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作詞家/LYRICS

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安西マリア・エミー・ジャクソン「涙の太陽」、アン・ルイス「あゝ無情」、「六本木心中」、稲垣潤一「雨のリグレット」、「ロング・バージョン」、小林明子「恋におちて -Fall in love-」、沢田研二「AMAPOLA(訳詞)」、ザ・タイガース「銀河旅行」、TUBE「Good-bye,Morning Star」、中島美嘉「火の鳥」(NHKのアニメ「火の鳥」のテーマソング)、中森明菜「SOLITUDE」、ポリス「ドゥ・ドゥ・ドゥ・ダ・ダ・ダ」(日本語詞)、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」、ラッツ&スター(シャネルズ)「ランナウェイ」、「ハリケーン」

この楽曲の作詞を手がけたのが湯川れい子さん。グループサウンズからアイドル、J-POPとその領域は実に幅広いものがあります。ジャズ評論家としてスタートを切りますが、日本でエルビス・プレスリーを語らせたら、この人の右に出る人はいないでしょう。実際、数年前のNHKのプレスリー特集ではMCを務められていました。

「著書『幸福へのパラダイム』(海竜社)は、現在で15版目に入るベストセラーとなり、第10回日本文芸大賞ノンフィクション賞を得ている。音楽を愛し、人を愛し、家族を愛し、好きなことに素直に情熱を傾けるそのさまは、最も自然体で、現在活躍する女性の先駆者的存在として高い支持を得ている。近年は、ボランティア運動に多くの時間を割き、環境問題を考えグローバルに行動する自身の『レインボウ・ネットワーク』を組織。永久会員には、シャーリー・マクレーン、オノ・ヨーコ、オリビア・ニュートン・ジョンなどがいる」。

湯川れい子(1939年1月22日-)は、「音楽評論家、作詞家、翻訳家。東京都出身。ジャズ評論家として1960年にスウィング・ジャーナル誌で執筆をはじめる。その後ラジオのDJやワイドショーのコメンテーターなどでメディアに自ら出演。作詞、翻訳、ノンフィクション作家など活躍の場を広げる」。

「日本作詞家協会副会長、日本音楽著作権協会理事、日本大衆音楽文化協会理事も務める。また、環境問題や反戦平和運動などボランティア活動も積極的にしている。このため、社会民主党から東京都知事選挙への出馬を要請されたことがあるが、辞退をしている」。

「1965年、エミー・ジャクソンの歌った『涙の太陽』を作詞。この曲は当時日本コロムビアの洋楽レーベルであったCBSから発売され、湯川れい子もR. Hot Rivers名義で英語で作詞した(同時期に青山ミチのヴァージョンのために日本語詞も書いており、その日本語詞がのちに安西マリアに歌われることになる)。その後、安西マリア、サンディー、田中美奈子、メロン記念日などがカバーした」。

「日本経済新聞や東京新聞のコラムで「立ち読みは『盗み読み』という立派な犯罪」という持論を展開し批判を受けている。 エルビス・プレスリーの熱烈なファンであり、数多くのライナーノーツを書いている。また、日本におけるプレスリーのファンクラブ会長を長く務めていた。エイトスター・ダイヤモンド代表の田村氏は元夫」。(ウィキペディア)

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〜「花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる途?」 空前の大ヒットとなった映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」も、「貴様と俺とは同期の桜 おなじ兵学校の庭に咲く」と歌った「同期の桜」も、「若くあかるい歌声に なだれは消える花も咲く」と合唱した「青い山脈」も、そして「東京音頭」も「この世の花」も「王将」も、みんな西條八十のつくった歌だった。〜(「WEDGE」より)

昨日、テレビでグリム兄弟の童話「シンデララ」の話を解説していました。私たちが知っているのはフランスの詩人、シャルル・ペロー(1628-1703)が書いた作品ですが、それからおよそ150年後に生まれたドイツのグリム兄弟編集によるものです。原作とは違いかなり残酷な記述が多いようです。日本の童話も基本的には、今の子供にはキツめの内容が少なくありません。それは、当時の作家たちが当時の子供たちに同じ目線で伝えたかったことなのではなかったかと思います。

「西条八十は、北原白秋、野口雨情と並び称される童謡詩人としても知られている。日本のわらべうたを基調にした白秋、素朴な民謡の調子を生かした雨情に対して、八十の童謡が際立っているのは、これまでにない豊かなファンタジーであった」。

「子どものための詩を作るにあたって、八十は『…ぼくは考えた。芸術品である以上、そこには作者の真の感動がこもっていなければならない。そうしてその詩の姿は子供にもわかり悦ばれるものでなければならない。ぼくは二重に裏うちされた絵を考えた。フランスの象徴詩の手法を想った』と、『赤い鳥』に書くことを鈴木三重吉から依頼された当時を回想している」。

