて、世界三大ソプラノ歌手をチェックすると、ドイツのエリーザベト・シュワルツコップ(1915-2006)、イタリアのレナータ・テバルディ(1922-2004)、アメリカ生まれギリシャ出身のマリア・カラス(1923-1977)がこれにあたるそうです。

私はマリア・カラスしか知りませんが、音楽ファンの間では著名なソプラノ歌手をめぐって、熱狂的なオペラファンが異なる歌手を支持して対立する複数の陣営をつくることがあったそうで、特に、マリア・カラスとレナータ・テバルディのライバル関係は最も著名なんだそうです。しかし、いずれもディーヴァも故人となってしまいました。

声楽という学問、技術がいつの頃に確立するのか興味がわいて調べてみると、マルティーンセン=ローマン(1887-1971)という人の『歌唱芸術のすべて』(音楽の友社、1994年)という書籍があることがわかりましたが、その著者の序文には次のように書かれているようです。

「昔のイタリアの名歌手たちは、声楽に関する直観的な認識や洞察や英知を、文字や口承の形による言明と教示で伝えている。これらのものは、一見、意味不明であったり、曖昧のように思われるが、実はその精確さと現実性において、驚くべきほどの知見と観察に基づいている。しかし、今日に至るまで、声の自然法則に関する認識と英知を含んでいるこの伝統を、発声科学的に証明しうる事実基盤の上に立って研究するという真剣な試みは、一度としてなされたことがなかった。それを行なえば、声楽の歴史において、探究的精神がこれまで歩んできた長い道程を見渡す明快な展望を獲得することができるのである」。

端的にいうと、これまで充分な研究がされてこなかったということですね。人体を、声帯を中心にした一つの器官にして発声される音のバリエーションが生み出す世界、それが声楽の魅力でしょうか?私の声楽家の友人によれば、人体を楽器として筒状に仕上げることがより良い発声のための基本だと言っていました。

さて、前置きが長くなりました。昨日、昨年購入にしたまま封を開けずにいた、アメリカのソプラノ歌手、ルネ・フレミングの「SACRED SONGS」を観ました。昨年、偶然NHK・BSで彼女のドキュメントを見て、興味本位でamazonで購入したものです。2005年11月13日、ドイツのマインツ大聖堂でのコンサートを収録したものです。

タイトル「SACRED SONGS」とは、文字通り宗教音楽でした。教会、聖歌隊、オーケストラをバックにルネ・フレミングが10曲を歌っています。歴史的には、女性がキリスト教会で歌うことは認められていなかったそうで、ソプラノの役割は若い少年、後にカストラートに与えられたといいますから、ソプラノ歌手が教会で歌うというのは決して古くからあることではなかったんですね。

この収録曲の中で、圧巻だったのはシューベルトの「アヴェ・マリア」でした。ライナーノートには次のように記されていました。

「フレミングはプッチーニ、カッチーニ、マスネをはじめとしたさまざまな<アヴェ・マリア>を詳しく調べた。そしてフレミングはこの収録作品の中でシューベルトの<アヴェ・マリア>が、“もっとも厄介な曲”のひとつであることに気づいたのである。『これまでしばしばレコーディングされ、アレンジされてきた、このDVDに収められている作品に歌手が取り組むとき、その作品が歌手をおびえさせるような存在になることがあります。私はそれをドイツ語で歌ったらいいのか、あるいはより最近のラテン語版で歌ったらいいのか、さらにはイタリア語風のラテン語かドイツ語風のラテン語で歌ったらいいのか?他の作品でも、私は、ごくわずかな歌詞、メロディの異なった、それぞれの作品の6つの版で武装し、聴く人の気に入る版をどうにかして明確にしようと試みました』」


Renée Fleming (b. February 14, 1959), is an accomplished American soprano specializing in opera and lieder.「ルネ・フレミングは、その魅力的な声、様式の幅広さ、観客の心をとらえるステージ上での存在感で、メディアからも一般聴衆からも、今日の偉大なるアーティストのひとりだと評価されている。2度のグラミー賞を受賞している彼女の芸術性は、世界中の一流の舞台や録音で引っ張りだことなっている。彼女はリスクを恐れない人と見なされており、新しい音楽と古典的な作品の両方をレパートリーとしている。彼女のために書かれた多くの作品、彼女が作り出した多くのオペラの役によって、彼女は同業者から尊敬され、ジャーナリストから賞賛されている」。

