「a song for you」の可能性を求めて

大切な誰かのために、自分の思いを音楽にしてプレゼント

小説と音楽

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〜愛する人が死を前にした時、いったい何ができるのだろう。末期癌に冒された恋人と向かったニースでの日々。喪失の悲しさと優しさの限りない力を描き出す、慟哭の恋愛小説。〜(出版社 / 著者からの内容紹介)
 
私にとって大崎さんの作品は、「九月の四分の一」(2003)「ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶」(2005年)、「ディスカスの飼い方」(2009年)に続く四作目になります。小説家としては2001年の「パイロットフィッシュ」がデビューですから、本作は二作目の小説に位置します。
 
 
〜人間の身体の中でいえば土踏まずのような人だな、というのが僕がはじめて葉子を見た時の感想だった。直感的にそう思っただけで、それを理論的に説明することは難しい。
 
彼女が持っている、あるいは強く意識している世界との距離感のようなものが、僕にそういう直感をもたらしたのかもしれない。足の裏で地べたを踏みしめたとしても、必ずそこだけは地面と少し隙間があって決して汚れることのないだろう場所、それが僕の葉子に抱いた第一印象だった。〜(本作より)

 

 
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大崎さんの作品に欠かせないのが1960年〜70年代を中心にしたロック。それは、ロックそのものをモチーフにし、作品の原風景を彩っています。本作ではキース・ジャレット、スティング、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾン、エルトン・ジョンと1970年〜80年代の曲が選らばれています。ここではそれらのライブ映像を添付しておきます。
 
Keith Jarrett Trio - Estival Jazz 1986 - #3

 
Sting-Bring on the night(live at Seagaia in Japan)(1986)
 
Led Zeppelin - Whole Lotta Love - Knebworth – 1979
 
King Crimson Epitaph LIVE
 
Elton John - Your Song (live)
 
 
(関連記事)
<ロックとポップスが流れる珠玉のラブストーリー「九月の四分の一」(大崎善生著/新潮文庫)>

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この本に収録されている、「報わざるエリシオのために」、「ケンジントンに捧げる花束」、「悲しくて翼もなくて」、「九月の四分の一」という四つの作品にはそれぞれテーマ曲が設定されています。「四十代の読者には懐かしさで胸が締め付けられるだろう。ロックとポップスの王道から、少しだけはずれたところで、佳曲を選んでいる。二十代の人は、小説を読みながら、ぜひこれらの曲をきいてみてもらいたい」(石田衣良「解説」より)


「報わざるエリシオのために」・・・・ビートルズ「イフ・アイ・フェル」
チェスの世界に耽溺する「僕」山本、高校来の同級生・武井亮一、同年齢で大学の一年先輩・中山頼子、彫刻美術館のブロンズ像、その作家でノルウェイの彫刻家ヤン・ウルフセンが登場します。

「おそらくはこの世の中は理由のあるものとないものとで溢れている。結論のあるものとないものに埋め尽くされている・・・」そして「意味のない作業を続けることこそが、実は生きることの本当の意味を知ることになる・・・」、「まったく無意味に見えるものは、存在することによって無意味なものなどないということを主張する・・・」


「ケンジントンに捧げる花束」・・・・ローリング・ストーンズ「ルビー・チューズデイ」
冥王星を巡るストーリー。「将棋ファン」の編集長を退職した42歳の「僕」、8年間交際している34歳の美奈子、1929年にイギリスに留学している間スパイ容疑をかけられ、そのまま帰化した吉田宗八、その妻でイギリス人ジェーン・ブラックストック。将棋を通して遠い日本を愛し続けた男が主人公に声なく語りかける思いに主人公は忘れていたものを発見します。

「悲しくて翼もなくて」・・・・レッド・ツェッペリン「ロックン・ロール」
登場人物は、月刊誌編集者・松崎43歳、同級生でバンド仲間の石田、不治の病を抱える高校時代の二年後輩・沢木真美。

松崎はツッペリンの「ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム」という曲の意味を履き違えていたということに気づくことで、二十年従事してきた仕事の振り返り、一端のけじめをつけるために故郷の北海道の思い出の場所に向かいます。

「歌とは何なのか?生きるとは何なのか?そして私たちはどこに向かって転がっていけばいいのか?誰がそれを知っているというのか。生きるとは何か、死ぬとは何か。私たちは何に向かって転がり続けているのか?・・・・それはこの自問に対する答えを探す旅でした。

<Led Zeppelin - Rock 'n' Roll - Earls Court 1975>
http://www.youtube.com/watch?v=FPczhhroQN0&feature=related

<The Song Remains the Same - Led Zeppelin>
http://www.youtube.com/watch?v=CcYZlRWWxO0


