「a song for you」の可能性を求めて

大切な誰かのために、自分の思いを音楽にしてプレゼント

南米音楽

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久しぶりの投稿で、今年初めての記事。開店休業の間も多くの方が読んでくださり、ありがとうございます。今年もよろしくお願いします。今年こそ、ブログの標題とした「「a song for you」の可能性を求めて」作ってきたオリジナル曲を聴いていただけたらと思っていますが、果たしてどうなることになるやら。

今年の最初に取り上げるのは、小松亮太さん。タンゴといえば、ズンチャチャッチャ・タラタターラというメロディとアルゼンチン・タンゴの激しい踊りしか浮かんでこなかった私に、タンゴの様々な世界を垣間見せてくれたのが小松さん。

ズンチャチャッチャ・タラタターラという曲名さえ知らなかったのですが、今回この記事を書くにあたって、それが曲名だけは知っていた「ラ・クンパルシータ」であったことを知りました。この曲は、ウルグアイのヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲスが17歳となった1917年に書いたんだそうで、スペイン語で「小さな行列」を意味し、ロドリゲスが、学生行列をイメージして作曲したそうですね。

「日本では、タンゴがヨーロッパに渡って変化したものをコンチネンタル・タンゴ(コンチネンタル=大陸の=ヨーロッパの)ないし「ヨーロッパ・タンゴ」と呼び、それに対して元来のものをアルゼンチン・タンゴと呼んで区別することが多い」(ウィペディア)ということですが、踊りとしてのコンチネンタル・タンゴは男女が一定の距離を取り、足は静かなステップを取るに対し、男女が体をくっつけたり足を激しく絡ませるのが動かすのがアルゼンチン・タンゴ。

そんなアルゼンチン・タンゴは、杉本彩さんが魅了されたことで、ここ数年注目されていますね。このアルゼンチン・タンゴの世界、本場アルゼンチンで「若き日のピアソラのようだ」と認められたバンドネオン奏者が小松さん。

バンドネオンという楽器は「アコーディオンに形が似ているため(同じ蛇腹楽器)、アコーディオンの一種」という説明も見受けられるが、鍵盤は、ピアノのような形ではなく、ボタン型で、これが蛇腹を挟んで両側についている。アコーディオンが1820年代に発明され、改良して作られたアコーディオンの一種であるコンツェルティーナ(コンサーティーナ)の影響を受けて、1840年代、ドイツのハインリヒ・バンド Heinrich Band が1847年に考案」(同上)されたといいます。

ピアソラとは、アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla)のことで、彼の音楽は共演者から「二十年先行していた」と評価され、ピアソラ一代で完全に閉じているためにタンゴ全体の未来はピアソラの先にない、という見方があるとされているそうですから、本場でその後継と目されているのですから小松さんの実力は推して知るべしですね。

このピアソラの代表曲が、イタリアで1974年にリリースされた「リベルタンゴ」(Libertango)。ここではピアソラとヨー・ヨー・マとの共演を添付しておきます。

<Piazzola Yo Yo Ma Libertango>
http://www.youtube.com/watch?v=_tMgVMxG95A&feature=related


前置きが長くなりましたが、小松さんの実力は本場で認められただけでなく、アルゼンチンのタンゴ界に多くの刺激を与えているそうです。そんな小松さんの代表曲を添付しておきます。これから注目したいアーティストですね。


<小松亮太 Ryota Komatsu, 目覚め〜ネスカフェのテーマ Theme of Nescafe>
http://il.youtube.com/watch?v=I3C_wdAYN-4

<情熱大陸 / 葉加瀬太郎 with 小松亮太&Deep Forest>
http://il.youtube.com/watch?v=FzMlntn3ncI

<スターネオン : 小松亮太 with 鳥山雄司>
http://il.youtube.com/watch?v=Y-o-8i9MsR4


<楽器人インタビュー 小松亮太 (バンドネオン奏者)(1) Music@Life 「楽器 de 世界旅行」トップ>
http://beatjam.justsystem.co.jp/app/static/column/gakki/intv/intv_001_01.html

