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南米音楽

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「1980年代に世界的ダンス・ヒット・ナンバー『コンガ Conga』によって一躍大スターとなったグロリア・エステファンが、ポップ・スターであると同時にポリティカル・スター(政治的スター)でもあることは、日本ではほとんど知られていません」。

「それは彼女の本拠地フロリダ州マイアミが、アメリカの歴史において果たしてきた役割と大きく関わっています。そして、その歴史はまた、北の大都会ニューヨークにおいて発展したサルサとはまったく異なるもうひとつのキューバ音楽史でもあるのです」。(ロック世代のポピュラー音楽史)

「コンガ」が傑作の一つであることは誰もが認めるところだろう。グロリア・エステファンがポリティカル・スターであることは上記にあるように全く知らなかった。この辺の事情については、「ロック世代のポピュラー音楽史」に譲るが、ここでは関連サイトなどから彼女の半生を追ってみみたい。

グロリア・エステファン(Gloria Estefan、旧名Gloria Maria Fajardo、1957年9月1日-)は、「キューバ生まれでアメリカの歌手。1960年に家族と共にマイアミに移住。キューバ移民であるために生活が苦しかったこともあって、奨学金を得てマイアミ大学に入学。1975年に、後の夫となるエミリオ・エステファンが率いるバンド『マイアミ・ラテン・ボーイズ』に参加し、1978年9月2日にエミリオと結婚」。

「順調にヒット曲を重ねたグロリアだが、1990年3月、乗車中のバスにトラックが追突する交通事故に遭遇。脊髄に重傷を負うが、1年間のリハビリの末に復帰した。1996年にアメリカ合衆国で開催されたアトランタオリンピックの閉会式では『Reach』を大観衆の前で歌った」。(フリー百科事典)

「2000年を迎えてもやはり、グロリア本人はマイアミを拠点にしながらも、ずっと自分のアイデンティティーの依拠をキューバに求めている。グロリアは悩みながらも自分自身についてこう語る」。(公式サイトから)

「んー、私はキューバ人。キューバン・アメリカンね。私は完全にバイカルチュラル、音楽でも、考え方も。“キューバの心にアメリカの精神”(a Cuban heart and an American head)を持っている。どちらかを選べといわれても困ってしまうけど、心の中ではまだ、ものすごくキューバ人ね。母が私をそういう風に育てたから。米国のような多様性のある国で一番大切なのは、自分が何者でどこから来たのかということを忘れないことだと思う。それでこそ私たちは自分たちの生活を豊かにできる。もし私たちが完全に溶け合ってそれぞれの独自性を忘れてしまったら、つまらない。だから私は、どこに住んでいようと自分たちの文化を守ることが大事だと思うわ」。

アフロ・キューバン・ミュージックともいわれるジャンルの先駆者でもあるエスティファン夫妻。アフリカとキューバの融合は考えただけでも強力なサウンドだ。今後もっと聞いていきたい世界だ。

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一昨日のYahooエンタメ情報に「小野リサが選ぶ、ボサノバ入門編」という記事が載っている。27歳でのデビュー当時はこれほど上手くボサノバを歌える日本人が現れたことに驚いたものだ。生まれがブラジルの本場仕込みなので、本格派であること当然だった。アントニオ・カルロス・ジョビンと競演していることから、その実力がうかがい知れる。

その彼女が、薦めるのは次の二枚。
<ボサノバの神様、ジョビンのスタンダード・ナンバー>
「イパネマの娘」(アントニオ・カルロス・ジョビン)
「もし、初めてのジャンルの音楽を聴くのであれば、耳なじみのある曲、トラディショナルな名曲から聴くのが良いのではないかと思います。ジョビンはポピュラーなメロディーのなかにクラシカルな要素を取り入れてボサノバを誕生させた作曲家。彼の作る曲は、いまだに歌い継がれているボサノバのスタンダードとなったすばらしい曲ばかり。このアルバムは彼の有名な曲ばかりを収録していて、初めてボサノバを聴く人には最適だと思います」

