建築士のつぶやき

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開催時期:2006年10月7日(土)-12月24日(日)
開催場所:東京オペラシティアートギャラリー
訪問日:11月12日


ようやく街路樹が秋色に染まってきた中
早々とクリスマスツリーを設置している最中のオペラシティーにて。

伊東豊雄建築設計事務所が展示デザインを行ったという会場は3つに分れていた。
伊東氏が掲げる「新しいリアル」に興味深々。


■space A(ギャラリー1)
伊東の最新概念「エマージング・グリッド[生成するグリッド]」とは?

チケットをもぎっていただいてすぐのスペースに現れたのは
「台中メトロポリタン・オペラハウス」プロジェクト。
模型や図面、映像によって、床だか壁だか天井だか区別のつかない
「エマージング・グリッド」の世界を表していた。
3つのホールは、有機的な空間に存在し、そこで繰り広げられる演劇や音楽と呼応し
さらに生成していくのか。
子供のころ、思い描いていた「未来都市」の建築が、いよいよ実現していくのだ。
完成がとても楽しみ。


■space B(ギャラリー2)
物質(もの)のもつ力 ─ 「新しいリアル」の提案

次のスペースに現れたのは、「瞑想の森 各務原市営斎場」の屋根部分。
これがなんと、実物の型枠を解体し、持ち込んで
施工した職人さんたちの手によって再現されたというのだから驚き。
配筋→型枠→仕上の過程が実物大模型と映像によってよくわかり
建築が「リアル」に存在しているのだということを肌を持って感じることができる。
一枚一枚大きさや角度の違う型枠、3次元曲線を描く鉄筋、気の遠くなる職人さんたちの手作業が
あの美しい曲面の背後に存在する。

「瞑想の森 各務原市営斎場」には実際に訪れたことがあったが、
あの滑らかな曲線を描く屋根に上りたい衝動に駆られて仕方が無かった。
少しだけではあるが、体験できて感動。

靴を脱いで入る次のスペースは、真っ白の空間。
うねる真っ白の床面、ランダムに置かれた模型とその周辺に空けられたカラフルな「穴」。
この穴にすっぽりはまって、模型をさまざまな視点から眺めることができる。
壁一面に描かれた原寸大の図面や映像たちは、より「リアル」に私たちの五感に迫ってくる。

迫力満点のTOD'Sの実物大モックアップをくぐって現れるのは、映像スペース。
伊東氏デザインの木製ベンチ〈ripples〉に座って、彼の仕事をゆったり見ることができる。

通常の建築展の展示とは違い、その空間を擬似体験できるように工夫されており
さらに、鑑賞者をもその展示空間の一部に見立て
建築は「物質」によって、そしてその「物質」を扱う「職人」たちの手でできているのだということを
改めて感じさせてくれる。


■space C(コリドール)
伊東豊雄の全軌跡 ─ 伊東豊雄建築設計事務所の35年間

1971年の事務所設立以来の活動を、全長30mのパネルによって展示されている。
住宅から始まり、現在の海外公共建築まで、伊東氏の言葉や、当時の雑誌、写真、
そして、妹島さんやヨコミゾマコトさんら、元所員によるコメントなど
とてもわかりやすく、丁寧にまとめてあった。

所員3人ほどでスタート。最初の数年は、1年に2〜3軒の住宅を設計していた時代もあったという。
その時代にじっくり考えていたからこそ、今がある。。。

今では40人を超える所員がいるようだが、伊東事務所の凄いところは
卒業生も、第一線で活躍していること。
「伊東チルドレン」ばかりが建築界にはびこっていては、日本の建築が危ない、と言われるくらい
勢いがある。