<小松亮太(RYOTA KOMATSU)>
http://www.ryotakomatsu.com/

<小松亮太 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E4%BA%AE%E5%A4%AA


<タンゴの革命児・アストル・ピアソラ>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~cama/tango/piazzola/piazzola.html

<アストル・ピアソラ - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%BD%E3%83%A9

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いよいよ北京オリンピックも最終日。今回も日本選手団の活躍に一喜一憂しながら、特に印象に残ったのは、男子100走の400mリレーの銅メダルでした。個人レベルでは圧倒的に劣勢に立つ四選手がバトンリレーの妙で勝ち取った栄誉です。わずかなチャンスに、勝機を見出した完璧なレースでした。

この北京オリンピックの陸上競技で王国アメリカの牙城を崩したのが人口270万人の国、ジャマイカでしたね。このブログのテーマは音楽なので、やはりジャマイカの音楽のことを取り上げましょう。ジャマイカ音楽といえばなんと言ってもボブ・マーリーに象徴されるレゲェですが、それ以前にスカがあり、その源流は「メント/mento」という音楽であることを今日知りました。

メントは、ジャマイカ発祥のポピュラー音楽様式の一番最初のもので、17世紀に始まるアフリカとイギリスの影響の融合から生まれましたそうです。残念ながら、どんな音楽なのかYOUTUBE上にも見つけることができませんでしたが、どんな音楽なのかをチェックして見ました。

「メントは、ジャマイカにおいて、スカやレゲエ以前にあったフォーク音楽の一形態である。 アコースティックギター、バンジョー、打楽器、ルンバボックスに加えて、手作りの竹のサックス、クラリネット、フルートなどよって演奏される」。

「メントの最盛期は1950年代である。レコード産業の黎明期当時は、「白人向けの」カリプソと同様に音
楽がアメリカに輸出された。その後、1950年代後半にはジャマイカでスカが登場し、メントは影をひそめることになる。しかしメントとして歌われてきた楽曲は、スカやロックステディで再び歌われた」。

「メントはしばしば、トリニダード・トバゴのカリプソと混同される。これは、アメリカのレコード会社が、主にカリプソや「kalypso」(スペル違い)、時には「メント・カリプソ」などといういい加減なタイトルを付けて販売したために起こった。これは、カリプソのほうがメントよりも断然知名度があったという事情もある」。

「ハリー・ベラフォンテの名曲『バナナ・ボート』は、カリプソとして売り出されたが、実際には原曲はメントである。メントもカリプソも類似性があり、厳密なリズムの定義や楽器編成による区別ははっきりしない。」

「カリプソは日本の浪曲のように歌う新聞読みの性質があったため、歌詞が長く、カリプソ・ウォーの伝統があるためテンポは比較的早い。一方メントは、カリプソと同様に貧困や社会問題への批評について歌われるが、穏やかなものが多い。性的なトピックもより控えめである。テンポはカリプソに比べるとゆったりとしている」。(ウィキペディア)

「Bamboo Shack Presenting World Island .Sounds.」というサイトに、「NOBODY'S BUSINESS」というアルバムの紹介がありましたので引用させてもらいます。

〜ジャマイカのドクターバードからでたアルバムです。とりあえず、これは70年代に出たやつで、メントからレゲエまで入ったすごくいい内容です。サックスをセドリックブルックス通称イムってひとが吹いてます。スタジオワンのサウンドディメンション時代にいた人でマニアにはファンが多いかもしれません。サンプルはいろんな人がやっているNOBODY'S BUSINESSという曲でパーカッション担当もしているSIS LIZ CAMPBELLってひととSHARON MYLESってひとがボーカルです。〜
http://www.bambooshack.net/WORLDSOUND/mento/mento.htm

