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ジャズへのエントランス

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1999年のウディ・アレン監督作品に「ギター弾きの恋」があります。ショーン・ペン演じる主人公のジャズ・ギタリスト、エメット・レイが敬愛するのが実在のジャンゴ・ラインハルトですね。また、2000年のラッセ・ハルストレム監督の「ショコラ」でジョニー・デップ演じるジプシー一団を率いるルーが弾くギターも、ジャンゴをモチーフにしているような気がします。

ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt 1910年1月23日 - 1953年5月16日)は、「ジャズミュージシャンギタリスト。本名ジャン・バティスト・レナール(Jean Baptiste Reinhardt)。ベルギー・リベルシーの出身。ジプシーの伝統音楽とスウィングジャズを融合させたジプシー・スウィング(マヌーシュ・スウィング)の創始者として知られる」。

「ジプシーとして、幼少の頃からヨーロッパ各地を漂流して過ごし、そこでギターやヴァイオリンの演奏を身につけて育った。18歳のときにキャラバンの火事を消そうとして、左指2本の動きを失う大火傷を負ったが、そのハンディを奇跡的に乗り越え、独自の奏法を確立。1934年にはフランス・ホット・クラブ五重奏団を結成。後世のミュージシャンに多大な影響を与える多くの傑作を、その短い生涯の中で幾つも発表した」。(ウィキペディア)


(追記);昨日、花村萬月氏の小説「ジャンゴ」を読みました。登場人物を通じて次のようにまとめられていました。(7/26)

花村萬月「ジャンゴ」より〜麗子のセリフ〜

「ジャンゴ・ラインハルト。本名ジャンゴ・パブティスト・ラインハルト、1910年1月23日、フランス国境近くのベルギー、リヴェルシーズのジプシー旅芸人一家に生れる。父はバイオリン弾き、母は歌手兼踊り子。14歳のときに、バンジョー奏者としてシャベールというシャンソン歌手の伴奏をつとめ、初レコーディング。

1928年、11月未明2日未明、18歳のときにジプシー・キャラバンの出火により、大火傷。左手薬指、小指がまったく動かせなくなる。半年間プレイを中断。独特のフィンガリング奏法を編みだす。そのフレージングは人差し指と中指、そして補助的に親指で低音弦を押さえるというもので、ジプシー旋法を使った哀愁感のあるメロディと、三連符を使った独特のフレーズがユニークだった。

演奏はオンビートで、チャンキー・リズム。そのスイング・ビートは黒人音楽の横ゆれするビートとは違って、ポルカのようなヨーロッパ伝承音楽を連想させる。フレーズは分散和音や装飾を多用する。フォー・ビートでテーマをインプロバイズしていくというジャズの定義には収まるが、アメリカのジャズギタリストとはまったく別物である。

使用していたギターは大型のアコースティック。ピックを用い、ブリッジの近くで力強く弾いた。音色は硬いが、潤いがあり、ロマンチックだった。

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私の目標の一つはジャズの楽曲を書くことです。これまでに何回かチャレンジしましたが、なかなか上手くいきません。ジャズといえばスタンダードしか聞くことがなく当然といえばその通りなのですが、ブルーノートなどのスケール(音階)をメロディにすることは簡単にいきません。

バップ以後のコンポーザーの中で最も優れた音楽的才能を持つミュージシャンの一人と評されるジャズ・ピアニストにカーラ・ブレイ(Carla Bley;本名:Carla Bolg, 1938年5月11日生まれ)がいます。彼女の魅力は、その広範な音楽知識を混ぜ合わせ、従来のジャズの形式を覆すものであったことにあるとされています。ジャンルは違いますが、その経歴はアンジェラ・アキさんを彷彿とさせます。

「未来の女流作曲家カーラ・ボルグ(ブレイ)は、教会音楽家の父親の手ほどきで音楽の基礎を学び、その後はアカデミズムとは無縁で、ほとんど独学で通した。17歳の頃ジャズ音楽に開眼し、当時ジャズが活気づいていた街、ニューヨークへの移住を決意する。が、このころのカーラはミュージシャンとして生計を立てることができず、ウェイトレスなどの仕事をすることで日々食いつないでいた」。