「『コドモノクニ』の第1作となった「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?/ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、/谷底へ落としたあの麦稈帽子ですよ。」で始まる「ぼくの帽子」は、不思議な感慨を誘う、自由韻律の当時としてはまったく新しい詩であった」。

「詩としては、今日でも古さを感じさせることがないが、やはり藤田圭雄がいうように、小学校入学前後の幼い子どもを対象にした絵雑誌『コドモノクニ』の作品としては「如何にも場ちがい」である。とはいえ、対象の子どもの年齢よりも、絵も詩も作者の表現への意欲を生かす姿勢が『コドモノクニ』の特性であったともいえる。そのために『コドモノクニ』の存在意義を高める作品も生れたのであろう」。

「その第 2作が『かなりや』であった。確かに八十の詩は、イメージが鮮烈で、表現にも従来のこどものための詩や童謡にない象徴性がある。しかし、こどもにとって親しみやすいかというと、問題が残るであろう。西条八十のよく知られた作品には『鞠と殿さま』(中山晋平曲)『おみやげ三つ』(中山晋平曲)などがある。パリ留学から帰国してからは、『フランスの子供あそび』を紹介したり、『ハガキとネコ』のようなお話を書いたりもしている」。(「コドモノクニ」より)

西條八十(さいじょう やそ、西条八十とも、男性、1892年(明治25年)1月15日 - 1970年(昭和45年)8月12日)は、「日本の詩人、仏文学者である。 漢字表記は旧字体の“西條”が正しいが、現在では、常用漢字による“西条”も多く見られる。親戚に外交官石井菊次郎がいる。長男西条八束は陸水学者。長女三井ふたばこ(西條嫩子)は詩人」。

「東京都出身。1898年(明治31年)、桜井尋常小学校に入学。松井喜一校長に影響を受ける。旧制早稲田中学(現早稲田中学校・高等学校)在学中に吉江喬松と出会い生涯の師と仰ぐ。吉江に箱根の修学旅行で文学で身を立てたいと打ち明け、激励を受ける。中学時代に英国人女性から英語を学んだ。正則英語学校(現在の正則学園高等学校)にも通い、早稲田大学文学部英文科卒業」。

「早稲田大学在学中に日夏耿之介らと同人誌『聖盃』(のち『仮面』と改題)を刊行。三木露風の『未来』にも同人として参加し、1919年(大正8年)に自費出版した第一詩集『砂金』で象徴詩人としての地位を確立した。後にフランスへ留学しソルボンヌ大学でポール・ヴァレリーらと交遊、帰国後早大仏文学科教授。戦後は日本音楽著作権協会会長を務めた。1962年、日本芸術院会員」。

「象徴詩の詩人としてだけではなく、歌謡曲の作詞家としても活躍し、佐藤千夜子が歌ったモダン東京の戯画ともいうべき『東京行進曲』、戦後の民主化の息吹を伝え藤山一郎の躍動感溢れる歌声でヒットした『青い山脈』、中国の異国情緒豊かな美しいメロディー『蘇州夜曲』、古賀政男の故郷風景ともいえる『誰か故郷を想わざる』『ゲイシャ・ワルツ』、村田英雄の男の演歌、船村メロディーの傑作『王将』等無数のヒットを放った。また、児童文芸誌『赤い鳥』などに多くの童謡を発表し、北原白秋と並んで大正期を代表する童謡詩人と称された。薄幸の童謡詩人・金子みすゞを最初に見出した人でもある」。(ウィキペディア)


「人間の証明」のテーマ曲は西條八十の詞を、角川春樹さんが英訳したものを元にジョー山中さんが作詞した英訳したものに大野雄二さんが曲をつけています。YOUTUBEでジョー山中さん、ピアノがミッキー吉野さん、ギターにCHARという凄いライブの映像を見つけました。
「Joe Yamanaka - Proof Of The Man (人間の証明)」
http://jp.youtube.com/watch?v=yUk6UePKyTA

「帽子」詩・西條八十

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうねえ?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ

母さん、あれは好きな帽子でしたよ
僕はあのときずいぶんくやしかった
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね
紺の脚絆 に手甲をした
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね
けれど、とうとう駄目だった
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでしょうね、そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と
その裏に僕が書いたY・S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく

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1986年2月21日の「オリエンタル・ローズ」から2005年9月28日の「Field of Lights」までの杏里さんのシングル28曲中、18曲までの作詞を手がけてきたのが吉元由美さんです。今では作詞以上に小説やエッセイ作品も数多く書かれているようです。

