ここから本文です
自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]


《なんだか最近セーフティーネット強化とか、富の再分配とか高福祉路線が望まれているような論調を数多く見るのですが、私はこの路線嫌いです。

テレビでもよく、スウェーデンやデンマークなどの高福祉国家の良い所だけを放送してさもすばらしい制度のように煽っていますが、間違ってますよ。

私は交換留学でデンマークに滞在しましたが、デンマークも実は社会不安の強い国で、犯罪率、殺人件数とも日本の約4倍です。自殺率も日本ほどじゃないですが、先進諸国の中では高い方です。
他の高福祉国と言われるフィンランドやスウェーデンでも犯罪率は日本の4〜5倍、殺人に至っては6倍ほどの値を示しています。

なぜか?

高福祉すぎるんですよ。国が面倒を見すぎるために自己責任では何もできない人がたくさんいます。

スラムもありますし、アルコールで動けなくなっている人がごろごろ寝ているような地域もあります。

ドラッグは深刻な社会問題です。

 教育費や医療費の無料化、手厚い生活保護は、子供のいる女性の社会進出を容易にしているため、
猛烈に高い離婚率や大量のシングルマザーを生み出し、家族制度の崩壊が叫ばれ、そういう家庭の子供の犯罪率の高さが大きな問題になっています。

デンマークでよく聞く言葉に「福祉には際限がない」というものがありました。
どんなに国家が面倒を見ても、それを上回る福祉を求める人々は必ずあり、そういう人ほど、自分では何もできない。

これもデンマークでしばしば聞いた言葉ですが
「日本に行きたいよ。こっちじゃ幾ら稼いだってほとんど税金さ。デンマークには夢がないよ。」
彼らの一部は本気でこう思っています。

だから私は断然アメリカの低福祉、低負担路線が好きです。

 税金で国が国民を面倒見すぎるといい事がないと思います。

皆さんどう思いますか?

[補足](抄)
私の質問は『高福祉、高負担の社会』or『低福祉、低負担の社会』どちらが理想かということです。》


Yahoo知恵袋での質問です。

ベストアンサーとなった回答はこちら。

《スウェーデンモデルを出す人は、いい面しか出しませんねw

 実情は私も知っています、高福祉の結果得られたものは、家族の崩壊ですね。

 家族の支えが無くても生きていけますから当然でしょうw

とういうか、家族を支えても給与が出ませんが隣の人の家事をすれば給与が出るそんな制度ですからね

 そういう人は公務員待遇で多くは女性になります、結局何にも生産しているわけじゃないので資源が無い日本では そんなことはとても無理です。

1人暮らしなら当然の家事でさえその有様、自分で何も出来ない人間、将来の夢も希望も少なく、無気力な若者の大量生産と犯罪の増加、まさにふぇみの末路ですね。》

女性の労働参入に分野の偏りがある(指摘されているように公務労働などに集中している)ことは,むしろ,フェミニストによって批判されています。

北欧でも,そうした批判を受けて,家事・介護などケア労働の確保は,行政の直接供給ではなく,WLBなどの時間福祉政策――労働時間の短縮,休業制度の充実によって――当事者によるケア労働確保の条件を整備する方向にすでに転換してきているので,この回答者の理解は,周回遅れといわざるを得ません。


没になった僕の回答は,次のものです。

『高福祉、高負担の社会』or『低福祉、低負担の社会』…こんな風に問題を立てられてしまうと、ほとんど答えようがなくなりますねぇ。

どっちもだめに決まってるでしょう。

大体あなたが言っている「福祉」は、結局「国家福祉」でしかないんですよねぇ。そんなものは悪いに決まっている。スウェーデンでは、いま市民が自前で福祉を協働生産する必要が指摘されている(ビクトル・ペストフ)。

「税金で国が国民を面倒見すぎるといい事がないと思います。」…あまりにも当たり前すぎて興ざめですねぇ。いや正しいのだから、これでいいんですけどね。

「私は断然アメリカの低福祉、低負担路線が好きです。」…これはアメリカ社会の一面だけ見ての論評ですねぇ。あなたの北欧諸国についての指摘はおおむね正しいのだけど、アメリカ社会が自己責任原則だけで成り立っていると思ったら、それは大間違いです。アメリカには「国家福祉」はないけれど別の形態の福祉がちゃんとあるのです。

本当に問題にすべきは、福祉の高低ではなく、福祉生産の主体は誰であるべきかということです。この一点をご再考いただくことが肝要だなぁと思いますねぇ。





サイトやブログを紹介できる掲示板。

転載元転載元: 草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ(桜の下で「日本」を屠る決意)

開くトラックバック(1)

