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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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労働の生産力と労働の生産性は、きわめて類似性の高い概念で、問題によっては全く同等のものとして扱っても差し支えないはずだが、扱うテーマが、こと環境問題ともなれば、話は別だろう。
 
《労働の生産力の増大が意味するのは、増大する生産物をつくりだすのに必要な直接的労働が減少するということである》(MEGA, Ⅱ,Bd.1,Tei12,S.697, 『草稿集』第2,706)

ここで生産物とは、現物形態としての生産物、すなわち使用価値であり、よって労働の生産力は、優れて具体的労働の生産力であり、それは、〈具体的使用価値量と投入労働量の比〉として表示され、尺度されるべきものである。

 
これに対して、「労働生産性」は、マルクス経済学の立場から、上と全く同じ意味で用いられる場合がないとはいえ、むしろ主流派経済学の立場から〈生産額と投入労働量の比〉という意味で用いられることの方が圧倒的に多いだろう。
 
環境問題を考える場合に、両者の差異は決して軽く扱えるものではない。というのも、主流派のように、産出物を価格一般に還元することによって、使用価値形成の前提である物的資源の投入・費消という事実が不可視化する可能性があるからである。
 

具体的労働においては、斯々の使用価値を形成するためには、云々の労働対象と是々の労働手段が必要であること、また当該使用価値をある量産出するために必要な労働対象や労働手段の量も技術的に確定されること等々は、概ね常に意識されているものといってよいであろう。先のマルクスからの引用でも、直接言及されているのは、生産物と労働でしかないが、生産物がある特定の具体的な使用価値であり、ある特定の具体的な労働対象と労働手段をもって生産されるものである以上、物的資源が投入されなければならないという事実は、直ちに想起されるものと思われる。


しかるに、産出物をその販売価格で評価する主流派の労働生産性論の立場では、投入物と産出物の物量的な関係は、少なくとも後景に退いているものとして取り扱われることになるだろう。




Labor Force - The Boys
 



莽崛起(The Rising Multitude )

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