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昨日、取り上げた〜キューバが生んだ「サルサの女王」セリア・クルース〜に引き続き、今日は「マンボも王様」を取り上げましょうね。この「マンボの王様」には二人の王様がいました。一人は、キューバ生まれのペレス・プラード、そしてもう一人は「ティンバレスの王様」とも言われるニューヨーク生まれのティト・プエンテ。

・・・と言っても、マンボとは何かさえ覚束ない私です。まずは、いつものように常套手段のウィキペディアに頼ります。

マンボ(mambo)は、「ラテン音楽の一つ。キューバの音楽形式でダンスのスタイル。mamboという言葉とはハイチの土着宗教ヴードゥーの女司祭の名前で『神との対話』の意味を持つ。この言葉が音楽ジャンルとして知られるようになったのは、1938年にOrestesとCachao Lópezにより作られたダンソンの楽曲、マンボに由来する」。

「マンボは1930年代後半にキューバで流行していたルンバにジャズの要素を加える形で作られ、1940年代後半にペレス・プラードにより、ダンスのためのマンボとして世界的に知られた。ビッグバンド形態をとり、ホーン・セクションをリズム楽器として用いる。楽器の構成はコンガ、ボンゴ、ティンバレス、クラベス、ベース、ピアノ、トロンボーン、トランペット、サックス等による。代表曲に『マンボNo.5』が挙げられる」。(ウィキペディア)

<Damaso Perez Prado..."MAMBO No. 5">
http://jp.youtube.com/watch?v=71ccPegibAI

<Celia Cruz, Tito Puente, and Poncho Sanchez: Quimbara>
http://jp.youtube.com/watch?v=8Y06BvtWjrg&feature=related

ダマソ・ペレス・プラード(Dámaso Pérez Prado, 1916年12月11日 - 1989年9月14日)は、「キューバのバンドリーダー、指揮者、ピアニスト。マンボ王(マンボキング)とも呼ばれる。1916年(1922年説もある)にキューバのマタンサス (Matanzas) に生まれる。父親は新聞記者で母親は教師。幼少時からクラシックピアノを学び、後にポピュラーに転向して地元のクラブ等でピアノやオルガンを演奏していた」。

「1940年代キューバの首都ハバナで働いていた頃、当時流行していたルンバにジャズの要素を取り入れた新しいリズム「マンボ」を積極的に演奏し始める(「マンボの王様」という異名から、ペレス・プラードにより作られたと語弊する者も多いが、彼がマンボの発明者ではない)。しかしこの新しいリズムはキューバ国内では受け入れられず、1948年にメキシコシティへ移住。そこでペレス・プラード楽団を結成、一躍人気アーティストとなった」。

「その後、代表曲となる『マンボ No.5 (Mambo No. 5)』や『マンボ No.8 (Mambo No. 8)』を発表するとマンボは世界的なムーブメントとなり、アメリカに進出後発表した「セレソローサ(Cerezo Rosa (Cherry Pink and Apple Blossom White))」はアメリカのヒットチャートで26週連続チャートインするといった快挙を成し遂げた」。

「彼のスタイルは指揮をしながらステージ上で所狭しと踊り、飛び跳ね、激しく動き回りながら独特の掛け声で楽団を煽るというもので、マンボの強烈なリズムと共にそのステージは当時の若者を熱狂させた。アメリカでの人気が下火となってきた1964年にメキシコシティに本拠地を移す」。

「日本には1956年に初来日、以後17回日本で講演している。その際パラダイス山元に掛け声の指導をしたとされる。1989年メキシコシティの自宅にて各種の病気の併発により死去。カストロ政権下でのキューバでは、その死はわずか数行の記事で片付けられたものの、メキシコシティで行われた葬儀は世界中からペレス・プラードのファンが集まり、『史上最も陽気な葬儀』と形容されるほど華々しい葬儀であった」。