「売れっ子どころか日々の暮らしにも事欠いていたカーラに転機が訪れるのは、1957年のポール・ブレイとの結婚以後のことである。最初こそうだつが上がらなかったものの、個性的な楽曲を作り出すようになったカーラは、その音楽を広く認められ、アート・ファーマー(ブルースをそっと歌って)、ゲイリー・バートン(葬送)、チャーリー・ヘイデン(リべレーション・ミュージック・オーケストラ)ら大物ミュージシャンに楽曲を提供し、一躍ジャズ界を代表するトップ・コンポーザーの地位を手に入れた」。

「1966年には二人目の夫になるトランペット奏者マイケル・マントラーと伴に、『ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション』を設立、商業主義からのミュージシャンの保護、自由化に多大な貢献を為した。また1971年に詩人ポール・ハインズとの共作にして2枚組の大作ジャズ・オペラ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を完成させた。この作品は実験作的色合いが濃厚で、当時のジャズ界に物議をかもした」。

「それから30年の時を経ながらも、カーラの創作意欲は衰えることを知らず、チャーリー・ヘイデンとのリベレーション・ミュージック・オーケストラの続編(バラッド・オブ・ザ・フォールン)、スティーブ・スワローとのデュオ・アルバム、オーケストラ・アルバム『The Very Big Carla Bley Band』どの作品をコンスタントに発表し続けている」。(ウィキペディア)

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11年前の今頃私はニューヨークにいました。初めてのアメリカ大陸。目的はとにかくジャズクラブ巡りをすること。一軒目が今は無き「SWEET BASIL」(香辛料バジリコ、シソ科の一年草「メボウキ」の意)で思いもかけぬ「山下洋輔トリオ」の秀逸な演奏を聴くことができました。私の目の前にピアノがあり、そこで鍵盤を叩きまくる山下さんの強烈なプレイは今でも忘れません。

そして、最終日の最後に入ったのが、1935年に開店し、当初は前衛芸術家の発表の拠点だったジャズ界の名門クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」(Vanguard運動・活動・分野などの)先頭, 指導的地位;((集合的;単数扱い))指導「先駆」者たちの意)でした。まさに先駆者たちの村。ステージにはなぜか二本のウッドベースが置いてあり、その一本を残してトリオの演奏が始まりました。

そして数曲目に現れたのが、ロン・カーターでした。思わず鳥肌が立ちました。演奏曲はもう忘れてしまいましたが、一曲だけ覚えている曲があります。それは日本の「さくら」でした。なぜ、彼がこの日本のこの曲を弾いたのか今でもよくわかりません。客の中に日本人らしき外国人は私だけでした。だからといって、私のために弾いてくれた訳がありませんが、サプライズなひと時でした。

ロン・カーター(Ron Carter, 1937年5月4日 - )は「アメリカミシガン州出身のジャズ・ミュージシャン、ベース奏者。アフリカ系アメリカ人。バッハなどに傾倒し、初めチェロを習い、のちにコントラバスに転向。クラシックのコントラバス奏者を目指して1日8時間に及ぶ猛練習をするも、人種差別の壁もあってシンフォニーに入団できなかった」。

「一方でジャズベーシストとしての活動を開始し、1959年にチコ・ハミルトンのグループでプロデビュー。また、ポール・チェンバースやレイ・ブラウン、サム・ジョーンズなどの名ベーシストとの交流の中で自己を確立し、キャノンボール・アダレイ、ボビー・ティモンズなどのグループに参加」。

「その柔軟で奔放なプレースタイルが、モード・ジャズの表現を模索していたマイルス・デイヴィスの目にとまり、ポール・チェンバースに代わるベーシストとして抜擢される。他メンバーが繰り出すモード・イディオムラインに対し、クロマッチックな音選びで絶妙の相性を見せたカーターは、1960年代のマイルス・ミュージックの屋台骨を支える重要な役割を果たす」。

