お茶の子さいさい

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古代の東海道

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2-近江国府(2)

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近江国庁

建部大社を参拝後、鳥居を出て左折し 道沿いに進むと小さな川(高橋川)に突き当たる。
ここから川沿いの道路を 下流に向かって200mほど進むと 左手に三大寺山と呼ばれる小高い丘が見える。

この辺りは「三大寺」という地名で 雇用促進事業団の建設による集合住宅が並び その隣に近江国庁跡がある。
この付近の住宅建設に伴って昭和38年に姿を現した国庁跡地の一画には 石碑や案内板と復元された建物が建っている。

案内板によれば近江国庁は奈良時代前半(今から約1300年前)に置かれ、平安時代後半(約800年前)まで使われていたそうだ。
ここでは都から派遣された国司(現在の知事のような役職)を中心として 今でいう県庁、警察署、裁判所、税務署として 近江国の統治と都の連絡にあたっていた。

国庁は 東西脇殿、正殿、後殿の建物を中心に門や築地からなり 東西二丁(約216m)、南北三丁(約324m)の区画をいう。
跡地から古代では重要な建物にだけしか使われなかった瓦葺跡や礎石も見つかっている。

その外側の国府は9町(約972m)四方の規格化された街路が広がっている。
近江国庁は日本で初めて 古代の地方政治の中心地である国庁の全容が明らかになった遺跡とのことである。
天延四年(九七六)の大地震で大きな被害が発生したが 国府制度はまだまだ重要だったので この国庁を移転し存続したという見方もある。

この場所を探すのに 時間を費やし過ぎたため 勢多駅跡といわれる堂の上遺跡や最初の国分寺と推定される瀬田廃寺を訪ねることを断念した。

国分寺は天平十三年(七四一)二月、聖武天皇の命により 諸国に置かれた官営の寺で 多くは国府の境界付近にあった。
このように各国には 国庁・総社・国分寺の三点が設置されていた

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