それは、伊東氏の仕事をみて感じる、「人」を大切にするこころが、受け継がれているからなのか。


「建築は残らないけれど、人は残る」
《せんだいメディアテーク》以降意識していることなのですが、
僕にとって建築はつくるプロセスに大きな意味があるのです。
どれだけの人が関わり、どのような議論をしたかということがとても重要です。
人間が育っていくのと同じように、建築をつくること自体が建築を育てるということかもしれませんね。さらに、建築は完成した後も、使う人によって育てられ、つくられていく。
そういうプロセスを大事にしたいのです。
(by伊東豊雄)


ギャラリーの広さも、展示内容の量も丁度良く、最初から最後までじっくりと
「新しいリアル」伊東氏の掲げるコンセプトを身をもって体験でき、考えることのできる
とてもいい展示だった。

「明日の神話」

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岡本太郎「明日の神話

■壁画公開
開催日:2006年7月8日〜8月31日
開催場所:日テレプラザ

■企画展
開催日:2006年7月6日〜10月2日
開催場所:岡本太郎記念館

■TV特集
7月15日(土)15:30〜16:55
「明日の神話 修復全記録!Be TARO復活の日」(仮題) 日本テレビ

いまから37年前の1969年。
岡本太郎は大阪万博の準備に忙殺される傍ら、
メキシコで巨大な壁画を完成させていた。
「太陽の塔」と対をなし、
岡本芸術の最高峰として脚光を浴びるはずだったこの「明日の神話」は、
不運にも完成後に人目に触れぬまま行方不明になり、
3年前にメキシコシティ郊外で発見されたときには大きな損傷を受けていた。
翌年「明日の神話」再生プロジェクトが発足。
メキシコでの解体から15ヶ月、
岡本太郎のメッセージが、
37年の時を超えて私たちに届こうとしている。。。

糸井氏が掲げたコピーは
「Be TARO!」・・・みんな太郎になれ。

果たして私は太郎になれるのか??

まずは彼のアトリエを訪れた。

「岡本太郎記念館」

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友人の坂倉準三の設計で建てられたアトリエ。
ル・コルビュジェの愛弟子だった坂倉は太郎の求めに応じ、
ブロックを積んだ壁の上に凸レンズ形の屋根をのせてユニークな建物を作った。
当時話題をよんだ名建築という。
故・岡本敏子さんの手により、記念館として公開されている。

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アプローチには左手にカフェ、右手に中庭が。
彼の作品たちが青々と育った樹木と供に棲んでいる。

エントランスを入ると2層吹抜の空間。右手に、かつて彼らが過ごしたアトリエがある。
嬉しいことに、館内の写真撮影はOK!

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リビングの一角で、彼が歓迎してくれた。

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家具や食器など、全て彼の作品。今でも暮らしているかのような空気。
中庭を臨む活き活きとした空間。

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奥には2層吹抜のアトリエ。
机の上にはたくさんの画材道具。

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整然と並べられた作品と、床に飛び散っている絵の具たち。
彼の息遣いが聞こえてくる。

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受付に戻り、2階に上がると、今回の「明日の神話」の展示。
「太陽の塔」が見守ってくれる。

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「明日の神話」の下絵。小さくても迫力がある。目が離せない。足がすくむ。




彼らがまだ暮らしているような、温かな記念館を後に
汐留「日テレプラザ」へ。


「明日の神話」

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高さ5.5m、幅30m。
産まれて初めてこんなに大きな壁画を観た。
(写真、パノラマ合成のため、歪んでしまっています。。。(^_^;))

そしてなぜか込み上げてくるものが。。。
滅多なことでは動じない私の頑固なこころを動かした。

平和の象徴「太陽の塔」を作成する傍らで
原爆の炸裂する瞬間を描いたこの「明日の神話」を描いていたとは。。。
なんて人だろう!

全ての線が、生きている。
太郎はここに、生きている!

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燃え上がる骸骨。骸骨だけが立体的に描かれ、今にも飛び出してきそう。
何という美しさ、高貴さ!

