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絵画と音楽

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原題: BLACK SNAKE MOAN
監督、脚本:クレイグ・ブリュワー
製作:ジョン・シングルトン
音楽:スコット・ボマー(scott bormar)
撮影:アメリア・ヴィンセント
出演:サミュエル・L・ジャクソン、クリスティーナ・リッチ、ジャスティン・ティンバーレイク、S・エパサ・マーカーソン

〜アメリカ南部の田舎町を舞台に、幼少期の性的虐待が原因でセックス依存症になってしまった少女と、妻に去られた孤独な男の心の交流を描いたヒューマンドラマ。主演は『スネーク・フライト』のサミュエル・L・ジャクソンと『モンスター』のクリスティーナ・リッチ。リッチ演じる少女の恋人役を人気歌手のジャスティン・ティンバーレイクが演じる。センセーショナルなストーリーと、さわやかな感動を呼ぶラストに注目だ。(シネマトゥデイ)〜

「田舎町に暮らす初老の黒人ラザラス(サミュエル・L・ジャクソン)は、妻が自分の弟と浮気をしたことに憤りを隠せず、孤独な日々を送っている。ある朝、彼は道端で半裸のまま血だらけで倒れていた女性レイ(クリスティーナ・リッチ)を見つける。レイは男と見れば誰とでも寝てしまうと評判のトラブルメイカーだった」。(シネマトゥデイ)

「『ブラック・スネーク』は誰の心の中にもある。だから人生はもつれ、ブルースは歌われ、血と汗と涙がそこに降りかかる。うまくいかない人生。傷ついた心。取り返すことのできない過ち。怒りと悲しみと絶望……。この映画はそれらを肯定する。なぜなら誰もが『ブルース』を歌うことができるからだ。その響きが、このどうしようもない人生を支えてくれる。たとえ何ひとつろくなことができなかったとしても、それはそれで素晴らしい人生であることを、その歌が教えてくれる。とどろく雷鳴とギターのうねりの中で、私たちはその輝ける瞬間に出会うことになるだろう」。(樋口泰人eiga.com)

この映画は、サミュエル・L・ジャクソン、クリスティーナ・リッチのそれぞれの個性が際立ち、演技では競い合い、寄り添いあい、深く心で繋がるという作品でした。サミュエル・L・ジャクソンは、この役をオファーされる前にブルースマン、フェリシア・コリンズから「君はこの先ギターを弾くことになるから教えてやるよ」と告げられギターを練習していたといいます。

役が決まってから後もケニー・ブラウン、セドリック・バーンサイドに会い、ビッグ・ジャック・ジョンソンとの競演も果たしているそうです。一つの役を演じるための役作りのハリウッド的なエピソードです。ちなみに、これらのブルースマンは一人も知りません。

この映画のタイトルは、ブルースマン、ブラインド・レモン・ジェファーソンの曲から取ったそうです。彼がどんな人だったのか、調べると次のように記されていました。

「最も有名なブルース・マスターの1人ブラインド・レモン・ジェファスン(1894–1929)は、チャールストン(ダンス形式)に染まった20年代にいくつもの名高いレース・レコード(78 rpm)をレコーディングしている。ジェファスン のテキサス・ブルースは2オクターブに渡る声域と、その低音のメロディに調和するギターのハーモニーで巧みに表現される」。

「また、曲や演奏は、つらい経験や放蕩に生きた人生が反映されているものばかり。マスメディアのなかった20年代でも彼のレコードは全米においてポピュラーであり、人種平等の意識性を高める役割も果たした。考え抜かれたアレンジ、そしてランダムでふと思いついたようなギターの即興ソロは、後世のブルース・ミュージシャン達に大きな影響を及ぼしている」。(goo音楽)

「ブラック・スネーク・モーン」、「黒いヘビのうめき」と訳していいのでしょうか?ブラインド・レモン・ジェファスンがこの曲を唄っている音源を下記のYOU YUBEで聞くことできます。
<Black Snake Moan - Blind Lemon Jefferson>
http://jp.youtube.com/watch?v=h3yd-c91ww8