<現在進行形のボサノバを伝えてくれる1枚>
「スウィンゲイラ」(ワンダ・サー&ロベルト・メネスカル)
「1960年代、ボサノバの隆盛期から音楽活動を続けているこのふたりは、さまざまな音楽の流行に左右されることなく、正統派ボサノバのスタイルを現代に伝えています。ブラジルを代表する女性ボーカリストであるワンダ・サーと、ブラジルを代表するギタリストであり作曲家・プロデューサーであるロベルト・メネスカルのこの作品は、21世紀の現在進行形のボサノバを聴くにはピッタリの1枚といえるでしょう」

そして先月出した彼女自身のアルバム。
<小野リサ流にアレンジした“アメリカン・トラディショナル”>
「ジャンバラヤ〜ボッサ・アメリカーナ〜」(小野リサ)
「今回の私のアルバムのテーマは、“アメリカン・トラディショナル”。みなさんがどこかで耳にしたことのあるアメリカの名曲の数々を、小野リサ流にブラジリアン・テイストでアレンジしてみました。先行シングルの『Take Me Home Country Roads』をはじめ、思わず口ずさんでしまうような聴きやすいアルバムに仕上がっています。ボサノバの初心者の方々のみならず、さまざまなジャンルの音楽ファンのみなさんにも楽しんでいただける心安らぐ1枚です」

小野リサ(Lisa Ono、1962年7月29日-)は、「ブラジル生まれの日本人ボサノバ歌手。MS Entertainment所属。サンパウロでレストランを営んでいた両親の元、ブラジルで生まれ、その後10才までの幼少時代を現地で過ごす。15歳からギターを弾きながら歌い始める。1989年、アルバム『カトピリ』でデビュー」。

「ボサノバの神様アントニオ・カルロス・ジョビンとの共演や、ニューヨークやブラジル、アジアなどで海外公演を行い成功を収める。1999年に発表されたアルバム『DREAM』が20万枚を超えるヒットを記録。日本におけるボサノバの第一人者としての地位を確立した。そして2006年7月12日にアルバム『ジャンバラヤ〜ボッサ・アメリカーナ〜』を発売した」。

アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim,1927年1月25日 - 1994年12月8日、トム・ジョビン (Tom Jobim) とも呼ばれる。「本名はアントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ヂ・アルメイダ・ジョビン(Antonio Carlos Brasilero de Almeida Jobim) は、ブラジルの作曲家・編曲家またはミュージシャン」。

「リオ・デ・ジャネイロのチジュッカ地区で生まれる。1960年代のはじめ、ジョアン・ジルベルト、ヴィニシウス・ヂ・モライスなどとともに、ボサノバという音楽ジャンルを創生したと言われている。多くのボサノバ・アーティストがジョビンの作品を演奏し、音楽的ジャンルを超えて多くのアーティストたちに影響を及ぼした」。

「ジョビンの音楽的ルーツは、1930年代から活動していた、ブラジル近代音楽の父とも言うべきピシンギーニャ(Pixinguinha)やブラジル屈指の作曲家、エイトル・ヴィラ=ロボス(Heitor Villa Lobos)(共にショーロの音楽家)の影響を強く受けている。彼にはまたフランスの作曲家クロード・ドビュッシーなどクラシックの音楽家からの影響も大きいと言える」。

「ジョビン死後の1999年、彼の功績を称えるために、ガレアオン空港は『アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港』(Antonio Carlos Jobim International Airport)と改名された。同空港の一隅には『ジェット機のサンバ』の歌詞を刻んだプレートが飾られている」。(フリー百科事典)

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9日に行われたイビチャ・オシム新監督就任後初の、トリニダード・トバゴとの国際親善試合。いまは試合結果に一喜一憂する時期ではないが、やはり勝てば嬉しい。さて、相手国のトリニダート・ドバコだが、国名は、主要な2つの島、トリニダード島とトバゴ島を合わせたもので、トリニダード島は島にある3つの山をキリスト教の教義の三位一体(trinidadは、スペイン語で三位一体のこと)になぞらえて名付けられ、トバゴ島は先住民が吸っていたタバコから名付けられたそうだ。

人口はおよそ110万人。日本の1/100。政令都市並の規模だ。このことを聞くと、勝利の嬉しさが半減する。ともあれ、話題をこの日に国歌斉唱したシャーレーンに移す。「マイアミ在住、23才。トリニダード・トバゴ出身。足が110センチもあるスーパー・セクシー・ディーヴァは8歳の頃から歌い始め、10歳でCDデビュー、12枚のアルバムを発表している実力の持ち主でもある」。

