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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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Yahoo知恵袋より
労働問題について調べていたら労働問題の意味は「資本主義社会における労使の対立から生じる諸種の社会問題。」と記載されていました。社会主義社会では労働問題はなんというのですか? 》


ポイントは、「労使の対立」というところです。厳密に言えば、労《資》の対立が正しいのですが…。

資本主義というのは、いわゆる資本家(個人であるとは限らず株主の集団である社団、出資法で言う「会社」もまた法的人格としての"資本家")が、他人を労働者として雇い入れて、自分の設定した目的に沿って働かせる仕組みです。この目的を実現するために資本家側は、できるだけ長くとか、できるだけ根をつめて、あるいは機械の運転速度をより高速でとか、労働者の疲労や安全性を省みない要求・指令を下す場合がありますし、賃金の水準も低く抑えようとする傾向があります。反対に、労働者側でも、賃金はできるだけ高く受け取り、仕事は可能な限り楽しようという考えを持つ人もないとはいえず、そうした考えが職場に広がることもないとはいえません。このように、他人に金を払って指示通りに働かせようとする資本主義という仕組みにおいては、雇い主と働き手の間に利害の対立が生じないわけには行かないのです。

これを否定したものが社会主義のはずですから、本来、つまり理論的には、社会主義においては、労働者自身が自分たちで生産組織を協同管理・協同利用しているはずで、そこには、上に述べたような「労使」対立は存在しないことになります。もちろん、協働している労働者同士の意見がまとまらないということはありえますが、それは労労対立とでもいうべきものだということになるのです。

ところで、いわゆる自称「社会主義」国においては、名目上の労働者協同組合も存在してはいましたが、そもそも、生産計画は現場の労働者の意思を反映したものではなく、個々の組合の上に立つ、政府機関の指示によるものでしたし、大半の企業は、もっと露骨に政府機関の一方的な指令に従って労働させられる国有企業でした。

実際そこに存在したのは、労働者が協同管理・協同利用する生産組織ではなく、政府によって所有された生産組織に労働者たちが雇い入れられて働く仕組みです。これは、理論的にいえば、決して社会主義などではなく、まさに、政府・国家が資本家となって、他人を賃金労働者として雇い入れて、自分たちの指令下で働かせる仕組み=国家資本主義以外の何者でもなかったのです。

これはこれで資本主義の一種でしかないのですから、当然、ご質問に含まれている定義に当てはまる「労使対立」は現に存在したのです。ただし、それは国家資本主義独裁権力によって隠蔽抑圧されていたため、労働者たちは、よほどぎりぎりまで追い込まれない限りは、公然とした反抗を示すことができませんでした。せいぜい、仕事をだらだら流してやるといったサボタージュやもっともらしい理由をつけて遅刻、早退、欠勤を繰り返すといった個人的抵抗ぐらいしかできなかったのです。


まとめますと、資本主義を真に克服した社会主義には、労働者間の意見や利害の不一致という問題はありえますが、「『労使対立』としての労働問題」はありません。しかし、いわゆる「社会主義」(自称する名前が「共産主義」でも同じ)国は、実際には資本主義の一種でしかなったので、「『労使対立』としての労働問題」が普通の資本主義国と同様に存在しました。ただし、国家資本主義の特徴である独裁的傾向によって労働者の抵抗は抑圧されていたので、「労使」対立は、それほど目立つ形では表に現れなかったのです。



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