お茶の子さいさい

更新&訪問が滞っていますが ゆっくりと続けてみます。

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公園の梅

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愛知県内を走行中、公園の梅が満開なので途中下車で見物。
寒くてそうそうに退散する。
桜の木が多いのでその季節もきれいであろう。

レトロな銭湯

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とてもレトロな銭湯の前を通る。
入口に車が止まっているが 開店前なのか暖簾がなく 客らしき姿も見えない。
塀の中に公園にあるような長いベンチが置いてあり それには昔のままの広告板が貼ってある。
前を通り過ぎ横へ回るとコンクリート製ではない銀色の煙突が見える。
子供の頃、近所の銭湯のボイラー場で見かけた薪や廃材そして石炭の山を思い出す。
この銭湯はいつの頃に創業したのかなとちょっと気になる。

御曹司社と蒲桜

御曹司社と蒲桜
東海道、石薬師宿にある石薬師寺山門の近くに「御曹司社」がある。
ここは源頼朝の弟、源範頼を祀ったこじんまりとした社である。
範頼は平家討伐に際し、石薬師寺を訪れ戦勝祈願をしている。
それに因みこの社は武道と学問の願望成就の神とされている。
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源範頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
源 範頼(みなもと の のりより)は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。河内源氏の流れを汲む源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄。遠江国蒲御厨(浜松市)で生まれ育ったため蒲冠者、蒲殿とも呼ばれる。同国に生まれ育った後、藤原範季に養育され、その一字を取り「範頼」と名乗る。源氏一門として、鎌倉幕府において重きをなすが、のちに頼朝に謀反の疑いをかけられ誅殺された。
現在の武蔵国比企郡吉見町のあたりを領して吉見御所と尊称された。
御曹司社の前の道を南へ60mほど下ると 蒲桜が立っている。
源範頼が戦勝祈願の際に 鞭代わりにしていた桜の枝を地面に逆さに刺した。
それが根付き育ったと言い伝えられ 地元では「逆さ桜」とも呼ばれている。
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「義経逆桜」というのも聞いたことがある。
過去に、京から伊勢までの平安時代の東海道・参宮街道や家康の伊賀越の道を辿り その記録を書き残した。
 いつか江戸時代の街道も 辿ってみたいものだ。

石薬師寺

石薬師寺
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石薬師宿の石碑から旧道を走ると 国道1号線を跨ぐ瑠璃光橋にでる。

これを渡ると 右側に石薬師寺の境内裏手になり 高富山石薬師寺の看板が見える。

境内に沿って進むとこじんまりとした山門に至る。




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案内板(拡大表示)
境内は手入れが整い しっとりとした気分になる。

イメージ 3 境内
イメージ 4 鐘楼と本堂

東海道 石薬師宿

東海道 石薬師宿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歌川広重「東海道五十三次・石薬師」石薬師宿(いしやくしじゅく)は東海道44番目(→東海道五十三次)の宿場で、現在は三重県鈴鹿市。
1616年に宿場となった。
四日市宿と亀山宿間の距離が長かったために間に設けられた宿場で 宿泊客が少なく経営が苦しかったという。
名称は宿場内にある著名な「石薬師寺」に因んだものである。
車で近くまで来たので駆け足で見ることにした。
国道1号線と旧東海道に囲まれた一角に石碑と案内板がある。
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隣接して家内安全・交通安全を祈願する北町の地蔵堂が建つ。
車を道路脇に停めて案内板を読んでいたら すれ違いが難しくて対向車がじっと待っていてくれた。
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その他にも本陣跡、大木神社、佐々木信綱資料館などがあるが 通り過ぎる。
(佐佐木信綱 - 1872年(明治5年)、石薬師宿に生まれた歌人・歌学者。唱歌「夏は来ぬ」の作詞者。)
やはり旧街道は車よりも 徒歩か、自転車が適している。

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