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9月に行った展覧会。 |
exhibition
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・イサム・ノグチ展〜彫刻から空間デザインへ〜その無限の創造力 悠久なる大地。その先には何があるのだろう・・・。 これを造ったのは自然でも神でもない。イサム・ノグチという彫刻家だ。 彼の没後17年もの歳月を経て、2005年夏、彼の最大の作品「モエレ沼公園」が完成した。 これを記念とし、展覧会が催された。 秋晴れに恵まれ、現代美術館も赤く染まった木々に照らされ嬉しそう。 http://blogs.yahoo.co.jp/astak0501/folder/1053446.html/ その天気からか、来場者はとても多かった。 中でも目立ったのは、子供たち。 子供たち用のパンフレットや案内図、催しがあってきゃっきゃっ楽しそう。 チケットを切ってもらい、エスカレーターで展示会場へ。 音声案内を借りて準備万端。 展示は彼の作品系統別に分けられ、順に追っていくと彼の考えが手に取るように伝わってくる。 1.「風景の彫刻」 イサム・ノグチにとっては、いわゆるランドスケープ・デザインは彫刻の範疇に位置づけられていた。
総合的な空間デザインはもちろん、大地に生い茂る草木、川や池、ひいては空、 そこに集う小動物や憩う人々までをも包括した一大空間それ自体を彫刻とみなしているのだ。 「でき得れば、彫刻が根本的な関わりを持つものを発見し、 自分自身で彫刻と大衆や空間との関係、 そして過去における彫刻の効用を見極めようと思った。 彫刻は、他の芸術と同じく仲間うちの狭い視野内に閉じ込められてしまっていると、 私には感じられた。 彫刻には、なにかもっと大きく、より高貴で、 より本質的に彫刻的な目的があるにちがいない。」 2.「生命の抽象」 彼は詩人である野口米次郎と翻訳も手がける才女レオニー・ギルモアとの間に
ロサンゼルスで生まれた。 しかし米次郎は故国日本で別の家族を築いていた。 非嫡子で且つ日米の混血児という生まれながらにして波乱万丈の生涯を予感させる宿命・・・。 母子は日本へ移住し、ノグチは日本文化に触れるものの、13歳でまたアメリカへ戻ることとなる。 野口英世との出会い(凄い!)で医者ではなく芸術家への道を決めたノグチ。 その後は恵まれたもので、パリではブランクーシの助手となることができた。 ロダンからの脱却を図り、その手段として自然や生命、本質に猛烈に迫る抽象表現を進めていた ブランクーシの下、ノグチは一連の抽象作品を作った。 そのうちの一つがブランクーシと同題の作品「レダ」(1928年)。 ただこの時は純粋な抽象表現の域には達しておらず、幾何学的に造形したに過ぎなかったのだと 彼自身は言っている。 しかしながら、ノグチの望む抽象芸術は、 ブランクーシのようなそぎ落としていく形の鈍化の方向ではなく、 あくまでも人体のフォルムを基礎とすることを改めて確認した。 真鍮で造られた作品たちはいずれも丸みを帯びた造形をしており、 抽象でありながら、そこには確かに人体が存在しており、 ほおずりしたくなるような親近感が沸いてくる。 3.「生体の構築」 1942年末、ノグチはニューヨークのマクドゥガル・アレイ33番地にアトリエを構えた。
居心地が良かったこの空間でオリジナリティ溢れる作品たちがたくさん生まれたが、 その中でも、角を持たない丸みのある輪郭の平板をいくつも組み合わせて構成された作品群が 特筆すべきもの。 1枚の紙から思い思いの形を切り出し、パズルのように組み立てて立体化させる。 その組み合わせで鳥らしきもの、人間らしきものができていく。 彼が人体の曲面やふくらみにこだわり続けたのは、彫刻家としての本能であると同時に 他者と心を触れ合わせたいという強い無言のメッセージを託していたのだという。 ペラペラのパーツなのに、立体になったとたん、なぜこんなにも生き生きとしてくるのか。 ここのゾーンには一角に1m高さ程度の低い開口があった。 何かなと覗き込むと、たくさんの子供たちとばらばらになったミニチュアノグチパーツが! 出来上がった作品を見本に、子供たちが「パズル」で遊んでいる。 なかなか面白い趣向だ。 1m高さの開口って、大人には向こう側が見えないけど、子供には良く見えるみたい。 その部屋にきた子供たちは皆、一目散にその小部屋に吸い込まれていった。 因みにこのパーツ、ミュージアムショップにも置いてあった。 4.「一塊の虚空」 ノグチが比較的集中して石彫作品を制作したのは1941年代中頃。
