建築士のつぶやき

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佐伯祐三

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9月に行った展覧会。

結核とともに狂気の淵にたち、若干30歳でこの世を去ってしまった佐伯祐三。
今でもたくさんの人たちを惹きつけて止まないという。
彼に関する書籍や評論もたくさん出回っている。

中河与一「形式主義芸術論」昭和5年。
ー赤い色を愛した、多少黒ずんだ。黄色を愛した。毛糸のような。
そして彼は、何よりも東洋人の強い黒を愛した。私は彼の絵を思ふと、
彼が生きてゐる事をハッキリと感じる。彼はあの情熱にみちた赤と黄と黒の画面で私達に話しかける」ー

壁一面に展示された彼の作品の中に佇むと、なにやら重く、暗い気持ちになり、その場所から逃げ出したくなる。
黒い背景に赤の被写体が浮かび上がっている。パリでの光景でも華やいだ空気はない。
唯一、動きがあると思ったのは、広告シリーズ。
私には文字が生き生きとしているように感じられ、少しだけほっとした。
人生を重く感じさせられる作品群だった。

★★★★☆(A)

イサム・ノグチ展

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・イサム・ノグチ展〜彫刻から空間デザインへ〜その無限の創造力

開催日:2005年09月16日(金)〜2005年11月27日(日)
会場  :東京都現代美術館 http://www.mot-art-museum.jp/top.htm

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_17234592_0?1132683162

悠久なる大地。その先には何があるのだろう・・・。

これを造ったのは自然でも神でもない。イサム・ノグチという彫刻家だ。
彼の没後17年もの歳月を経て、2005年夏、彼の最大の作品「モエレ沼公園」が完成した。
これを記念とし、展覧会が催された。

秋晴れに恵まれ、現代美術館も赤く染まった木々に照らされ嬉しそう。
http://blogs.yahoo.co.jp/astak0501/folder/1053446.html/
その天気からか、来場者はとても多かった。
中でも目立ったのは、子供たち。
子供たち用のパンフレットや案内図、催しがあってきゃっきゃっ楽しそう。

チケットを切ってもらい、エスカレーターで展示会場へ。
音声案内を借りて準備万端。

展示室に入って目に入ったのは誰もが目にしたことがあるだろう。あの「あかり」だ。
ただ、とてつもなく大きい。2mもあった。日本のあかり、和紙にこんな迫力があるとは驚きだ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_17234592_7?1132683162

展示は彼の作品系統別に分けられ、順に追っていくと彼の考えが手に取るように伝わってくる。

1.「風景の彫刻」
イサム・ノグチにとっては、いわゆるランドスケープ・デザインは彫刻の範疇に位置づけられていた。
総合的な空間デザインはもちろん、大地に生い茂る草木、川や池、ひいては空、
そこに集う小動物や憩う人々までをも包括した一大空間それ自体を彫刻とみなしているのだ。
「でき得れば、彫刻が根本的な関わりを持つものを発見し、
自分自身で彫刻と大衆や空間との関係、
そして過去における彫刻の効用を見極めようと思った。
彫刻は、他の芸術と同じく仲間うちの狭い視野内に閉じ込められてしまっていると、
私には感じられた。
彫刻には、なにかもっと大きく、より高貴で、
より本質的に彫刻的な目的があるにちがいない。」
彫刻に対する愛情たっぷりの一文だ。
彼が28〜29歳のころに手がけた「プレイ・マウンテンの模型」は、その後の製作と発想の始まりであり、
彫刻を大地と関係づける核となった作品。
坂をのぼったと思ったら滑り台・・。子供たちが遊んでいる姿が目に浮かぶ。
様々な遊具のデザインも展示されていた。

笑えたのは「火星から見るための彫刻」(1947年)。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_17234592_1?1132683162
古代文明の遺跡のようだ。
そののほほんとした表情に口元が緩んでしまうが
もし地球の将来がこのように荒廃してしまったらと思うと
背筋が凍る想いがする。

2.「生命の抽象」
彼は詩人である野口米次郎と翻訳も手がける才女レオニー・ギルモアとの間に
ロサンゼルスで生まれた。
しかし米次郎は故国日本で別の家族を築いていた。
非嫡子で且つ日米の混血児という生まれながらにして波乱万丈の生涯を予感させる宿命・・・。
母子は日本へ移住し、ノグチは日本文化に触れるものの、13歳でまたアメリカへ戻ることとなる。
野口英世との出会い(凄い!)で医者ではなく芸術家への道を決めたノグチ。

