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ジャズへのエントランス

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昨日、ポール・サイモンの記事で少し取り上げたジャズ・ハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンス。彼のハーモニカは多くの名演を生んでいるようですが、もともとはアコ−ディオン奏者でありギタリストだったそうです。その彼が37歳のとき、ジャズを演奏しているライブでそのパフォーマンスに魅了されたのが19歳のジョン・レノンでした。その模様とトゥーツのについて、ウィキペディアをそのまま引用します。

<ジョン・レノンへの影響>
「ビートルズのジョン・レノンはビートルズ、デビュー前ハンブルグ巡業公演中の1959年に、現地クラブへ出演していたジョージ・シアリング・クインテットでのトゥーツの演奏を見て影響を受け、そのスタイルに憧れ、トゥーツが当時使っていたリッケンバッカーのショート・スケール・モデルとハーモニカに傾倒し、自身もトゥーツと同様にショート・スケール型のリッケンバッカー モデル#325とハーモニカを使うようになった」。

「ジョン・レノンのリッケンバッカーも元々アルダー材を使った1958年型ナチュラル・フィニッシュの3ピックアップ・モデルだったが、レコード・デビュー直前の1962年9月にはジェット・ブラックへ塗り替えられ、ボリュームとトーン・コントロールのノブが変えられて、ビートルズ時代に使っていて有名な姿へと変わっている。そして、ビートルズデビュー後もしばらくはリッケンバッカーとハーモニカがジョン・レノンのトレードマークになっていて、トゥーツの影響はこういった形でジョンにリスペクトされていた」。

トゥーツ・シールマンス(Jean "Toots" Thielemans, 1922年4月29日-)は「ベルギーの首都ブリュッセル出身のジャズ・ハーモニカ奏者。日本のCMにも出演しておりハーモニカおじさんの愛称で知られ、ビル・エヴァンス、ニールス・ペデルセン、ジャコ・パストリアスと言った巨匠達との共演も果たしている。『Toots』というニックネームはミュージシャンの『Toots Mondello』と『Toots Camarata』に由来している」。

<ブリュッセル時代>
「幼少時代は3歳の頃からアコーディオンの演奏をするようになり、その後は趣味としてハーモニカの演奏も始めたことが、後のハーモニカ奏者になる起点にもなっている。10代の頃にはギターを弾くようになり、第2次世界大戦時のドイツ軍占領時期にはジャズの虜となって、ジャンゴ・ラインハルトに憧れ、チャーリー・パーカーの音楽からも影響を受けるようになった」。

「1940年代にギタリストとして音楽活動を開始したが、ハーモニカの方が評判となった。その頃のステージング・スタイルはギターを弾きながら肩から掛けたハーモニカ・ホルダーのハーモニカを吹く、といったスタイルだった。トゥーツの最初の国際的な演奏は1950年にベニー・グッドマンのヨーロッパ・コンサート・ツアーに参加したときで、この後トゥーツはアメリカへ移住することとなり、本格的にジャズへの道を歩むようになる」。

<アメリカへ移住>
「1952年、トゥーツはアメリカへ移住し、活動の拠点をジャズの本場アメリカへと移行した。アメリカでの初期の仕事はペンシルバニア州・フィラデルフィアでの『チャーリー・パーカー・オールスターズ』のメンバーとしてだった。遂にトゥーツは彼がリスペクトしていたチャーリーとの演奏の機会を得ることが出来た。そして他には『ジョージ・シアリング・クインテット』などへも参加していた」。

「1962年には『ブルーゼット(Bluesette)』を作曲、そしてトゥーツ独特なスタイルである『口笛とギターの1人ユニゾン』という演奏方法も使うようになった。次第に様々なアーティストと一緒にコンサート・ツアーやレコーディングに行うようになり、ジョージ・シアリング以降も、エラ・フィッツジェラルド、クインシー・ジョーンズ、ビル・エヴァンス、ジャコ・パストリアス、ナタリー・コール、パット・メセニー、ポール・サイモン、ビリー・ジョエル など、ジャズだけではなく幅広く活動し、ポピュラー音楽やCM音楽、テレビ番組『セサミストリート|セサミ・ストリート』でのハーモニカ・ソロなど多岐にわたるようになった。ビル・エヴァンスの1978年にリリースされた『Affinity』ではデュオで演奏され、こちらは名盤とされている」。

<1980年代の活躍>
「1980年代にはモダン・ジャズ以外にも、フュージョンやR&Bなど様々なトップ・アーティストと共演が増えた時期でもあった。クインシー・ジョーンズとのレコーディングでは、様々な名演を聴かせ、特に1981年リリースのアルバム『The Dude』では、トゥーツご自慢の『口笛とギターの1人ユニゾン』奏法で、クインシーの楽曲へ繊細で心地良いサウンドを披露している」。