「父から教わったカリプソ音楽で幼少から世界中をカリプソを広めるために渡り歩いたという。数多くのカリブ・シーンのアウォードを受賞している。その後フロリダのマイアミ大学で音楽を専攻作曲・作詞を学んだ。フランス語、スペイン語、英語、トリニダード語もこなし、本1冊分の歌詞を書き上げたというからスゴイ」。私もそう思う。

「ラジオからひっきりなしに聴こえてくるダンスホール・レゲエやレゲトンを取り入れた自称『ラガ』サウンドは全てシャーレーン自らの作詞によるもの。ソカやカリプソ音楽で培った歌い方に加えダンス・ホールの要素を大きくフィーチャーしたPOPで聴きやすいのが特徴で聞きやすく踊り易い“マイアミならでは”のサウンド。頭がよくってセクシー、歌も踊りもバツグン!なんてちょっと出来すぎ!??」。(公式サイト)確かにできすぎだ。

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昨日、障害者自立支援団体主催によるコンサートを見に行った。オープニングの障害者たちによる演奏には間に合わなかったが、地元ミュージシャンによるジャズ、ボサノバの演奏はなかなか聴きごたえのあるものだった。なかでも、盲目のジャズピアニスト豊田隆博による「TAKE5」は圧巻だった。

ボサノバをじっくり聞いたのも久しぶりだ。地元で活躍するギターリスト渡辺健太郎、ヴォーカル井手三千恵のデュオ。後半では豊田氏も加わってのパフォーマンス。会場が屋外だったこともあって、ボサノバのリズムとメロディが心地よかった。そのボサノバの歴史は新しい。1950年代にブラジルで生まれた。

ボサノバ(Bossa Nova)は、「ブラジル音楽の様式(ジャンル)のひとつである。1950年代後半に、リオ・デ・ジャネイロのコパガバーナやイパネマといった海岸地区に住む、中産階級の学生やミュージシャンたちによって生み出された。Bossa Novaとはポルトガル語で「新しい感覚」、「新しい傾向」といった意味がある。ブラジルでは特に、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスが作曲し、ジョアン・ジルベルトが歌った「Chega de Saudade(想いあふれて)」のレコードによって知られるようになり、人気を博した」。(フリー百科事典)

ジョビンは既に12年前に亡くなっている。一方のジョアン・ジルベルト(João Gilberto, 1931年6月10日)は「ボサノバの神」と呼ばれる。そのジルベルトが今年東京国際フォーラムにやってくる(11月4、5、8、9日)。日刊イトイ新聞の「ダーリン・コラム」で糸井氏がお釜バーのママになりきって、大貫妙子との話を次のように綴っている。2003年に来日コンサートをやったときの話だ。

「ジョアンは、ほんとうに日本のお客さんのことが、うれしかったんですよ」っていうようなことを、ね‥‥。そう言ったわけよ。ジョアン・ジルベルトは、また日本に来るらしいじゃない。ほんとに、それって特別なことらしいの。日本に来て、日本の観客に向けてコンサートをしたいのよ。

大貫妙子は、ジョアンとおなじ演奏する立場だから、きっとわかるんだと思うの。「日本のお客さんみたいに、あんなにちゃんと聴いてくれる人たちがいるって、ほんとにうれしかったんですよ」

あたしは、逆に訊いたわよ。「地元の人はちゃんと聴かないの?!」ってね。だって、ボサノバのご先祖さまでしょ、神さまでしょ。「地元の人たちは、聴くというより、歌っちゃうんですよ、いっしょに」。あらまっ!それはそれで、楽しんでいるってことなんでしょうけど、演奏してもしても歌っても、いつもお客さんがいっしょになって歌っちゃってたら、聴いてもらいたいって気持は満足しないわよねー。

でも、ブラジルの観客が悪いのかっていえば、そうじゃないとも思うのよ。歌に、共感をしてるわけじゃない?積極的にいっしょに楽しんでるわけじゃない?歌はみんなものだもんねー。それでいいのだって、言いたいと思うのよ。

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