「a song for you」の可能性を求めて

大切な誰かのために、自分の思いを音楽にしてプレゼント

AOR

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先程、FMからこの曲が流れてきました。懐かしい曲ですが、毎年何かのタイミングでこうやって流れている曲です。私もかつてカセットテープでアルバムを持っていてよく聞いていましたが、いまだかつてマイケル・フランクスと言えば、この曲しか思い浮かびません。いい加減です。

さて、この「アントニオの唄」はどんなことを唄っていたのかと突然思い立ち、ネットで検索すると、蝋燭屋『あだん』店主マーカナさんのブロク(http://adan5.blog10.fc2.com/)にありました。但し、HELEN MERRILLの「CASA FORTE」に収録されている曲を訳してあるようで、女性の語り口になっていますが、そのまま引用させていただきます。ところで、アントニオとは誰なんでしょう?

アントニオは自由を生き
アントニオは真実に祈り
アントニオは 私達の友情が100%本物だという
リオの空を旋回するハゲタカは
このニューヨークの空で首をつり
インディアンに与えられた毛布は
ただ 彼らを死に追いやっただけ

*唄っておくれ
 長いこと忘れられていた唄を
 音楽を流しておくれ
 光が虹に流れ込むように

 私達にはダンスがあるわ
 それに チャンスは半分残ってる
 この鎖を破って生きる
 光が虹に流れ込むように


マイケル・フランクス(1944年9月18日生まれ)は、「カリフォルニア州、ラ・ホヤ出身。もともと文学やアートに興味があった彼は、一時期オレゴン大学で教鞭をとったりもしていたが、音楽の道が忘れられず、1973年Burtレーベルから発表された「MICHAEL FLANKS」でアーティスト活動を開始」。

「1976年のメジャー・デビュー・アルバム『アート・オブ・ティー』(Warner:トミー・リピューマ・プロデュース、ニック・デカロ・アレンジ。デ ヴィッド・サンボーン、マイケル・ブレッカー他が参加)が大きな話題となり、新世代のシンガー・ソングライターとして、その地位を確立する』。

「ポップスの中に、ジャズやブラジリアン・ミュージックの要素をセンス良く盛り込んだスタイルで人気を博し、1977年の『スリーピング・ジプシー』(トミー・リピューマ・プロデュース、クラウス・オガーマン・アレンジ。クルセイダーズ、デヴィッド・サンボーン他参加)は、名曲『ANTONIO'S SONG』、『THE LADY WANTS TO KNOW』など含む、AORの大名盤としてのみならず、1970年代の洋楽シーンを代表するアルバムとして世界的に大ヒット」。

「続いて『タイガー・イン・ ザ・レイン』(79)、『パッション・フルーツ』(83)、『ドラゴンフライ・サマー』(93)、そして敬愛するアントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた『アバンダント・ガーデン』(95年ジョー・サンプル、ジャヴァン他参加)、『ベアフット・オン・ザ・ビーチ』(99)、『ウォッチング・ザ・スノー』(03)等、質の高い名作アルバムを数々リリース、音楽シーンにおけるその地位を世界的に不動のものとする」。

「メジャー・デビュー30年目となる節目の年、2006年に発表される最新作、『ランデヴー・イン・リオ』は、まさにマイケル・フランクスの新たなる代表作と呼ぶにふさわしい、充実の内容。名盤『スリーピング・ジプシー』に収録された代表曲『アントニオの唄』の初となるセルフ・カバー・バージョンを始め、プロデューサー陣にはジェフ・ローバー、チャック・ローヴ、ジミー・ハスリップらを迎え、あのロビー・デュプリーとのデュエット曲から、友人の故ラン ディ・ヴァンオーマーに捧げた曲、日本人アーティスト、Tokuに提供した曲など話題も満載」。(公式サイトhttp://columbia.jp/artist-info/michael/interview.html

どうも私のアンテナは古びていて、こういう情報をだいたい一年遅れくらいでキャッチするようです。

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日本では「AOR」(Adult Oriented Rock=大人向けロック)、本場アメリカでは「AC」(アダルト・コンテンポラリー)(Adult Contemporary)の曲の数々は、この季節になるとやはり聴きたくなるジャンルの一つですね。とりわけその筆頭のミュージシャンといえば、ボビー・コールドウェル。実はお恥ずかしい話、彼の顔をはじめて知ったばかりではなく、今日まで彼は黒人だと思っていました。

まずは彼のサイト(http://www.bobbycaldwell.com/)をクリックすると、「風のシルエット」が流れてきます。日本語ページには「ハート・オブ・マイン」もフルコーラスで聞くことができます。この日本語ページが用意されているという背景には、後述にあるように、1980年代後半に日本で非常に彼の曲が受け入れられたことへの彼なりのお礼が込められているのだと思います。