「九月の四分の一」・・・・アバ「ダンシング・クイーン」
登場人物は、小説家・僕、村川健二40歳、13年前に旅先で知り合い6日間をともに過ごした同年齢の高木奈緒、唯一のフランス人の友人・ジョエル35歳。

ある日雑誌で偶然見かけたブリュッセルのグランプラス広場の写真に惹かれ、自分の心の中にポッカリと空いた空間が必要なのではないか、それが挫折感の逃げ場所であるかもしれないが、そのような空間を求めてブリュッセルに旅立つ。一方の奈緒は絵の評論家を目指すために大学の研究室を辞め、本場の絵を見る目的で訪れたオランダ、ベルギー、フランスをルートに取った一人旅の中間地点がブリュッセルでした。

アバの「ダンシング・クイーン」は、スウェーデン王妃の結婚パーティーで始めて演奏され、この曲をバックに王妃が踊ったことから、フランスでは「すべての恋人たちの歌」ということになっているそうです。

まだ読んでいない方にはお勧めの一冊です。

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今、チャールズ・ディケンズ(英1812-1870)の、1780年前後の英、仏を舞台にした「二都物語」(1859年)という小説を読んでいます。BOOK-OFFで、たまには外国の古典的な小説でも読んでおくかな、という単純な思いで目に付いたこの本を手に取りました。なんでディケンズを選んだのかといえば、それは彼が「クリスマス・キャロル」という小説の作者であったことを頭の片隅で知っていたからです。(読んだことはありませんが・・・)

私にとって「クリスマス・キャロル」といえば、やはり稲垣潤一さんの1992年の「クリスマス・キャロルの頃には」(http://jp.youtube.com/watch?v=JUe7T2DE54Y)の曲が真っ先に思い浮かびます。とは言え、「クリスマス・キャロルが流れる頃には・・・・」とまでは出てきますが、どんな詞の内容だったか、これまで知らずにいたことに気づきました。あらためて確認してみると、作詞があの秋元康さん。作曲は三井誠さんという聞き馴染みのない方でしたが、1975年「僕にまかせてください」がヒットした元クラフトのメンバーでした。

この「クリスマス・キャロル」について、実は今日まで正しい意味を知りませんでした。この曲に出てくる「クリスマス・キャロル」はディケンズの小説のことだと漠然と思っていましたが、少し考えればそれだと意味が通らないことは分かるはずですが、そんなことを気にしないのが私のズボラな性格をよく示しています。

奇しくも、ディケンズの「クリスマス・キャロル」(A Christmas Carol)が「クリスマス・ブックス」の第1作として出版されたのが1843年の12月17日、164前の今日でした。内容はご存知の方も多いと思いますが、「吝嗇(りんしょく)家のスクルージがクリスマス・イヴに超自然的な体験をし、それがもとで改悛する」というもの。挿絵画家ジョン・リーチ(John Leech)による彩色挿絵入り。

この作品が「クリスマス・キャロル」という題名となっているのは、「キリスト教的博愛・アガペーの人間愛と無縁であったスクルージが、精霊との関わりで得た経験によって人間愛に目覚め、愛の象徴としてのクリスマスに絶大な意味を見出したが故に、クリスマスを祝う歌としてのクリスマス・キャロルが作品の題名になっている」と考えられるそうです。またそれは、「スクルージが世の人々のため、更に自分自身のために、クリスマスの意味を称揚して祝いうたう歌という意味」とも。

このクリスマス・キャロルは「キャロル」(祝歌・讃歌)の一種で、キリストの誕生を祝ってうたわれる「キャロル」である、とあります。キャロル(英語:Carol)は元来は、「踊りのための民謡であったが、宗教的な礼拝の中で歌われて、現在では通常、祝歌、頌歌(しょうか)と訳される賛美歌の一種と考えられている」。

「今日、キャロルの語はクリスマス・キャロルに代表されている。イースター・キャロルという言い方は、より狭い範囲で使われている。キャロルの語源は、フランス語の単語Caroller(歌で伴奏されたサークルダンス)に、さらにはラテン語のChoraulaに由来すると考えられている」。

「キャロルは、1150年代から1350年代までのダンスソングとして非常にポピュラーであった。それが後に、祭りの時に歌われた行列聖歌として、その使用が拡大した。またその一方で、宗教的な神秘劇(1591年に書かれたコヴェントリー・キャロルのような)の伴奏音楽として書かれた」。

「プロテスタントの宗教改革の間に宗教的な祭りが禁止された後で、キャロルを書くことがついに17世紀遅くに再開した時に、非宗教的なキャロルにしばしば新しいキリスト教的な歌詞を与えられた。新しいキャロルは教会でよりも酒場でより頻繁に歌われていた賛美歌と通常似ていた。