「そして同年リリースのジャコ・パストリアスの『ワード・オブ・マウス』にも参加していて、ビッグ・バンドとの共演や、カバー曲、ビートルズのブラックバードでのトゥーツは歯切れ良いハーモニカ・サウンドで貢献している。その後、ジャコのワード・オブ・マウス・ビッグ・バンドでのオーレックス・ジャズ・フェスティバル 1982への参加や、ジャコとのヨーロッパ・ツアーなどを行っていて、1980年代半ばはジャコとのレコーディングやコンサート・ツアーなどが目立った」。

「1983年にはビリー・ジョエルのアルバム『An Innocent Man』へ参加し『Leave a Tender Moment Alone』という曲でハーモニカを演奏している。日本のアーティストではレベッカの1989年リリースのアルバム『Blond Saurus』のニュー・ヨークでのオーバー・ダビング・セッションにて『Vanity Angel』という曲でハーモニカを演奏している」。

<1990年代以降>
「1998年にフレンチ・フレーバーなアルバム『Chez Toots』をリリースし、ゲスト・ボーカリストにはジョニー・マシス(Johnny Mathis)が参加し、売れ行きの方も好調だった」。

(www.tootsthielemans.com Jean Toots Thielemans - Official Site)

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「三条は『「フルハウス』をかけた。レコードに針を落とすと、テーマのあとにウエス・モンゴメリーのギターが聞こえてくる。こういうギター弾きは今世界のどこを探してもいない。一オクターブ違う同じ音の弦を同時に親指で弾くという超絶技巧でギターを弾く。今はオクターブ奏法を使うギタリストは何人もいるが、彼らはウエス・モンゴメリーをなぞっているだけだ」。

「ウエス・モンゴメリーは楽譜が読めなかった、オクターブ奏法を思いついたのは、オクターブ違う弦を同時に弾くと気持ちいい音になると気づいたからだろう。ジャズを演奏するのと、ジャズをなぞるのは違う」。

これは、村上龍さんの「半島を出よ(下)」(幻冬舎文庫)の「epilogue1」からの一節です。オクターブ奏法は知っていても、ウェス・モンゴメリーのことは知らない。まだジャズをなぞり始めたばかりの私でございます。

ウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery, 1923年3月6日-1968年6月15日)は、「アメリカのジャズ・ギタリスト。オクターブ奏法で一世を風靡した。1923年3月6日、インディアナ州インディアナポリス生まれ。地元のクラブで生活費を稼ぐためにライブハウスなどでの演奏活動を開始する。1948年ライオネル・ハンプトン楽団に参加するものの、1950年に退団、インディアナポリスに戻る」。

「1959年にキャノンボール・アダレイとの競演でブレイクする。彼の最高傑作と評されるアルバム『インクレディブル・ジャズ・ギター』もこの年に録音されている。その後も、ビ・バップのスタイルで『フルハウス』などの名盤をリリースしていたが、1967年に『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』でイージーリスニング路線に転向、セールス面でも成功する。1968年に死亡。死因は心臓病説・ドラッグ説・過労説などがあるが本当のところは不明である」。

「親指1本でピッキングを行なうのが最大の特徴。チャーリー・クリスチャンによって初めてエレキ・ギターでの単音弾きのソロがジャズに持ち込まれたわけだが、ウェスはそのスタイルを大幅に進化・成熟させて、ジャズ・ギターの礎を築き上げた」。

「それまでアクセント的に使われるだけだったオクターブ奏法を頻用しジャズ・ギターの代名詞にまで引き上げ、シングル・ノートはもちろんのこと、ダイナミックなコード奏法を織り交ぜたスタイルは、ウォームながらドライヴ感のある音色とともに、現在までのジャズ・ギター・シーンに決定的な影響を与えている」。(ウィキペディア)

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昨日、FMから、女性ヴォーカルで「A Song For You」が流れてきました。曲の終了後、それがハービー・ハンコックの2005年にリリースされた「Possibilities」の中の一曲、ヴォーカリストはクリスティナ・アギレラだとわかりました。その他にフィーチャーされているのがスティング、、サンタナ、スティーヴィー・ワンダー、ポール・サイモンとのこと。早速、Amazonに注文しました。

そういえば、ハービー・ハンコックが錚々たるメンバーと来日していますね。先週、福岡にもやって来ましたが、残念ながら都合が合いませんでした。今日は横浜で最後のライブがあります。東京方面の方でチェック漏れの方は、是非足を運んでください。関連サイトから一部引用しておきます。(http://www.jec-international.co.jp/seires/jgs_part4.html)

「60年代、あのJAZZの帝王と呼ばれたマイルス・デイヴィス(1926−91)を中心に、大活躍した当時最強のクインテットメンバーの中にハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーターがいた」。