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炎につつまれる人々

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逃げまどう魚や鳥たち

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何も知らずに死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている第五福竜丸


生き物のように燃え盛る鮮烈な赤い炎は
観る者をも逃がさない。







もうことばはいらない。

「明日の神話」

この作品を、世界中の人々に観てもらいたい。



太郎は、太郎でしかない。
私は太郎になることはとてもできない。

でも、彼のメッセージを、この情熱を、しっかりと受け止めたい。

※この作品のことを教えてくださったhappy sadさん、ありがとうございました!

「ポンペイの輝き」展

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開催日:2006年4月28日(金)〜6月25日(日)
会場 :Bunkamura ザ・ミュージアム

巡回展:2006年7/14(金)〜9/3(日)〈仙台〉仙台市博物館
    2006年9/15(金)〜11/5(日)〈福岡〉福岡市美術館
    2006年11/18(土)〜2007年1/21(日)〈大阪〉サントリーミュージアム[天保山]

Bunkamuraの最終日に訪れた。流石に長蛇の列。老若男女入り乱れ、客層が面白い。

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古代ローマ帝国が「人類史上、最も幸福な時代」と讃えられる絶頂期にさしかかったころ
突然の大災害が南イタリアを襲った。
西暦79年8月24日午後1時、ヴェスヴィオ山から巨大な火柱が噴き上がったのだ。
噴火は翌朝まで続き、ポンペイなどふもとの町々が埋没した。
夏のまぶしい太陽は灰雲に遮られ、住人たちは闇の中、持てる限りの財産を手に町を脱出。
噴出物に厚く覆われた都市は復興することなく、ようやく18世紀に発掘が始まった。
この展覧会では、かつてヴェスヴィオ山周辺の暮らしを彩っていた壁画や宝飾品、
彫像など400件余りの第一級の出土品を集め、古代ローマ美術の粋を紹介する。
2000年の時を超えて輝く宝物には、19時間にわたった噴火の悲劇が凝縮されている。
欧米各国で好評を博した展覧会がいよいよ日本で公開!

コンパクトな会場ながら、地域別に展示され、非常にわかりやすい構成だった。
以下、印象的だったものを抜粋。

1.エルコラーノ
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山と海に囲まれ古くから風光明媚な土地として知られた海岸沿いの保養地。
ローマの貴族階級も居を構えた。

■アマゾンの頭部
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クラシック期の巨匠クレシラスないしポリュクレイトスの作とされるアマゾン像の、
ローマ時代における優れた模刻の一つ。シアラ・タイプと呼ばれるコピー。
瞳には顔料が残っており、節目がちな表情が心なしか淋しげ。

■古代の海岸と海辺の船倉庫
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1980年の発掘で偶然最初の一人の犠牲者が出土して以降、
つぎつぎと約300人の犠牲者、数匹の犬、2頭の馬の遺骸が見つかった。
それまでは、この街の人々は早々に避難をして助かったと思われていたそうだ。
避難するための船を待つうちに、サージ(火砕流の上部に発生する高温のガス、
水蒸気、細粒の火山灰を主とする濃密な灰雲で、火砕流本体よりはるかに高温で移動する)の犠牲になった。

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貴金属や硬貨など、貴重品を身に付け避難した人々。
サージを避けるためか、船倉庫の奥に顔を向けて息絶えてしまった。
展覧会会場には犠牲者の型取りが展示されていたが、あまりの壮絶さに絶句。
直視できない。

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中には医者もいたらしく、医療器具も発見された。
現在使われているものと良く似ており、当時の外科医療の高い水準をうかがえる。


2.オプロンティス・テルツィーノ
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農地で採れた作物を加工してブドウ酒やオリーブ油などを生産する農業の施設と
居住のための空間が一体化した別荘が建てられていた。

■金とエメラルドの首飾り
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当時の流行の首飾りだったという。金とエメラルドのコントラストがとても美しい。