我那覇真子って沖縄の選挙は何でもありって動画で言っていましたが自分達がこれまでした選挙違反のことを言っているのでしょうか? 》

はい。

特に、以下のような佐*喜*眞*陣営に対して自分たちが行った選挙妨害のことを言っているのだと思われます。

しかし前述した在沖縄のネット右翼活動家らや、及び全国に存在するネット右翼の、「善意による」佐喜眞氏への勝手連的な応援は、沖縄の有権者に佐喜眞氏への親近感を高めるどころか、却ってマイナスの材料になったのではないか?と私は観ている。

彼らは口々にこう絶叫した。

「玉城デニーが知事になったら、沖縄は中国にのっとられます」
「玉城デニーが知事になったら、中国の工作員が沖縄を破壊します」

このような、トンデモ陰謀論とも思える連呼とセットに佐喜眞氏を応援することで、常識的な感覚を持った有権者の多くは、
むしろ佐喜眞氏へのネガティブイメージを持つに至ったかもしれない。

「親方思いの主倒し」という言葉がある。親方を思ってよかれと思ってやった行為が、結果として親方の迷惑になる、という意味だ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20181001-00098867/

「玉城デニーが知事になったら、沖縄は中国にのっとられます」

という絶叫とセットで行なわれた佐喜眞氏を支持する勝手連的訴えは、まさにネット右翼による「親方思いの主倒し」の典型ではないだろうか。

沖縄に中国の工作員などいないし、彼らの破壊工作を沖縄二紙が隠蔽しているはずが無いことは、他でもない沖縄県民が一番よく知っているからだ。

こういったネット右翼が叫ぶトンデモ陰謀論的世界観は、中央(東京)から放送される一部の極端に偏向したCS番組や保守系論壇誌、あるいはネットニュースの中で俎上にあがるだけで、実際には「保守」「ネット右翼」という自閉した巨大なサークルの中でしか通用しないジャーゴン(組織内言語)に他ならない。

だから、在沖縄の街頭で行なわれたこのような叫びやSNSでの拡散は、沖縄の有権者にとってノイズとしてしか認識されなかった。

彼らが「なんかトンデモな人たちが佐喜眞氏を応援している」という印象を与え続けたのなら、これは佐喜眞陣営にとって痛打以外の何物でも無い。

それを実際に実行したのが、「善意」を以てデニー氏を攻撃し、佐喜眞氏を応援した在沖縄のネット右翼活動家らである。

むろん、佐喜眞氏の敗因はこういった外野だけでは当然無い。佐喜眞氏自身も公約として「携帯電話料金を4割値下げ」など、知事の職権では実現不可能とされるアピールを行ない、後に修正したというオウンゴールもある。

しかし、全般的には、デニー氏の圧倒的強さには勝てなかった。故翁長氏に対する県民の想いと、普天間移設への拒絶感は、中央が想像するよりも遙かに大きかったと判決するしか無い。

最後のにこの事実を書いておく。冒頭の大広間で、私は或る佐喜眞陣営選対関係者に詰問した。

「どうして、在沖縄のネット右翼活動家らを放っておいたのですか。却って佐喜眞さんの足を引っ張っただけじゃ無いですか」

関係者は、「それは彼らの政治活動の自由であり、私達が強権的に制止することは出来ない」と苦渋の表情で前置きした上で、

「連中、星条旗と日章旗を一緒に掲げて中国の侵略がどうのこうのと・・・。正直、やめて欲しかった。勘弁して欲しかった。冗談じゃないよ」 》

ただ、佐喜眞陣営のこうした言い分に対しては、次のような疑問の声も上がっています。

〇 お前日本会議じゃん。


〇 それ自民党の主力部隊でしょ、何を今更。


〇 青山に応援頼んどいてそりゃないだ。

以上です。



《社会主義の父マルクスは、資本家や工場の経営者が労働者をまるで奴隷のように酷使している現状を見て。このままではいけないと、全ての人々が平等に生きられるように、社会全体で富を管理して平等に分配してくべきだと社会主義を提唱しました。


そして、その社会主義に共感した世界中の多くの人々が、社会主義に賛同し革命へ走り、世界の半分は社会主義陣営の国家となって行きました。

ただ、そこで思ったのですが、真の意味で人類平等が実現できた社会主義国家ってまともに実在したのでしょうか? ソ連でも中国でもカンボジアでも北朝鮮でも、どこでも共産党党首が権力を意のままにし、その絶大な権力は社会主義が否定していたはずの絶対王制や資本家や宗教教祖が有していた権力すら、はるかに凌駕する独裁になってしまったと。