「ジャズ界の趨勢がモード・ジャズからフュージョンに移行しつつあった1960年代終盤、マイルスからエレキベースを弾くことを要求されてこれを拒否、マイルスのグループを去る。以降、主に著名ミュージシャンのセッションのサイドマンとして無数のレコーディングに参加し、数々の名盤を生み出す」。

「ロン・カーターのベースは、極めて個性的なその音色に特徴がある。一音聴いただけで『ロンだ』とわかるほどの強烈な個性である。一方で音程はそれほど良くなく、高音域はあまり得意でない。クラシック奏者を目指していた割にはアルコ(弓)奏法も下手ではあるがこれはジャズ奏者としてピッチカート(指弾き)奏法を重点的に鍛錬してきたため致し方ないであろう」。

「ロン・カーターは日本でも非常に人気の高いジャズベーシストで、来日経験も極めて豊富である。日本人ジャズメンとの競演も多く(阿川泰子のアルバムにまで参加)、また、アメリカ人のみによるセッションでも日本のレコード会社の企画で製作される事も多い。こういった、日本人による彼の芸術への理解度の高さもあり、本人もなかなかの親日家である」。(ウィキペディア)

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「もういいんじゃないか」という声をよそに昨日、「ロッキー・ザ・ファイナル」が公開されました。スタローンは同世代の人たちにエールを贈る意味で作ったそうですが、アメリカでは意外にも若い世代の観客が多かったといいます。1994年、45歳にして20年ぶりに王座に返り咲いたジョージ・フォアマンは「ヘビー級タイトルマッチの奇跡」といわれていますが、60歳のボクサーとは映画ならではです。

さて、1996年に初めてニューヨークに行ったときのこと。夜な夜なジャズクラブ巡りをしていて「ブルー・ノート」に行ったとき、そのステージのゲストがメイナード・ファーガソンでした。当時は彼のことは全く知りませんでしたが、若いミュージシャンと戦いを挑むような彼のプレーは圧巻でした。その彼が、ロッキーのテーマ曲のあのトランペットを吹いていたこと、そして昨年亡くなっていたことを知ったのは恥ずかしながら実は昨日のことです。

メイナード・ファーガソン(Maynard Ferguson、1928年5月4日 - 2006年8月23日)は、「カナダ出身のジャズ・トランペット奏者。ハイノート・ヒッター(非常に高い音域を正確に演奏すること)で知られている。2006年8月23日、腎臓疾患と肝臓疾患のため、アメリカのカリフォルニア州の病院で死去。9月に日本ツアーを行う予定だった」。

「カナダ・ケベック州ヴェルダン(現在のモントリオールの一部)生まれ。両親の薦めで4歳にはピアノとバイオリンを習う。9歳の時、地元の教会で聴いたコルネットの音色に感銘を受け、両親に頼んでトランペットを手に入れ、以来奨学金制度を利用してトランペットに励むこととなる。13歳の時(1941年)にはカナダ放送協会楽団で天才的な子供として取り上げられ、ソロを披露している」。

「1949年、21歳の時にアメリカに移住、スタン・ケントン楽団に加わり頭角を現す。当時はまだ若かったため、楽団のツアーに両親がついて回ったというエピソードが残されている。1954年にスタン・ケントンの下を去ってパラマウント・ピクチャーズに入り、『十戒』などの映画でリードトランペットを担当した」。

「パラマウントを去った後、バードランドドリームバンドを結成するも、1960年代には当時のアメリカ音楽の変化に失望感を抱き、イギリスへの移住を計画していたとも伝えられる。1976年8月1日に行われたモントリオールオリンピックの閉会式では、トランペットのソリストを務めた」。

「その後は自身のビッグバンドを率いて活動を行っていた。ダブル・ハイC(2オクターブ上のC=ド)を奏でることができるその演奏は映画音楽やテレビ音楽などで印象的に用いられ、ビル・コンティ作曲の "Gonna Fly Now" は映画『ロッキー』のテーマとして特に有名である」。