■葉飾りがついた首飾り
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1組の葉に3個ずつと留め金に糸を通す穴が開けられている。
全体の構成は不明らしいが、ゴージャスで可憐な首飾りだ。


3.ポンペイ
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海上交易の地の利を生かし繁栄した。
劇場や浴場などの都市機能が整い、噴火当時は1万人を超す人口を擁していた。

■居酒屋の場面を現した壁画
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居酒屋の壁面中央部にあった4場面を描かれた壁画の1枚目。
短い肌着をまとった男女が接吻している。
頭のすぐ上のところにミュルタレという売春婦の名前が描かれている。
落書きのような素朴な絵が、日常を示しているようで微笑ましい。

■ゴルゴネイオンのモザイク画
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「百年祭の家」から出土。
中央には部屋の内側を向いたゴルゴン(ギリシャ神話の3人姉妹の怪物。頭部はヘビで、
見る者を石に化す眼をもつ)のメドゥーサ顔が、多色で表されている。
白と黒の細かいモザイクがとても美しい。

■ランプ
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「ノーラ門」から出土。黒人の容貌をした人間の頭部をかたどった携帯用のランプ。青銅製。
夜間避難する際に利用したと考えられる。
黒人の頭をかたどったランプは、ヘレニズム時代に起源を持ち、帝政初期にローマ帝国全域で流行した。
個人的には、あまり持ちたくないな。。。人の顔のランプなんて。不思議な流行。

■シンバル
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「ユリア・フェリクスの家」から出土。直径15cm程度の小型版だが、今と殆ど変わらない形状。
タンバリンと供に、旅芸人が踊りの時、また喜劇の上演の際に奏でるものだった。
どんな音がするのだろう?

■ヘビ形の指輪
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「黄金の指輪の家」から出土。610グラムという並外れた重さの豪華な指輪。
向かい合うへびの大きく開かれた口に、月の女神セレネが表された円盤をくわえている。

■夫婦と召使いを表したタブロー画を含む壁画断片
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「黄金の指輪の家」から出土。色彩のはっきりした壁画。

■家族の犠牲者の型取り
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「黄金の指輪の家」から出土。
火山灰かに埋もれた犠牲者の遺体が腐敗すると、後に骨が残り、身体の形の空洞ができる。
この空洞に石膏を流し込むと、犠牲者の当時の様子、
すなわち彼らの人生の最後にして最も劇的な瞬間における姿をそっくりそのまま再現することができる。
1863年にジョゼッペ・フィオレッリが導入したこの方法で、当時の人々の再帰や暮らしが明らかになった。
あまりにもリアルなため、見ていると魂の叫びが聞こえてくるようで、胸が苦しくなる。


4.モレージネ
高速道路工事中に発見された遺構。古代の宿泊施設だったという説がある。

■竪琴を弾くアポロ(北壁の壁画)
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詩と劇に対する情熱で知られるネロであったという説がある。



私は考古学や博物館といった部類が苦手だった。
昔に、昔に、と遡る研究に何の意味があるのかと疑問だった。

しかしながら、この展覧会で2000年も前の暮らしに触れることができ
人々の変わらぬものを得ることができたような気がする。

古代ローマ人は、このような自然災害に多く見舞われ、いつ明日がなくなるかわからない暮らし。
そのため、
「今を楽しむ」
ことを心がけていたのだそうだ。

便利な社会に慣れてしまって自分や周りを省みることがなかなかできない今だからこそ
このような過去の文化に学ぶべきことが多いのかもしれない。

輝かしい暮らしが一瞬で消えてしまったポンペイ。
2000年ぶりに表れたその姿は
再び輝きを取り戻し
新たな光を私たちに与えてくれる。

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「前川國男建築展」

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「前川國男建築展」

開催日:2005年12月23日(金)〜2006年3月5日(日)
会場 :東京ステーションギャラリー
     http://www.ejrcf.or.jp/gallery/index.asp

