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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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 社会主義国家資本主義の特徴を述べると次の3点である。 第一に、私有財産制を原則的に否定し生産手段(土地・工場など)を国有化する。すなわち世の中から民間の資本家の存在ををなくし、これにより所得分配の平等化を図ると同時に、倒産や失業問題を解決すると嘯いた社会主義国家資本主義では、労働者は基本的には全員「公務員」のようなイメージとしてとらえるとわかりやすい。
 
  第二に、国家による計画経済を実施する。「何」を「どれだけ」作るか、また「価格をいくらにするか」といったことはすべて政府が決定する。これにより恐慌をなくし、インフレーションの発生を防ぐことができると嘯いた  第三に、私的利潤の追求をやめ、社会的利益を追求する。これにより「働く喜び」を取り戻すと嘯いた。》(「南 英世の 政治・経済学講義ノート」)
 
南氏としては、ひとまず、いわゆる「現存社会主義」諸国の為政者たちの自己申告に従って、それらの体制を「社会主義」と呼ぶことにしたうえで、その特徴を3点にまとめただけであろう。だから、これを南氏自身の誤りとするのは酷であると思われる。
 
しかし、以下の理由で、この記述は、赤字と取り消し線で示したように訂正されなければならない。
 
すなわち、上記3点の特徴は、なんら〈資本主義ならざるものとしての社会主義〉の内実を備えてはいないからである。
 
「私的利潤の追求をやめ」というのは、言葉としてはそれでよいが、〈私的利潤〉の内容規定が問われる。また、それに対置されるものもこの内容規定如何で変わってくる。結論先取り的に言えば、〈私的利潤〉に対置されるものは、マルクスの場合、「社会的利益」ではない。
 
南氏の解説(観察された「現存社会主義」の外観の祖述)では、「私的」な主体や「社会的」な主体を、あたかもその内実が自明のものであるかのように取り扱っているが、これが「現存社会主義」のレトリックの核心なのである。
 
資本主義の現実において、〈私的利潤〉を追求しているのは、〈私的諸個人〉ではない。彼らも主観的には、私的利益を追求しているが、しかし実際には彼らの私益追求行動は、より強力な私的な主体の〈利潤〉実現の手段となっているのである。資本こそがそのより強力な主体であり、〈私的利潤〉の追求とは、資本による剰余価値取得のことに他ならない。
 
それでは、資本とは何か?資本とは、労働する諸個人がそれに対して他人のものに対する様態で働きかけることによって、彼らから物象的に自立化した生産諸手段のことである。したがって、資本による剰余価値の取得とは、物象的に自立化した生産手段が、労働する諸個人の剰余労働をさらに吸収して、自己増殖していく事に他ならない。
 
マルクスにとって、〈私的利潤の追求(資本による剰余価値取得)〉をやめるというのは、根本的には、資本の物象的自立化を阻止するために、労働する諸個人が生産諸手段に対して、他人のものに対する様態で働きかけること、それ自体をやめるということなのである。
 
これは、「社会的利益の追求」という一語によって置き換えることのできない内容なのである。むしろ、「社会的利益の追求」なる表現は、「社会」なる抽象的・一般的主体が労働する諸個人から自立して、自己肥大化していく可能性を排除しない。現にいわゆる「現存社会主義」においては、「社会」を僭称する「党」と「政府」が、事実上の資本家として君臨し、労働する諸個人は、〈国有化された生産手段〉に対して、他人のものに対する様態で働きかけ続けざるを得なかったのである。
 
〈国有化された生産手段〉は、物象的に自立化し、国有化された資本として運動し続けたのであって、そこには、〈資本主義ならざるものとしての社会主義〉など全く存在していなかったのである。
 
 



莽崛起(The Rising Multitude )

転載元転載元: 草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ(桜の下に「日本」を屠る決意)

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