「また、日本では"Theme From Star Trek"(スタートレックのテーマ)が日本テレビ系『アメリカ横断ウルトラクイズ』(すでに終了)のテーマとして、"Hollywood" が日本テレビ系『全国高等学校クイズ選手権』のテーマとして使用されており、ファーガソンの名を知らなくともその演奏は広く全国に知れ渡っている。また、プロボクシングの元WBA世界ジュニアフライ級(現ライトフライ級)王者具志堅用高も現役時代、彼の曲である"Conquistador"(征服者)を入場曲として使用していた」。
(ウィキペディア)

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二人のJAZZミュージシャンが相次いで逝きました。私には未知の人たちでした。これからJAZZ
を学んでいく中で、その才能の端々に触れていくことにします。マイケルはコルトレーン派のテナー奏者として知られ、アリスはピアニストですが、ジョン・コルトレーンの妻でした。なにかの因縁でしょうか。

マイケル・ブレッカー
「ジャズテナーサックス奏者で11回ものグラミー賞受賞でも知られるマイケル・ブレッカーが2007年1月13日ニューヨークの病院にて白血病の為逝去いたしました。」

「マイケルは1949年3月29日、ペンシルヴァニア州フィラデルフィア生まれ。兄のランディ・ブレッカーと組んだブレッカー・ブラザーズで70年代にセンセーショナルな話題を巻き起こす。以来、フュージョン・シーンの最前線で活躍する一方、多数のポップス系アーティストと共演を重ねる。80年代以降はコルトレーン派のテナー奏者としてストレート・アヘッドなプレイでも実力を発揮」。

「近年は、2001年『ニアネス・オブ・ユー:ザ・バラード・ブック』、2002年ハービー・ハンコック、ロイ・ハーグローブとの『デイレクションズ・イン・ミュージック』そして最近作(2003年発売)『ワイルド・アングルズ』とグラミー賞を3年連続受賞しました」。

「彼は親日家としても知られ1970年代にヨーコ・オノのツアーメンバーで初来日して以来40回以上の来日公演を行いました。多くの日本人アーティストとも競演。渡辺貞夫、渡辺香津美、小曽根真、木住野佳子といったジャズミュージシャン以外にもSMAPや吉田美和等のアルバムに参加したことから多くのファンに親しまれました。最後の来日はマウントフジ祭で2004年8月」。

「遺作となるアルバム〈タイトル未定〉には、パット・メセニー、ハービー・ハンコック、ジャック・デジョネット、ブラッド・メルドーといった現代のジャズ界最高峰のアーティストがマイケル激励の為に参加している。マネージャーのダリル・ピットによれば『僅か2週間前に完成したばかり』であり発売はユニバーサル ミュージック(株)クラシックス&ジャズより3月下旬を予定しております」。(ユニバーサル・ミュージック)


アリス・コルトレーン
「アリス・コルトレーンさん(米ジャズ音楽家。故ジョン・コルトレーンの妻)は14日付の米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)によると、12日、呼吸不全のためロサンゼルスで死去、69歳。67年の伝説的サックス奏者ジョンの死後、音楽的遺産を継承、ジャズピアニストとしても活躍した」。

「1937年8月27日ミシガン州デトロイト生まれ。'63年にコルトレーンと知り合い、'65年にコルトレーンのグループに参加。そして結婚。'67年にコルトレーンの死後は自己のグループで活動。近年は活動が途絶えていたがクラブDJの間で再評価が高まっていた」。

『トランスフィギュレーション』('78)以来の新作を久々に古巣インパルスに録音。2003年『トランスリニア・ライト』を26年ぶりにリリースした。インパルスに『ワールド・ギャラクシー』、『モナスティック・トリオ』等を残している」。(同上)

*ジョン・コルトレーン(1926年9月23日 - 1967年7月17日)
「チャーリー・パーカー(as)亡き後、ソニー・ロリンズ(ts)と並ぶジャズ・サックスの巨人。 モダンジャズのテナーサックス演奏では、コルトレーンの影響下に無いものがいないという状況が長く続いた」。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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