戦前・戦後を通して日本の近代建築の歴史に大きな足跡を残した
建築家・前川國男(1905-86)の生誕100年を記念して、その仕事を振り返りながら、
彼の建築思想を広く検証する展覧会。

ステーションギャラリーは久しぶり。
あまり広いスペースではないが、展覧会はいつも一本筋が通っていて面白い。
今回も期待した。

前川の建築は、第二原図に書かれた手書きの図面、写真、模型、そして彼の言葉で表現され、
その時代別に11章に分けて展示されていた。

下記、印象的だったものを抜粋。(写真は展覧会カタログより)


第1章:ル・コルビュジェのアトリエで(1928-30)
1928年3月31日、東大安田講堂で卒業証書を手にしたあと、東京を発ち、
シベリア鉄道経由で17日間をかけ、4月17日パリへ至り、コルビュジェの元へ。
彼にとって、コルビュジェは「稀有の人」。

■ル・コルビュジェ「ドミノ・システム」(1914-18)
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戦時中荒廃したフランドル地方の復興事業のため、コルビュジェが開発した。
鉄筋コンクリート製の6本の柱と3枚の床スラブ、階段からなるユニット。
このユニットの組み合わせにより街を復興させようとした。
晩年、前川はこの「ドミノ・システム」に生涯繰り返し影響を受けたと述べている。

前川の建築は、この時代に大きく影響されている。


第2章:レーモンド事務所時代(1930-35)
コルビュジェからは近代建築の原理と理念を学んだとすれば、
レーモンドからは、近代建築を作り上げるために必要なディテールから施工技術までの
幅広い実務の知識と実践を学んだ。

■「木村産業研究所」(1932)
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コルビュジェ風の近代建築。前川が初めて自分の名を冠した27歳の時の作品。
近代建築5原則のうち、「横長の窓」は、
当時の日本のサッシュ技術が追いつかなかったため実現できなかった。

彼の思想がたくさん詰め込まれた作品。


第3章:独立と戦前のコンペ作品(1935-45)
1935年、東京銀座に前川國男建築事務所を開設。
多くのコンペに応募する。


第4章:木造モダニズムの追求(1938-42)
戦争のため資材統制が始まり、
日本国内においては木造の小規模な建物しか建てることができなくなってしまう。
木造によるモダニズム建築の模索を行っていく。

■「前川國男自邸」(1942)
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1938年の建築統制規制により30坪制限を受けている。
当時は伝統再考の機運から民家への感心が高まっていた。
5寸勾配の大屋根の下に、吹抜を持つ今と食堂の一室空間と、その両脇に個室が配された構成で、
コルビュジェに学んだ近代建築の空間構成とレーモンド譲りの民家風意匠とが結びついている。
開口部や建具の工夫により、光を制御した静粛な空間が演出されている。

江戸東京たてもの園(小金井市)に移築、現在も公開中。


第5章:戦後のスタートライン(1945-50)
銀座の事務所は東京大空襲によって焼失。
戦災を免れた自邸に所員たちを呼び寄せて戦後活動開始。

■「プレモス」(1946-1951)
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戦後の住宅不足解消のため開発された。
当初の目的から逸れ、多くが炭坑労働者のための住宅として供給されていった。
1000棟も建設され、日本のプレファブ住宅の草分け的存在。


■「紀伊國屋書店」(1947)
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木造モダニズムの質素な空間に、入口や階段周りに使われた大谷石が重厚。
ファサードは一種の看板建築。大通りから店舗を切り離すことを意図されていた。
新しい雑誌や書籍が並び、活字に飢えた人々のオアシスとなった。

後に前川によって建替えられ、現在新宿にある建物となる。


第6章:戦後第1期ーテクニカル・アプローチの時代(1950-61)
1950年、ようやく資材統制が解除され、鉄筋コンクリートを用いた近代建築の実現が可能となる。
「テクニカル・アプローチ」がスタート。