「2005−2006シーズンのフレミングの主な活動は、2つのメトロポリタン・オペラでのオペラ上演、マノン(2005年9,10月/2006年4月)と、ロデリンダ(2006年5月)、ダフネ(コンサート・バージョン)の3都市USツアー、WDR交響楽団とのアン・アーバーズ・ヒル・オーデトリアムでの共演、ニューヨーク・カーネギー・ホール、ワシントンDCのケネディ・センター(10月)、1月のカーネギー・ホールでのMETオーケストラとジェームス・レヴァインとのコンサート、バリトン歌手ドミトリー・ホロストフスキーとモスクワ室内管弦楽団との、モスクワ、サンクトペテルブルク、プラハ3都市ツアー(2006年2月)がある」。

「アメリカ国外でのコンサートとしては、11月に5カ国リサイタル・ツアーが行われる。ロンドン・バービカン、アムステルダム・コンセントヘボウ、オスロのコンサート・ホール、パリのテアトル・デ・シャンゼリゼ、トゥールーズ市立劇場、ミュンヘン国立劇場での公演が予定されている。2006年の活動は、日本でのパトリック・サマーズ指揮メトロポリタン・オペラ共演の《椿姫》、それにサー・アンドリュー・デイヴィスとのMETオーケストラ・コンサートもある。2つのグラミー賞、8つのグラミー・ノミネートを含む、多数の受賞作を業績に持つフレミングは、1995年からデッカと独占契約を結んでいる」。(ブライアン・ケロウ)

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私が愛読するメールマガジンの一つに>鮒谷周史(ふなたに しゅうじ)さんの【平成・進化論。】があります。(http://www.2nd-stage.jp/)この鮒谷さんが応援している歌手が、雨谷(あまがい)麻世さんで、メルマガで次のように紹介されています。

〜雨谷さんは、環境保護をライフワークにして、2002年から歌い続けられている歌手で、わたしも個人的に応援しています。毎日新聞創刊135年を記念して創設された、135万本の植樹を目指す、毎日新聞をあげての<明日を植える「My Mai Tree」>というビッグプロジェクトの歌唱にも起用され、そのCDが【僕にできること[Maxi]】(http://amazon.co.jp/o/ASIN/B00192JE0A/2ndstagejp-22/ref=nosim)こちらのものとなり、9枚目のCDとなります。少し先(7月2日)になりますが、いまから予約可能ですのでぜひ聞いてみて下さい。(購入された売上げの一部が苗木募金に充当されます)

音楽を通しての環境保護への取り組みについて、ご関心をお持ち下さる、テレビ、新聞、雑誌、ラジオなどメディアご担当者さまが読者さんの中にいらっしゃいましたら、ぜひ、ご連絡いただければとおもいます。雨谷麻世さんをご紹介させていただきます〜


「その声に触れられるなら、命と引き換えにしてもいいというほどの一瞬を垣間見せる・・・・・」
喜多尾道冬(レコード芸術2000.3推薦盤


雨谷麻世;「川崎市出身。東京芸術大学卒業。リサイタルやディナーショー、ラジオ出演といった活動に加え、環境省の後援で『鎮守の森ルネサンス!』と題したコンサート活動を続け、人の心と、地球環境の大切さを強くアピールしている。2004(平成16)年にはアジア国際環境会議「エコ・アジア 2004」にゲストとして招かれ、アジア各国環境大臣の前で日本の歌を披露した」。

「横浜ベイスターズ開幕戦での『君が代』独唱や2005(平成17)年に長野で行われた「スペシャル・オリンピックス」の閉会式でも独唱。また、環境省主催の『エド・イベント』で『愛知万博』にも参加、3,000人のEXPOドームで『鎮守の森コンサート』を行う。また、市内で開催されている『かわさきウェルフェアコンサート』への出演などチャリティー活動にも積極的に取り組んでいる」。
http://homepage1.nifty.com/amagai/index.html

私はまだ雨谷さんのCDを聞いたことがありませんが、今度手にとってみたいと思います。彼女の声は次のアドレスで、ちょっとだけ聞くことができます。
http://homepage1.nifty.com/amagai/discography/cd_1999sakura.html

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音楽関係者の社会のことを「楽壇」というそうですが、今年はその「楽壇の帝王」と呼ばれたカラヤンの生誕100周年にあたる年。昨日テレビを見ていたら、そのカラヤンの240枚組のCD-BOXセットのことが話題になっていました。受注生産で、そのなんと価格\300,000。今までに1,000セットが販売されているとか。とは言え、これだけで売上は3億円。さすがカラヤンです。このCD-BOXセットについては、次のように報じられています。