「キリスト教文化圏において、クリスマス・イヴの夜に人々が歌う『キャロル(歌)』で、『クリスマス聖歌』ともいうような意味である。キリスト教の救世主キリストの誕生を祝い、誕生にまつわる様々な場面や逸話を歌詞にしたうたをいう」。

「代表的には、『聖しこの夜(Stille Nacht)』、『荒野の果てに(Les Anges dans nos Campagnes)』、『もろびとこぞりて』などがある。クリスマス・イブの夜、教会に集まった子供たちが、街の家々を訪ねてクリスマス・キャロルをうたう慣習が欧米にはあり、これを英語では『キャロリング(Caroling)』と言う」。(ウィキペディア)

ところで、永ちゃんの「キャロル」はこの話とはどれだけ絡んでくるのだろうか、こないのか。命名したと言われるジョニー大倉さんに聞きたいところです。

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ここ数日取り上げている天童荒太さんの小説「孤独の声」からの話題。今日もこの小説の中からの話題ですが、小説中に興味深い、次のような場面があります。

コンビニでバイトしながらミュージシャンを目指す19歳の潤平が、そのコンビニで窃盗事件に遭います。彼はナイフを突きつけられ、その瞬間ほとんど何もできないで犯人を逃すことになるのですが、主人公の女性刑事・風希(ふき)が、彼が毎日詩作や浮かんだメロディを録音するために携帯しているマイクロ・カセット・レコーダーがその瞬間も録音中であったことに存在に気づきます。

この事件現場で、ある声が発せられていることを知った風希は、この声が録音されたテープを大学の研究所に鑑定に出すのです。そして、その鑑定結果を確認に行った際の場面での大学講師と風希の会話です。ここに登場する「声」の持ち主は、潤平です。大学講師は、人間の声に関する研究の内容を伝えた後で、次のように話し始めます。(尚、以降の記述は本書の核心の一つなので、これから本書を読まれる方は、その旨ご了承下さいね)

「結果として、人を嬉しくさせる声、いらつかせる声、それなりに特徴が見えてきたわけです。で、今回鑑定を依頼されたテープの、若者の声の質は、私たちの分類では、<淋しい>にあてはまったわけなんですが」

「・・・それが珍しいんですか」

「いいえ、淋しさを感じさせる声は、数は少なくても珍しいものではありません。ただこの<淋しい>にも、ふたつの種類があると、アンケートによって発見され、音の質の上でも分けられたんです。ひとつは、淋しくてつらい。或いは悲しい、やりきれない・・・。ま、これがほとんどです。残る、もうひとつ。これは本当に数が少ないんですけど・・・淋しいんだけれど慰められる、淋しいけれども励まされる。淋しいんだけれど勇気が出る・・・」

「淋しいけど、慰められる・・・・」

「何人もいないんですよ。いないんだけど、これ偶然なのかなんなのか、あとでへーって思いましたけど、ここにあてはまっている人は、とても多いんです・・・・歌手の人が」

「歌ってる声だったんですか」

「それじゃあ実験になりません。みんな普通に話している声を選んできたんですよ。たとえ外国人の声であっても。エディット・ピアフもジョン・レノンもキャロル・キング・・・」

「彼の声は、そこにあてはまるんですか」

「そう。孤独の歌声」

「孤独の歌声・・・」

「ある学生が、この分類に名づけたんですよ。歌手が多かったからだろうけど・・・。歌手の人たちも。自分のそうした声を意識して歌手の道を選んだわけではないでしょうが、人に愛されるには、やはりそれなりに声の持つ、音の秘密があるというわけでしょうか」


いわゆる「声紋」と「波動」というやつですね。声紋といえば、テレビでもよく登場される日本音響研究所の鈴木松美所長ですが、以前、美空ひばりさんや森進一さんの歌声を分析されていて、彼らがいかに見事なビブラートで歌っているかを説明されていました。また、そのとき最も性格で美しいビブラートの持ち主ということで挙げられていたのが、平井堅さんでしたね。

この内容は小説ですのでフィクションとして書かれているのか、著者の実際の取材に基づく研究結果なのかはわかりませんが、著者のことですから、おそらく事実ではないかと私は思います。最後に、本書の解説で関口苑生さんが次のように述べておられます。

「本書で描かれる孤独は、人間は最初から孤独の中におり、そこから一歩でも外に出ることはないのだという主張が窺えるのである。つまり、孤独とは絶対的な<存在>であるのだと。穿った見方かもしれないが、そのことはタイトルにも象徴されている。つまり、孤独な歌声ではなく、孤独「の」歌声なのである」。

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