その後は恵まれたもので、パリではブランクーシの助手となることができた。
ロダンからの脱却を図り、その手段として自然や生命、本質に猛烈に迫る抽象表現を進めていた
ブランクーシの下、ノグチは一連の抽象作品を作った。
そのうちの一つがブランクーシと同題の作品「レダ」(1928年)。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_17234592_2?1132683162

ただこの時は純粋な抽象表現の域には達しておらず、幾何学的に造形したに過ぎなかったのだと
彼自身は言っている。
しかしながら、ノグチの望む抽象芸術は、
ブランクーシのようなそぎ落としていく形の鈍化の方向ではなく、
あくまでも人体のフォルムを基礎とすることを改めて確認した。

真鍮で造られた作品たちはいずれも丸みを帯びた造形をしており、
抽象でありながら、そこには確かに人体が存在しており、
ほおずりしたくなるような親近感が沸いてくる。

3.「生体の構築」
1942年末、ノグチはニューヨークのマクドゥガル・アレイ33番地にアトリエを構えた。
居心地が良かったこの空間でオリジナリティ溢れる作品たちがたくさん生まれたが、
その中でも、角を持たない丸みのある輪郭の平板をいくつも組み合わせて構成された作品群が
特筆すべきもの。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_17234592_3?1132683162
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_17234592_4?1132683162


1枚の紙から思い思いの形を切り出し、パズルのように組み立てて立体化させる。
その組み合わせで鳥らしきもの、人間らしきものができていく。
彼が人体の曲面やふくらみにこだわり続けたのは、彫刻家としての本能であると同時に
他者と心を触れ合わせたいという強い無言のメッセージを託していたのだという。
ペラペラのパーツなのに、立体になったとたん、なぜこんなにも生き生きとしてくるのか。

ここのゾーンには一角に1m高さ程度の低い開口があった。
何かなと覗き込むと、たくさんの子供たちとばらばらになったミニチュアノグチパーツが!
出来上がった作品を見本に、子供たちが「パズル」で遊んでいる。
なかなか面白い趣向だ。

1m高さの開口って、大人には向こう側が見えないけど、子供には良く見えるみたい。
その部屋にきた子供たちは皆、一目散にその小部屋に吸い込まれていった。
因みにこのパーツ、ミュージアムショップにも置いてあった。

4.「一塊の虚空」
ノグチが比較的集中して石彫作品を制作したのは1941年代中頃。
自身、「石塊を直接彫っていくことは、基本原理に立ち戻ることであった」と振り返っている。
ブランクーシの影響か、「鳥」と名のつく作品も多く誕生。
1960年代以降は盤状の形態を採る作品が特徴的。
プレイグラウンドの一部を切り取ったような築山やくぼみを観念的に増幅させ、
単体の作品として独立させているのだ。

中でも私の印象に残ったのは「オリジン」(1968年)。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_17234592_5?1132683162

展示室の床に無造作に置いてあるのに、何故か昔からそこにいるような・・・。
ずっと見ていると床から、更には地球の一部がふくれあがって頭を出しているような錯覚を覚える。
「日本では、庭園の石は地下の根源的な塊からの突起を暗示するように、土に埋められている。
すべての石は非常な重さを持ち、それ故庭全体を一個の彫刻だと言い得るし、
あらゆる石の根は地下で合一している。」
動と静、予測と追想、未来と過去など時間的推移や変化を感じさせ、
四季のうつろいや微かな動きに敏感な日本人を魅了する。

物質の量塊や素材の重厚感のみならず、むしろ作品本体を貫く虚空の部分に重きをおいた
「エナジー・ヴォイド」(1971-72年)。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_17234592_6?1132683162

