お茶の子さいさい

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東北見聞録

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会津藩の教育

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会津藩の教育
「藩校 日新館の教育目標は、人材の育成」であり 藩士の子弟は10歳になると 入学する定めでした。

これとは別に 入学前の6歳から9歳までは組を作り、お互いに武士の子としての心構えを学びました。
この組を「お話の什」または「あそびの什」と称していました。
その「什の掟」を 会津武家屋敷で初めて知りました。

一、年長者 の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三、嘘言を言うことはなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。

このように幼少の頃から 武士としての自覚をもつように 躾けられていました。
「ならぬことはならぬ」は強い意志を感じます。

そして10歳になると 日新館で義務教育を受けることになる。
日新館は教室以外に天文台、印刷出版所、図書館、プールもあるほど設備の整った藩校でした。
 優秀な生徒は、 藩の費用で日本各地に留学できたので、勉学の励みになったであろう。
会津藩が「人材の育成」を掲げ いかに青少年の教育に力を注いでいたかが窺えます。

白虎隊の隊士達は、日新館で学んだ16から17歳の少年達で編成されていました。
戊辰戦争で戦闘の激化に伴い 日新館は野戦病院となり 白虎隊も最前線に投入された。
そして 敗退した白虎士中二番隊は、炎に包まれた鶴ヶ城を眺めながら、飯盛山で壮絶な自刃を遂げました。

今の世は「什の掟」の3,4,5、に背いていることが多いですね。
時代によって変わる規範と人間として普遍の規範があります。
我が世代が 親として 子供に後者の規範を教え足らなかったのでしょうか。

画像は日光山輪王寺の鬼門除け札。
江戸時代は皇族や将軍家のみに授けていたそうなので 天下泰平を祈願したことでしょう。
今は「この御札は鬼門からの破運による災難を抑えるとともに 御家族の運気を伸長させるもの」だそうです。

閉じる コメント(6)

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会津藩は教育もきちんとしていたのですね。今の世はだらしないように思います。
私達の世代は生きるために必死でしたから子供の教育まで目が届かなかったのでしょうかね。
責任を感じますね。でも子供は親の背中を見て育つといいますからね。

2009/5/12(火) 午前 4:40 [ jmd*p12* ]

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お初です。
会津若松から当地に嫁ぎました者ですが、
子供の小学校の恩師で、
「什の掟」を教卓の前に貼っているしいう
素晴らしい先生がいらっしゃいました。
とても懐かしいです。

2009/5/13(水) 午前 8:29 [ - ]

izumiさん、”親の背中を見て”でしたね。日本は人口も経済力も減少していくでしょうが 国民の資質が高まって住みよい国になっていることを願っています。

2009/5/15(金) 午後 10:26 asuha886

初めまして。会津若松のご出身なのでか、良き伝統、自然環境、など素晴らしいところですね。
小さい頃に身につけた「什の掟」は 咄嗟のときでも行動規範となるのでしょう。お子さんの恩師もそれを教えておられるのでしょうか。

2009/5/15(金) 午後 10:57 asuha886

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都合によりブログ移転します。
すみません。よろしくお願い致します。

2009/5/16(土) 午後 10:45 [ - ]

nbさん、落ち着いたらまたどうぞ。

2009/5/18(月) 午後 11:36 asuha886


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