長編を執筆中の吉元さんに、時間を気にせず、ゆっくりとイメージを練って書いていく小説と違って、瞬発力と集中力、凝縮された濃密な時間や空間を描き出そうとしている詞の中から生み出される様々な作品、そのイメージの基盤となっている部分についてインタビューしている記事がありました。(2001年にインタビューされたものだと思われます)

「あえて言うとすれば、自分に誠実に生きることかな。そういった気持ちの中から見えてくるもの、見たくないもの、でも見たくないということも承知していなければいけない、いずれそれを解き明かさなければいけない。すべてを経験するということではなく、自分と向き合っているなかで生まれてくるもの。私の場合、それが作品となっていると思います」。

「それは『強くあるべき』と置き換えてもいいのかな。『強い』というのはパワフルだということではなく、人のことをしっかり受け入れて、受け止め、調和しながら生きていくこと。忍耐も強くなければできないし、自分のやりたいようにだけ生きていたら、それは周りの人を傷つけて迷惑をかけて生きていくことになる。それは『弱い』人間なんだと思う。強いということは優しいということ、そして優しい強さを持つことが自分に誠実ということなんじゃないかな」。

映画と違って、楽曲はせいぜい3〜5分間という短いドラマで完結させる世界です。そこには当然凝縮化が必要です。あるいは抽象化と言ってもいいのかもしれません。その短い楽曲によって、希望を見出す人、勇気を奮い立たせる人、癒される人がいます。楽曲のパワーは計り知れません。吉元さんがおよそ20年間にわたって杏里さんというヴォーカリストを通じてどんなメッセージを送ってきたのか、その作業を吉元さん自身が掘り返した結果生まれた本があります。

吉元さんのブログ、「これが私のyumilanistyle」(http://warp.typepad.jp/yumi/)に先日発売された「恋するコトバ」という本に関する記事が掲載されていました。

「今日(10/1)、三笠書房より『恋するコトバ』が出版されました。この本は、これまでの歌の作品の中から何十曲か選び、そのメッセージについて書いたものです。よくご存知の歌もあれば、きっとこんな歌があったんだ、というものもあるでしょう。なにしろ私は『アバレンジャー』から『JUPITER』まで書いているので、いろいろあるのです」。

「この本を書くためにまず取りかかったのは、歌詞を集めて、歌詞カードからコピーすること。もちろんこの作業はマネージャーがしてくれたのですが、目の前にドンと置かれたコピーを見て驚きました。その厚さは、8センチくらい。それでも取りこぼした歌がまだありました。その数が多いのか少ないのかわからないのですが、デビューして23年という年月を感じた一瞬でした」。

「どの曲のどのフレーズを取り上げるか。ピックアップするためにすべての作品に目を通して。もちろん忘れている作品もあるし、書いた頃のことを思い出せるものもあるし。想い出を辿るような、そんな時間を持ちました」。

「思わぬところで、思わぬ出会いがあります。こんなところで偶然に会うものかしら、と思うような瞬間。そうそう、昨日も作詞講座の生徒さんと、とある講演会の会場で会いました。エジプト・ツアーでも、十数年ぶりに友達と再会。このブログにときどきコメントを下さる方と,コンサート会場で偶然行き会ったこともありました」。

「すごいのは、ロンドンのケンゾーの試着室の前で順番を待っていたら、中から友達が出て来た時のことです。こんなふうに人と人いうのはどこかでつながりながら、出会うべくして出会っていく。つながりを求めればつながっていく。私は自分の作品を通して、多くの人とつながっていけたらいいな、といつも思っています」。

「またその作品がきっかけとなって、外に向かってどんどん出会いがつながっていく。想像するだけで素敵でしょ。こんなことを考えていると、わくわくしてまた『よしっ!』とガッツが湧くのです。『恋するコトバ』が、多くの人たちの心を潤しますように」。

吉元由美さんは「作詞家、小説家、エッセイスト。1960年2月8日東京生まれ。成城大学英文科卒業。既婚。娘が1人いる。大学卒業後、広告代理店勤務を経て、1984年6月の作詞家としてデビューした。これまでに杏里、山本達彦、中山美穂ら数多くのアーティストに詞を提供した。2004年に発売された平原綾香のデビュー曲『Jupiter』で知名度を上げた。

「91年10月には作家としての処女作『さよなら』を刊行し、近年は小説家、エッセイストとして活躍している。また、短編集『いつもなら泣かないのに』に収録された『雨よりせつなく』が原作として映画化された。2001年6月にスピリチュアルなハワイをみつめたエッセイ『楽園への扉』(TOKYO FM出版)が発売」。(ウィキペディア他)

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