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内藤氏といえば、思い浮かべるのはやはり「海の博物館」。 ひんやりとした収蔵庫の構造体の力強さに圧倒されたのを覚えている。 現在は東京大学教授として活躍されている内藤氏。 今日の講演は、これまでの自身の作品紹介と、それを通して考えつづけてきたことがテーマだった。 以下、内容抜粋。100枚にも及ぶ写真を見ながら駆け足の1時間。 1.【素形】1985〜1992年 30代:志と金の戦い
○「海の博物館」 世の中バブル真っ盛り、工事費に至っても坪300万がごろごろしている中、 手がけたのが「海の博物館」。 展示棟は55万/坪と収蔵庫40万/坪の工事費だったため、 各々の材料をつくるプロセスまでも分析して、徹底的なコスト検討をした。 バブル批判という意味も含み、材料と形態の最適解を実現できたと思う。 ○「杉並・黒の部屋」 マンションの1室の改装。 当時も有名だった打ち放しコンクリートが得意な大阪の建築家に対抗し、 コンクリートはあんなにきれいなものではなく、もっと生々しいものであるべきだ、 とコンクリート剥き出しの仕上げとした。 2.【Sheltering Earth】1993〜1994年 40代:志と密度の戦い
建築は自己主張しなくてよい。構造体を覆えばよい、という考え。 仕事が増えてきたこともあり、ひとつひとつの密度を高める事に集中した。 ○「安曇野ちひろ美術館」 海の博物館のストイックさと比べると、甘くなったのでは、と批判もされたが、 そうは思っていない。 3.【Silent Architecture】1994年〜
建築とは大声を出さなくても、静かで良いのでは?ポストモダニズム批判。 ○「極楽寺の家」 住み手が気にいってくれたので、年を経るごとにますます良くなっていく家。 ○「牧野富太郎記念館」 海の博物館と対極にあるかのようにみえる、造形的な屋根を持つ。 敷地に対して素直に平面的に配置し、素直に屋根をかけたらこのような形状となった。 訪れるごとに自然が覆い、建物が自然に近づいているようだ。 4.【Super Regionalism】 1998〜2002年
○「倫理研究所」 木造の合理的ジョイントを追求。世界で始めて、金物を使わない仕口を開発した。 5.【建土築木】 2002年〜
土木にもデザインを、と東京大学に呼ばれ、現在に至る。 建築で考えた事をどのように土木に還元できるかを考えた。 建築、土木、都市で地方再生を試みる。 ○「島根県芸術文化センター」 人口5万人のところに130億円もの巨大投資、ハコモノ行政と言われてもおかしくない規模。 コンペで設計することとなったが、いかに地域を再生させかがテーマ。 ホールの音響は涙が出るほど素晴らしく、地域にも根付き、 1年で70万人が利用する活気ある場となっている。 ○「高知駅」 地域再生の一つとして「駅」は重要。 構造家、川口氏のアイデアにより地元の杉材を使って線路からホームを覆った。 建築と都市と土木の融合。 6.最後に
いい建築をつくっても、住む人、使う人が不幸になるならやめた方がいい。 きれいなデザインをつくっても、町並みが壊れるならやらない方がいい。 バブル時代の悪しき流れが到来し、「作品主義」という幻想で目的と手段があべこべになっている 気がする。 建築の殻を破り、社会でのコミュニケーションをとっていきたい。 そのためにも、主義主張は途中で変えず、その場で唯一無二のものをつくることが大切。 1時間という短時間でたくさんの作品の写真を流されていたので 動く作品集を観ているだけ、という印象を受けた。 せっかく生の声を聞ける機会なので、内藤さんの作品の歴史はさらっと説明していただき、 最新のプロジェクトを、設計や現場での苦労話などを交えながら聞きたかった。 本日は時間がないので詳しくは、本日も売っている本「建土築木」にてって。。。寂しすぎます。。 (といいつつ、ついつい買ってしまった。。。サイン入り♪) でも、お話は分かりやすく、再三おっしゃっていた「建築は手段であって目的ではない」には同感。 やがて訪れるであろう、好景気にも、足元をしっかりみていきたいものだ。 |
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大きな建築から日々の業務までのコラム
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【改正建築基準法】休業する確認検査機関も、戸惑う実務者の声
2007/06/20 仕事にならない! 仕事ができない? 耐震偽装事件を受けて改正された新・建築確認制度が6月20日に始まった。 建築確認を行う確認検査機関でも、制度改正を受けて営業を一部停止して様子見する所がある。 京都確認検査機構などがその例だ。 確認検査機関がそんな状況なのだから、設計・施工の現場はどう対応したらよいか、 さらに判断しかねる。 新制度の施行前日にある構造設計者は、 「まだ細かな提出書式もわからない状況で手の打ちようがない。 可能であれば細かな運用が明らかになるまで確認申請を出したくないのが本音だ」と語った。 建築確認・検査についての法改正の柱は (1)確認や検査を厳格化するための「確認審査等に関する指針」の作成と公表、 (2)第三者によるピアチェックを義務付ける「構造計算適合性判定制度」の導入、 (3)従来21日だった確認済証交付までの日数を最大70日まで延ばす「建築確認の審査期間の延長」、(4)計算方法や計算時の仮定条件の設定方法などを告示で規定する「構造関係規定の見直し」――などだ。 しかし、確認審査等に関する指針の公布は法施行の当日となり、 これを特定行政庁や指定確認検査機関がどのように運用するかは未知数。 構造関係規定の詳細を知るための「構造関係技術基準解説書」の発刊は さらに遅れて7月末になる見込みだ。 kenplatz ほんとにお仕事になりませ〜ん!!
