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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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Yahoo 知恵袋での質問より

《人間って概念がありますよね。
これって実質的に意味があるんでしょうか。

AさんとBさんの差異は無数に発見できるが、同じ人間だろ〜的な発想。

万人すべてを人間という言葉でひとくくりに考える思想って明らかに限界ありますよね。

人間って実は存在せず、各人それぞれの固体があるだけなのでは。

人間って概念は概念のみの世界の話であって、現実に人間がいると考えるから世界で戦争やいろいろな問題がおきてるのでは。》
 
 
あなたのお立場は,哲学史上,唯名論と呼ばれる立場であると思われます。

唯名論に対するリアクションとしては,概念実在論がもっと対極的な物としてありますが,それ以外にもマックス・ウェーバーの理念形のような考え方もあります。

ウェーバーの立場は,唯名論の内部批判といえるものです.「○○一般」(ご質問に即しては,「人間一般」)が実在しないと考える点で,彼自身唯名論と同じ立場に立ちます。しかし,フィクションとしての「○○一般」を想定することで,個別具体的な「○○A」,「○○B」それぞれの個性を際立たせることができるというのです。

僕自身は,概念実在論の立場に立ちます。

たとえば、新潟にある米作農民、Aさんがいたとします。彼は、農協を通じて米を一般の市場向けに出荷すると同時に、東京の消費者Bさんをはじめとする全国の消費者と産直取引をしています。Aさんは米作りの作業の中で常にBさんら産直取引の消費者の顔を思い浮かべ、彼ら一人一人に喜んでもらえる作物を作ろうと努力しています。その結果、Aさんの作る米は、一般市場においても、ブランド米として大変な人気を集めるものとなりました。

これは、作り話ですが、現実にもありうる話です。この作り話が示しているのは、次のようなことです。

Aさんは、Bという具体的人物を思い浮かべ、Bを自覚的・意識的な対象として、このBの要求に十二分にこたえることのできる作物を作ろうと努力します。その結果、B以外の不特定多数の人間の要求も高水準で満たすような作物が出来上がりました。Aさんは、Bさんという対象をどちらかといえば個別的存在として意識しています。それが、具体的で個別的な特定の個人であるだけでなく同時に普遍的な要素をも持っているとは、特に意識してはいないのが普通でしょう。しかし、Aさんが自覚していないにもかかわらず、Bは、純然たる個別存在ではなく、Cさん以下の不特定多数の人間と共通の要素を持つ普遍的存在でもあるのです。

Bさんを満足させようというAさんの努力が、結果的に不特定多数の人を満足させる結果になったのは、Aさんが自覚しないままに、Bさんという個別的具体的な個人の中に潜んでいる普遍的要素に対しても働きかけを行っており、Bさんを満足させるということのうちにBさんのうちにある人間としての普遍的要素から生じる要求をも満たすということが含まれていたからです。

このように、普遍的な概念は、われわれの観念そのものとは、別のものとして対象そのもののうちに実在しています。

しかし、対象の中に実在する普遍的概念を実際につかみ出すことは簡単ではありません。対象が固定的なものであれば、まだしも、変化・運動しているものであれば、なおさら困難です。

どうやら同じ「類」に属するらしい個別体 A,B,C,があるとして、それぞれがA1→A2→A3、B1→B2、C1→C3等々の運動・変化を示しているとき3者の共通要素は、時点が異なるごとに変わってしまうかもしれません。

このよう困難があるため、われわれ非常にしばしば、普遍的概念の把握に失敗し、普遍的でないものを普遍的とみなす誤りを犯します。「普遍的だと思ったものが普遍的でなかった」という経験を繰り返す中でわれわれは次第に、「普遍的なもの」という概念自体が想像上のものでしかないと考えるようになります。

しかし、上述のように、われわれがそのように考えている場合ですら、われわれは実在する普遍的なものに働きかけている場合があります。

抽象的に、「普遍的な人間概念はありうるか」という問うよりも、「ある人を斯く斯くのごとく扱う場合、他の人との共通性はどこに現れるか」と具体的に問うことが、建設的であるのではないでしょうか。
 



転載元転載元: 草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ(桜の下で「日本」を屠る決意)

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    概念実在論とは、概念が実在するという意味ではないのですか?
    実在するのは個別具体的な個人で、人間一般は観念としては実在するということでは? 削除

    [ 革命詩人 ]

    2019/3/13(水) 午後 4:47

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    単なる観念は、ここでいう〈実在〉には当たりません。観念としてではなく、個別具体的な諸個人の集合体の共通属性として客体的に実在するということです。

    概念実在論という場合の「概念」は、意識内容のことではなく、客体的な実在のことです。

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2019/3/13(水) 午後 5:57

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    哲学的な言葉としてはどうか知りませんが、そうすると犬一般や動物一般は客体的に実在するということになりますか? 削除

    [ 革命詩人 ]

    2019/3/17(日) 午後 0:58

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    実在します。

    個別から切り離して、「一般」を実物として抽出することはできませんが、諸個別に通在する属性として実在します。

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2019/3/17(日) 午後 5:27

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    わかりました。
    そうすると「概念実在論」というのは不適切な命名ですね。
    ぼくを含めて哲学的素養のない人にはわかりづらいです 削除

    [ 革命詩人 ]

    2019/3/18(月) 午前 1:56

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    有難うございます。

    確かにそうかもしれません。それと哲学の方では、逆に、プラトニズムのようないわゆる実念論のことを概念実在論と呼ぶのが一般的なようで、哲学畑の人もそうでない人も、双方わかりづらいと言えそうです。

    何かもっと良い表現を探すか、考えるか致します。

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2019/3/18(月) 午後 0:44

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    そうすると犬一般が客観的に実在しないという哲学的な立場があり得るのかという疑問が湧きます。
    自然科学では犬一般は客観的に実在するという前提で研究していると思います。
    人間の場合は高度な社会を作っているので、自然科学の範囲ですまないと思いますが。 削除

    [ 革命詩人 ]

    2019/5/6(月) 午前 1:30

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    自然科学においても、必ずしも一般的なものの客観的な実在を前提しなければならいと考える人ばかりではないようです。

    唯名論というのは、要するに「一般的なもの」「普遍」は、様々な個別的実在を観察者側が、いわば勝手に「似ている」などの理由で一括りにして作り出した集合につけた名前に過ぎないと考える立場です。「普遍」は人間の思惟の産物、言葉、記号に過ぎないという立場です。

    自然科学においても、ある対象をどこに分類するかは、対象そのもの性質とは独立に観察者が自由に決めることができ、その当否は、そうした分類によって対象についての説明や操作がうまくいくかどうかで決まる、という考え方が存在します。

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2019/5/6(月) 午後 4:41

    返信する

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