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作詞家/LYRICS

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ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(1975)から、山口百恵「横須賀ストーリー」(1976)から「さよならの向う側」(1980)までの13曲への宇崎竜童さんとの夫唱婦随の作家活動をはじめ、水谷豊「カリフォルニア・コネクション」(1977)、キャンディーズ「微笑がえし」(1978)、郷ひろみ「ハリウッド・スキャンダル」(1978)、ジュディ・オング「魅せられて」(1979)、H2O「想い出がいっぱい」(1983)と70年代後半から80年代にいたるまで、POPシーンにおいて時代の最先端をリードした作詞家が阿木燿子さんでした。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」では「ヨーコ」を追いかけていく男を描く歌詞は、ロード・ムービーを見ているような印象的な作品でしたし、山口百恵さんの「美・サイレント」(1979)では歌詞の一部に声に出さない部分があり話題を呼んだりしました。2006年には映画「TANKA短歌」でメガフォンを取っておられます。

阿木燿子(あき ようこ、1945年5月1日-)は、「作詞家、女優、小説家、エッセイスト。本名、木村 広子(旧姓:福田)。長野県長野市出身。明治大学文学部中退。夫はミュージシャン・俳優の宇崎竜童。2006年11月3日紫綬褒章受賞」。

「作詞家としてのキャリアスタートは、グループサウンズのジュリーとバロンのデビューシングルに収められていた『ブルー・ロンサム・ドリーム』(作曲は宇崎竜童)。そして宇崎竜童が率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドに書いた『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』は、1975年の大ヒット曲になった」。

「その後、多くは宇崎が作曲し阿木が作詞するというコンビで、多数のヒット曲を世に出す。特に山口百恵の全盛期から引退までのヒット曲の多くは、このコンビによるものである。また、女優としてドラマや映画にも出演。出演作は多くはないが、大胆な濡れ場も演じて熟れた肉体を披露。台詞は棒読みのようにも聞こえるものの、独特のスローなテンポと相まって大人の女性を演じて見せた。また作家としても多数の著書があるなど、多才ぶりを発揮」。(ウィキペディア)

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<恋のメキシカン・ロック>
http://youtube.com/watch?v=MVQps3urdbQ&feature=related

「銀座カンカン娘」(作曲:服部良一、歌:高峰秀子、1949年4月)
「夜来香」(作曲:黎 錦光、山口淑子(李香蘭)、1950年1月)
「有楽町で逢いましょう」(作曲:吉田正、歌:フランク永井、1957年11月)
「東京ナイト・クラブ」(作曲:吉田正、歌:フランク永井、松尾和子、1959年7月)
「グッド・ナイト」(作曲:吉田正、歌:松尾和子、和田弘とマヒナスターズ、1959年10月)
「潮来笠」(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1960年8月)
「いつでも夢を」(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、吉永小百合、1962年9月)
「恋をするなら」(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1964年9月)
「恋のメキシカン・ロック」(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1967年)

戦後昭和の歌謡曲が並んでいます。この曲の作詞を手がけたのが佐伯孝夫さんです。「恋のメキシカン・ロック」は橋幸夫さんにとっても珍しいリズムナンバーですが、この詞を書いた佐伯さんは当時65歳だったことを知ると、随分チャレンジャーだったんだなぁとも思います。こうした曲を書いた佐伯さんも凄いと思いますが、やはり吉田正さんの作曲能力には圧倒されます。


佐伯孝夫(さえき たかお、1902年11月22日 - 1981年3月18日)は、「日本の作詞家。本名:和泉孝夫。早稲田大学仏文科卒業。在学中西条八十に師事し、その主宰する雑誌『白孔雀』『愛誦』に詩を発表していた。1931年に国民新聞社(現在の東京新聞社)入社、1937年には東京日日新聞(現在の毎日新聞社)へと移る」。

「1939年、ビクターレコード専属作詞家となる。西條八十門下生の1人。戦前は、佐々木俊一と組み、多くを灰田勝彦や小畑実に作品を提供した。戦後は、作曲家・吉田正とコンビを組み、『有楽町で逢いましょう』、『東京ナイト・クラブ』、『潮来笠』、『いつでも夢を』、『恋のメキシカン・ロック』など数々のヒット曲を生み出した。『ちいさい秋みつけた』など作詞のサトウハチロー氏との交流も深かった。1981年3月18日、食道癌のため死去。享年80(78歳没)」。

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<沢田研二 危険なふたり>
http://www.youtube.com/watch?v=Ja4omkzhyjQ

アグネス・チャン「草原の輝き」、浅田美代子「赤い風船」、天地真理「ちいさな恋」、キャンディーズ「危い土曜日」、郷ひろみ「よろしく哀愁」、小柳ルミ子「わたしの城下町」、西城秀樹「ちぎれた愛」、ザ・タイガース「シーシーシー」、竹内まりや「不思議なピーチパイ」、中尾ミエ「片想い」辺見マリ、「経験」、ザ・ワイルドワンズ「青空のある限り」・・・・

1970年代のアイドル歌手たちの歌、あるいは「雪が降る」(S.Adamo)、「サマー・ホリデー」(B.Welch・B.Bennett)、「ヘイ・ポーラ」(R.Hildebrand)の訳詞、そして「宇宙少年ソラン」』(1965)
に至るまで、少年時代に聞いた曲の多くは安井かずみという女性作詞によって書かれていました。

その中でも、沢田研二さんの「あなただけでいい」、「あなたへの愛」、「危険なふたり」、「胸いっぱいの悲しみ」、「恋は邪魔もの」、「追憶」、そして、P・Y・G の「自由に歩いて愛して」などは、当時の私のフェイバリット・ソングでしたが、これらの曲もすべて安井かずみさんの詞でした。昭和歌謡曲の巨人・阿久悠さんとは二歳違い。彼女も激動の昭和という時代を彩った一人でした。

〜安井かずみさんが20代を過ごした1960年代。これまた伝説のレストラン、キャンティに集い「いい女学」を習い、まだまだ海外渡航が珍しかった時代にヨーロッパの上流社会の暮らしを経験し、イヴ・サンローランのオートクチュールを着こなす。サルヴァドール・ダリに街中で見初められ、認められた美意識。「新しい日本人第一期生」「世界の中の日本人」として生きた安井かずみさん。ゴージャスって彼女のためにある言葉。〜
(「ファッション・ファッション」http://blog.livedoor.jp/february_pisces/archives/50830347.html

安井かずみ(1939年1月12日-1994年3月17日)神奈川県横浜市出身の作詞家、翻訳家。本名は漢字で一美。愛称はズズ(ZUZU)。数々の有名人からも人望が厚く、信仰の厚いクリスチャンでもあった。フェリス女学院中・高等部を経て、文化学院油絵科を卒業。この頃、彫刻、生け花、茶道、ピアノも習得。絵画から音楽に進み、昭和40年に『おしゃべりな真珠』(歌・伊東ゆかり)でレコード大賞作詞賞を受賞した」。

「作品は約4千曲にのぼる。歌謡曲ヒットナンバーを手掛けた作詞家の一人でもあり、エッセイストやモデルなど幅広く活動した。昭和42年、ローマで結婚。翌年、ニューヨークで離婚と華やか。西欧、東欧、アメリカやアフリカのサファリなど世界各地も旅した。昭和52年に、作曲家の加藤和彦氏(元・サディスティック・ミカ・バンド)と結婚。1994年、肺ガンの為、死去。享年55」。

ガイドライン違反のため、Yahoo! JAPANによって記事が削除されました。

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