高さ3.6m、重さ約17トンもあるというこの作品は、ニューヨークから船便で、
港からは一般道をトラックに乗せられゆるゆると、この現代美術館にやってきた。

中庭に面して自然光が穏やかに差し込む、最も天井の高い展示スペースの真ん中に鎮座する
「エナジー・ヴォイド」。
黒いスウェーデン産花崗岩の表面は磨きこまれているのだが、外部から差し込む光が心地よく反射する。
その光の表情は同じ時はない。
訪れる人は、床に座ったり、作品を覗き込んだり、思い思いにその空気に浸っていた。
「私が求めているのは、自然の眼を通して自然を視ること、
そして特別な尊厳の対象としての人間を無視することです。
いままでとは逆のこのような態度によって、
彫刻は予想もしなかった美の高みに到達できるに違いありません。
抽象彫刻の無限の表現分野が開拓されるならば、花も木も、川も山も、
そして鳥獣や人間も、それら本来の場所をえて表現されるでしょう。
まことに、精神と物質のみごとな均衡をかちとるには、
芸術家は統一体としての自然研究に浸り切ることによって、
自然の一部、つまりこの地球自体の一部にまで自らを還元し、
内奥の姿と生命の要素を視ることが必須の条件であります。
作家が制作に用いる物質は、単なる造形材料としてのみならず、
彼の主題と同格の価値あるのもとして、その役割を果たすでしょう。
また、この方法によって、彫刻における真のシンフォニーが得られるでしょう。」

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_17234592_8?1132683162

「エナジー・ヴォイド」の虚空の先には、中庭に置かれた遊具「オクテトラ」で遊ぶ子供たちが見える。
戦争中、日米の混血児として生まれ育ったノグチは、誰よりも平和を望み、
「モエレ沼公園」でその想いを形にした。
その想い、公園で遊ぶ子供たち、くつろぐ大人たちを見ると、しっかり伝わっているようだ。
「地球を彫刻する」なんて素晴らしい!

春が来て雪が溶け、暖かくなったら、あの丘にのぼりに行こう!

(作品写真並びに解説は、展覧会カタログを参考にさせていただきました。)

(2005年11月13日)
★★★★★(A)

吉村順三建築展

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開催日:2005年11月10日(木)〜2005年12月25日(日)
会場  :東京藝術大学 大学美術館(http://www.geidai.ac.jp/museum/

「建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、
そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。
日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の前に明るい灯がついて、
一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、
もっともうれしいときなのではあるまいか」
−吉村順三・1965−

初めて訪れた、東京藝術大学 大学美術館。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_16999844_1?1132494120

六角鬼丈氏設計の美術館は大胆なプロポーション。
芸大の森の中に異質な機械的物体が舞い降りてきたような印象。
個人的には違和感が。芸大卒業生だから起用された?

門をくぐって正面に見えたのは「軽井沢の山荘」の原寸大矩計図。

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いきなり圧倒された。

14時から16時まで植田実氏・藤森照信氏・松山巖氏によるシンポジウムに出席。
食堂の150席のヤコブセンのアントチェアは先着順で即満席となった。

卒業生である松山氏進行の元、植田氏、藤森氏、松山氏の順に講演が行われた。
以下抜粋。多少私の解釈で変わってしまっているかもしれないが・・・。

<松山氏>
芸大に入るとまずやらされるのが、吉村氏の「軽井沢の山荘」と「桂離宮」のトレース。
吉村氏は、芸大の学生にとって、神聖なる存在。
芸大出身者からは出ないような意見を今日は聞かせていただきたい。

<植田氏>
展覧会会場が素晴らしい。
吉村氏の残したコトバが随所に掲げられ、ゆっくり全体が一望できる会場構成になっている。
「南台の家」の発展過程が印象的。
6回以上の増改築で発展する家のプランが夫人のコメントと共に展示されていて分かりやすい。
「南台の家」は独特の速度を持って発展した。バラッグから始まり始めは早く、そして落ち着いてくるとゆっくりと。
最後に増築したダイニングとテラスについての夫人のコメント「ちょっと南側を伸ばすと気持ち良い」は
吉村氏の建築が「ちょっとしたところの連続」であることを表しているようだ。

このころ立体最小限住宅として発表された増沢氏、廣瀬氏、清家氏の住宅は増築していない「原型的な住宅」として発表された。
増築したとしても上にコンテナを乗せたり、ピロティを埋めていったいというもの。
それらも最終的には原型に戻し、戻すことによって良くなるものがほとんど。
それに対し吉村氏は平面的に増築を重ねゆっくりとプランを決めていく。そこが同時代の建築家と大きく違う所。
戦後の林夫妻の住宅などは、吉村氏の影響を受けているようにみえる。

<松山氏>
当時の建築家は理論で建築をつくっていた。

<藤森氏>
建築史家という職業上、対談を何百人とやっているが、吉村氏ほど困った人はいなかった。
しゃべらないのだ(笑)。
それでも聞き出そうとすると、やっと口を開いて出てきた言葉は
「気持ち良いでしょ?」の一言だけ(笑)。

