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映画音楽

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監督:ルイ・マル
原作:ノエル・カレフ
脚本:ロジェ・ニミエ、ルイ・マル
音楽:マイルス・デイヴィス
撮影:アンリ・ドカエ
出演:モーリス・ロネ、ジャンヌ・モロー、リノ・ヴァンチュラ

「電話で愛を語り合う男女。ジュリアン・タベルニエはフロランス・カララの夫が社長を務める会社の社員。フロランスと恋人関係にあった。フロランスの夫を、タベルニエは自殺に見せかけて殺す。いったんは会社を出た彼だが、証拠隠滅のため、会社に戻る。ところが運悪く、タベルニエはエレベーターに閉じこめられてしまう。約束の時間を過ぎても来ないタベルニエを心配し、夜のパリをさまようフロランス。タベルニエに憧れる花屋、その恋人にも焦点を当てながら、物語は思わぬ方向に進んでいく」。(ウィキペディア)

「マイルス・ディビスによる即興演奏、アンリ・ドカエによる斬新な手持ちカメラを生かした撮影、ジャンヌ・モローのクールな美しさ、フランス ヌーヴェルヴァーグの代表的作品。後にヌーヴェルヴァーグの恋人と言われたジャンヌ・モローが夜の街を彷徨うさまは、マイルスによる即興演奏と手持ちカメラよる撮影により不安と焦燥感を表現され、本作品を象徴するシーンである」。(同上)

マイルスの即興演奏は、スタジオで画面をみながら行われました。「ジャズの歴史」の著者相倉久人氏は次ぎのように述べています。

「目の前で展開する画面に引きずられて、絵を音で説明しているだけの感じになったり、逆に音楽の説得力がまさって、せっかくの映画が先にできてそれを映像化したような、いってみれば<拡大版ヴィデオ・クリップ>ふうになってしまう恐れがある」ところを見事に成功させています。以来、モダン・ジャズがフランス映画につぎつぎに採用されていくのです。

モーリス・ロネ(Maurice Ronet, 1927年4月13日 - 1983年3月14日)は「フランス・ニース出身の俳優。父親も俳優であった。コンセルヴァトワールを卒業後、ジャック・ベッケル監督に認められて映画デビュー。1950〜1960年代のフランス映画・イタリア映画を支えた。生涯で100本以上の作品に出演し、1983年、癌で死去。1950年に結婚したが1956年に離婚、その後は1977年よりジョセフィン・チャップリン(チャールズ・チャップリンの娘)と暮らし、二人の間には息子が一人いた」。

ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau, 1928年1月23日 - )は「フランスの女優、歌手。パリ出身。パリのコンセルヴァトワールで演技を学び、1948年にデビュー。ルイ・マルやフランソワ・トリュフォーなど、ヌーヴェルヴァーグ時代の監督達の作品が印象的。『雨のしのび逢い』でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞している。2000年にはベルリン国際映画祭で功労賞を受賞した。1992年に公開された『愛人 ラマン』では、ナレーションを務めている。オーソン・ウェルズに『世界で最も偉大な女優』と評された。1948年に俳優のジャン=ルイ・リシャールと結婚したが後に離婚。1977年に映画監督のウィリアム・フリードキンと再婚したが、1979年に離婚している」。

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「タクシードライバー」が遺作となり、そのサックスを中心に据えた音楽で映画の高評価に一役買ったのがバーナード・ハーマン。それ以前にはヒッチコックの映画音楽を数多く手がけています。

バーナード・ハーマン(Bernard Herrmann, 1911年6月29日 - 1975年12月24日、ニューヨーク市生まれ)は「映画音楽で活躍したアメリカの作曲家で、アルフレッド・ヒッチコック監督作品(『めまい』、『北北西に進路を取れ』など)や『市民ケーン』、『ケープ・フィアー』、『タクシードライバー』(遺作となった)など多くの映画作品に音楽を提供した」。

「チェコ系のユダヤ移民の家庭に生まれ、幼時からヴァイオリンの英才教育を受けた。音楽の教師と口論になり、ヴァイオリンで教師の頭を殴りつけた問題児でもあった。ジュリアード音楽院卒業後、指揮者として自作を含めて多くの録音を制作し、クラシック作品における自作もステレオ録音で残した。交響曲やクラリネット五重奏曲、オペラ「嵐が丘」、カンタータなどを残した」。