「そんな彼らが、1976年アメリカで毎年夏に行なわれるジャズの祭典、ニューポート・ジャズ・フェスティバルにて、マイルス・デイヴィス・クインテット時代の演奏を再現しようとピアノのハービー・ハンコックを筆頭に結成したのが、そう、V.S.O.P.である」。

「これはVery Special One time Performance(1回限りの演奏)のイニシャルをとって名づけられたことからもわかるように、その1回の特別ステージの予定だった。しかし、1度だけのつもりの演奏の評判が非常に高く、その後も活動するようになり、77年、79年には日本にもV.S.O.P.として来日している」。

「当時のV.S.O.P.クインテットのメンバーには御存知今は亡きドラマー、トニー・ウィリアムスがいた。1969年、トニーがマイルス・デイヴィスのバンドを脱退し、その後任を是非にと任されたのが、ジャック・デジョネット。彼はデイヴィスのバンドでドラムをプレイし、ハービー、ウェイン、ロンとも同じステージに立って来た。そんな彼が今回 THE QUARTETのメンバーとして来日するのである」。

2007年10月14日(日)
パシフィコ横浜 国立大ホール
開場 2:00 pm/開演 3:00 pm
S/¥11,000 A/¥9,000 B/¥8,000(各税込)
当日券あります!!(とあります)

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最近はあまり飲みに行くことが少なくなりましたが、以前は一人で出歩くとなどは飲み始めに行きつけのバーでマティーニを頼んでいました。なんでも、一見のバーで最初にドライ・マティーニを注文する客がいると、バーテンダーは緊張するのだと聞いたことがあります。マティーニは「カクテルの王様」と言われ、これがちゃんと出せるかどうかで通の酒飲みはその店を判断するんだそうです。

ちなみのマティーニを注文すると、オリーブがグラスに沈められます。中にはオリーブを食べずに残す人がいますが、これはマナーとしてはよくないそうです。オリーブが嫌いなら、はじめに「マティーニをオリーブなしで」と注文することです。また、トロピカル・カクテルを注文したカップルが仲良く二本のストローを分け合って飲んでいたりしますが、二本のストローを一緒に口に含んで飲むのが正しい飲み方ですね。知っていてやるのと、知らないでやるのには大きな違いがあります。

「強いヤツをくれ。水はいらないぜ」というカッコいいタイトルがついたジャズの名曲があります。「ストレート・ノー・チェイサー」という曲。書いたのは「孤高の高僧」と称されるジャズ・ピアノスト、セロニアス・スフィア・モンクです。チェイサーは「追い水」、ウィスキーをストレートで味わった直後に飲む水のことですね。中にはビールをチェイサーにするつわものもいます。この曲は、マイルス・デイヴィスもアルバム「マイルストーン」で演奏しています。

そんな二人に「喧嘩セッション」と呼ばれる、次のようなエピソードがあることを知りました。

「1954年12月24日、プレスティッジ・レコードからの要請でマイルス・デイヴィスのレコーディングに参加するが、音楽性の違いからマイルスと対立し、この共演は後に『喧嘩セッション』と呼ばれた。アルバム『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』収録の『ザ・マン・アイ・ラヴ(テイク2)』では、モンクがピアノ・ソロを途中で止め、怒ったマイルスが、自分の出番でもないのにトランペットを鳴らすという、緊張感のあるやり取りが録音されている」。

「誰と共演しようが自分を曲げない、モンクらしいエピソードと言える。当然のことながら、マイルスとモンクは二度と一緒にレコーディングしていない(ライブでの単発的な共演はあり)。ただし、マイルスはモンクの作曲能力は認めており、アルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』『マイルストーンズ』でモンクの曲を取り上げた」。(ウィキペディア)

セロニアス・スフィア・モンク (Thelonious Sphere Monk、1917年10月10日-1982年2月17日)は、アメリカのジャズ・ピアニストであり、即興演奏における独特のスタイルと、数多くのスタンダード・ナンバーの作曲で知られる」。

「彼の死後、彼の音楽は幅広い聴衆によって再発見され、彼は今日では、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンなどと並び、ジャズの歴史に於ける偉大な人物の一人に数えられている。1989年、クリント・イーストウッドは、彼の生涯と音楽についてのドキュメンタリー、『ストレート・ノー・チェイサー』(Straight, No Chaser )を制作している」。

「独特の不協和音で有名。「ストレート・ノー・チェイサー」、「ラウンド・ミッドナイト」などの名曲を作曲。ブルーノート・レコード、プレスティッジ・レコード、リバーサイド・レコード、コロムビア・レコードなどのレーベルに演奏を残す。アルバムの代表作に『ブリリアント・コーナーズ』『セロニアス・ヒムセルフ』『モンクス・ミュージック』『ミステリオーソ』など」。(同上)

*マイルス・デイヴィス(Miles Davis, 1926年5月26日-1991年9月28日)

