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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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中野徹三・藤井一行編著『拉致・国家・人権――北朝鮮独裁体制を国際法廷の場へ』(大村書店 2003/11 、2000円)
 
 
中野徹三=藤井一行氏の立場は、明快である。「被害者は祖国に、犯罪者は国際法廷に」である。マルクス主義を人間の学として受容し、人間性に対する犯罪としてスターリン体制とテロルを告発してきた著者たちならではの率直さで、北朝鮮金正日体制を批判・告発し、日本人拉致被害者を一日でも早く現状回復=帰国させよと主張する。
 それらの論証は、重厚である。つまり、北朝鮮は経済システムが社会主義だからとか、独裁国でも独立国家だから民族自決を尊重し内政不干渉でいかねばとか、かつて日本帝国主義の植民地で強制連行や従軍慰安婦があった歴史的事情があるから「少数の拉致被害者」のことよりまずは強制連行の歴史を自己批判しなければ、といった左翼にありがちなためらいや合理化はない。藤井一行氏のこの問題での和田春樹氏らの弁明的議論への批判も、鋭く説得力がある。
 そして、解決策も明快である。中野徹三氏は、世界人権宣言から国際刑事裁判所にいたる20世紀国際法と人権の発展の流れに即して、ソ連のスターリン粛清、ナチスのホロコースト、東独秘密警察シュタージの犯罪、旧ユーゴ内戦と同じように、北朝鮮の拉致犯罪は国際的に裁かれなければならない、という。
(加藤哲郎氏による書評;http://homepage3.nifty.com/katote/fujinaka.htmlより)
 
日本政府は、国際刑事裁判所(ICC)の設立準備会議の段階(1998年)から参加しながら、2007年になってようやく、なんと105番目の国として批准を行った。
 
私たちに不可解だったことは、この拉致という行為が「国際刑事裁判所に関するローマ規程」で明確に規定されている「人道に対する罪」に属すること、をはじめ、およそ ICC というまさに21世紀にふさわしい国際法廷の意義、その可能性等について、日本政府も政治家(保守革新を問わず)も、ジャーナリストもほとんど語ろうとしない、と言う事実でした。
 従って我が国民のあいだでは、 I C C の存在すらまだほとんど知られておらず、その意義の認識については白紙の状態にある、と申して差し支えない、と愚考いたします。 そのことは、私たちの今回の書を読んだ大学教員を含む多くの友人が、この本または私の朝日新聞や『労働運動研究』への寄稿で、I C C のことを初めて知った、と年賀状などに書いてくることからも、わかります。
 
(中野徹三「ICC条約の即時批准を訴える」)
 
2004年のこの中野氏の訴えから3年後に一歩前進を見たわけだが、その後もICCの認知度は高まっているとはいえない。そもそも日本政府はただの一度もこの拉致犯罪の訴追について検討した節がない。
 
日本政府はこの問題を、六か国協議等の国家間の正式な外交交渉の課題として取り扱い続けている。これこそが根本的な誤りではないのか?
 
犯罪者とは、基本的には交渉の余地はない。誘拐事件における人質解放交渉も、犯罪認定と捜査、その後の訴追を前提としたものだ。
 
訴追後の審理で情状を求めるなら、これ以上被害者に危害(拘束するだけでも危害)を加えるべきでないという圧力を犯罪者たちに与えつつ行われるものだ。
 
しかし、拉致被害に関してはそれがなされていない。
 
出版から8年、ある意味、残念なことであるが、本書の意義は失われてはいない。多くの人が本書を手にし、局面打開のために我々にできることについて、考え、行動してくださることを期待したい。
 
 
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