ボビー・コールドウェル(Bobby Caldwell、1951年8月15日-)は、「アメリカのミュージシャン。1970年代から1980年代にかけて流行したAORサウンドを代表するシンガーの一人。ニューヨーク・マンハッタン生まれ。1978年のデビュー曲『風のシルエット(What You Won't Do for Love)』がヒットし、当時流行していたAORの新星として脚光を浴びる」。

「洗練された音の世界を持ちつつも、多くの初期AORシンガーのようにボーカルスタイルはR&B色が濃く、ブルー・アイド・ソウルの歌手として分類されることもある。また作曲家としてボズ・スキャッグスに『ハート・オブ・マイン(Heart of Mine)』、ピーター・セテラに『ネクスト・タイム(Next Time)』、『ステイ・ウィズ・ミー(Stay with me)』などのヒット曲を提供(いずれも後にセルフカバー)している」。

「1980年代以降はアメリカでは振るわずも、日本では非常に人気が高く、AOR界ではボズ・スキャッグスと並び立つ存在。1990年代にオンエアされたニューヨークの夜景をバックに『Stay with me』『Heart of Mine』『Come to me』が流れる『パーラメント (タバコ)』のCMは、彼のイメージを象徴する一作でもある。現在も毎年秋になると必ずといっていいほど来日し、『秋のベンチャーズ』とも呼ばれることがある」。(ウィキペディア)

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さきほどFMから流れてきた曲です。ふと1981年4月に私が就職のため上京した当時のことを思い出しました。今もそうですが、当時の東京は見るもの全てが圧倒的で輝いて見えました。この前年に東京の若者を描いた象徴的な小説、元長野県知事・田中康夫さんの「なんとなくクリスタル」(文藝賞受賞作)が出版され、ポストモダン文学の最初の作品として注目されました。

消費生活を享受する女子大学生の日常を描きながら、文中に登場する香水、ミュージシャン、レストランについて書かれた膨大で詳細な注釈は斬新なものでした。翌年、私が上京した年には映画にもなりました。主演は現宮崎県知事の東国原英夫さんの元妻・かとうかず子さんでした。なんだか不思議なご縁ですね。かとうさんが関係した男性は知事になる。

当時、六本木をよく飲み歩きましたが、パブでよくかかっていた音楽は、まさに「なんとなくクリスタル」のサントラに収録されていた、「Paul Davis」「TOTO」「Boz Scaggs」「Billy Joel」「Chicago」「Eagles」などの曲でした。それと時を同じくして流行ったのがこのグローヴァー・ワシントン・ジュニアの「Just The Two Of Us」でした。まさにこの曲は、私にとって都会の象徴でした。

「Just the Two of Us」の邦題は「クリスタルの恋人達」というんだそうですが、まさに「なんとなくリスタル」のもじりでつけちゃったってタイトルですね。映画のサントラは廃盤になっているようで今は気ことができません。音楽はCBSソニー企画制作8部が担当していたようですが、SONYのサイトにはアーカイブがなく、残念です。

グローヴァー・ワシントン・ジュニア(Grover Washington, Jr. 1943年12月12日–1999年12月17日)は「ジャズ・フュージョン界を代表するサックス奏者で、スムーズ・ジャズの父としても知られている。ニューヨーク州バッファロー出身。フュージョン界の中でクワイエット・ストームを推進させ、スムーズ・ジャズの礎を作った人物として知られる」。

「『Just The Two Of Us』(邦題:クリスタルの恋人たち)が大ヒットし、グラミー賞ベストR&Bソング賞を受賞する。尚この曲のヴォーカルはビル・ウィザース」。(ウィキペディア、以下詳細は本ブログ昨年8/17付の記事「スムーズ・ジャズの名曲「『Just Two Of Us』」に記述済み)。

と、ここまで書いて、えっ、と呟いてしまいました。歌っていたのはビル・ウィザース?よく考えればグローヴァー・ワシントン・ジュニアはサックス奏者。当時は誰の曲か程度の興味しかなく、これまで20数年もヴォーカリストを知らずにやり過ごしてきたわけですね。知らぬは一時の恥、ということでビル・ウィザースのことについても触れておきます。

ビル・ウィザース(Bill Withers, 1938年7月4日-)は「アメリカウェストバージニア州出身のシンガーソングライター/歌手。1960年代末から'80年代中期頃に活動。13歳の時に父を亡くす。17歳の時にアメリカ海軍へ加入。1967年にロサンジェルスに移るまでの9年間在籍。ロサンジェルスにいる間はフォード・モーターで働く」。

1971年にSussex Recordsより『Ain't No Sunshine』(邦題:消えゆく太陽, Just As I Am収録)で音楽シーンにデビューし、全米チャート最高位3位を記録。以後も『Lean on Me』、『Use Me』、『Lovely Day』、『Grandmother's Hands』等のヒット曲を出す。グローヴァー・ワシントン・ジュニアの『Just the Two of Us』にフィーチュアされ、AORの人気作となる。1985年発表のWatching You, Watching Meを最後にアルバムを発表していない。また彼は吃り(吃音症)を持っており、『深刻な問題だった』という」。(同上)


