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今日も日経新聞夕刊のコラムより。
高橋たか子さんの「ノートル・ダムの立姿」。
ノートル・ダムというのは、あのパリの大聖堂のこと。
かつて森有正という哲学者は、日本の約束された地位を捨て、パリへ行ってしまったという。
パリにどのような魅力があったのか・・・。
彼は「ユマン」ということを強調していた。
「ユマン」というフランス語は「人間的」という意味。
でも、フランス人たちのみの環境でフランス語のみで何年も生活するのでない限り、わからぬたぐいのこと。
高橋さんにとっての「ユマン」とは
「単独でフランスへ行って感じる極限のさびしさ。
これは日本での肩書きとか家族関係とかで保護されていない状況のせいであり、そんな中でのみ体験される相手の一人一人の、存在の熱というものがある。
その人でしかありえぬ一人一人が私に向き合ってくる。
こちらが裸形でいて存在全体をひらいているならば、あちらも存在全体をひらいてくる。
熱い。
しかし、この民族特有の礼節をとおして洗練されていて、むきだしの熱ではない。こんな感じ」
と言っている。
なるほどねえ・・・
一方森さんは毎日毎日、朝も夕も、ノートル・ダムを見て暮らしているが、たったの一度も、同じ姿のノートル・ダムを見たことはないと言っていたそうだ。
そのときそのときの、光の具合や熱風や、いろいろの気象条件で、この大聖堂の色合いが違ってくるのだろう。それが見えるところで生きていて、それにかならず視線を向ける、という生き方をしているから、微妙な違いでも目にとまるのだろう。それを愛しているからこそ、そこまでのことが見えるのだろう。
すると、ノートル・ダム大聖堂は、彼にとって美しい建物以上の「何か」だったのだろう!
「何か」。
建物に限らず、自然、映像、音など何であっても美しいモノは、見ていて飽きることがない。
そして、飽きることなく眺めたり、そこに存在することで、自分自身が溶け込んでいくのかな。
きっと、そんな感じだと思う。私も「何か」を見つけたい。(A)
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森さんのように、人生で燃え尽きれる「何か」を見つけられたら幸せですなぁ。。。。それがたまたまノートルダム、というところにも、風情があるというか、美しいというか。。。。
2005/11/20(日) 午後 3:28
おおお。遅れてスミマセヌMAMA様。確かにそうですね。おっしゃるとおりです。
2005/11/28(月) 午後 10:35
ブログを読ませていただき、モネのルーアンの大聖堂の連作を思い出しました。確かに、大聖堂は人を強くひきつけるものがあります。デザイン、歴史の重み、人々の思い、など「何か」があちこちにひそんでいそうです。
2005/12/15(木) 午前 0:44 [ jetmk ]
・jetmk43さんこんばんは!信者でなくても、大聖堂を目の前にすると背筋を正してしまいますね。神聖な空間。ルーアンの大聖堂のモネの連作もまた荘厳な趣なのでしょうね。。。「何か」を感じに行きたいです。
2005/12/15(木) 午前 1:56
ヨーロッパは力によって分捕り合戦を何百年も続けて来た国です。そのために法律がつくられた。そろそろ無駄な浪費は止めようかって。次の段階に上がるために、いろいろ考えたのでしょう(笑)そんな長〜い歴史があったから、文化も習慣も熟成してくる。もちろん、人間として甘いも辛いも、良く分かってくる。厳しい社会環境があったから、人間として守らなければならない大切なものが見えたのでしょう。昔の日本文化にもあったはずです。精神文化はなかなか継承されませんね。私も昔々、その場所でスケッチなどを・・・(笑)
2006/6/30(金) 午前 8:28