彼の代表作、「軽井沢の山荘」について。
彼がついていたレーモンドの影響が強いと思う。
レーモンドは「夏の家」で、コルビュジェがエラズリス邸で実現できなかったことをそっくりそのまま実現した。
むしろコルビュジェの案をもっと良くして創り、コルビュジェにまいったと言わせしめた。
確かにあの開口部はレーモンドの方が優れている。

夏の家の移設が決まった時、吉村氏に「良かったですね」と言うと
「・・・・・。」
また何も言ってくれない(笑)。
しばらくしてから
「半分だけ良かった。」
と。
彼は夏の家のキャンチレバー下のコンクリートの部分が好きだったのだと言う。
僕は写真に写っているこのヒトは吉村氏だと思う(笑)。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/88/85/astak0501/folder/1121081/img_1121081_16999844_3?1132494792
ーキャンチレバーの下に座るヒトー

レーモンドの家の魅力はコンクリートの上に木造が乗っているということ。

そんな吉村氏の軽井沢山荘はその「夏の家」が原型となっているよう。一部を切り取るとそっくりだ(笑)。
外壁材の横羽目を竪羽目にすればそのままだ。
と吉村氏に言うと
「・・・。」
やはり何も言わない。きっと彼自身意識していなかったのだろう。自然に染み付いた形だったのだ。

「軽井沢の山荘」は、コルビュジェからきたモダニズムと、軽井沢の伝統建築の融合がまた魅力である。

吉村氏は日本の伝統建築の中では書院造の初期のものを好んだ。普通のものを目指した。
普通というのは否定形でしか表現し得ない。だから質問しても答えられない。
「気持ちいいでしょ?」の一言に尽きる。

<松山氏>
吉村氏の建築の特徴は「どこにでもある」こと。
逆説的に言えば「どこにでもある」ということが特徴だ。

「園田邸」においても彼は小さいからこそ親密な空間を実現した。
小さな場所でも楽しい・・。そんな特徴付けるのが上手。
池辺氏、増沢氏たちの立体最小限住宅に対しそこが違う。

「軽井沢の山荘」は、芸大の学生が招かれる場所でもあった。
これが実に機能的もできている。
高床にして湿度対策をしたり、部屋の真ん中からのアプローチにより部屋全体を見渡せるようにしたり・・。
実に気持ちの良い空間だ。

吉村氏の建築を見ると、ライトの影響もあるのではないかと思う。レーモンドはライトの弟子だったから・・。
ライトの「スタージェス邸」なんてそっくり。本人には言わなかったけど・・・。
ライトの「ジョンソン・ワークス会社研究所」は大きな大木が枝を出しているような大らかな美しさを持っているが
吉村氏の建築を表しているかのよう。

そしてコルビュジエの影響。
あの「サヴォワ邸」で掲げられた近代建築5原則は彼の「軽井沢の山荘」で実現されているのはないか??
(拡大解釈かもしれないが・・)

<植田氏>
現在、戦後の小住宅が持てはやされている。その理由は余計なものすべてをそぎ落としているからか。
「普通とは何か?」
吉村氏の建築をめぐると、前衛を否定する傾向になる恐れがある。難しいが・・。
吉村氏は「ラディカル」であった。常に良くしていこうという植物的な、スタイルを超えた知恵があった。
暮らしの知恵を建築に投影させていた。

分かりやすいのはアメリカの「イームズ邸」と「ファンズワース邸」の違いだろうか。
前者は住みながら良くなっていくのに対し、
後者は人の存在を感じない美しさ、人を拒絶するからこそ惹きこまれる建築である。
どちらが良いなどとは言えないが・・。

この最も難しい「普通」を世の中に知らしめるべく、芸大は新建築やCASAに負けないような出版を出すべきだ!!(笑)

<松山氏>
藤森氏は最近とんでもないものを作っていますが・・・。
自然素材にこだわる理由、縄文建築家と言われる所以は??(笑)

<藤森氏>
吉村氏の建築は「笑っていない」。彼は住み手としても普通だった。そして彼は作る側には行かなかった。
私は作る側にもいる。あの「高すぎ庵」は正真正銘私の自作。
因みに納屋で申請していて建築基準法には違反していない・・(笑)