第7章:集合住宅というテーマ(1958)
前川にとって、集合住宅への取り組みは大切なテーマのひとつだった。
コルビュジェの元で担当し、CIAM第2大会で発表した「最小限住宅案」から始まっている。
戦争によって生じた住宅不足に対応する建築的な提案を示すことが、
近代建築のスタート地点に込められていた初心である、という前川の近代建築理解の原点があった。

■「晴海高層アパート」(1958)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_25825087_5?1140019398

15棟からなる晴海団地の住棟のひとつとして設計された。
非廊下階の東西に全面開口となる間取りは、極めてシンプルなモダニズムの空間を有していた。


第8章:戦後のコンペ応募案と万国博覧会での実験(1958-70)
戦後においても、指名コンペにとどまらず、公開コンペへの挑戦を続けていた。
近代建築が急激な工業化の推進によって失ってしまった、
建築の象徴性を再び取り戻すための試み。

■「東京カテドラル 指名コンペ応募案」(1962)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_25825087_6?1140019398

谷口吉郎、前川國男、丹下健三による指名コンペ。
当選したのは現在も輝き続ける丹下案。
前川案は、建物全体がマッシヴな立方体。
空間に厳格なヒエラルキーを持ち込むのではなく、
信者が同じ立場で自由に寄り集える場の雰囲気をつくり出そうとした。


第9章:戦後第2期ー近代建築への懐疑と都市への視線(1961-70)
産業構造に飲み込まれ、巨大化し、人間性を失って冷たく人を突き放すようになってしまった
近代建築の行く末に疑問を抱き始める。
そして、それまでの即物的なテクニカル・アプローチの追求を相対化し、
日本古来の素材である焼き物に注目して、独自の「打込みタイル構法」を考案。

■「東京海上ビルディング」(1974)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_25825087_7?1140019398

原設計は高さ130m、32階で計画されたが、いわゆる「美観論争」で頭を削られ
高さ100m、25階で実現。
敷地の3分の2を公共性ある広場として解放し、太陽溢れる新しい都市景観を目指してつくられた。

展示会場の窓からブラインド越しに見ることができる。
工事中のビルの後ろに、彫りの深い赤いビルが、色褪せることなく佇んでいる。


第10章:戦後第3期ー方法論の洗練と合理主義からの離脱(1970-86)
コルビュジェに学んだ近代建築の考え方を乗り越えようと模索を続けた前川は、
1970年代に入ると、自身を拘束していた合理主義的な思想からも自由になり、
自らの求めるたしかな空間の質感を実現させる方法を加速させていく。

■「熊本県立美術館」1977年
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_25825087_8?1140019398

熊本城郭の西端に建つ。
敷地には樹木、石垣、土手といった遺構がそのままのかたちで残され、
建物は樹々の間を縫うようにして配置。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_25825087_9?1140019398
一筆書きの平面計画。


第11章:未完のプロジェクトに込められたもの(1975-85)
未完のプロジェクトには、自らの信じた近代建築の方法を半世紀にわたって追い求めてきた前川の、
なおその先を見つめようとする強い意志と迷い、そして深い建築的な問いかけが込められている。


「お前はコルビュジェの弟子ではないか、何故コルビュジェみたいな家を建てぬか」
と詰問されたことがある。光栄な話である。
然し、私は、コルビュジェの事務所で2年間そうした誤りを仕出かさない様にと、
訓えられて来たのだった。(前川國男)
              −「無題(続)」「木葉会雑誌」1937年12月


情熱のこもった鉛筆書きの図面を見ると、とても緊張した。

彼は公共建築を多くつくっていたので、私たちは知らない間に彼の建築を訪れているかもしれない。



東京駅改修前、最後の東京ステーションギャラリー。
この展覧会の後、2011年に東京駅の新しいスペースで開館予定だという。

東京駅周辺は、今も徐々に変わってきているが、完成が楽しみ♪

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鉄骨の上に立つ得意気なイームズ夫妻。
彼らは祝うことを楽しんだという。どのようなことでも、何に対してでも!