冒頭からエンディングにかけて登場するフィルムで登場し、「ブルースは男女のもつれから生まれるのだ」と語るブルースマンは「サン・ハウス」とクレジットされていました。彼の映像が残っていました。
<Son House - Death Letter>
http://jp.youtube.com/watch?v=8jN5vqEyV7g

Eddie James "Son" House, Jr.(1902年3月32日–1988年10月19日)は、「デルタ・ブルースの第一人者で、1902年ミシシッピ州クラークスデイルの近郊に生まれます。ウィリー・ウィルソンのボトルネック・ギターを聴いてブルースの世界に入った彼は、酒場で演奏中、客から暴行を受け、身を守るためにその相手を射殺。服役中は模範囚だった為1年後に出獄します」。

「30年にはチャーリー・パットン、ウィリー・ブラウンとともに初レコーディング。又この頃ロバート・ジョンソンにギターを教えたと言われています。友人ウィリー・ブラウンの死後、行方知れずになっていましたが、60年代の折からのブルース・ブームで<再発見>され、65年にレコーディングを行いました。(彼の演奏から)スティール・チューブをスライドさせながら弦をアタックする荒々しいギター奏法とドラマティックな歌唱法が楽しめます。彼独自のそうしたスタイルによりデルタ・ブルースの第一人者として今なお愛され続けています。(Sony Music Online)

<Black Snake Moan' Trailer(予告編)>
http://www.youtube.com/watch?v=TKZgv8zXHmo

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一昨日のNHK「迷宮美術館」の本題だったパウル・クレー。彼は幼い頃からバイオリンを学びながら絵画の道を選んだ。そして、音楽の美しさを絵画で表現するという試みに挑戦するした。その集大成が「パルナッソス山」。この「パルナッソス山」については「mariのページ」(http://www.asahi-net.or.jp/~rv3m-stu/oshirase.htm)という優れたサイトから引用する。

「クレーの絵を見ると心が落ち着く、クレーの絵の前に立つと、自分が苦しかった時に心の救いになってくれたのを思い出す・・・。そんなふうに話す人が多いことに驚きます。クレー自身、音楽や詩に造詣が深く、絵画に音楽や詩の世界を投影させて描くことが多かったようです。そうした、絵画だけにとどまらない総合芸術の力が、人々の心に独特な安らぎを与えるのかも知れません」。

「この『パルナッソス山』というタイトルは、18世紀の音楽書『パルナッソス山への道』に由来すると言われています。パルナッソスはギリシャの山で、古代神話ではアポロ神が祭られた場所とされ、音楽と詩の聖地とされていて、いかにもクレー好みの題材と言えると思います」。

「大胆な三角形はこの山を表し、赤い円は太陽、下のアーチの形は神殿の門なのだそうです。クレーは、ここでポリフォニー(多重音楽)と対位法(異なる旋律を組み合わせる技法)という音楽のアイディアを絵画的に表現しようと試みているようです」。

「太陽やアーチを形成している小さな矩形はそれぞれきれいなブルーやオレンジやイエローに色分けされ、水平に速いリズムを刻んでいます。そして、その下塗りの部分はより大きな矩形に色分けされて、それぞれが微妙に調和し、また互いに火花を散らしながら美しい共鳴音を奏でているのが感じられます。整然としているのに暖かい、抽象画でありながら誰も突き放さない、クレーならではの世界です」。

「他の流派の技法ではなく、自分の素直な想像力と直感力によって、単なる抽象画ではない、独自な世界に挑戦しつづけたクレーは、視覚のハーモニーの天才的表現者だったのだとあらためて実感させられます」。


「芸術は見えないものを見えるようにする」と主張していたクレーの作品は、通常のキャンヴァスに油彩で描いたものはむしろ少なく、新聞紙、厚紙、布、ガーゼなどさまざまな支持体に、油彩、水彩、テンペラ、糊絵具などさまざまな画材を用いて描いている。サイズの小さい作品が多いことも特色で、タテ・ヨコともに1メートルを超える「パルナッソス山」のような作品は例外的であるという。晩年の作品を見ると、ジョン・レノンはクレーに影響されたのではないかと思わせる。

