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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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 池田嘉郎は「総説」の締めくくりとして言う。その言辞は、労働者に労働者としての自覚をもたせないようにする、という自己の本性を露骨にあらわしたものだ。
 〔だが、二〇世紀の終わりまでに、ヨーロッパが体現した近代という普遍性の輝きは薄れ、その支配権も過去のものとなった。それに伴って、ソ連の挑戦がもっていた訴求力も過去のものとなった。二一世紀の今日では、それぞれの地域がそれぞれの道を歩めばよいという考え方が新たなグローバル・スタンダードになりつつある。それと連動して、それぞれの地域の歴史もまた、各自の文脈において見つめなおされるようになっている。わたしたちは今、ロシア革命、そしてソ連を、より深く理解できる地点に立っているのだ。」(38頁)
 馬鹿言っちゃいけない。こんなぬるま湯につかっているような話ではないのだ。労働者・勤労者たちは、超長時間・超強強度の過酷な労働を強いられ、賃金切り下げ・低賃金に苦しめられ、徹底的に搾取されてきたのだ。労働者たちは日々刻々極貧層に突き落とされているのだ。後進諸国の民衆は、餓死に追いやられ、疫病による死を強制されてきたのだ。アラブの民衆は空爆によって無差別に殺戮されてきたのだ。このような暴虐をほしいままにしてきた独占資本家どもと帝国主義権力者どもは、ソ連の崩壊を「共産主義の失敗=資本主義の勝利」と謳歌してきたのだ。その資本主義が、二〇〇八年のリーマン・ショックによってその破産をあらわにしたのであり、その破産は誰の目にも明らかとなったのである。
 いまこそ、労働者・勤労者・後進諸国民衆は、ロシア革命の伝統を蘇らせ、起ちあがらなければならないのだ。これを阻止するために・独占資本家どもと帝国主義権力者どもにとりたてられおだてられたのが、小ブルジョア的感性の持ち主・池田嘉郎なのである。
 彼のぬるま湯的言辞の眼目は、近代資本主義の普遍性の輝きが薄れたことのゆえに、ソ連の挑戦がもっていた訴求力も過去のものとなった、と言うことにある。輝きが薄れた、というように、労働者たちの意を汲んでいるかのようにして彼らをなだめつつ、労働者たちに、労働者として依拠すべきものは何もない、と思いこませようとしているのである。彼をとりたてた者どもの狙いは、まさに、労働者たちが、ソ連スターリン主義の破産を見抜き、マルクスのマルクス主義に目覚めること、このことを阻止することにあるのだ。
 この本の階級的本質を見抜こう!

転載元転載元: 北井信弘のブログ

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