モンクについてもっと知りたいという方は、鈴木創さんのサイト「音魂大全」に秀逸なコラムがありますのでチェックしてみてください。(http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/thelonious-monk.htm)

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私が高校生で、オリジナル・アルバムを作った頃、ベース担当のI君から聞かされた「School Days」(1976)というアルバムのことをふと思い出しました。そのとき初めてチョッパー(スラップ)奏法を知りました。ベースがリードギターのようにメロディを奏で、裏打ちで叩かれるベースサウンドに圧倒されたことを今でも思い出します。スタンリー・クラークとの出会いでした。

そして時が経って、1984年、元妻から聞かされたのが「Clarke/Duke Project」(1981)というアルバムでした。コンフュージョン・ジャズの名盤でした。ここに登場するのもスタンリー・クラークでした。彼のベースをバックに唄うジョージ・デュークのヴォーカルも実にカッコイイ。

スタンリー・クラーク、今頃何してんだろうと思って検索してみたら、なんと10/5に新作「トイズ・オブ・メン」をリリースしたばかりでした。しかも、彼のHPで全曲を聴くことができるではありませんか。 (http://www.stanleyclarke.com/frontpage.htm)今、このアルバムを聴きながら、この記事を書いていますが、彼のチョッパーは健在です。お勧めの一枚です。

日本におけるスラップ奏者と言えば、細野晴臣さんや後藤次利さんがあげられますが、スラップ奏法の始祖は、ザ・ドリフターズのいかりや長介さんだと書かれていました。ドリフターズはもともと1966年のビートルズ日本公演の前座を務めたほどの実力を持ったミュージシャンですが、こんなところにも登場するとは、ドリフターズ恐るべし、です。

スタンリー・クラーク(Stanley Clarke、1951年6月30日-)は「アメリカ人のベーシスト、作曲家、音楽家である。アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアにて生まれる。1972年にチック・コリアらとリターン・トゥ・フォーエヴァーを結成、1970年代フュージョン・バンドの代表的存在の一つとして活躍」。

「ジャズやファンク、フュージョン等の音楽を得意とする。ウッド・ベースとエレクトリックベースと両方を演奏する事が出来る。70年代後半はジェフ・ベックとの共演でロックファンにも超人プレイで人気があった。1978年にはJeff Beck with Stanley Clarkeとして来日し武道館等で公演を行った」。

「エレクトリックベースの演奏スタイルが非常に独特。中でも代表的なのが、コード・ストロークとスラップ奏法を使った大胆なプレイである。この2つの奏法は後にプライマスのレス・クレイプールも強く影響を受けている。四度高くチューニングしたテナーベースや1オクターブ高くチューニングしたピッコロベースもよく使用しており、ギターに近い奏法を得意とする。また、アレンビックのベースを使用していることで有名」。

「ウッド・ベースを演奏するときには手を激しくネックやボディに叩きつけてパーカッシブな音を出すのが大きな特徴といえる。100年以上前に製造されたベースであってもお構いなしに叩く姿は実に豪快。また、弓を使って演奏することもあり、ゆったりとして美しい音色を聴かせる」。


ジョージ・デューク(George Duke, 1948年1月12日-)は「カリフォルニア州サン・ラファエル生まれのジャズ・フュージョンで活躍しているピアニストでコンポーザー、プロデューサー、歌手。マリン・シティで育つ。母に連れて行かれたデューク・エリントンのコンサートでピアノに憧れ、7歳よりピアノの教育を受け始める。地元の教会にてブラック・ミュージックの洗礼を受けている」。

「16歳の時高校の仲間と時代にグループを組み、ジャズを演奏している。この頃の彼はジャズの帝王マイルス・デイヴィスやソウル・ジャズに影響されている。サンフランシスコ音楽院ではトロンボーンと作曲を専攻する。在学中、若き日の歌手アル・ジャロウと組みクラブで演奏していた。1970年代に入るとキャノンボール・アダレイやクインシー・ジョーンズ、フランク・ザッパ、ビリー・コブハムのグループに参加し、知名度を上げていった」。

「1977年にEpic/CBSで"From Me To You"をリリース、持ち前のファンキーなプレイをもって当時ブームのディスコサウンドへ傾斜していく。このエピック期に、古くからの盟友であるベーシストのスタンリー・クラークと、ユニット名"Clarke/Duke Project"で3枚のアルバム(1981、1983、1990)を発表している」。

「1985年にワーナー・ミュージックのエレクトラ・レコードに移籍、"Thief In The Night"をリリースし、この他2枚のアルバムを残す。この後暫くはプロデュース業に多忙になる。1992年にワーナー・ブラザーズ・レコードに移り、"Snapshot"を発表。現在はコンテンポラリー・ジャズを主に、スムーズ・ジャズを演奏している」。(ウィキペディア)


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