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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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福祉国家の形成

 〈社会保障制度の整備〉
 社会保障制度は、ひとまとめのものとして一気に実現されたわけではなく、各項目独立に、またどの項目も徐々に段階的に時間をかけて整備されていった。その順序もスピードも国ごとに違っていた。
 イギリスの場合、労働組合の法認と工場法による労働時間規制・労働環境の安全・衛生面での改善が先行した。1824年の労働者団結法によって、労働組合が合法化され、1848年には、女子・児童労働において10時間労働制が定められた。その代わりイギリスでは、労働組合の合法化により共済活動が進めやすくなったこともあって、生活上の事故(疾病、負傷、老齢)に対する保障は、自主的な共済活動にゆだねられる状態が続き、社会保険という国が責任を負う仕組みをつくることはどちらかといえば遅れた。
 その社会保険の分野で先行したのはドイツである。1878年の社会主義取締法で、資本主義に替わる社会をつくろうとする動きを牽制する一方で、1883疾病保険、1884災害保険、1889養老および廃疾保険など強制加入の拠出制保険を整備していった。反体制運動弾圧と社会改良による階級融和政策を組み合わせた、いわゆる「飴と鞭」の路線である。イギリスでは、社会保険は、1911年の国民保険法(医療保険と失業保険)を待たねばならなかった。
 こうした一連の政策を1つの政策体系にまとめて社会保障制度また福祉政策を整備しようという試みは、まず、アメリカでルーズベルのニューディール政策の一環として追求され、社会保障法(1935)に結実した。その後イギリスで、1942年にベヴァリッジ卿が政府への報告書「社会保険および関連サービスに関する報告」を提出し、福祉政策を体系的に展開するためのイギリス政府の基本プランが確立された。これは、他の資本主義諸国にとっても福祉国家構築の際の基本モデルの成立という意味を持っていた。
 
 〈ベヴァリッジ報告に基づく福祉政策の特徴〉
 ◇ ナショナル・ミニマム原則…賃金、労働条件、疾病者の生活保障など生活のあらゆる分野で 全国一律の最低基準を設け、この基準を守ることを国家の義務とする。
    ⇒ナショナル・ミニマムを保障するための柱として全国均一の統一的な制度として強制加入・拠出制の社会保険制度(医療保険、失業保険、老齢年金)を整備。自主的共済活動という互酬の性格の強いものから、国家が管理する強制加入の保険制度という再分配の性格のものへとシフト。
 
 ◇ 男性ブレッドウィナー・モデル…政策が実現すべき標準的家族モデルとして主たる生活費の稼ぎ手を男性とし、その妻を専業主婦とする家族モデルを採用。
  「完全雇用」の追求…失業率を3%以下程度に抑制することを前提に福祉制度の構築を図る。そのための主要な手段は公共投資・公共事業による失業者の吸収。
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[1] ベヴァリッジ自身は気付いていなかっただろうし、それを狙っていたわけでもないと思われるが、既婚女性が専業主婦であることを「標準」とする政策によって、女性が就労希望を放棄し、失業者の定義からはずれることが、失業率を名目上さらに下げる結果になったことも否定できない。本音では就職を希望していても、あきらめて就職活動を止めてしまえば失業者には数えられない。しかし、それは本当の意味での失業の減少、「完全雇用」なのだろうか?
 

転載元転載元: 草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ(桜の下に「日本」を屠る決意)

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