<New Arrival ... Tito Puente>
http://jp.youtube.com/watch?v=6SffU1yeQnU

ティト・プエンテ(Tito Puente,本名:エルネスト・アントニオ・プエンテ,Jr. 1923年4月20日 - 2000年5月31日)は、「『ティンバレスの王様』、『マンボの王様』とも呼ばれるラテン音楽を代表する米国ニューヨーク出身のミュージシャン。類まれな才能に恵まれ、ティンバレス、ヴィブラフォン、キーボードの奏者として、また、作曲家・編曲家・バンドリーダーとして偉大な足跡を残した」。

「1940年代から活躍し、1950年代の世界的マンボブームの立役者の一人でもある。プレイヤーおよびバンドリーダーとしての足跡はもちろん超一級であるが、ラテンジャズやサルサの発展にも大きく寄与し、また、自らのバンドから多くの後進を輩出するなど、ラテン音楽を形作ってきた功績も見逃せない。スペイン語では息子のことを"-ito"(―ィート)と呼び、プエンテは『エルネスティート』の『ティート』から『ティト』の愛称で呼ばれるようになった」。(以上ウィキペディア)

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<Celia Cruz - rie y llora>
http://jp.youtube.com/watch?v=lq2sEY9Sk3k

今から20年ほど前、会社の新卒で入社した女の子にちょっとハイな娘がいました。時代はバブル真っ盛り。仕事が終わると、飲みに行ってははしゃいでいました。カラオケに行くと彼女が歌うのは、当時としては既にナツメロとなっていたザ・ピーナッツの「恋のバカンス」だったり、ドレッドのカツラで歌うラテン系の音楽でした。どういう歌なのか知らなかった私に「これ、サルサって言うんです」と教えてくれました。

今では、レゲエがごく当たり前のように流れてきますが、当時こういう南米の音楽に浸っていた女の子は珍しかったと思います。日本のサルサの先駆けとなった「オルケスタ・デ・ラ・ルス」がデビューするのは彼女が入社した一年後の1989年でした。改めてサルサという音楽を見ていると・・・

「サルサ(Salsa music)はラテン音楽の一つである。カリブの島キューバやプエルトリコ発祥のダンス音楽に、ジャズ、ソウル、ロックなどの要素を取り入れて1970年頃までにニューヨークで確立され、その後、米国の東海岸、西海岸、中南米、ヨーロッパ、日本など世界中に広まった。日本人によるサルサバンド、『オルケスタ・デ・ラ・ルス(光のオーケストラ)』が全米のラテンチャートのビルボードで連続11週にもわたって1位を獲得したことがある」。

「リズムの基本となるのは南米音楽特有の『クラーヴェ』という単位である。クラーベのリズムは一般的に2-3(ツースリー)、3-2(スリーツー)と言われるリズムで、一般的に2(ツー)はシンコペートされた2拍目と3拍目のみ、3(スリー)は4拍子を三連符のリズムでクラーベスの音を出す。その二つでワンセットの「クラーヴェ」という単位になり、そのクラーヴェのリズムにベースやピアノが加わり、コンガ、ボンゴ、ティンバレスなどのパーカッションや、トランペットなどのホーンセクションが加わって構成されていく」。(ウィキペディア)

そんなサルサに君臨した、セリア・クルースという歌手がいました。2003年7月19日、16日に亡くなった彼女の第1回目の葬儀が、マイアミで行なわれ、キューバ音楽〜サルサ最高の女性歌手の死を7万5千人余という参列者が悼んだという記事があります。彼女を偲んで引用します。

「彼女は革命以前のキューバにあっても、またアメリカへ亡命後のサルサの時代にあっても、精力的な活動を続け常に筆頭に君臨した女性だった。ハバナに生れたセリア・クルースさんは、若い頃からその音楽の才能を発揮した女性で、特に、50年代のトップ・バンドであったソノーラ・マタンセーラのリード・シンガーとして迎えられてからは、カリブ海諸国を中心としたスペイン語圏で圧倒的な人気を博した」。

