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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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マルクスはEXILE

 先日あるテレビ番組で,「マルクスは,ニートだった」と解説していました。まぁ,面白おかしく,印象深く話すために,誇張した表現を使うことは,テレビの世界では普通のことですから,あまり文句を言うべきではないのかもしれません。しかし,これは事実とはだいぶ違います。

 NEETとは,Not inEducation, Employment or Trainingの略で,『知恵蔵2015』では次のように説明されいます。

 
《統計上は、「職に就いておらず、学校等の教育機関に所属せず、就労に向けた活動をしていない1534歳の未婚の者」をいう。いわゆる「フリーター」や「失業者」と「ニート」の相違点として、フリーターはアルバイトやパートタイム労働者として不安定ながらも生計を立てている。また、失業者は失職をしているが、調査期間の間に求職活動をしている。これに対して、ニートは就労に向けた教育・雇用・職業訓練等のいずれにも参加せず、無職の状態を継続している。》

 マルクスは、1841年に大学を卒業します。その翌年から『ライン新聞』という当時のプロイセン[1]の絶対主義的政府を批判しドイツ社会の民主主義的な改革を主張する新聞に記事を寄稿し始めます。今流にいえば、フリーのジャーナリスト、レポーターとしての仕事をマルクスは、始めたのです。やがてマルクスは、この新聞社の出資者たちの要請で編集長の座につきます。

彼は、当時のプロイセン政府の圧力でキリスト教に対する批判の論調などを弱めながらも、貧しい農民の権利を擁護するなど経済格差の問題を積極的に取り上げていきました。しかし、プロイセン政府は、ついに政府に批判的な新聞を軒並みつぶしていこうという方針を固め、ライン新聞も18433月をもって廃刊することを余儀なくされます。

マルクスは、新聞の廃刊を待たずに、自分から新聞社をやめます。25歳の時です。年齢的にはニートの定義に合いますがその後まったく仕事をしなかったわけではありません。

この時、言論の自由のない当時のドイツに愛想をつかしたマルクスは、新聞社だけではなくドイツという祖国自体からも飛び出してしまいます。新婚の妻イェンニーを伴ってパリに移住したのです。そこでマルクスは『独仏年誌』という雑誌の発行に取り組みます。

しかし、プロイセン政府はフランス政府にも圧力をかけ、フランス政府に対して、マルクスを逮捕してプロイセンに送還するか、フランス国外に追放するように要請してきました。フランス政府はマルクスの追放を決定します。そこでマルクスはベルギーのブリュッセルに拠点を移します。その結果、『独仏年誌』もまた、創刊号だけで廃刊を余儀なくされてしまいます。

ブリュッセルでのマルクスは、政治亡命者としての制限の中での生活を送る羽目になりました。ベルギー警察に対して「ベルギーに在住する許可を得るため、私は現代の政治に関するいかなる著作もベルギーにおいては出版しないことを誓います」という誓約書を提出させられています。

しかし、マルクスは、この誓約書を出版物についての約束であって政治活動それ自体についての約束ではないと解釈して、当地で積極的に政治活動に参加しています。ブリュッセル時代のマルクスは、国外追放処分を受けた反政府活動家だったといえるでしょう。
1848年フランスで2月革命が起きるとマルクスら亡命活動家たちの影響でベルギーにまで革命運動が波及するのを恐れたベルギー政府はマルクスを国外追放とします。

マルクスはパリに一時滞在した後、ドイツに帰りを自ら『新ライン新聞』を創刊します。しかし、一年後には廃刊に追い込まれ、マルクスは再びドイツを離れイギリスに亡命することになります。

イギリス亡命後のマルクスは、18501月には月刊誌『新ライン新聞 政治経済評論(ドイツ語版)』を創刊します。ただしこれはほとんど売れずすぐに廃刊。その後,1851年秋からアメリカ合衆国ニューヨークで発行されていた当時20万部の発行部数を持っていた急進派新聞『ニューヨーク・トリビューン(英語版)』のロンドン通信員になっています。原稿料はわずかなものだったようですが,マルクスはその後10年に渡ってこの新聞に寄稿しています。職を得る努力をしており,実際に職も得ており,「無職の状態を継続してい」ないのですから,ニートではありません。
 僕なら,「マルクスは,EXILEだった」と説明するでしょう。


[1] 当時のドイツは、戦国時代の日本のようにいくつかの国に分かれていました(それらの国は領邦国家と呼ばれます)。プロイセンはその中の一つで、現在の首都ベルリンや西ドイツの首都だった盆を含む地域にあり、ドイツを統一する可能性のある有力な領邦国家の一つとみなされていました。実際統一ドイツは、プロイセン王家を中心にした国家として成立することになります。






莽崛起(The Rising Multitude )

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