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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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《前半四章では、利潤を生む資本として貨幣を有する貨幣資本家Aが、その貨幣を機能資本家Bに貸し付けて、Bがそれを資本として充用して取得する利潤の一部を利子として受け取る関係が想定され、そこに成立する利子生み資本の規定が示される。そこには利子を特殊な貨幣資本家階級の基礎として考察する発想がふくまれている。その発想からすれば、労賃、利潤、地代が資本主義社会の三大階級の対抗的利害関係を基礎づけているように、利子は、資本家階級のうちの特殊な貨幣資本家階級の利害を代表するものとして分析されがちとなる》

日本学士院紀要 第七十二巻 第二号


利子を階級の基礎と捉える“ような理解は、マルクスにとっては批判対象なのだから、草稿第五章の前半であれ、どこであれ、マルクス自身の理論にそのような発想は含まれていない。事実としても「労賃、利潤、地代が資本主義社会の三大階級の対抗的利害関係を基礎づけている」のではないのである。したがって、「利子は、資本家階級のうちの特殊な貨幣資本家階級の利害を代表するものとして分析されがちとなる」はずもない。
 
利子も地代も利潤の派生物でしかなく、したがって利子が直接に貨幣資本家階級を基礎づけたり、地代が直接地主階級を基礎づけたりはしない。両階級の基礎は、産業資本にこそあるのである。さらに、主要な階級である労働者階級と産業資本家階級についても、労賃や利潤といった所得の諸形態が階級を基礎づけたりはしない。階級の基礎は、生産諸条件に対する労働する諸個人の振舞い(sich vehalten)にあるのであって、所得諸形態は、この振舞いを起点として展開される物象の諸運動の最も表面的な現象形態に他ならない。
 
伊藤自身が奇妙な自己分裂を起こしている。伊藤はもちろん三位一体範式批判を知っている。だから、彼はそれが批判されるべきだとその限りでは正しい認識を持っている。しかし、それにかかわらず、「労賃、利潤、地代が資本主義社会の三大階級の対抗的利害関係を基礎づけているように」と書いてしまう。三大階級は、仮象であり労働と資本の二大階級に還元されるものであること、所得の諸形態は、物象の運動の現象形態の一つ、しかも終局的な、つまりもっとも表層的なそれであること、こうしたことを本当には理解していない伊藤は、「三位一体範式は批判されるべきだ」という信条を有していても、その批判がなぜ必要で如何になされべきかは知らないのである。
 
それゆえ、三位一体範式を根底的には批判できないでいる自分の誤りをマルクスに投影する。“マルクスは、利子によって貨幣資本家階級を基礎づけている”と。



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