<Grover Washington Jr. - Just The Two Of Us>
http://www.youtube.com/watch?v=EapcVSB7U4U&feature=related


<Grover Washington Jr. - Just The Two of Us>
http://www.youtube.com/watch?v=IqX7WX6jFdw&feature=related

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1976年の「ウィ・アー・オール・アローン」、地元の馴染みのライブ・ハウスのマスターが歌ってくれます。これがまたいいんですね。バックは打ち込みのオリジナルコピー版ですが、後半からのリードギターはマスターによる完全コピーで、完璧です。

この曲が収録されているボズ・スキャッグスのアルバムが「シルク・ディグリーズ」ですが、このアルバム制作時に集められたメンバーが母体になってTOTOが結成されたのだとは今日まで知りませんでした。ということは、この曲のバックではTOTOのメンバーが演奏していると考えてもいいのでしょうね。ボズも今日で63歳。いつか彼のライブで「ウィ・アー・オール・アローン」を聴いてみたいものです。

ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs, 本名:William Royce Scaggs, 1944年6月8日 - )は「アメリカのミュージシャン。1970年代後半から1980年代にかけて流行したAORサウンドを代表するシンガーである。オハイオ州生まれ。少年時代をテキサス州で過ごす。12歳のときにギターを始め、セント・マークス・スクールでスティーヴ・ミラーと出会う。彼にギターを習いながらヴォーカリストとしてバンド活動を始めた。二人は共にウィスコンシン大学に進み、大学時代もブルース・バンドを組んだ」。

「1960年代前半、白人によるリズム&ブルースが盛んだったイギリスのロンドンへ渡る。いくつかのバンドでプレイした後、ソロとしてヨーロッパを遠征中スウェーデンのポリドール・レコードの目にとまり、1965年にデビュー作『ボズ』を発表する。帰国後、サンフランシスコを拠点に活動し、スティーヴ・ミラー・バンドのファーストアルバムに参加。これで好評を得たボズは1969年にアトランティック・レコードからアメリカでのデビュー果たすが、しばらくはセールスに恵まれなかった」。

「R&B色が濃い泥臭い音楽を続けていたボズだが、1976年、ファンキーでクロスオーバー的な洗練されたサウンドの『シルク・ディグリーズ』を発表。これが全米2位を記録し、500万枚以上を売り上げた。アルバムからも『ロウ・ダウン』(全米第3位)、AORのスタンダード曲『ウィ・アー・オール・アローン』の大ヒットを放つ(このアルバムに参加したセッションミュージシャンたちは後にTOTOを結成)。次作の
『ダウン・トゥ・ゼン・レフト』、『ミドル・マン』も続いてヒットした」。

「その後、ヒットチャートからはしばらく遠ざかっていたが、1988年の『アザー・ロード』でカムバックを果たし、健在ぶりを見せつけた。ボズのヒットをきっかけに大人向けの洗練された音楽が流行し、AORというひとつのジャンルを形成するに至る。なお、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)は日本独自の呼び方で、アメリカではMOR(ミドル・オブ・ザ・ロード)、AC(アダルト・コンテンポラリー)などと呼ばれる」。(ウィキペディア)

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「カリフォルニアの青い空を彷彿させる洗練されたメロディが見事に作品を彩っている。そして、ひたすら甘く、また高音の響きが特に素晴らしい張りと伸びの効いた歌声で、クリストファー・クロスは終始軽やかに歌い上げている。余談だが、ヴァン・ヘイレン『ジャンプ』がクロスの『オール・ライト』をパクッたものであることは有名な話」。(goo音楽)

まさにこのコピー通りのミュージシャンです。あれはいつの頃だったか忘れましたが、クリストファー・クロスのコンサートに行ったことがあります。構成が実にシンプルでアメリカのお兄ちゃん達が着の身着のままで淡々と演奏していた感じでした。私は「風たちぬ(Ride Like The Wind)」という曲が好きで、イントロのギターをよく練習したものでした。

クリストファー・クロス(Christopher Geppert Cross、1951年5月3日 - )は、「アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ生まれの歌手。トレードマークはフラミンゴ。1979年、アルバム『Christopher Cross』(邦題『南から来た男』)でデビュー。天使のようなハイトーンボイスで一躍AORを代表する歌手となる。同アルバムとシングル『Sailing』は1980年のグラミー賞の5部門を独占」。

「翌年には映画『Mr.Arthur』の主題歌『Arthur's Theme』(邦題は『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』)でアカデミー賞の主題歌賞を受賞。この曲はバート・バカラックが作曲に参加したことで有名であり,日本でも馴染みの深いナンバーである。 幼少期に父親の仕事の関係で日本(東京代々木に)住んでいたことがある」。(ウィキペディア)

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