お茶の子さいさい

更新&訪問が滞っていますが ゆっくりと続けてみます。

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タフな金魚

この金魚は昨年の7月頃から この2リットルのペットボトルで暮らしてきた。
 最近、大きくなり 水を換える時にボトルの口につっかえそうになる。
新鮮な水道水100%、水草もなければ 循環ポンプもなしの環境で よく育ったものだ。
成長を止めるわけにはいかないので 鉢を買ってきた。
開口面積がぐっと広くなったので 酸素補給量と運動量は改善され さらに長生きするだろう。
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会津藩の教育

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会津藩の教育
「藩校 日新館の教育目標は、人材の育成」であり 藩士の子弟は10歳になると 入学する定めでした。

これとは別に 入学前の6歳から9歳までは組を作り、お互いに武士の子としての心構えを学びました。
この組を「お話の什」または「あそびの什」と称していました。
その「什の掟」を 会津武家屋敷で初めて知りました。

一、年長者 の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三、嘘言を言うことはなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。

このように幼少の頃から 武士としての自覚をもつように 躾けられていました。
「ならぬことはならぬ」は強い意志を感じます。

そして10歳になると 日新館で義務教育を受けることになる。
日新館は教室以外に天文台、印刷出版所、図書館、プールもあるほど設備の整った藩校でした。
 優秀な生徒は、 藩の費用で日本各地に留学できたので、勉学の励みになったであろう。
会津藩が「人材の育成」を掲げ いかに青少年の教育に力を注いでいたかが窺えます。

白虎隊の隊士達は、日新館で学んだ16から17歳の少年達で編成されていました。
戊辰戦争で戦闘の激化に伴い 日新館は野戦病院となり 白虎隊も最前線に投入された。
そして 敗退した白虎士中二番隊は、炎に包まれた鶴ヶ城を眺めながら、飯盛山で壮絶な自刃を遂げました。

今の世は「什の掟」の3,4,5、に背いていることが多いですね。
時代によって変わる規範と人間として普遍の規範があります。
我が世代が 親として 子供に後者の規範を教え足らなかったのでしょうか。

画像は日光山輪王寺の鬼門除け札。
江戸時代は皇族や将軍家のみに授けていたそうなので 天下泰平を祈願したことでしょう。
今は「この御札は鬼門からの破運による災難を抑えるとともに 御家族の運気を伸長させるもの」だそうです。

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