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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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宇野の価値形態論は、全体として荒唐無稽以外何物でもないが、端的には「すべての商品の貨幣性」の否定である。

佐藤勉と富塚の誤りは、商品が客観的に価値対象性を有するということ(=価値物であるということ)と、それがそのようなものとして商品世界で実際に妥当する――他商品からそのように扱われるし、ひいては諸人格に対してもそのように振舞いうる――ということとが、別の事柄であることが理解できないということに尽きる。

商品は、事実において既に価値物であるにもかかわらず、感覚的には、価値物であることを把握できない。だから価値表現が必要になるのである。

「すでに価値物なのである」という事実を否定しまえば、価値表現を通じて価値対象がはじめ発生するかのような誤読を犯すことは不可避となる。


[文献]

・梅澤直樹
 ――貨幣論の提起する方法論的問題をめぐって

・佐藤勉
 ――簡単な価値形態の一論点



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