「ヒッチコックの『知りすぎていた男』にも指揮者として登場している。イギリス、アメリカの20世紀音楽に造詣が深く、チャールズ・アイヴズを擁護する一方、ウィリアム・ウォルトンの新ロマン主義的な作風に傾倒した。ハーマンによると映画音楽は商業音楽というより機会音楽の一種であり、ハイドンやモーツァルトがダンス音楽を作曲したように、自分は映画音楽を作曲するということだった。ヒッチコック映画に数々の名曲を提供したが、1966年『引き裂かれたカーテン』のために作曲した音楽の出来映えを巡ってヒッチコックと対立し、以後永久に袂を分かった」。

「のちに、『恐怖の岬』(1962年)をスコセッシ監督がリメイクした『ケープ・フィアー』で、ハーマンのスコアを再構成したエルマー・バーンスタインが、船内の乱闘場面に『引き裂かれたカーテン』の音楽を使用した。熱烈なイギリスびいきとして知られ、晩年をイギリスで過ごした。

「ヒッチコックと決別して以降、ハーマンも映画音楽で傑作を生み出せずにいたが、『タクシー・ドライバー』でのジャズの要素を取り入れたスコアが絶賛され、ブライアン・デ・パルマ監督の『愛のメモリー』と共にアカデミー作曲賞に30年ぶりにノミネートされた。『タクシードライバー』の最後のレコーディング・セッションが終了して12時間後、息を引き取った」。

「同時代および後世の映画音楽に与えた影響は計り知れない。ダニー・エルフマンは、最も感化された映画音楽家としてバーナード・ハーマンの名を挙げている。1998年のリメイク版『サイコ』で、ハーマンの有名なスコアをほとんどアレンジせずに再構成したのはエルフマンであった」。(ウィキペディア)

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ハリウッド映画が今ほどの独占的なパワーを持つ前には、映画音楽そのものにもっと名作がありました。それは映画自体が芸術として認知され、サン・サーンスを魁にクラシック音楽の作曲家たちが映画音楽を手がけた歴史を見れば明らかでしょう。逆を言えば、芸術性よりもエンターティメント性を重視する製作サイドと観客とのニーズが、映画音楽自体の性質を変えているという言うべきかもしれません。

そんな中で、これまでハリウッド映画音楽の巨匠としてジェリー・ゴールドスミス(1929年2月10日-2004年7月21日)、ジョン・ウィリアムズ(1932年2月8日-)を取り上げました。そして今回、現在その監督たちに最も信頼を得ている作曲家の一人としてハワード・ショアを挙げたいと思います。彼の作品を私の好きな映画から選んでみます。

マーティン・スコセッシ監督の「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002)、「アビエイター」(2004)、「ディパーテッド」(2006)、デヴィッド・フィンチャー監督の「セブン」(1995)、「ゲーム」(1997)、「パニック・ルーム」(2002)、他にも「羊たちの沈黙」(ジョナサン・デミ監督/1990)、「フィラデルフィア」(1993)及び「エド・ウッド」(ティム・バートン監督/1994)、「素顔のままで」(アンドリュー・バーグマン監督/1996)、「グロリア」(ジョン・カサヴェテス監督/1999)、「アナライズ・ミー」(ハロルド・ライミス監督/1999)、「ザ・セル」(ターセム監督/2000)、「スコア」(フランク・オズ監督/2001)、「ロード・オブ・ザ・リング」(ピーター・ジャクソン監督/2001)。

ハワード・ショア(Howard Shore、1946年10月18日 - )は、「主にアメリカ映画の映画音楽を手掛ける音楽家である。カナダ・トロント出身。同じカナダの映画監督デイヴィッド・クローネンバーグの作品で頭角を現し、『ロード・オブ・ザ・リング』でアカデミー賞を受賞した。『裸のランチ』に関係してのライヴで初来日。2004年には『ロード・オブ・ザ・リング・シンフォニー』の指揮者として2度目の来日を果たす」。(ウィキペディア)

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「さわりで覚えるクラシックの名曲50選」によれば、1908年、「ギーズ公の暗殺」という作品に、劇場で演奏するための伴奏曲つけたのがサン=サーンス。また1986年が51歳のときに作曲した「白鳥」は、フェデリコ・フェリーニ監督の「そして船は行く」(1983年)、エミーリ・ロチャヌー監督の「アンナ・パブロワ」(1984年)に使用されている。

シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns1835年10月9日 - 1921年12月16日)は、「フランスの作曲家、演奏家。モーツァルトと並び称される神童タイプで、2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をしたと言われている。また、10歳でバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの演奏会を開き、16歳ではじめての交響曲を書いている。1871年にはフランク、フォーレらとともにフランス国民音楽協会を設立した」。

「現在では、組曲動物の謝肉祭、交響曲第3番「オルガン付き」、交響詩死の舞踏などが特に有名。音楽家として、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍したほか、さまざまな分野に興味を持ち、その才能を発揮した。一流のレベルとして知られるのは詩人、天文学者、数学者、画家などである。特に詩人としての活動は多岐にわたり、彼が作曲した声楽・合唱作品のほとんどは彼の詩による」。

「その博識ゆえの嫌味な性格は人々の良く知るところであり、アルフレッド・コルトーに向かって『へぇ、君程度でピアニストになれるの?』といった話は有名である。これは彼が超一流しか眼中になかったことを示すエピソードでもあった。実際にサン=サーンスが完璧と評した生徒の中に、ピアニストのレオポルド・ゴドフスキーがいる」。

「晩年、印象主義の台頭の中で、近代音楽を批判してロマン主義を貫いたことも彼の孤立を強めた。このため、楽界の大御所としての世間的な評価は不遇であった。若き日のドビュッシーは、サン=サーンスの典型的な批判者であった。もちろんこのことは、彼とドビュッシーの目指す音楽に、あまりに大きな差があったというのも一つの原因であろう」。

「しかし、彼は必ずしも古典音楽に隷属していたわけではなく、むしろロマン主義の枠内で新しい形の音楽を創造しようとした、といえるだろう。もし彼の出生が30年早ければ、全く違う評価がされたともいわれている。そういう意味で、彼は歴史の転換点における一人の犠牲者でもある。音楽史における彼の最も重要な役割は、ロマン主義と現代音楽の過渡期に於いて、その例を提示したことであり、結果として当時のフランスには受け入れられなかった。しかし最近になってようやく、フランス国内でも彼の果たした役割を再評価する動きも出始めている」。(フリー百科事典)

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これはあくまでロータ自身の発言。「本業はあくまでクラシックの作曲であり、映画音楽は趣味にすぎない」と言っていたらしい。とはいえ、実質的にはモリコーネと並ぶ、イタリア最大の映画音楽作曲家であることに間違いはない。『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督/1960年)、『ロミオとジュリエット』(フランコ・ゼフィレッリ監督/1968年) 『ゴッドファーザー』(フランシス・フォード・コッポラ監督/1972年)これだけで十分だ。

「ロータの本職はクラシックの作曲家でした。その点ではコルンゴルトやウォルトン、オネゲルやショスタコーヴィチといった人々と同じ様な立場にありました。にも関わらず、ロータの場合は『映画音楽専門の作曲家』というイメージが強いのは、ロータがクラシックの作曲法にこだわらず、映画によってがらりとスタイルを変えて、莫大な量の映画音楽を生産し続けたからでしょう」。(早崎 隆志「映画音楽作曲家名鑑」)

ニーノ・ロータ(Nino Rota、1911年12月3日 - 1979年4月10日)は、「イタリアの作曲家。クラシック音楽と映画音楽で活躍した。北イタリアのミラノ出身。11歳でオラトリオ、13歳でオペラを作曲し、ミラノ音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院で学んだ。その後米国に渡り、カーティス音楽学校に学んだ。帰国後ミラノ大学に入学し、文学と哲学を並行して専攻」。

「大学卒業後音楽教師となり、その傍らクラシック音楽の作曲家として活動を開始。1942年以降、映画音楽の作曲も始めた。1951年、当時新進映画監督として注目を集めたフェデリコ・フェリーニと出会い、その後フェリーニの映画の殆どの音楽を手がけることになった。心臓発作によりローマで死去、享年67。生涯独身だった」。(フリー百科事典)

フェリーニ監督作品
『白い酋長』(1951年)、『青春群像』(1953年)、『道』(1954年)、『崖』(1955年)、『カビリアの夜』(1957年)、『甘い生活』(1959年)、『ボッカチオ'70』(1962年)、『8 1/2』(1963年)、『魂のジュリエッタ』(1965年)、『世にも怪奇な物語』(1968年)、『サテリコン』(1969年)、『フェリーニの道化師』(1971年)、『フェリーニのローマ』(1972年)、『アマルコルド』(1974年)、『カサノバ』(1976年)、『オーケストラ・リハーサル』(1979年)

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