こんな彼らの楽しい作品たちに遭うため寒空の最終日に駆け込んだ。

目黒区美術館はコンパクトながら、嗜好をこらしてあり、
動線も交錯せず、非常に楽しめる構成となっていた。http://www.mmat.jp/
展示室は1階、2階、そして別棟の区民ギャラリーに家具&映像体験コーナー。

主な展示内容:
チャールズの資料、レイの資料、カザム!マシン、家具、椅子、テーブル、試作品、添え木、
模型、型、骨組み、耐久試験具、自邸模型、自邸図面コピー、建築図面、
ハーマンミラー社ディスプレイデザイン画、パンフレット、ハウス・オブ・カード、
短編映画、パワーズ・オブ・テンの原画コピー、映画制作資料、インタビュービデオ(英語)、
ホフマンの絵画コピー、手紙、スケッチ、イラスト、イームズ・オフィスの引き出し、
クリスマスカード、収集品(人形、櫛、おもちゃほか)

とにかく豊富な展示内容。
イームズ夫妻の生活スタイルがよく分かる。

1.映像

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_20380235_6?1135280182
おびただしい数の写真たち。これらはすべて映像化されていく。
身近なものからマニアックなものまで、いろんな映像。

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アメリカ博覧会での「アメリカの光景」
7つのスクリーンで、同じテーマの違う映像が流れる。今でもとても新鮮。


2.イームズ・ハウス

チャールズにとって、建築とは日常生活の一部だった。
「イームズ・ハウスでは、工業製品が使われている・・・。
快適な生活に必要な、<無意識の>囲いを造るために。
そして、そうした建築物は、住む人によって生活の付属品で満たされ、
個人的に大切なものへと作り変えられる。」

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_20380235_2?1135280182

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_20380235_4?1135280182 
「和」の要素もあり・・・

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いろんなモノで溢れている

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引き出しの中身も展示されていたが、再利用であろうプレゼント用のリボン、
輪ゴム、使いかけのろうそく、世界各国の民芸品などなど、とにかく「モノ」でいっぱい!
おもちゃ箱のよう!!


3.家具

1946年にデザインされた、有名な成型合板の椅子。

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一体成型シェルのバリエーション。 合板が裂けることを防ぐために入れた切込みや穴。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_20380235_9?1135280182
脚のバリエーション。 骨格となる部分。板鋼と鋼管を溶接してつくった芸術作品!

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合板のバリエーション。 大量生産用には安定度を増した4本脚。

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耐久性をこのドラムで示す。足元にあったペダルを踏むと、
このドラムが「ガタコンガタコン」いって廻るのだが、肝心の椅子は微妙な動き。
耐久性を示すというよりは、くるくる廻る椅子を見て楽しむ感覚。思わずその動きに笑ってしまう。

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ワイヤ。 

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椅子をつくるための機械。

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繊維ガラス強化プラスチック。安くて軽く使い勝手の良い若い家族向けの椅子。

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「ラ・シェーズ」
右手の小さなくぼみに一人が座り、
その人に寄りかかって左上に足を投げ出してもう一人が座る。
ラブラブチェアーだ!
スポンとお尻がはまり座りやすい上、置いておくだけで存在感があるフォルム。


4.科学

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1977年の映画「パワーズ・オブ・テン」の初めの画面。
この男性からスタート。徐々にカメラは引いていき、10億光年に至ると今度は元に戻っていき、
ミクロの世界へ・・・0.001fermisというよく分からない単位まで。実在するのは最初の画像だけ。
なにやら不思議な世界へのトリップ。

「デザインは行為の計画である」

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大衆の文化に大きく影響を与えた、偉大な楽しい夫婦である。

訪問日:2005年12月11日
(写真は展覧会カタログより)

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