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□東京オペラシティアートギャラリーにて 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)の企画により、画家・猪熊弦一郎を 子どもに紹介する目的で詩人の谷川俊太郎の文による絵本「いのくまさん」が発行されている。 この展覧会は、この絵本から生まれたそうで、こどもたちにもわかりやすい構成。(土日は中学生以下無料!) そしてもちろん、おとなも猪熊ワールドを楽しめる。 1.こどもの ころから えが すきだった いのくまさん おもしろい えを いっぱい かいた 幼少の頃から絵を描くことが好きだった猪熊さんですが、専門の美術教育を受けたり 名画をめにすることはありませんでした。 画家になる上で大きな影響を受けたのが、従兄で東京美術学校彫刻科に学んだ中村武平氏です。 自伝「私の履歴書」の中で猪熊さんは、「武平さん」からもらったスケッチブックに 上野動物園の動物や街を行く女性の姿が生き生きと描かれていたこと、また、絵本のない時代に 学校から帰ってそのスケッチブックを開く時が、おごそかで夢にあふれた、歓喜の時であったことを 振り返っています。 会場構成の主はひらがなで表現された各作品のテーマ。 大きく大きく表現されて、それ自身で会場を穏やかに仕切っていた。 展示台などはすべて段ボール。手作り感(?)が演出されていて、緊張せずに日常の延長で鑑賞できる。 楽しい。いのくまさんに一気に惹きこまれる。 2.いのくまさんは じぶんで じぶんの かおを かく 美術学校時代、猪熊さんはペンやパステル、鉛筆などで毎日「自画像の日記」をつけていました。
多様な表情をとらえる習作として始めたこの日記は1年間ほど続きました。 1950年頃、ある雑誌のエッセイで猪熊さんは自分の顔についてこのように語っています。 「・・・眉は太くて大きく顔の全面積の中で、可成り強い存在である。 頭の髪の黒さの下に眉の黒い横線があるので、私の顔は重心が上の方にあり過ぎて不安定でならない。 バランスの為に鼻の下にひげをたくわえたい欲望も解る。」 具象での自画像がたくさん。明るいもの、思い悩んでいるもの、そのときの猪熊さんの心境が伝わってくるかのよう。 3.ほかの ひとの かおも かく 文子夫人をモデルに描かれた「サクランボ」や「S君の像」は、1938年から1940年という渡仏中の短期間に描かれた人物像です。
アンリ・マティスのアトリエを訪ね、直接絵についての指導を受ける機会に恵まれたことから、 マティスの選び抜かれた輪郭線による表現を始めとする、さまざまな方法が試みられました、 渡仏間もない頃の日記には、街行く人々ををスケッチした時のことがこう書かれています。 「色んな顔の行列で愉快でならぬ。何とよくもこんなに面白い顔が出来たと思う程愉快な顔が出てくる。 巴里に来て初めて人間の顔の面白さを知った。」 後年の制作の中心となる顔の造形への関心は、この頃から生まれていたようです。 可愛いな〜。猪熊さん。 4.たくさん たくさん かおをかく 1988年に猪熊さんの最愛の妻、文子さんが死去します。 妻を失った空虚を埋めるために、猪熊さんはたくさんの絵を描くようになりました。 1955年の渡米後、具象から抽象へと向かった作風は、この時期、また具象へと移行したかのように見えます。 しかし猪熊さんにとっては「顔もまた抽象形態の集まり」でした。 たくさん、たくさんの顔。抽象形態なのに、具象以上に生き生きとしている。 奥様の死が背景にあったのだと思うと、切ない。 5.いのくまさんは とりが すき 1980年代以降、猪熊さんは鳥を多く描きました。 「帰る 太陽のもとへ」」は、「鳥の時代」という名前がつけられたスケッチブックの中の1点です。 このスケッチブックには1983年から1991年までの9年間に描いた80点余りのドローイングが収められていて、 それぞれページをめくると裏にタイトルが記されています。 「帰る 太陽のもとへ」の裏には、タイトルの「帰る」の横に小さな「カエル」が描き込まれています。 会場には、DVDも流されていたが、とにかく、鳥がいっぱい。 ぱっと見、小学生が描いたの?というように見えるのだが、スケッチブックへの配置や色遣いなどは、とても絶妙で ずーっと見ていて飽きない。 6.いのくまさんは ねこも すき いっぱい いっぱい ねこを かく 猪熊夫妻は何匹もの猫を飼っていました。