自身、「石塊を直接彫っていくことは、基本原理に立ち戻ることであった」と振り返っている。 ブランクーシの影響か、「鳥」と名のつく作品も多く誕生。 1960年代以降は盤状の形態を採る作品が特徴的。 プレイグラウンドの一部を切り取ったような築山やくぼみを観念的に増幅させ、 単体の作品として独立させているのだ。 中でも私の印象に残ったのは「オリジン」(1968年)。 展示室の床に無造作に置いてあるのに、何故か昔からそこにいるような・・・。 ずっと見ていると床から、更には地球の一部がふくれあがって頭を出しているような錯覚を覚える。 「日本では、庭園の石は地下の根源的な塊からの突起を暗示するように、土に埋められている。 すべての石は非常な重さを持ち、それ故庭全体を一個の彫刻だと言い得るし、 あらゆる石の根は地下で合一している。」 動と静、予測と追想、未来と過去など時間的推移や変化を感じさせ、
四季のうつろいや微かな動きに敏感な日本人を魅了する。 物質の量塊や素材の重厚感のみならず、むしろ作品本体を貫く虚空の部分に重きをおいた 「エナジー・ヴォイド」(1971-72年)。 高さ3.6m、重さ約17トンもあるというこの作品は、ニューヨークから船便で、 港からは一般道をトラックに乗せられゆるゆると、この現代美術館にやってきた。 中庭に面して自然光が穏やかに差し込む、最も天井の高い展示スペースの真ん中に鎮座する 「エナジー・ヴォイド」。 黒いスウェーデン産花崗岩の表面は磨きこまれているのだが、外部から差し込む光が心地よく反射する。 その光の表情は同じ時はない。 訪れる人は、床に座ったり、作品を覗き込んだり、思い思いにその空気に浸っていた。 「私が求めているのは、自然の眼を通して自然を視ること、 そして特別な尊厳の対象としての人間を無視することです。 いままでとは逆のこのような態度によって、 彫刻は予想もしなかった美の高みに到達できるに違いありません。 抽象彫刻の無限の表現分野が開拓されるならば、花も木も、川も山も、 そして鳥獣や人間も、それら本来の場所をえて表現されるでしょう。 まことに、精神と物質のみごとな均衡をかちとるには、 芸術家は統一体としての自然研究に浸り切ることによって、 自然の一部、つまりこの地球自体の一部にまで自らを還元し、 内奥の姿と生命の要素を視ることが必須の条件であります。 作家が制作に用いる物質は、単なる造形材料としてのみならず、 彼の主題と同格の価値あるのもとして、その役割を果たすでしょう。 また、この方法によって、彫刻における真のシンフォニーが得られるでしょう。」 「エナジー・ヴォイド」の虚空の先には、中庭に置かれた遊具「オクテトラ」で遊ぶ子供たちが見える。 戦争中、日米の混血児として生まれ育ったノグチは、誰よりも平和を望み、 「モエレ沼公園」でその想いを形にした。 その想い、公園で遊ぶ子供たち、くつろぐ大人たちを見ると、しっかり伝わっているようだ。 「地球を彫刻する」なんて素晴らしい! 春が来て雪が溶け、暖かくなったら、あの丘にのぼりに行こう! (作品写真並びに解説は、展覧会カタログを参考にさせていただきました。) (2005年11月13日)
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1975年から2005年に制作された代表的なシリーズが初めて一堂に会する回顧展。 |
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「最近、物質のことばかり考えています。建築とは形態でも平面計画でもなく、物質とのコミュニケーションではないかと感じています。 |



