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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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イヴァン・イリイチをご存知でしょうか(唐突でごめんなさい)
 
彼は、資本主義的生産様式(イリイチ自身の用語では産業的生産様式、または商品集中社会)と国民国家の成立過程で、民衆はその自律的能力を次のようにことごとく奪われたのだと指摘します。
 
地域生活に根ざした言語(方言)は、母国語として特殊な場所(学校)で特殊な訓練(公教育)を通じて専門技術者(教師)の指導の下習得しなければならない、技術へと転化しました。このことにより民衆は自ら教えあい学びあう能力を失ったのだと彼は、言います。
 
また、かつて人々は病気に対する治癒力を持っていました。しかし、商品集中社会へと移行して以後、病気への対応は、病気になったその人自身の体の問題 (人身の自由!) であるのにも関わらず、本人が妄りに手を下してはいけない事柄とされ、専門家によってのみ供給される高価なサービス商品となりました。こうして人々は治癒力を失ったのだと、イリイチは主張します。
 
これらの変化すべて、人々を商品に依存した生活に取り込み、マーケットとして企業の儲け口・および労働力という企業活動の資源として組織することと表裏一体です。
 
民衆の文化と伝統もまた、このような商品集中社会形成の過程で、産業家たちによって樹立された国家権力によって剥奪され、かれら産業家の権力を権威付けるために利用されたのです。
 
商品・貨幣・資本(企業)が、できるだけ広い範囲を駆け巡り常に新しい儲け口を探し出せるようになるには、地域ごとに異なる商習慣や言語文化は邪魔なのです。新しい産業、新しい地域を求めて動き回る資本(企業)にあわせて企業活動に必要な資源である労働力もできるだけ広い範囲を自由に移動してもらわなければなりません。人々がムラ意識を持っていてよそ者が居づらいような閉鎖的地域の寄せ集めがかろうじて国家としての体裁を保っているような状態では、資本の活動には不都合なのです。民族=国民としての単一の文化、言語、できれば宗教が必要なのです。
 
こうして民衆の文化は、産業活動に奉仕するために組織された国民国家(資本の国家)によって民衆から強奪され、産業活動の生贄となったのです。
 
国民国家によって奪われた文化と伝統を取り戻すためには、まず国民国家そのものを解体することが必要です。資本の国家からの伝統と文化の解放とは、現存の国家を解体して自治的・分権的な生活圏域ごとの地域的行政システム(身の丈にあった政府!)に置き換え、これらのゆるやかな連携を、民族、言語etc.の違いに関係なしに、ただ生活の必要に応じて取り結ぶようにして、生活に根ざした民衆文化の復興を図ることに他なりません。

オリジナルはkinks。


 

転載元転載元: 草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ(桜の下で「日本」を屠る決意)

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