猪熊さんはかつて、動物の中ではどちらかといえば虎や豹のような猛獣が好きで、 猫の「小さな猛獣性」を美しく描くことに腐心していると述べています。 「猫は小さい、そして何処にもありふれた動物であるが、これを描き得れば、他の動物も同じことである。 私は、人間をふくめての動物を深く知り度い。」 ねこちゃんもいっぱい。 7.いのくまさんは おもちゃが すき ここで紹介するのは猪熊さんの「可愛い友」であり「宝物」であるコレクションの一部です。 コレクションは日常生活の中にあるすべての事物に好奇心をもち、そこにある美を発見することから始まりました。 猪熊さんはこれらをいつも目に触れるところに置いて生活を楽しんでいたようです。 「アーチストとしてのテイストにふれるもの、私の仕事に何か滋養分としてプラスになるものは、 いつでも自分の手元にあってほしいのである。」 おもちゃ。。。展示がまた工夫されていて楽しい。 8.いのくまさんは かたちが すき こんな かたち あんな かたち かたちは のびる かたちは まがる かたちは つながる かたちは かぎりない 1955年から1975年までニューヨークで暮らした猪熊さんは、その巨大な「都市」をモティーフとして、 幾何学的形態の構成による作品を展開していました。 猪熊さんは、地平線が続くアリゾナの砂漠を経て初めてニューヨークにたどり着いた時、 人間の意志からなる高層建築物の垂直線がとてもきれいに見えたと語っています。 渡米前の「半抽象画の様な割り切れない絵を描いていた」作風から具象的な形態が徐々に消え、 代わりに丸や四角といった形があらわれるようになるのです。 上の作品は「驚くべき風景(A)」。 ニューヨークの摩天楼を表現した作品は、鮮やかで、抽象的な中に驚きが感じられる。 9.いのくまさんは いろも すき こんな いろ あんな いろ いろが うまれる いろが ささやく いろが さけぶ いろが うたう 猪熊さんは1973年に患った脳血栓がきっかけとなり、1975年からハワイと東京を制作の場とします。 ハワイという土地を選んだのは、健康上の理由だけでなく、初めてこの地を訪れた1955年、 惜しみなく降り注ぐ陽光と明るく照らされた美しい光景が目に焼きついていたからでした。 「色はハワイに行ってきれいになったと思いますね。全体が明るいんです。 本当の明るさで描くから色を使うのが楽しい。」 互いの色を際立たせる大胆な配色は、画面に簡潔さを強さをもたらしています。 上の作品は「宇宙都市休日」という題名で、とっても鮮やかな水色に包まれる。 ハワイのいろ、なんて素敵なのでしょう! 10.ぬりえを しよう ぬりえが配布されていた。 11.いのくまさんは たのしいな 猪熊さんは晩年「最も優れた芸術は建築である」と語っています。 芸術を統合するものとしての建築への関心により、猪熊さんは公共建築の壁画などを多く手がけました。 ここにはまた「芸術と生活は結びつくものである」という画家の意識が反映されています。 ほかにも、工芸、服飾、演劇、映画、デザインなど、新しい時代に沿うように、猪熊さんはさまざまな分野において作品を提供しつづけました。 三越百貨店の包装紙や紙袋など、よく目にするモノが、猪熊さんの作品だったことが分かり、感心すると共に、自分の無知に愕然。 ※解説及び挿絵は「展覧会鑑賞ガイド」及びHPより抜粋させていただきました。
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各種展覧会感想記。ネタバレ注意。
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東京オペラシティアートギャラリーにて 2007年11月3日〜2008年1月14日 まだまだ続く、ていうか、永遠に続くであろう「北欧ブーム」。 どうしてだろう。。。 なぜか惹かれるたくさんのデザインたち。 北欧といっても、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーの4カ国。 各々は、違う気候や文化、言葉を持っているのに、どこか通じるものがある。 厳しい自然から身を守る「家」は、とても大切なところだから 手に触れる家具や、食器、小物たちは自然とあたたかなものになる。 手工芸が国をあげて大切にされているとことも大きい。 家具デザイナーたちは、同時に家具職人としての技術も求められているので、 必然的に機能とデザインが合わさったたものになる。 展示されていた家具や小物たちの中には、 最近では日本でも見かけることができるようになってきたものもある。 どれもこれも、ずっと触っていたくなるような、あたたかなものばかり。 やはり、「手づくり」というところが伝わるのだろうな〜 ※画像は展覧会HPより拝借させていただきました。