以下、フリー百科事典から彼の生涯を辿る。
1879年、スイスの首都ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれたクレー。父は音楽教師、母も音楽学校で声楽を学ぶという音楽一家。クレー自身もプロ級のバイオリン奏者であり、1906年に結婚した妻もピアニスト。彼は音楽ではなく絵の道を選び、1900年、ミュンヘンの美術学校で象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックの指導を受ける。シュトゥックはカンディンスキーの恩師。

クレーは初期には風刺的な銅版画やガラス絵などを試み、また、アカデミックな手法の油絵を残している。1906年以降、ミュンヘン分離派展に銅版画を出品。1910年にはベルン等で個展を開く。カンディンスキー、マルクらの「青騎士」展には第2回展から参加している。

クレーの画業において転機となったのは1914年春から夏にかけてのチュニジア(北アフリカ)旅行であった。この旅行に感銘を受けたクレーは鮮やかな色彩に目覚め、作風は一変する。クレーの画集等で紹介されている色彩豊かな作品は、ほとんどがこの旅行以後のもの。

クレーは1916年から1918年まで第一次世界大戦に従軍。1921年から1931年までバウハウスで教鞭をとった。彼は芸術理論にも通じ、多くの理論的著作を残している。 1931年から1933年までデュッセルドルフの美術学校の教授を務める。ヒットラーから危険絵画と指摘され多くの作品を没収された。晩年の数年間は故郷ベルンで過ごしている。2005年6月には故郷ベルンに彼の偉業を集大成した「ツェントルム・パウル・クレー(パウル・クレー・センター)」がオープンした。

最晩年は手がうまく動かない難病にかかるが、背もたれのある椅子に座り、白い画用紙に黒い線を引くことにより天使などの形を描いては床に画用紙を落とす事を繰り返したという。 なお、その天使の絵に心を打たれた詩人谷川俊太郎は「クレーの天使」という詩集を出している。

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昨日のNKK「迷宮美術館」。スイス出身の画家、美術理論家パウル・クレー(Paul Klee, 1879年12月18日 - 1940年6月29日)を取り上げていた。バイオリニストでもあったという彼は音楽と絵画の融合を求めた画家であった。その前振りとして葛飾北斎に触発されたドビュッシー、カンディンスキーとシェーベルグの関係が取り上げられた。

篠田正浩監督の映画「写楽」(1995年)では、片岡鶴太郎が葛飾北斎を「せこい」人間として演じている。葛飾 北斎(1760年10月31日?〜1849年5月10日)は、代表作に「富嶽三十六景」「北斎漫画」など。彼は生涯に30回と頻繁に改号していた。号は「春朗」、「宗理」、「画狂人」、「戴斗」、「為一」、「卍」などがあるという。

「93回に上るとされる引越しの多さも有名であり、これも絵を書くことのみに集中し部屋が荒れれば(或いは汚れれば)引っ越していた為である。 その功績は海外で特に評価が高く、1999年雑誌『ライフ』の『この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人』に日本人でただ一人、ランクインした」。(フリー百科事典)

この葛飾北斎の「神奈川沖波裏」を見たゴッホが手紙で賞賛し、ドビュッシーが交響曲「海」を作曲したという。クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 - 1918年3月25日)はフランスに生まれた印象派作曲家。

「ドビュッシーはフランスイヴリーヌ県のサン・ジェルマン=アン=レーに生まれた。ジラード婦人とその他に音楽の手ほどきを受け、パリ音楽院で1872年から1884年に在籍し、ギローに学んだ。1884年にローマ大賞を受賞してイタリアのローマで1885年から1887年の間、勉学に励んだ」。

「あまりイタリアの雰囲気には慣れず、ローマ大賞受賞者に与えられる期間を繰り上げてパリにもどった。その後、2度訪れたバイロイト、およびパリで開かれた万国博覧会でのジャワ音楽(ガムラン)を耳にしたことが、彼の音楽に大きな影響を与えた」(フリー百科事典)というから、新種の気鋭に富む作曲家であったことがうかがえる。

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