「キューバ革命(1959年)のあと、60年にアメリカへ亡命し、ニューヨークを拠点としたサルサ・ムーブメントの土台をなす人物の一人ともなった。それ以後も、世界中を闊達に飛び回り、また頻繁にレコーディングを行なうなど、名実ともに『サルサの女王』として大活躍してきた。そんな彼女も病魔には勝てず、ついに78歳の生涯を閉じることとなった。死因は脳腫瘍。ニュージャージーの自宅で亡くなったと発表されている」。(Beats21)

Celia Cruz (October 21, 1925 – July 16, 2003) was a Cuban salsa singer, and was one of the most successful Cuban performers of the 20th century, with twenty-three gold albums to her name. She was renowned internationally as the "Queen of Salsa," as well as "La guarachera de Cuba". She spent most of her career living in New Jersey, and working in the United States and several Latin American countries.

Leila Cobo of Billboard Magazine once said "Cruz is indisputably the best known and most influential female figure in the history of Cuban music." Cruz once said in an interview "If I had a chance I wouldn't have been singing and dancing, I would be a teacher just like my dad wanted me to be".(ウィキペディア)

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<Tamacun (Rodrigo y Gabriela)>
http://jp.youtube.com/watch?v=G8dPso79Z9I&NR=1

昨年末、地元のFM音楽番組で紹介され、ずっと気になっていたギター・デュオ、ロドリーゴ・イ・ガブリエーラ。ついにその映像を見ることができました。とにかく、衝撃的でした。輸入盤がオリコン調べで15,000枚を超えるといいます。既に昨年春からブレイクしていたようですが、ご存じなかった方は、必聴の一枚ですね。

「アコースティックギター2本だけで、怒り、歓喜、闘争心、爽快感、刹那感・・・極上の激情を体の中から呼び起こす話題のユニット『ロドリーゴ・イ・ガブリエーラ』。待望の日本盤にはCDに1曲、DVDにはなんと2曲も未発表ライヴ映像を付加しての登場。DVDに40分近く収録されたレッスン映像やインタビュー映像にはもちろん日本語字幕もついて、漸く話題騒然となっていたこの大型新人の全貌が明らかになります!!」

「メキシコシティ出身のアコースティックギターを弾く男女2人組、ロドリーゴ・サンチェスとガブリエーラ・クインテーロ。地元でメタル系バンドで活動していたが、ある時、まったく違う環境で新しい音楽を創出すべく、アイルランドのダブリンへ移り住む。やがて不屈の演奏活動によって、彼らの話題が地元からヨーロッパ各国へと徐々に広がり、各地の野外フェスにも出演するようになる。ロック、フラメンコなどを融合した超絶高速アコギインスト演奏は、独自の熱さを発するワールドフュージョングルーブだ。
日本デビュー盤『激情ギターラ!』も出たばかり」。

「数々のフェスティヴァルに出演したヨーロッパから火が付き、その火はアメリカにも飛び火し大評判である。メキシコ時代、メタル・バンドで出会ったという2 人の超絶テクニックは、アコースティック・ギターに持ち替えて更なる真価を遂げ、独特のほとばしるような熱いグルーヴを生み出し、ライヴの評価は全世界でうなぎ上りである」。

「日本では、今年夏からTower records新宿、渋谷の店頭で展開したところ、一気に火が付き、Amazonでもみるみるうちにランクが上昇し、あっというまに15,000枚を越えるセールスをほぼノンプロモーションで達成し、さらに売れ続けている。そしてこの度、満を持して国内盤のリリース(3/5)、東京1日のみのスペシャル・ライヴが決定!お見逃し無く!!」
http://www.smash-jpn.com/band/2008/03_rodrigo_y_gabriela/

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