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日本近代建築史研究の第一人者であり、建築探偵としても有名な藤森照信さん。 自ら建築作品を手がけるようになったのは1990年「神長官守矢史料館」。 以来、形式にとらわれることのない独創的な建築の数々を発表し、建築界に驚きを与え続けてきた。 昨年第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展で開催された「藤森建築と路上観察:誰も知らない日本の建築と都市」は、国際的な評価が高い日本の現代建築のもうひとつの顔として大いに話題を呼んだという。 今回はその展覧会の帰国展。藤森建築を本格的に紹介する国内で初めての機会。 建築家たちは、コンペやプロポーザルなどで、形や空間の表現に捕われ、「仕上げ」においては 二の次、というか、触れないで終わってしまっていることもある。 「仕上げ」こそが人の目に触れるものであり、最も大切なもの。。。 「仕上げ」にこだわる藤森さん、「縄文建築団」の世界がそのまま展示空間に! 個人的に、藤森建築で最も印象的な作品。まるで宮崎アニメに出てきそうな夢みたいなカタチ。 展示会場では構想から竣工までの過程をビデオで流されていたがとにかく楽しい。 藤森さんの実家の畑に建てたこの建築。 「ぽこぽこたくさん建てたら楽しいでしょう?」なんて、色鉛筆でぐりぐりスケッチしている藤森さん、 ホント楽しそう!お喋りだし。。。 周りよりちょっと高すぎた!というので名前が「高過庵」って。。。 山から「これがいい」といって切り出して乾燥させた栗の柱を立ててから、本体を造るときに仰々しい現代的な足場とブルーシートで覆われた姿は、竣工した姿とのギャップがあまりにも大きすぎて可笑しい。 「茶室 徹」 「ラムネ温泉館」 展示室の壁には作品の写真と、それに使われた素材のモックアップが。 チェーンソーとそれを使ったときの木材の削り口、というように、見た目にも分かりやすく 「焼杉(ヤキスギ)」などは、耐久性をあげるための昔からの工夫を現代的にアレンジしてあった。 「ニラハウス」 「タンポポハウス」 屋根に草が!!究極の「屋上緑化」。 でもしっかりとディテールを考えてあり、雨漏りは今までしていないという。 やはり観ていると口元が緩んでくる。。。楽しい。 「第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展 日本館展示風景」 「東京計画2101」 今回の展示でも、この写真の雰囲気を再現されていたが、違うのは展示会場の天井高さ! 展覧会で壁一面にこの会場デザインの藤森さんスケッチが並んでいたが、かなり思考錯誤されていた。 低い入り口を屈んでくぐると、そこにそびえるのは高さ5mほどもある巨大な芝の塔! これは「東京計画2101」に因んでいたのだろうか、まるで生き物のような存在感。 2101年の東京、温暖化によって水没してしまい、反省した人間たちが環境問題に取り組み。。。 荒んだというか、究極の建築というか。。。 とても衝撃的な作品。 路上観察「緑のドレス、東京」 路上観察「世界一楽しいスベリ台、東京」 繭のような楕円のテントに入ると、そこは「路上観察学会」の世界。 「路上観察学会」のメンバーが、各々撮りためた写真をテーマごとに写しながらコメント。 まったりとしたコメントぶりが可笑しい。撮影している姿は怪しいオジサマたちなのだが。。(失礼!) 右上の写真は、旧同潤会の中庭らしいが、世界一スリルがある滑り台!本当に!! こんな感じで、日本全国の面白い「スポット」を紹介してくれる。 ある種日本的な面白さ。これを世界の方々はどのように観てくださったのか、気になるところ。 原始的に見えながらも現代的な方法で仕上げられた建築たち。 たくさんの建築を観てきた藤森さんだからこそできる究極の世界。 西新宿のビルの中で、草や土の匂いに癒され気分良く会場を跡にした。 こういう感覚、とても大切なことだと思う。 ※記事中の写真はHPより引用させていただきました。
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・会期 2007年2月3日(sat)−2007年5月27日(sun)
Part 1 (2月3日〜3月31日)、Part 2 (4月1日〜5月27日) 3月末に展示の入れ替えがあります。 ・開館時間11:00〜19:00 *毎週水曜日は21:00まで延長 ・休館日:月曜日 (但し2月12日、4月30日は開館) ・入館料 入場料:大人1,000円 学生800円(25歳以下) (期間中、何度も使えるパスポート制) ・主催 ブルーノ・タウト展実行委員会/ワタリウム美術館 ・展示協力 東リ株式会社/株式会社堀内カラー/井上工業株式会社/ 中村展設株式会社/KEIM FARBEN GmbH & Co KG ・構成 マンフレド・シュパイデル ・実行委員長 磯崎新 ・会場デザイン 隈研吾建築都市設計事務所 ・出品協力 Akademie der Kunst, Berlin/Verein Polygon/Theaterwissenschaftliche Sammlung/ Architektur Museum Technische Universitat Munchen /Thanh Thuy Taut/Isi Fischer/ Winfried Brenne 東京大学工学部建築学科/群馬県立歴史博物館/岩波書店/創造学園大学/ 少林山達磨寺タウト記念室/熱海市 久々に訪れたワタリウムでの展覧会。 