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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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大谷禎之介『図解 社会経済学』を読む


近代経済学は,19世紀後半に入って限界効用価値説[1]が唱えられたことで成立しました。『図解 社会経済学』の7ページでは,近代経済学の特徴が社会経済学との対比で次のようにまとめられています。
 
《その根本的特徴は,労働価値を根底から否定し,経済現象は抽象的な私的個人の主観的な選択行為の合成結果で彼らの自由競争が経済全体の均衡をもたらすのだと考え,経済的諸量の量的分析に力を注ぐことにある。》
 
人々が自分の損得だけを基準にして行うさまざまな選択の社会的合成結果が経済現象で,それはスミスの時代と変わらず,今でもバランスのとれた経済発展を実現さてくれるので,経済学はそのことを数学的に証明すればよいという考え方です。島根大学の野田先生のお言葉を借りると《人間の欲望をみたす効用を数量化することによって商品の価値・価格を計測し,さらにアダム・スミスが「神の見えざる手」と呼んだ市場における均衡を説明しようとしている》[2]ということになります。これはかつての俗流経済学とほとんど同じ資本主義に対する単純弁護論です。ここで説明されているのは,近代経済学の中でも新古典派と呼ばれる人たちに最もよくあてはまる話ですが,こうした考えは近代経済学のほとんどのグループにとっての理論的な出発点[3]となっています。


 しかしその中でも,ケインズ[4]はちょっと特別です。彼は,新古典派の均衡論は非現実的で失業問題は短期では調整されないと考え,政府が公共事業などで有効需要を補うことが必要という,修正資本主義論唱えました。やがてケインズと新古典派の両者を総合すればよいという新古典派総合(サミュエルソン)という考え方が現れ近代経済学は黄金時代を迎えます。しかし,その後,先進資本主義諸国が軒並み,財政赤字や不況下のインフレーション(スタグフレーション)に苦しんでいたことを背景に,ケインズ学派を批判し,政府が福祉や公共事業に税金からの資金を投入することを否定する新保守主義(新自由主義)が登場して今日に至っています。


【近代経済学内部の対立】
 
       政府の経済介入が必要(ケインズ)   Vs.  自由放任で問題なし(新古典派,新自由主義)
 
中間派
(サミュエルソン)
 
しかし,どの派も基本的には資本主義という経済の仕組みを維持すべきものと考えている
 


[1] 効用価値説とは,商品の価値は,それを手に入れた人が感じる満足(効用)の大きさによって決まるという考え。限界効用とは,今新たにある商品をもう一単位追加購入(今まで一度も買ったことのない商品であればもちろん「新規購入」ということになる)した場合に感じるであろう効用のこと。僕らが商品を買おうとする場合,いま買おうとしているその商品から得られるであろう効用がその価値を決めるとされます。同じ商品を繰り返し購入する場合,効用は徐々に低下していくものと考えられています。



[3] 近代経済学の中にも古典派には批判的なグループがいくつもありますが,古典派的な考えを全面的に否定するものではなく,部分的,限定的には受け入れたうえで,何らかの修正を加えるものがほとんどです。


[4] ケインズは,個人や企業という個別的経済主体の選択の合成結果と現実の経済現象との間にはずれがある,つまり個別主体の選択を合成しても現実の経済現象は説明できないと考えて,一国経済全体の動きを個々の主体の行動とは別に理論化する必要があると考えて,マクロ経済学の基礎を築くこととなりました。


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