「ユニバーサル ミュージック株式会社は、指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの生誕100周年記念企画商品として、店頭販売向けCDセットでは過去最多となる240枚組のCD-BOXセット『カラヤン・ドイツ・グラモフォン・コンプリート・レコーディング』を4月5日に発売する。価格は300,000円」。
「総収録時間252時間、全457曲、延べ625曲収録となる240枚組のCD-BOX。クラシック音楽レーベル『ドイツ・グラモフォン』における、カラヤン指揮初録音の1938年“魔笛”序曲から、最後の録音となった1989年ブルックナー交響曲 第7番までの全音源が年代順に収録されている。単品での販売は予定されていない」。

「それぞれ4種類の録音があるというチャイコフスキーの“悲愴”やスメタナの“モルダウ”など、2度以上録音した音源も全て収録する。オペラ及び声楽曲は、オルフの“時の終わりの劇”を除く全てが歌詞対訳付となっている。購入特典として、リハーサル音源を集めた「カラヤン・リハーサル集」(2枚組/非売品)、カラヤン読本、200ページ以上の解説書、全CDを収納できる木製キャビネットなどが付属する」。(http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20080312/umj.htm


カラヤンとCDの関係については、一昨年7月16日の記事「『帝王』カラヤンとCDの逸話」でCDの80分弱という一枚の記録時間がカラヤンの意向を汲んだものだということを取り上げましたが、240枚組のCD-BOXセットが発売されたこで、カラヤンはCDに関して新たな逸話を作ったことになりますね。昨日から毎日一日2時間聴き続けたとして、聴き終わるのが私の誕生日の9月18日だとか・・・。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908年4月5日-1989年7月16日)は、「オーストリアの指揮者。1955年よりヴィルヘルム・フルトヴェングラーの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の芸術監督の地位にもあったことなどから、20世紀後半のクラシック界のみならず、世界中で最もよく知られた巨匠(マエストロ)である」。(ウィキペディア)

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<HMS Pinafore>
http://www.youtube.com/watch?v=ZLvMNiK4V-Y

今日取り上げるのはイギリスのギルバート&サリヴァン。と言っても、「アローン・アゲイン」で有名なアイルランド出身のギルバート・オサリバン(1946年12月1日-)のことではありません。とは言え、このギルバート・オサリバンが自分の芸名のもとにしたのが、19世紀末、ヴィクトリア朝のロンドンで数々の人気喜歌劇を世に送り出してきた劇作家・作詞家ウィリアム・ギルバートと作曲家アーサー・サリヴァン、つまり、ギルバート(写真上)&サリヴァン(写真下)でした。

彼らの作品は主に、興行師Richard D'Oyly Carte(1844-1901)のプロデュースによる歌劇団がサヴォイ劇場で上演するために書かれたもので、いわゆる「サヴォイ・オペラ」とも呼ばれるそうです。「1870年代はOpera Comic Theatreで上演されていたが、1881年にサヴォイ・シアターが完成して以来そちらで上演されるようになった。この劇場は、世界初の電気照明が付いた公共施設としても知られる。ちなみに、ロンドンでも一、二を争う高級ホテル『ザ・サヴォイ』は、サヴォイ・シアターで財を成したリチャード・ドイリー・カートが創業したもの」。(Cheeky’s Garden「英国党宣言」http://britannia.cool.ne.jp/cinema/title/topsy_turvy.html

彼らの作品に1885年3月14日にロンドンで初演された喜歌劇(オペレッタ)作品である「ミカド (The Mikado)」があります。ある時、ギルバートは妻に誘われて訪れた日本の展覧会で目にした数々の日本舞踊や刀、扇子、日本女性たちからインスピレーションを膨らまし、日本を舞台にした作品『ミカド』の構想を得たといいます。「ミカド」は、サン=サーンスのオペラ「黄色い王女」(1872年)やプッチーニの「蝶々夫人」(1904年)など、19世紀末の異国趣味の風潮が舞台に顕著に表れていた時代の産物でした。

作詞家William Schwenck Gilbert (1836-1911)と作曲家Arthur Seymour Sullivan (1842-1900)のコンビ"ギルバート&サリヴァン"。ふたりの出会いは1870年頃で、「ギルバートとサリヴァンの真の協力体制が始まったのは1875年、リチャード・ドイリー・カート (Richard D'Oyly Carte)が彼等に1幕物の『陪審裁判(Trial by Jury)』を委嘱した時である。これは大成功を収め、3人はその後20年以上にわたり、時には対立する事もあったが協力関係を築き、14作品を残した」。

「その後の作品は『魔法使い (The Sorcerer)』(1877年)、1878年には彼等のそれまででの最大の成功となった『軍艦ピナフォア (H.M.S. Pinafore)』が生まれた。この作品はアメリカで頻繁に盗用され、ギルバートとサリヴァンは著作権を守るため1879年に大西洋を渡った。ニューヨークでは『ペンザンスの海賊』が生まれた」。(ウィキペディア)


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