ーこの時代の前衛とはー
<藤森氏>
丹下さん、黒川さん、あたり。

<松山氏>
普通と前衛の違いというのは小説で言うと直木賞(優れている)と芥川賞(新しい)の違いのようなものだと思う。

<藤森氏>
私は歴史家だから「自分のことは考えない」(笑)。
普通というのは言語化するととても危険。そういった意味で、吉村氏というのは真に「カタイ」人だと感じた。
それを表す一つの例として、真珠湾攻撃の日の心情を聞くと
 前川氏「ついに来たか・・。心の晴れる気がした」
 丹下氏「そのときは冷静だった。途中からガンガン行けと思った」
 吉村氏「国が戦争やるなら、自分は事務所を開く」
3氏各々の特徴が出ている。
理論としては無茶苦茶だが、吉村氏は本当にこの後事務所を開いた。
この話を聞いたときは流石にジーンとして、それ以上聞くことができなかった。

そもそもヨーロッパの建築というのはピラミッドから始まっている。
磯崎さんを始め皆真似をしている(それに対し文句を言う人もいない)。外観から始まっているのだ。
それに対し、日本はインテリアとか内部空間から始まっている。
吉村氏はその最たるもの。
あの「軽井沢の山荘」のキャンチレバー下は、外から見ると明らかに「外観」だが
そこに座ってみると「内観」になる。
外なのか中なのか分からない・・・日本人の発想だ。
それにしても、吉村氏が「夏の家」であの床下が好きだったとは、
レーモンドは夢にも思わなかっただろう。


床下に座る吉村氏と思われる写真は、微笑ましい。
いつまでも座っていそうな落ち着きを持っている。
小さな狭いところ、内部だか外部だか分からないところが好きだったのだな。

2時間にも及ぶ講演は、楽しく、あっと言う間だった。

講演の後、展覧会へ。
トップライトのある小さなヴォールト天井が連続する広々とした展示会場。
真ん中には木製の板が天井から吊るされ、会場を視覚的に分節している。

植田氏が言うように、壁に大きく書かれた吉村氏の「コトバ」たちに見守られた
一目で一望できる分かりやすい会場構成は素晴らしく
芸大生が作ったであろう精巧な模型、集められたスケッチや図面、
「移動できるから」と好んで造られた和紙のスタンド型照明器具や座布団をモチーフにした家具・・。
映像も随所に散りばめられ、落ち着きたい場所にはちゃんと椅子が設置されていて心憎い限り。

すでに16時を過ぎていた為、17時の閉館に追われながらの駆け足鑑賞であったことが残念で堪らない。
展示の半分も観ることが出来なかった。

再度改めて訪れたい。
(2005年11月19日)
★★★★★(A)

杉本博司 時間の終わり

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1975年から2005年に制作された代表的なシリーズが初めて一堂に会する回顧展。
彼自身が会場構成も手がけたこともあり、展覧会会場一帯が彼の世界に染まっていた。

会場を入ってまずあったのは数学的形態のシリーズ。
会場には進行方向並行に左右対称の白い壁が立ち並ぶ。

白い壁を過ぎて振り返ると、その壁に数学的形態の絶妙な陰翳を帯びた写真が並ぶ。
10枚ほど重なる壁を過ぎ去って振り返ると、全ての作品が重なって見え、
別の視点から彼の作品を見ることができる。

現実と虚像の間を視覚が往来する「ジオラマ」。
虚像の世界も、写真になると現実となるという。
人類の祖先などがとてもリアルに表現されていて恐ろしくもある。

そして世界中の水平線を撮り続ける「海景」。
全ての構図がタテ半分の位置に水平線。
その線は、あいまいになったり、海が濃くなったり、空が濃くなったり。
展示室は真っ暗で、「海景」の水平線たちと能の舞台だけが照明で浮かび上がり、
瞑想空間となっていた。

彼の仕事をわかりやすく説明したビデオの後、ロウ人形の「ポートレート」。
実物そっくりのロウ人形をレンブラントのような光と影を落とし撮影。
実物以上にリアルな人物が浮かび上がっていた。

映画1本分の長時間露光による「劇場」は、映画1本が全て消えてしまい、
真っ白の光のスクリーンのみになってしまう。
屋外劇場のそれは、夜空の星の動きとともに幻想的な絵となって心に響く。
さまざまなメッセージが詰まった映像が実は白く発色する物体でしかないという理論。