「言論統制」「互いを密告しあう監視体制」「強制収容所」「共産党党首の一声で裁判なしで即死刑」「やせ地への強制移住」「個人財産の没収」「宗教要素を含む建築施設の破壊」「聖職者や知識層への粛清」などなど。

そして、どこの社会主義国家でも共産党幹部以上が、国民全体で平等に分配するはずの、金や地位や権力を貪りつくしたとも。
そして、現代ではほとんどの社会主義国家は矛盾を抱え自滅していったとも。

そこで常々感じていたのですが、これまでに存在した社会主義陣営で一つでも、「共産党幹部以上」が利権や富をむさぼらずに、平等に生きれる社会を実現した社会主義国家って実在したのでしょうか?

でも、社会主義陣営の優等生と言われた東ドイツですら、西ドイツでの豊かな生活にあこがれてベルリンの壁を乗り越えようとして、数百人が殺害されたらしいですし…。 あとは、比較的穏やかなイメージのあるキュ
ーバくらいでしょうか? でも、キューバはあんまり発展で共産党幹部以上,社会主義国家,社会主義陣営,資本家,共産党党首,マルクス,ボルシェビズムきているイメージないですしね。


それともやはり、社会主義こそが人類史上で生まれた最大のカルト思想、もしくはカルト宗教だったのでしょうか。


あるいは、現在でも社会主義こそが人類に平和と幸福をもたらすと、信じ続けておられる方おられますか?


どうなのでしょうね、国際情勢や社会主義に詳しい方など、ぜひ皆様のご意見をお聞かせください。 》




社会主義国家というものは、存在したことはありませんし、そもそも、マルクスにそんなものを作る気など毛頭ありませんでした。

マルクスは基本的に国家をなくすことを目指していたからです。

また、「富の平等な分配」も彼は目指していませんでした。

経哲草稿』では、そのような考えを「粗野な共産主義」と呼んで激しく非難し、文明からの後退だといってこき下ろしています。「普遍的な資本家としての国家が支払う賃金の平等にすぎない」というなかなか興味深い表現を使っています。

晩年期の『ゴータ綱領批判』では、有名な共産主義社会の二段階発展論を展開し、第1段階では、「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、より高度の段階では、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という経済原則を提示しています。

ご注意願いたいのは、このどちらの原則も決して平等な分配などにはなりっこないということです。人間の能力は当然区々ですから、能力に応じて働けば労働量は区々です。結果受け取るものも区々になります。

高度の段階の必要に応じても当然、ながら平等になどなりません。何がどれだけ必要かは、人によって違うからです。

このようにマルクスは、決して「平等な分配」などという下らない要求を掲げたことはないのです。

だいたい誰かが集約してから公平に配ってもらうなんて、ありえません。集約者が猫糞するに決まっています。念のために申し添えますが、これは性悪説ではありません。不正を許容しやすいシステムでは、当然不正が生じる確率が上がるという話です。制度の仕様がしっかりしていれば、不正はかなり抑制できます。

「現存社会主義」諸国が本当に社会主義だっとその自称を鵜呑みにして信じるのも間違いです。麻原正晃を最終解脱者だと信じるようなもので、そのような態度こそカルト的と申し上げざるをえません。

経済的に相応の分析すればわかることですが、いわゆる「現存社会主義」は、後発資本主国特有の、極度に国家主導的な〈資本の本源的蓄積〉体制です。イギリスでも本源的蓄積期には、残虐律法が施行されワークハウスで強制労働が課されていました。自営農民から農地が接収され(第1期には、領主権の乱用〔商人への転売含む〕第2期は議会の立法措置を伴う「合法的」施策として)、牧羊のための牧場や大規模農場へと転化されました。ロシア等で起こったこともこれと同じで、要するにそれは、社会主義化ではなく、資本主義化だったのです。

東ドイツ自体は、先進工業地域でしたが、地政学上の位置が災いしてソ連圏に巻き込まれただけです。

したがって、このご質問は、そもそもの前提が間違っています。

それでも、一応御質問の趣旨を組んで、解答させていただくと、現在進行形で言えば、メキシコのサパティスタの支配地域は、どうでしょうかね。本人たちもまだ社会主義になったとは考えていないとは思いますが、国家無き統治と自主的協同労働を実現すべき努力しているようですよ。

もう一つ、スペイン、バスク地方のモンドラゴンも事例の一つとして挙げておきます

https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n1407re2.pdf

http://impactcompass.org/new-economic-system-beyond-capitalism-at-s...

韓国も。

http://hokuga.hgu.jp/dspace/bitstream/123456789/3290/1/%E7%B5%8C%E6...



全1ページ

[1]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事