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自虐史観の葬送のために!守るべきは社稷であって国家ではない!

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《資本主義の根本原理は競争ですが、競争では勝ち続けなければ幸せになれない。 / じゃあ具体的にどうすればいいのですか?》

競争を社会的に規制することが必要ですね。競争の社会的規制というと、国家規制ばかり考える人がいますが、国家は社会的規制の手段としては、最も使い勝手の悪いものです。

労働組合、フェアトレード、社会的責任投資、マイクロクレジット、地域通貨、ワーカーズコレクティブのような協同労働のための協同組合等々、国家以外の手段も多様に存在しています。

資本主義社会の社会的分業は、各生産者が独自の判断で、排他的意思決定に従って、遂行する(多くの場合他人の労働力を消費して、したがって労働力の保持者に代行させる)私的諸労働が、市場での偶然的出会いを介して結びついたり、離れたりするという、自然生成的な性格を持っています。

この自然生成的な性格を制御するためには、私的労働の排他的性格を克服する方策、労働遂行に先立って、関係当事者が労働の内容について協議することが必要です。

上で上げた、労働組合〜ワーカーズコレクティヴなどの事例はいずれもこの事前協議による労働の内容調整を目指す試みであるといえます。


《人間の類的存在という 本質の現実化としての人間解放などという思想は、解放の予定調和だと論難されても、甘受するしかない。その点で、これは、言ってみれば、マルクス及び我々の一種の信仰告白かも知れない。》

《ひとまずは、どうしてもこのように限定しておかなければならないのであるが、しかしそれでは、このマルクスの解放のイメージは、全く根拠のない夢想の産物に過ぎないだろうか。》

《これは、我々の全く見知らぬ世界と いうわけでもない。彫刻家や画家の制作活動、或いは、音楽家の演奏活動等の場合にこうした世界があるだろうことは容易に想像出来る。そうでない市井の勤め人にとっても、趣味の世界や、ボランティア活動などのうちにそうしたイメージの実現を垣間見ることは有る。チーム・スポーツの世界についても同じことが言えるかもしれない。或いは、本格的な大衆運動の高揚のなかで、連帯や他への献身のうちに、ひとは、しばしば、自らの歓びを見いだすことが出来る。》

野原光「時代に応えうる人間的連帯と共同社会の像を求めて」


⇒「解放のイメージ」は、このような偶然的な事象、たまさか物象的依存関係の支配を免れた非「ホモ・エコノミクス」的な人間の在り方として、散見されるだけではない。むしろ、物象的依存関係に支配された「ホモ・エコノミクス」的な人間の在り方に対する、かなりの程度まで自覚的な反抗として、例えばフェアトレードや産直運動、産消連携協同組合等々として出現し、その勢力圏はいまだ限られているとはいえ、徐々に定着する傾向を示しているのである。




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1.人間性とは何か

 1)生命としての人間

 2)人間の生命の特色=人間性(自由と連帯)

   a.人と自然

   b.人と人

   c.「私」と社会と自然

2.人間性の実現を何がどう妨げているのか

 1)人と自然

 2)人と人

 3)「私」と社会(人々)と自然

3. 人間性の未来





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あなたは資本主義社会でなくても人間関係分断されてるんじゃないのー?(・Д・) 》


いまだに『資本論』を読んでいる人間です!

信仰の対象とはしないよう、努力しているつもりですが、人様からみると信仰の対象としているように見えてしまうかもしれません。でも、あきらめずに、努力していきたいと思っています。

疑問を持つこと自体を非難するのはいかがなものでしょうか。

真面目に答えると、実際には資本主義社会でない社会で暮らしていないので、それはどうかわからないでしょうね。

元の質問への回答としては、「資本主義社会では人間関係は分断されています」となります。商品生産が発達した結果「人間関係は分断され」、それがさらに進展して、資本主義に至ったものと考えます。

そのような社会関係を再生産する労働は、お金のための労働ではなくても、例えば賃金労働者への「内助の功」としての家事労働なども、十分に望ましい在り方をした労働だとは言えません。そのような労働を忌避するかしないかは、最終的に個人の判断にゆだねられるべきだし、そのような労働の在り方を変えたいと思うなら、それは非常にまっとうな感覚だと思われます。




《イギリスは資本主義国ですが社会国家と、学びましたが、本当ですか。資本主義国が社会国家なんてありえるんですか。よろしくお願いします。》

イギリスだけでなく、日本やアメリカ、EU諸国、いまや資本主義国の大半が、社会国家です。

社会国家は、社会主義を意味するわけでなく、「夜警国家」との対比で用いられています。つまり、警察や消防などの必要最低限の公共的活動だけを行い、国民の生活状態には、一切手を差し伸べない、いわゆる「自由主義段階」の国家から、産業革命後の労働者の生活状態の悪化を目前にして、もろもろの社会保障を実施せざるを得なくなった現代国家をさす言葉です。

現代国家が社会保障を行うのは、慈善のためではなく、現状の秩序、資本の支配を防衛するためです。極端に労働者が貧しくなりすぎれば、健康な働き手も足らなくなくなりますし、それ以前に労働者がさまざまな抗議運動を展開することになり資本の支配が危うくなります。

そうならないように、労働者に対する譲歩・懐柔として社会保障を行っているのです。






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