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階段には必ず「手すり」を──あなたはどう思う? 2007/06/06 日経アーキテクチュアでは現在、「手すり」をテーマとする特集の取材を進めてい(掲載は7月9日号の予定)。 階段やバルコニーの手すりについて、法規・安全・デザイン・歴史などの視点から、 多面的に検証してみたいと考えている。 企画の発端は、住宅見学会や雑誌などで目にする住宅に、あまりにも「手すりなし階段」が多いからだ。 2000年の建築基準法改正で、階段には手すりの設置が義務付けられた。 高齢化社会に対応するためだ。 法改正以降に建築確認を受けたもので、階段に手すりのないものは違法ということになる。 たとえば、法改正前は、階段の両側に壁があれば手すりは不要だった。 しかし、改正後は階段の両側が壁であっても、どちらか一方の壁に手すりを設置しなければならない。 たかが手すりくらい、と思う人もいるかもしれない。しかし、違法は違法だ。 明らかに法に反しているとわかった建物の場合、 日経アーキテクチュアでの掲載はお断りせざるをえない。 この状態を放置しておくと、雑誌に載せられる住宅がごく限られたものになってしまうのではないか。 そんな危機感を抱いている。 取材を進める前は、設計者が意図的に手すりをつけていないのだろうと想像していた。 しかし、取材を始めてみると、必ずしもそういう人ばかりでなく、 「義務化されたことを知らなかった」という人も多いことがわかった。 一方、法に従って手すりを付けている設計者のなかにも、 「不特定多数の人が使う施設ならともかく、 個人住宅に一律で手すりの設置を義務付ける必要があるのか」と、 否定的に考えている人が少なくないことがわかってきた。 手すりは多くの設計者にとって、意識すらしないもの、 あるいは美意識に反するものなのかもしれない。 取材はこれから後半戦。特集の視点をより明確にするために、 建築実務者の方に次のアンケートにご協力いただきたいと考えている。 匿名調査なので、ぜひあなたの本音をお答えいただきたい。 ●ワンクリックアンケート結果 階段には必ず「手すり」が必要──あなたはどう思う? 【質問1】建築実務者の方におうかがいします。 あなたは、階段には必ず手すりを設置しなければならないことを知っていましたか。 (ひとつだけお選びください) 【回答】 知っていた。必ず設置している 72% 228 票 知っていたが、設置しないときもある 9% 31 票 知らなかったが、必ず設置している 7% 25 票 知らなかったので、設置しないときもある 6% 19 票 そのほか 3% 【質問2】建築実務者の方におうかがいします。 あなたは、階段に手すりの設置を義務付けていることを、どう思いますか。 (ひとつだけお選びください) 【回答】 義務付けて当然 23% 62 票 義務付けは必要だが、個人住宅にまで義務付けるのは過剰 28% 77 票 義務付けは必要だが、建物の用途によって内容を変えるべき 40% 109 票 どの用途の建物についても、義務化は適切ではない 5% 14 票 そのほか 1% 4 票 高層建物の廊下やバルコニーに設置する落下防止の「手すり」とは目的が違う 高齢者や障害者(或いは健常者でも怪我や病気に見舞われたときのための)「手すり」。 確かに、雑誌にのっている「カッコイイ」住宅の中には手すりがないものも。。 私個人的には、「義務付けは必要だが、建物の用途によって内容を変えるべき」だと思う。 ある程度、設計者の裁量に任せてもよいのでは?
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森美術館で行われているコルビュジェ展にあわせているのだろう。。 安藤さんの著書「連戦連敗」も読んだが コルビュジェのイタコとして書かれたこのコラム、 安藤さんのそれと通じるものがある。 提案したものの成功率は2割程度。 ただ、求められなくても、常に「考えて」いる。 考えることこそが、経験になっていく。。。 展覧会も行ってみたいと思う。
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とある設計事務所のHPを見ていたら、とても魅力的なコメントが。 あれはちょうど私がオランダにいた頃でした。 同僚のオランダ人に「オランダの寛容さが魅力だ」などとありきたりなことを言ったら,苦笑いされて 「俺達は寛容ではない。妥協しているだけだ。生きるための妥協だ。」 と突っ返されたことがあります。 なるほどなあと思いつつ,それでも様々な覆いかぶさってくるネガティブな条件を逆手にとっては 魅力に変えてしまう彼らの術には,やはり敬意を覚えずにはいられませんでした。 彼らにとっての妥協とは,物事を簡単に出来ないと決め付けては安易な方向に流れるといった, 一般的にいう妥協とは全く違う類の精神性に支えられたものでした。 建築はけしてデザイナーの内側だけでつくられるものではありません。 クライアントの価値観,敷地の物理的条件や風土,歴史,法律,コラボレーターのノウハウ, 施工者の技術・管理力といった,異なる独立した責任の融和によって生まれるひとつの偶然であり, 出会いとも言えます。 けして自己完結することのないその出会いを手繰り寄せることが,デザイナーの役割とも言えます。 「きみづかアーキテクツ」 彼曰くの「一般的な妥協」に日々溺れている自分に改めて気付き、ガツンとやられた。 「仕方がない」 が自然に口癖になってしまっている。 新人君のキラキラした瞳を曇らせる事のないよう、
初心を思い出して、がんばらなくちゃ♪ |