三十三間堂の千手観音を全て同アングルからとり、
つなぎ合わせて動画にまでした作品は、観音様が迫ってくる印象。

建築に関わる人間としては、20世紀の代表的な建築を倍の焦点で写した
「建築」に興味があった訳だが、
彼の作品における「建築」は全て焦点をぼかしてある。
このぼかすことによって細部が曖昧になり、その建築の本髄のみが露わになるのだという。
建築家の当初のコンセプトが浮かび上がってくると。
何とも馬鹿にされたようなされないようなという感じ。
面白い視点だと思う。

1枚の写真と、それらをシリーズ化することにより見えてくる世界。

この展覧会の空間でしか味わえない貴重な体験をした。

写真とか、絵画とか、哲学とか、彫刻とか、建築とか、演劇とか、音楽とか、境界が曖昧になり、
境界なんてどうでもいいと思った。それらを手がける人の感性が全てなのではと。

彼の愛読書たちも読んでみたいと思う。
(2005年9月19日)
★★★★★(A)

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「最近、物質のことばかり考えています。建築とは形態でも平面計画でもなく、物質とのコミュニケーションではないかと感じています。
不思議なことに、ITの時代が喧伝されるようになってから、よけいに物質のことが気になりはじめました。
ITが映像の高速伝達を可能にしたがゆえに、高速では伝達していない物質というものの持つ底知れぬ力が、
逆に、不意に立ち上がったように感じられるのかもしれません。
その物質の力をどうデザインに結びつければいいのか。そのために我々はたくさんのモックアップを作ります。
映像でも模型でも確認できないものを、モックアップという実物を使って確認していくのです。
今回はそんなモックアップ達を並べてみました。モックアップとは、物質であると同時に人でもあります。
その実物を作っている人たちの姿や力も同時に伝えられたらと願っています。 隈研吾」
とのうたい文句に誘われ行ってみた。

GAギャラリー自体、展示スペースがとてもコンパクトなので、いつもそんなに大々的な展示ができなくてさらっとした感じなのだが・・。

今回は、隈さんの最近の作品群を、彼の興味の的「物質」をテーマにモックアップという媒体で展示するという一風変わったコンセプトに期待をした。

1階の部屋の中央床には「LVMH 大阪」の外壁に使った強化ガラスに挟まれた大きな3枚のオニキス板、
正面壁には「福崎空中広場」のオレンジ色のポリカ(アクリル?)、
2階には中央床に「NTT青山ビル」のFRP&ヒバの大きな光床、
左手壁に「ONE 表参道」の木ルーバー・・・・。
確かにモックアップは展示されていた。殺伐と・・・。

更にそれぞれの作品は、モックアップたちとは離れた場所に2枚程度の矩計図と1枚の現場写真と簡単な文章でいともあっさりと展示されていた。

「・・・・??」

1階の奥で流れていたビデオは、どこかで見たようなものの継接ぎだし、展示は雑誌の情報を拡大しているだけ。

初めから隈さんに興味を持っている建築関係の人しか見ないであろういその内容。

だいたい「モックアップとは物質であると同時に人でもある」と言うのであれば、
モックアップの横に「危険ですので触れたり寄りかかったりしないでください」というのは何なのだ??

建築展を観に行くというのは、雑誌や現地で得られない情報や体験を得るため。
そもそも建築なんてものは、その空間を自分で体験しないと、五感で感じないといけないものなのだが
それを補ってくれるのが、雑誌やメディア、そしてこうした展覧会なのだ。

折角の面白い観点「モックアップ」で展示するのであれば、もっと「物質」というものに焦点をあて、
訪れる人々が、出来上がってしまった建築では触れることができないような角度で見せ、触れされるべきだったのでは?
さらには「オニキス」や「FRP」や「ガラス」や「木」などの物質を建築に使うということはどういうことなのか
雑誌などで分からないような隈さんなりの考えを、この展覧会で見せて欲しかった。

その土地や目的にあった素材を試行錯誤して建築に応用する隈さんの考えは割と好きなのに
この展覧会にはがっかり。狭い会場とはいえ、それなりのインパクトが欲しかった。

書籍コーナーには展覧会に併せて刊行された「 GA ARCHITECT 19 KENGO KUMA」が置いてあって
それなりに面白そうだったけど、「隈研吾のサイン入り」って・・・。
サインしてもらうより、展示そのものに頑張って欲しかったなあ。慶応の学生に丸投げでやらせたのかな。
入場料500円と時間が勿体無かった。あーあ。
(2005年10月23日)
★☆☆☆☆(A)

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