とてもコンパクトなスペースを、天井から吊るされたパネル(というかシート)により 有効活用されていた。 隈さんデザインの展覧会。 エレベーターで2階に上がって最初に見た言葉が最も印象的だった。 ■展覧会に際して 理想的な人間環境に対する哲学、これが公共建築に課した3つの主要な機能。 1.住宅には日常生活のための庭や近隣生活が備わっていること。 2.社会生活のための教育や余暇などの文化的な公共建築が備わっていること。 3.建物はいかなる目的から制約を受けずに解放されていること。 建築は社会的にも宗教的にも制約されず、絵画や彫刻と同じように純粋な創造物である。 建築とは芸術を体験する精神世界のための独立した存在である。 住宅とは、装飾を排した簡素なものであるべき。 しかし、色彩を介して快楽を享受できるべき。 社会的な公共建築については、左右対称のような威厳さの表現も必要。 しかし、芸術としての建築の役割とは、人類を宇宙と関連づけることにある。 その手法としてクリスタルや星などの形態、或いは太陽光におけるような色彩、 そしてガラスや水晶のような素材が採用されるのだ。 自然と芸術の関連性、所余と人工的な環境との関連性は、タウトの作品全てに通底しており、 破綻していない。 この展覧会の展示のどの部門においても、展示された作品は、3つの概念、 即ち日常生活、社会生活、精神生活が相互に結びつけられており、 「完全なる」人間の世界へと融合されていることを表現したものと言える。 その表現のひとつ、「グラスハウス」について。 ガラスの建築、ガラスの意義を認識させられる。 ■「グラスハウス」について(詩人パウル・シェーアバルトの詩) 「ガラスの宮殿なしには、人生は重荷になる。」 「彩り豊かなガラスは憎しみを破壊する。」 「鉄筋コンクリートなしの構造とは、どんなものなのだろう?」 「光は万物を透過せんとし、結晶の中で生き生きと輝く。」 「ガラスは、すべてを明るくする。これを使って直ちに建てよう。」 「ガラスは、新たな時代を切り開き、煉瓦の文化は我々を苦しめる。」 そして、ブルーノ・タウトといえば、やはり「桂離宮」 屏風状に置かれたガラスのパーティションに、スケッチと言葉が、タウトなりの「順路」に沿って 並べられていた。そのうちの一つが。。 ■「画帖桂離宮」より 桂離宮は「純粋に裸の建築」だ。 16.一般に装飾を施したがるこの部分には、桟と枠があるだけだ。 植込、水、鳥、これら一切のものは戸外で最高の美を形成している。 装飾などとは無用の競争であろう。 タウトが「桂離宮」を訪れたのは、偶然というよりは、必然だったのかもしれないが 世界に日本の建築を広めてくれ、また、西洋に憧れを抱く日本人に、 日本文化の良さを再認識させてくれたことは、周知の通り。 3階の展示室には、彼が日本の友人とやりとりしたたくさんの手紙、 そして、4階には工芸品、 地下には、なぜかピンボケしている、彼が取った日常の写真たち。 「言葉」にあふれた、読み応えのある展示だった。 改めて、「ニッポン」を考えて見たくなる。
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21_21 DESIGN SIGHTのオープニングにあわせ『安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘』を開催します。
本格的な企画展を前に、完成直後の建物を公開することにより、建築空間そのものを体験していただく 試みとなるこの企画では、建築模型・写真・ドローイングなどを併せて展示し、 完成までのプロセスを紹介します。 (21_21 DESIGN SIGHTより) 東京ミッドタウン内にある「21_21 DESIGN SIGHT」にて。 事前招待で一足早く訪れる事ができた。 屋根は、三宅一生の1枚の布をイメージしたという。 一見すると折り曲げられた1枚の鉄板にみえる。とてもシンプルな形。 屋根に包まれた開口部 樋は鉄板で加工されている。40mm程度。 アプローチは1階。地下におりていくと、吹き抜けから穏やかな光が注ぎ込む。 展示室はコンパクト。打放しコンクリートの緊張感ある静かな空間。 現在進行中の安藤さんの作品が展示されていたが、メインは「21_21 DESIGN SIGHT」のできるまで。 定点観測の画像、実施設計図、モックアップや模型、そしてたくさんのスケッチが 所狭しと展示され、安藤さんや、この建物に携わった皆さんの悪戦苦闘ぶりが伝わってきた。 意外だったのは、屋根の形。 もっと簡単にこのカタチ、1枚の布→1枚の鉄板をイメージしたカタチになったのかと思ったが 実は、たくさんのスタディがある。 そして、安藤さんらしく?!与えられたのであろう敷地をはみ出しつつ ぐりぐりスケッチを重ねていた。 そう、この建物は、地上に見えている空間よりも 地下に豊かな空間が詰まっている。 これからどんな展示を、使い方をされていくのか。 楽しみだ。 |




