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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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現金の不正流用を防ぐために、一定の有効性があることは否定できないが、現物支給論には、いくつかタイプがあると思われる。
 
厳密な意味での現物支給論をとるものは、ほとんどいないであろう。しかし、クーポン、バウチャーなどを給付し、それと現物を控えるという場合、次の二つケースの違いは小さくない。
 
1)  引き換え対象となるサービス・財があらかじめ選定されていて、受給者に選択の余地が、ないケース(厳密な現物支給、つまり完全な配給制と実質的には同じケース)
2)  クーポン(バウチャー)を取り扱うことのできる機関などは限定されているが、その中のどの機関でどのようなサービス・財を給付してもらうかは、受給者側に一定の選択権が保障されているケース
 
前者、1)のケースの問題点は、受給者の主体的な選択能力を全面的に否定して宛がい扶持を押し付けることにほかならず、当面受給に頼らざるを得ない状態にある人々をエンパワーメントして自立化を促す視点が全く欠如している点である。
 
松陰が言う「凡そ民を富厚するは政の本なり、民を振恤するは政の末なり、本を以って末を制するは善政なり、末を以って本を制するは悪政なり。(儲糗話)」という視点を欠いているのである。
 
自助とか自己責任を言う輩ほど、松陰のこの視点から虚心に学ぶべきであるが、往々にして、自己責任論者には、受給者を期限を限って一定期間餌付けして、あとは放置すればよいと考えているものが多い。
 
さらに、受給者本人に選択権を与えないとすれば、誰が選択するのか?もちろん、行政官僚だろう。
 
その際、財・サービスの生産者と官僚の間に利権・癒着が発生する可能性があることは言うまでもない。
 
また、行政が選定する財やサービスには、Weisbrodがいわゆる「多様性の理論」として指摘した供給上の限界があることも知られている。すなわち、
 
「公的な供給体制において,公共財的性質をもったサービスは,一般に平均的な消費者の需要を満たすような水準の量と質において供給される。しかし,平均的な消費者の需要とは異なる量または質のサービスを必要としている一部の消費者にとって,あるいは,あるサービスに対する社会の需要が高度に多様である場合,画一的な公的供給体制では,それらの需要を満たすことは難しい」(鈴木純「非営利組織と関係財」神戸大学 『経済学研究 』55号)
 
のである。
 
要するに、前者、1)のケースは、あの悪名高いいわゆる「共産主義国家」(正しくは国家資本主義)の行政命令経済に対応した配給型市場のミニチュアでしかないのである。
 
いわゆる「自由経済」を信奉し、「大きな政府」を批判する人の中に、このような制度を支持する人が多いとしたら、これほど不可解なことはないのである。
 
 
 












草莽崛起(The Rising Multitude)

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